グンナイベイビー

壺の蓋政五郎

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グンナイベイビー15

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「それで中村さんに話がある。あたしもずっと横浜の伊勢佐木町で板前をしていました。馴染みのお客さんには地元の親分さんもいます。中村さんがやくざで脅すならあたしもその親分さんにお願いします。まあ板前の願いを聞いて下さるかどうか分かりませんけどね。それでもお願いだけはしてみます」
 善三が伊勢佐木町の親分と口にしたのが中村には引っ掛かった。
「上等じゃねえか、その親分とやらを紹介してもらいてえな。なんなら事務所に乗り込んでやろうか」
 中村ははったりをかましながらも情報を探りに掛かった。
「ちょっと待って、電話します」
 善三が電話機に向かった。
「今日じゃなくてもいいさ、こっちにだって都合があらーな。名前だけでも教えてくれたらこっちから出向いてやるよ」
 中村は名前だけ聞いて大繩興行の社長に確認してもらうつもりである。
「名前?」
「ああ名前」
「最初の一文字が『い』」
「『い』」
 中村は『い』から始まる組や親分の名前を想像している。もしかしたら日本を二分する組、と言うか会。
「おいおい、パズルやろうっててんじゃねえんだよ」
「それじゃ二文字目は『な』」
「『な』?」
「そう『な』」
 中村は『いな』で始まる組、会、親分を想像した。間違いない。日本を二分する組織、それも横浜には立派な親分がいる。大繩興行の親分と比較する。勝てるわけがない。でもはったりかもしれない。それに付き合いの程度による。客と板前の関係でやくざとのいざこざに口出しするだろうか。中村は半信半疑だった。
「中村さん、お互いが付き合いをひけらかしても始まらない。どうです、タイマン張りませんか。その方がすっきりする。あんたが勝てば街のしきたりとかに従う。みかじめも支払う。やくざに屈した板前と罵られてけっこう。ですがあたしが勝ったらこの店と関わるのは一切止めてください。街のしきたりも変えてください。どうです、今からでもいい観音様の前で正々堂々とタイマン張りませんか?」
 善三のタイマン宣言に茉奈が驚いた。中野も戻ってきた。
「大将、駄目よ、そんなことしてまで正義を貫かなくてもいいじゃない」
 茉奈が心配した。
「上等だよ、しきたりの心配する前に身体の心配が先じゃねえのか。おい、やくざに喧嘩売ったんだな。そのくらいの覚悟はあるんだろうな?」
「ああ勿論、しっかりと決着つけましょう。その方がお互いにすっきりする」
 善三は前掛けを外した。そして神棚に手を合わせた。
「さあ行きましょう」
 善三が中村を誘った。
「今夜は用がある。今度にしようぜ」
 中村が怖じ気づいた。善三が「ふーっ」と入れた気合を吐き出した。
「いいでしょう、明日の深夜二時に観音様でお待ちしております」
「逃げるんじゃねえぞ」
 中村は逃げるように店を出て行った。

 良太と愛子は学校終了後道場で待ち合わせをしていた。良太はクラブを休み愛子は里見との受験勉強を断った。明菜も里見もその方がいいと送り出してくれた。良太家族と愛子の理解者佐田と染を含めての集まりからもう十日が経っていた。空手練習を抜け出して七里の海岸に腰を下ろした。二人共身体入れ替えの話を切り出せない。お互いが話し出すのを待っている。
「愛子、俺決心がついた」
 良太が切り出した。
「決心て?」
「競輪選手目指す」 
 愛子が予想した決心と違った。
「それも大事かもしれないけど、もっと前にやらなければならないことがあるでしょ」
 結局愛子が切り出した。
「うんそうだね。僕は早い方がいいと思う。愛子の両親が万博から帰る前には元に戻りたい」
「そうなのよ、そんなことは分かっているわ。そこに至るための儀式が恥ずかしいから悩んでいるんじゃない」
 愛子が興奮している。良太は間を空けた。
「愛子、僕を信じてくれないか。僕はけっして厭らしい考えをもっていない。君には心の変化があるようだけど僕にはない。ずっと変身前と変わらずマッチョが好きだ。だから愛子と儀式に挑んでもそういうことは感じない」
「そう言うことってどう言うこと?そう思っているのは意識しているからじゃない?」
「今は全くない、でもこれからどうなるか分からない。もしかしたら愛子みたいに変化するかもしれない。だから早くしたい」
 良太は本心を伝えた。このまま女のままでいたらどうなるのか全く予想が付かなかった。その兆候はある。明菜と共に過ごしていて他の女には感じたことのない何かを感じた。もしかしたら愛子が里見に感じるものと同じかもしれないと思っていた。
「もしかしたら赤ちゃんが出来るかもしれないのよ。それに戻れるかどうかも分からない。良太は確実に戻れることを前提に話しているけど、戻れなくて子供が出来たらどうするの?」
 愛子の不安は大きかった。良太はまさかそこまで考えているとは知らなかった。男と女の違いがあればこういうことかなと、なんとなく感じた。
「愛子、僕を信じて、それだけ、僕を信じてくれればいい。愛子を守るよ」
 良太は愛子の不安を和らげるには男を発揮する以外にないと思った。愛子が大きく頷いた。自分が弱気だから愛子に不安を抱かせていたと反省した。
「僕を信じて」
 駄目押しのやさしさが愛子に通じた。
「入れ替わった日が満月の日、今度の土曜日が新月なの。神様に届くとしたらその日しかないと思う」
 愛子は神頼みしている。良太は頷いた。
「愛子のいい日にしよう。僕は賛成だ。土曜の夜。そうだ工業祭の晩だね。きっとうまくいく」
 これまで頼りない弟のような良太が信頼出来る兄のように頼もしかった。

♪きいっと い~つうかふぁ
            (ワッワッワッワッ~)
 君のパパもふぉ~    わかはって くれえ~る
       (ふぉふぉ~)          

 階段途中から一宮グループの歌声が聞こえてくる。始めた頃に比べたら段違いに成長していた。善三は嬉しかった。一宮グループが善三に気付いたがそのまま続けるようにジェスチャーで伝えた。常連の老夫婦は菓子とジュースを差し入れるほど彼等を応援していた。同年代の巫女達も指を差しては顔を赤らめている。
「宮司、いつもご迷惑をお掛けしています」 
 善三が頭を下げた。
「いえいえ、確かに初めはどうなることかと思いましたがここまで仕上げてくるとさすがにエールを送りますよ。当日彼女達を連れて工業祭に行くことになりました」
「ありがとうございます。そのご厚意が彼等を成長させてくれます。感謝いたします」
「確かに変わりましたね、目付きもそうですが身体から発するものが今まで尖っていましたが柔らかに感じますよ」
「それは宮司、観音様のご慈悲じゃないでしょうか」
 善三は見上げて手を合わせた。
♪ だ~か~ら~ グンナ~イ グンナ~イベイビー
  涙こらえて~
        (グンナ~イベイビー)

 中曽根の振り付けに全員がピタっと合っている。
「はい左、右 両手で指して 右回り、左、右 両手で指して右回り」
 善三の音頭など無くても完璧にマスターしている。そして下を向いていない。前を向いている。会場を意識している。何より笑顔がいい。宮司も巫女も老夫婦も参詣客も全員が拍手する。同情の拍手ではない、コンサート会場で沸き起こる拍手である。
「よし、いいぞ、もう少しだ。何べんも繰り返して練習するんだ、そして自分達が楽しむ。いいな、自分達が楽しまなくて観ているお客さんが楽しいわけがない」
「はい」
 一宮グループは繰り返し日が暮れるまで練習に励んだ。善三は観音様の周りをくまなく見て回る。今夜中村との決闘を控えている。地の利を生かすのも戦術。一人でくればいいがそれはやくざ、やくざにはやくざの算段があるだろう。自分には観音様が付いている。勝っても負けても観音様のお慈悲。心良く受け入れる。負けたらこの街を去る。それが自分自身への落とし前と覚悟している。

 茉奈は寝付けなかった。善三のタイマン発言を取り消させようと説得したが善三は「心配するな」と一言残して鼾を掻き始めた。多少腕っぷしが強くてもやくざ相手に勝てるわけがない。茉奈は実際にナイフで傷付けられている。それにあんなチンピラとは違う本物のやくざである。
「茉奈姉ちゃんどうしたの?落ち着かない」
 そわそわしている茉奈を見て幸子が心配した。幸子に話しても埒が明かない。むしろみんなに喋って大騒ぎになる。
「何でもない、お前はぼちぼち帰れ、愛子ちゃんの夕飯の支度しろ」
「残念でした、今日は愛子さんとお店に行きます。善三さんにも伝えてあるもんね」
 内心は緊張しているだろう善三だがみんなにやさしく接しているその強さはどこにあるのだろう。何も知らない幸子達が善三に甘えている。茉奈は幸子を残して先にマンションを出た。店の前には中野と畑崎がいた。
「すいませんでした」
 畑崎が茉奈に謝罪した。茉奈が微笑んだ。
「あの二人は大丈夫なの?」
「今井は指を詰めるらしいです。それで中村さんと縁切るって」
 畑崎が神妙な顔して言った。
「指ってあんた」
「組も族も足洗ってガキの頃からの夢だった幼稚園の先生目指すらしいです」
「幼稚園の先生って小指が無ければなれないよ、と言うか使ってくれない。子供はいいけど親が騒ぐよ。そんなことも分からないの」
 善三が出勤した。その話を聞いて中野と畑崎に今井を説得するよう指示した。
「まったく、考えることが子供だ。茉奈、中野君は今日当てにしない方がいい。忙しくなるけど頼む」
「そんなことはいいけど、大将タイマンは止めて。あたし心配で死にそう」
 茉奈の本心である。善三は嬉しかった。
「俺を信用しろ。そして茉奈と所帯を持てた事は俺の人生で一番ハッピーだった。ずっと好きだからな」
 茉奈が話そうとした時に客がぞろぞろと入って来た。
「はい、いらっしゃい」
 いつもより気合の入る善三を見てさらに心配が増した。店は超が付くほど混雑が続いた。幸子と愛子がカウンターで食事を済ませた。話し相手になる暇がない。下働きの中野がいないので茉奈もてんてこ舞いだった。終い時間、鉄板の火を落とした。残り客は二人、片付けを茉奈に任せて善三は先にマンションに戻った。じっくりと風呂に入り汗を流した。晒を厚く巻いて新しい作務衣を着た。鉄下駄を履いた。得物はこの下駄だけ。しかし鼻緒に指を通して防御兼攻撃が出来る。一発頭を叩けば大概ダウンする。だがそれはタイマンでのみ通用する。中村が一人で来るとは限らないし素手で相手をするとは考えられない。善三は考えても始まらないと神棚に手を合わせた。ボチボチ茉奈が帰宅する。帰ってからではまた面倒になる。善三は日が変わる前にマンションを出た。そして観音様の前で胡坐をかいて瞑想した。

 茉奈は片付けを終えて自宅に戻った。まだ零時を回ったばかり、待ち合わせは二時のはず、歩いても十五分と掛からない観音様までどうしてこんな早く出てしまうのか。それは茉奈と顔を合わせないためである。こんな時誰にも頼る人がいない。茉奈は桜に電話をした。
「どうしたの茉奈ちゃん?」
 店を閉め片付けをしている最中だった。茉奈も桜に電話をしたはいいが話すべきかどうか迷った。
「ごめんね、なんか桜ちゃんに電話しちゃった」
「なに?何かあったんでしょ。言って、出来ることはするし出来ないことは断るから。言って?」
「あのね善三さんが」
「善三さんがどうしたの?」
「善三さんがやくざとタイマン張るって出て行ったの」
「やくざとタイマン、どこで?」
「大船の観音様で」
「何時に?」
「二時に」
 何も言わずに電話を切られた。桜は父親に内容を話す。
「よし頼んでみるか」
 高田信義は幼馴染のやくざに連絡をした。家にはおらず雀荘だと言う。
「おい健ちゃん」
「おう信ちゃん」
 相田健司は高田信義の幼馴染、横浜大空襲の焼け跡の中で育った。
「ちょっといいかい」
「もうちょっと待ってくんな」
 相田はてんぱっていた。
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