洪鐘祭でキス

壺の蓋政五郎

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洪鐘祭でキス 終

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 開催の挨拶が終わり行列がスタートした。触れ太鼓が先頭で祭りの始まりを知らせて歩く。金棒、流れ旗の後ろに木遣り衆が続く。現在山ノ内に鳶の衆は少ない。昔はどこの建前でも締めを飾った木遣りは今は聞こえなくなった。続いて江の島衆の行列である。江の島囃子、百年続く唐人囃子のチャルメラの音が盛り上げる。そして天の四方の方角を司る四神、青龍、朱雀、白虎、玄武が見物人を喜ばす。その後ろに円覚寺の雲水が続く。稚児行列は付き添いの父母の見守る中静かに進む。そして前回の参加者が沿道に手を振る。大傘を誂えた人力車には円覚寺館長と円覚寺出入り職の親方が優雅である。そして『よいさこらさ』の掛け声で山ノ内八雲神社の大神輿が練り歩く。参道は拍手が鳴りやまない。その後ろに雅恵達の参加している面掛行列が地味に行く。後ろには下町、中町、上町の可愛い子供神輿が続く。大賑わいの大神輿と子供神輿の間に挟まれた面掛行列に興味ある見物客は少ない。
「愛のおばあちゃん、疲れませんか?」
 愛の担任である加山は運動不足で息が荒い。面を着けていると不快になり外してしまった。
「大丈夫ですか先生?無理をなさらない方がいいですよ」
「はい、ちょっと休ませてもらいます」
 福禄寿の面を着けた加山がコンビニに飛び込んだ。トイレを借りて座り込んだ。
「私が変わりましょう」
「爽やかな青年が加山に声を掛けた」
「あなたはどちらの方でしょう」
「雅恵さんに言われて交代に参りました」
「そうですか、助かります。血圧が上がってこれ以上動けません。お願いします」
 加山は衣装を脱いで男に渡した。男は福禄寿の面を着けて行列に戻った。
「加山先生大丈夫ですか?」
 雅恵が戻ってきた福禄寿に確認した。福禄寿が頷いた。そして主役の登場、張りぼての洪鐘である。続くのは手作り衣装の可愛い子供等の行列。しんがりに清掃隊がごみを収集して歩く。建長寺までの道程を約千人の参加者が通行止めにした鎌倉街道を練り歩く。沿道には鎌倉観光に来ている外国人も多数いる。
「あっ雅恵さんだ」
 沿道で見物する聡子達に気付いた雅恵が面を外して手を振った。聡子と聖が手を振り返した。
「60年前はおばあちゃんの後ろにいる福禄寿の面を被った人が相馬先生だったの」
 鎌倉滞在中の聡子達の世話をしているのが里美である。
「今回は誰が被っとっと?」
「担任の数学教師。前の総理大臣に似ているから総裁って渾名」
 聡子の質問に里美が答えた。
「愛ちゃんはどこにおると?」
「愛が気になる?」
 里美が聖を横目で見た。聖が照れて頬を赤くした。
「少し」
 言って更に赤くなった。
「愛は囃子を指導しながら、清掃隊に参加しているの。ボランティア精神が旺盛だから。感心する。あたしには出来ない」
 里美は自分のことは後回しにしても気遣いの忘れない愛が羨ましくもあった。
「愛ちゃんは弱か者んために一生懸命生きとー。やけん神様から不思議な力ば授かった。愛ちゃんの今日ん願いはただひとつ、雅恵さんが相馬先生と会えること。それば祈りつつボランティアば務めとるんやろう」
 聡子が頷きながら言った。北鎌倉駅は洪鐘祭の見物客で一杯になった。特に下り列車から降りた客はホームから進めない。ホームから改札に行くのに踏切を渡る必要がある。改札は三口で対応出来ない。日本の自動改札を使い慣れていない外国人が改札機で止まると後続は動くことが出来ない。袋の口を閉じられたようになっている。
「おい、駅からの要請で交通整理を出してくれ。踏み切の中に客が閉じ込められている」
 後藤団長は式典にも参加しているため消防団最ベテラン矢島が団をまとめている。
「僕達が行きます」
 真っ先に手を上げたのが誠二と亨である。
「頼むぞ、西口だけじゃ無理がある。東口から裏の道を通って出るように案内しろ。臨時口から出ると通路が狭くて危険だ。韓国の二の舞になる。駅には閉めるよう伝えて置く」
 二人は駅に走った。
「誠二、亨」
 走る二人に聖が声を掛けた。
「おう、聖、来てたんだ。聡子おばあちゃんは?」
 聡子が手を振った。
「おいに手伝うことはなかか?」
 聖が手伝いを申し出た。誠二と亨は見合って頷いた。そしてカモーンと手を振った。
「ばあちゃん、行って来る」
 聖がダウンジャケットを脱いだ。
「これ着て行け」
 行列に付き添う団員が半纏を聖に投げた。
「かっこいいね、聖君」
 里美がうっとりしている。
「あん子も愛ちゃん同様、黙って見ていられん性格なんや」
「誠二君に強力ライバル登場」
 ふざける里美に聡子が笑った。

 行列の先頭は既に建長寺入りしている。鎌倉街道の通行止めは正午まで、余裕はない。続々と建長寺入りし、祭典も幕を閉じた。
「加山先生、体調が悪いのに最後まお付き合いいただきましてありがとうございます。どうぞゆっくりとお休みください」
 雅恵は面掛行列に参加した面々に礼を言ってその場を離れた。目立つので阿亀の面を脇に抱えて円覚寺に戻った。
「あら加山先生、どうされました。私は野暮用があって弁天堂まで行きます」
「私も一緒に行きましょう」
 福禄寿が手を出した。雅恵は言葉に甘えて手を出した。柔らかく冷たい手だった。

「加山先生、どうしたんですか?」
 清掃隊の愛がコンビニから出てくる加山に気付いた。
「ああ、悪い、血圧が上がって気持ち悪くなった。ずっとコンビニで休んでいたんだ」
「それじゃ誰かと交代したの?」
 福禄寿の面は建長寺で見た。雅恵と話をしているのを目撃している。
「中華大幸の息子さんじゃない。お父さんが面掛の責任者だから。交代要員で行列に参加していたし」
 里美が言った。
「そうかもしれないな、雅恵おばあちゃんの知り合いだって言ってたから。若くていい男だった」
「いい男?」
 愛が首を捻った。中華大幸の長男はお世辞にもいい男じゃない。
「見る人によって違うんだよ愛。愛とあたしが好みが違うように」
 里美が笑って茶化した。
「そうかもね、それでおばあちゃんは?」
「分からない、建長寺に居たのは見たけど」
「もしかして弁天堂?」
 二人は走った。

 福禄寿は息を切らす雅恵をエスコートした。
「加山先生ありがとうございます。いつもは孫と手を繋いで上がるんですよ。でも今日が最後かもしれない」
 雅恵は空を見た。60年前が蘇る。もう相馬は現れないだろう。夢が夢で終わるならそれでいいと笑った。雅恵が弁天堂の前で手を合わせた。福禄寿が雅恵の横に立った。一緒に手を合わす。福禄寿の面が落ちた。雅恵が拾った。
「はい、加山せん・・・・」
 福禄寿の男は相馬だった。雅恵はへたり込みそうになった。相馬が身体を支えた。
「相馬先生」
 相馬はやさしく頷いた。
「それじゃずっと一緒に面掛行列にいたんですか?」
「約束だから破るわけにはいかない」
「うちの愛が相馬先生に会いに行きました」
「ああ、二度会いました。当時のあなたにそっくりでした。それに私と同じ力を持っています」
「あの子は先生の所に行くんでしょうか?」
「それは彼女が決める事、でもこの次元で活躍する方が彼女には向いてると思います。それに気付いてきたようです」
「相馬先生、会いたかった」
 雅恵は相馬に抱き付いた。
「さあ、しっかりとお祈りしましょう。中途半端じゃ神様が気付いてくれません。夢が夢で終わる」
 二人で二拍を合わせた。そして深く一礼し手を合わせた。風向きが変わった。バタンと格子戸が開いた。浴衣の男がにやっと笑った。そして縁側から飛び降りた。浴衣の裾を端折って帯に差し込んだ。手拭いをくるくると丸めて鉢巻きにした。鐘木を軽く引いた。二回目はもう少し強く。そして三度目は腰を入れて引いた。あの写真の通りである。ゴ~ンと720年の時を超えて響き渡る。次元の境が現れ曖昧になる。境は陽炎のように揺れている。魑魅魍魎がその境で蠢いている。どの次元にも入ることを神から禁じられている。雅恵は意識を失う。相馬も神の使いであることを忘れる。鐘の音が止むとき次元の境も元に戻る。そして二人はキスをしていた。

「あっあれ」
 階段を駆け上がって来た愛と里美が二人を見つめた。
「おばあちゃんの夢が叶った」
「うん、60年の夢が叶った」
 二入は嬉しくてその場にしゃがみ込んだ。溢れる涙が視界をぼやけさせる。

「それじゃ私は行くよ」
「相馬先生ありがとう」
 相馬が次元の境に引き込まれていく。愛が走った。そしてジャンプして相馬の足にしがみついた。
「愛、駄目だよ」
 里美が叫んで愛の足に掴まった。
「里美」
 里美も浮き上がる。その足を雅恵が掴んだ。聡子と聖が弁天堂に来た。繋がって揺れる人の数珠。聖が十字を切った。すると聖の身体が浮いて行く。聖が天を向いた。里美を追い越し愛と並んだ。
「聖」
「愛」
「さあ、帰りなさい」
 相馬が愛にやさしく言った。
「相馬先生、その青い線はどこまで通じているんですか」
「すべての神に通じている」
「じゃあどうして戦争があるんですか?」
「神の繋がりを信じないからだ。神が天井で通じているのを知れば治まる。その仕事を君達に任せる」
「そんなことあたしに出来ません」
「君が地域の子にやさしくするのと変わらない。その気持ちを忘れなければきっと彼等に通じる」
 愛の手が相馬の足から離れた。
「さあ、降りよう」
 聖は両手を広げて自分自身が十字になっている。聖が愛を右脇に抱えた。そして里美を左脇に抱えた。
「聖は神様?」
 愛が訊いた。
「違う」
「どうしてこんなことが出来るの?」
「分からない。愛を助けようと思って神様にお祈りしたら自然と体が浮いた」
 聖自身もどうしてこんなことが出来るのか不思議だった。
「聖」
 地上にいる誠二が腰を抜かすほど驚いている。聖はゆっくりと地上に下り立った。両手を広げると愛と里美がふらついた。
「愛、里美」
 雅恵が二人に寄り添う。聖がふらついた。誠二と亨が脇を抱えて座らせた。上を見ると次元の境が揺れている。鐘の余韻が風に流されると次元の境は分からなくなった。雅恵はずっと天を見ている。唇に指を当てた。相馬の唇が触れた感触が蘇る。
「相馬先生、約束守ってくれてありがとう」
 雅恵が手を振るとみんなが手を振った。
「みんなありがとう」
 雅恵が礼を言う。愛が雅恵に抱き付いた。その上から里美が抱き付いた。亨が抱き付こうとすると誠二が止めた。全員で弁天様に手を合わせた。
「おっ、何だ、出番じゃねえな」
 鐘突き男が顔を出してすぐに引っ込んだ。

 高宮家の桜が満開である。60年前に婿の俊司が植えた。
「愛おばあちゃん、神社に行く?」
 孫の雅子が庭から声を掛けた。
「そうだねえ、おじいさんはもう行ってるよ。お前だけ行って来なさい。おばあちゃん今日は疲れてる」
 雅子は一人で八雲神社に走った。
「おじいちゃん、手伝いに来たよ」
「おお、そこに袋があるからもっといで」
 腰の曲がった誠二が立ち上がった。
「おばあちゃんは疲れているって」
「そうか」
「おじいちゃんより年下なのに元気ないね」
「おばあちゃんは若い頃に色々な経験をした。だから私より疲れが溜まっているんだ」
 愛は今年喜寿、誠二は傘寿を超えていた。

 愛はダウンジャケットを着てマフラーを巻いた。
「おばあちゃん、お出掛け?」
 愛の一人娘である聖子が心配した。
「ああ、弁天様に行って来る。山の桜がみたい」
「一人で?階段上れるの?」
「一人じゃない、いつもスサノウの神様が付いててくれる」
「スサノウって誰?」
「山ノ内の神様だよ」
「変なおばあちゃん」
 聖子は笑って見送った。
「おばあちゃん、ちょっと待って」
 聖子が駆け寄り愛のマフラーを巻き直した。
「ありがとう、お前が生まれてくれてよかった。雅子を宜しく」
「何よ、改まって。今晩すき焼きですから」
 聖子は愛が白鷺池を曲がるまで見送った。愛は弁天堂への階段の下で「ふーっ」と息を吐いた。
「さあ、掴まりなさい」
 手を差し出したのは福禄寿だった。
「あなたは?」
「分からんかわしが福禄寿だ」
 面掛の面ではない、本物の福禄寿である。今年の秋に洪鐘祭が開催される。令和五年から60年目である。愛はその際に面掛祭りの阿亀の面を被り行列に参加することになっている。祖母の雅恵がそうだった。
「ありがとうございます。神様にエスコートしてもらうなんて幸せ」
 愛は福禄寿の手を握った。
「よう、頑張ったのう」
 福禄寿が愛を労った。
「人生を楽しんだだけです」
「それがいいんじゃ。さあ弁天が待っとる」
 階段を上り切ると福禄寿が消えていた。弁天堂の前に立つと弁天が縁側に座っていた。その隣にあの鐘突き男が立っている。
「弁天様、それに鐘突きのおじさん」
 愛は何もかも見透かされているのだと悟った。天に上がって神の手伝いがしたい。庭の満開の桜を見てそう思った。
「どれ、突いてやるか。最後の一発を」
 鐘突き男が縁側から飛び降りた。
「ちょっと待って」
 愛はスマホを取り出した。
〔里美、天に行くよ〕 
 親友の里美にラインをした。里美は実家の八百屋を継いでいる。
〔行ってらっしゃい。もう助けに行かないよ〕
〔ありがとう〕
〔あたしもありがとう〕
 ラインを切った。鐘突き男が浴衣の裾を端折った。手拭いを丸めて鉢巻きにした。愛が弁天に二礼二拍した。そして祈った。『世界中のどこにも戦争が起きませんように』深く一礼した。鐘突き男が鐘木を振った。一度、二度、そした三度目は腰を入れて大きく引いた。洪鐘が響いた。空気を揺らし世界中に響き渡った。風向きが変わった。次元の境が揺れて曖昧になった。魑魅魍魎が蠢いている。
「そこ通るからどいて」
 愛が魑魅魍魎に道を開けるよう言った。魑魅魍魎は渋々と道を開ける。吸い込まれるように天に上る。青い線を掴んだ。



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