グンナイベイビー

壺の蓋政五郎

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グンナイベイビー16

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「それ、イーソウ、リーピンイーペイコウドラ一、満貫」
 場に出された紙幣をポケットに入れて立ち上がった。
「俺は上がるぜ」
「健さん勝ち逃げあるよ。そりゃないよ」
 面子は中華街の大店の店主である。
「どうした信ちゃん?」
「俺の弟子で善三知ってんだろ」
「おう、大船で鉄板焼き屋出したらしいじゃねえか。こんだ冷やかしに行ってやろうかと思ってるよ」
「善三がタイマン張るらしい、それも地元のやくざだ」
「よっしゃ行こう、うちに寄ってくんな」
 内容なんて関係ない。声が掛かればすぐに手を貸す。焼け野原を駆け回って生き抜いた仲である。声を掛けられりゃ二つ返事しかない。それが正義か悪事かなど考えない。唯そう言う仲である。

 足音が聞こえる。善三は二時間も瞑想をしていた。心の迷いが取れた。死ぬことがいやだから恐怖がある。ここまでの命に感謝すれば恐怖が抜けた。茉奈はまだ若い、協力してあの店を反映させるだろう。姉思いの兄弟がいる。善三は正々堂々と勝負して結果は観音様に委ねることにした。善三は観音様の前で下駄を脱ぎ歯を二度叩いた。乾いた音が境内に響いた。足音が止まった。声がする。と言うことは複数。善三は観音様の後ろに隠れた。複数なら奇策も考えなければならない。
「おい、鉄板屋、隠れてねえで出て来い」
 中村の後ろに二人いる。中野の仲間じゃない。
「鉄板屋じゃない鉄板焼き屋だ。その人達は誰だ、タイマンと言ってあんたもそれを受けた」
「この方達は見届け人だ、未届けがいなきゃ誰が勝ったか負けたか分からねえだろう」
「分かった、それじゃ見届け人のお二人はそこにいて中村さんだけこっちに来てくださいな」
 善三が姿を現した。

 茉奈は寝付けない。着替えて外に飛び出した。観音様を目指し走った。時間は深夜二時、タイマンを約束した時刻である。店を閉め自宅に戻ったのが零時過ぎ、心配で桜に電話を入れた。そして消したテレビに映る自分を見つめていた。すぐに出れば善三の足にしがみ付いても止められた。どうして動かなかった。茉奈はいつも土壇場で躊躇う自分を嘆いた。参道を息を切らして駆け上がる。
「茉奈ちゃん」
 桜に肩を抱かれた。
「桜ちゃん、来てくれたの?」
「当り前じゃない。お父さんとお父さんの友達で健さん」
 茉奈は挨拶をした。
「信ちゃん、下のタクシーで待ってりゃいいさ、参道にいたんじゃ逆に危ない。駆け下りて来るのがいるからね。とばっちりを食うしそうなると俺もやりにくい」
「ありがとう健ちゃん、そうする、さあ下りよう」
「あたしは行きます」 
 茉奈が参道を上がろうとした。
「そうかい、善三の嫁さんだね?そうしなさい。お前さんが行くなら俺は下りるよ。何故かって?そりゃ助けられるものも助けられなくなるからさ。さあ時間がないよ。どうするね嫁さん。あんたが行ったら善三の顔丸つぶれだ」
「さあ、下りよう」
 桜に抱かれて茉奈は下りた。

 中村はゆっくりと進んだ。連れの二人は動かない。
「鉄板屋、おめえは馬鹿だな」
 中村の捨て台詞で後ろの二人が動いた。匕首を抜いて観音様の周りを二手に分かれた。
「善三、善三はいるか」
 息を切らして階段を上がって来た相田が呼んだ。中村が後ろを振り返る。
「誰だてめえは?」
 二人が善三を挟み込んだ。善三は鉄下駄を両手に受け身の体勢。
「おい、お前さん等二人、素人相手に情けねえじゃねえか、それでも侠客の端くれか。それともただのチンピラか、ただのチンピラなら悪いこと言わねえ、観音様に手を合わせて今直ぐ駆け下りろ、それなら許してやる」
 中村が匕首を抜いた。
「そうかい、俺はお前さんに恥かかせようってんじゃねえんだ。タイマンさせてやろうってんだ。それが分からねえなら仕方ねえ、俺も昔はザキじゃ人斬りなんて物騒な渾名で呼ばれたもんだけど、まだ錆びちゃいねえな」
 相田は長い匕首を抜いて月明かりに照らした。油光する峰が月の輪郭と重なった。善三を囲む二人は一目散に走った。一人は階段を踏み外し雑木の中に転がった。
「おいおい、気を付けなよ。てめえの得物で腹刺しちゃ浮かばれねえよ」
 相田は匕首を構え中村を善三の方に押しやる。
「相田さん」
 善三が気付いた。
「おう善三、店出したってか。生きて帰れば今度行くぞ。さあ俺の役目はここまでだ。しっかりとタイマン張りな。俺がいちゃあんたもやりづらいだろ。階段の下で待ってる」
 相田は笑って階段を下りた。善三と中村は向かいあった。善三が走り観音様の正面に出た。中村が追う。
「鉄板屋、容赦しねえぞ」
 中村が脅すが善三は動じない。結果全て観音の慈悲と二時間の瞑想で心得た。
「勝っても負けても観音様の思し召し、タイマン受けていただきありがとうございます」
 中村が斬りかかる。善三が鉄下駄で受ける。切先が額に触れた。下駄を押し上げる。中村が刃を退いて善三の腹に刺し込む。善三が回転して避け、地べたに転がった。中村が転がる善三に斬りかかる。善三は下駄を合わせて受けた。歯と歯の間に匕首が挟まった。善三が倒れた態勢で中村を蹴飛ばした。匕首の柄から手が離れた。善三が立ち上がり匕首を拾い上げ階段に投げた。転がる匕首を相田が拾った。
「勝負ありか」
 相田は善三の勝ちを確信して参道を下った。匕首を失った中村は鞘で殴り掛かる。左の鉄下駄で受けて右の鉄下駄で側頭部を殴った。
「あいてっ」
 頭を抱えて転がった。善三が倒れた中村に跨った。中村の両手を鉄下駄で押さえ付けた。
「参ったか?」
 中村は顔を背ける。
「参ったか?」
 善三は中村を見つめて言った。
「参ったか?」
 三度目だった。
「まいった」
 中村の目に光るものが見えた。善三は立ち上がった。
「これは俺とあんたの秘密だ。証人は観音様。それから鉄板屋じゃない、鉄板焼き屋だ」
 善三は鉄下駄を履いた。階段の下には、茉奈がいた。
「♪きいっと い~つうかふぁ 君のママもふぉ」
 茉奈が数段を駆け上がる。善三に抱き付いた。
「あの人は?」
「大丈夫さ、きっと今頃観音様に慰められてる」
「良かった」
「♪だ~か~ら~ グンナ~イ グンナ~イベイビー 涙こらえて~」
 善三の声は中村にも届いていた。

 愛子は学校の帰りに里見を誘っていた。
「たまには受験勉強の息抜きもいいでしょ」
 里美はあまり歓迎していない。
「俺は受験勉強の方がいいけどな、でも君に教わった学習方で目からうろこ、その君の誘いじゃ断れない」
 愛子はこうして里見と街を歩いているのが楽しい。明らかに心の変化を感じていた。
「一宮君て工業だろ、どういう関係?」
「良太が駅で脅されて決闘をした子、決闘にはならなかったけど」
 一宮に練習の評価をして欲しいと呼ばれていた。階段を上ると善三が驚いた。善三は深夜のタイマン跡を消しに来たが既に掃き掃除が成されて形跡もなく安心した。
「善三さんその包帯どうしたんですか?」
 愛子が驚いた。茉奈が怪我したばかり、善三も襲われたのかと思った。
「これか、大袈裟なんだよ医者が、おできが出来て切り取ってもらっただけ、絆創膏で充分なんだけどね」
 匕首の切先が額の上に当たった。髪の毛が豊富だから出血は目立たなかったがマンションに戻り傷口を見ると意外と深かった。朝一茉奈に強引に医者に連れて行かれ包帯を巻かれた。
「ならいいけど、彼は里見君、良太の親友です。私達の事は全て知っています」
 里美は学帽を取り深く一礼した。
「良太のお姉さんの旦那さんで善三さん」
「君のことは良太から聞いているよ。良太を頼むね」
 善三が言うと里見は再度学帽を脱いで一礼した。
「それで今日はどうした?」
「一宮君が練習を見て欲しいって」
「そうか、そりゃ嬉しい」
 その時階段で複数の足音が聞こえた。一宮先頭に五人が階段を走り上がる。
「すいません、掃除当番で遅れました」
 善三はこの子達も当番をきちっと守ることが嬉しかった。
「いいさ、当番が優先だ、日常の規則を守れないでグンナイベイビーが歌えるか」
 一宮が観音様の正面に回ると全員が位置に着いた。
「いよいよこれが最後の練習だ。本番のつもりでやるぞ」
 中曽根がラジカセを回した。観客が拍手する。善三は彼等のグループ名を考えていた。
「みなさん、いつもご迷惑をお掛けしました。今日が最後です。彼等が一生懸命に努力した結果をみなさんにお見せするのが恩返しです。ありがとうございました。それでは一宮浩紀とグンナイブラザーズが歌います、『グンナイベイビー』」
 老夫婦、巫女とその友達、宮司もいる。参詣客も寄って来た。そして愛子と里美。
「頑張って」
 愛子が思わず声を上げた。出会いの初めは最上玲子の恋敵一宮、だが今は一宮に思いを遂げてもらいたい。自分の中の玲子への思いは完全に変わっている。欲情からの恋心から憧れの先輩になっていた。そして隣に立つ里見に増々惹かれていく自分がいた。
♪ きいっと い~つうかふぁ
             (ふぉわふぉわふぉわふぉわ~)
  君の パパもふぉ わかあって くれえる
                    (二人の愛を~)
 観客は酔いしれていた。老夫婦はハンカチで目頭を押さえている。フルコーラスを歌い上げた。善三が何度も頷いている。
「よし出来た。完璧だ、草むしりだ。観音様に感謝して境内の草むしりするぞ」
 善三の号令で草むしりが始まった。

  愛子と良太は土曜の夜に身体を元に入れ替わる儀式を行うことを決めていた。それを佐田と染に伝えようとリビングに呼んだ。
「佐田さん、染さん、明日の夜、愛子と元通りに入れ替わります」
「そうですか、それは良かった」
 染が喜んだ。
「愛子がすごく心配しています」
「まさか愛子お嬢様は戻りたくないと仰るのですか?」
 佐田が不安に感じた。
「そうじゃないんです。恥ずかしいんですけど儀式は男女の営みそのものです。実は愛子は入れ替わってから心の変化を感じています。それは女性対象だった愛が男に傾いて来たと言うか、本来なら正常と言うのかもしれない。それで僕と儀式を行うことがすごく厭らしく感じて来ているんです。二人共まさかこんなことになるとは考えもせずに願いが叶ったと喜んでいましたがそんな単純じゃありませんでした」
「良太様はどうなんですか?あなたも女性に恋を抱くようになったとか?」
 染は愛子の不安が手に取るように分かる。育ちのいい、しっかりと教育を受けている乙女心は、結婚前の男と肌を合わせる事の不潔さを感じているのだと。
「僕は・・・まだそのままです」
「そのままと言うと?」
 佐田が訊き返した。
「男に興味があります。愛子と重なることで欲情が芽生えることはありません。そのことは愛子にも伝えてあります」
「それをお聞きになって愛子お嬢様は何と?」
 染が祈るように手を合わせた。
「僕に全て任せると答えてくれました。あの時は満月の夜でした。明日は新月です。同じ時間に儀式をしようと愛子が提案しました。愛子の思い通りに行いたいと決めました」
 二人はじっと良太を見つめた。
「良太様、あなたは経った二週間ですが変わりましたね、すごく強くなられた。そのやさしさに包まれそうです」
 染が言った。佐田も頷いた。
「良太様、あなたならきっといい方向に導いてくれますよ。愛子お嬢様になり代わりお礼を申し上げます」
 佐田が丁重に一礼した。良太は二人が持ち上げるほど変わったとは感じていない。ただ、人のことを一々思うようになったのは間違いない。相手の気持ちになれば、立ち位置が違えばどうなのか、そう考えるようになっただけである。
「どうです佐田さん、日曜日にお二人のお祝いを七里の別荘でバーベキューでも」
 染が思い付いたように言った。
「そりゃ名案だ、みんな集めて盛大になりましょう」
 佐田がはしゃいだ。
「明日は工業祭で僕と愛子の友達がのど自慢大会に出場します。愛子と応援に行く約束をしています。どうですお二人も一緒に」
 良太が誘った。
「メイ子お嬢様が居りますから」
 染が残念そうに断る。
「メイ子も誘います」
「グットアイディア」
 佐田が掌を叩いた。

 鉄板焼き屋一心は口明けから客が押し寄せた。中村の嫌がらせはなかった。
「もう来ないのかな」
 茉奈がぼそっと言った」
「俺はそう信じてる、奴さんも男だろう。茉奈、昨夜のことは俺とお前の秘密だ、中野にも言うなよ」
「分かってる」
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