グンナイベイビー

壺の蓋政五郎

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グンナイベイビー14

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♪だ~か~ら~ グンナ~イ グンナ~イベイビー
 涙こらえて~
      (グンナイベイビー)
 今夜は そのまま お休みグンナ~イ
 踊りは中曽根のアレンジで彼一人一歩前に出てリードする。
♪グンナ~イ グンナ~イ
 拍手が起きる。
「工業祭ってあたし達でも見に行けるの?」
 老婦人が一宮に訊いた。
「はい、どなたでもおいでいただけます。是非遊びに来てください」
 老夫婦が喜んでいる。一宮の言葉もしっかりと敬語になっていた。ひとつの目標に向かう連携はスポーツだけではない。音楽も例外ではない。それが認められると、それまでの濁り溜まった気が自然と抜けだしていく。工業の不良も人の中で生かされている喜びを感じ始めて来た。

「こんにちは」
 茉奈が目覚めると若い女が枕元にいた。
「あっ」
 善三の親方の娘、桜である。
「気持ちよく寝ていたから起こさなかった。お父さんから聞いたの。あたしそんなこと知らなくて、勘違いしてごめんね」
 桜は鉄板焼き屋『一心』開店当日から手伝っていた。善三と将来を約束した茉奈の存在を知らずにいた。茉奈も桜が自分の前掛けをして店を切り盛りしているのを見て唖然とした。
「いいの、あなたのこと善三さんから聞いてる。ただあの時善三にこんないい人がいたから驚いちゃって逃げたの。馬鹿みたいね」
 二人は打ち解けた。
「善三さんが好きだったのは本当。でもあなたで安心した」
 桜は本心だった。
「あたしもあなたなら諦める」
「ほんと?」
「うそ」
 笑うと傷口が痛む。
「さっき善三さんに電話して聞いたの。恐かったでしょう、足は大丈夫なの?」
「うん、傷は長いけど浅かったの。でも色々あるわね客商売って」
「そう、安心した。うちにもやくざが殴り込んで来たことがあるのよ。まだあたしが小学生の時。善三さんカッコ良かった。「お客さん、どうぞお帰り下さい」ずっと言い続けてやくざを追い払ったの。その後も何もなかったかのように振る舞っていたわ」
「そう、あの人らしいわ」
「それのろけ?」
 桜は父親に押されて見舞いに来てよかった。これで元の関係に戻れると思った。
「ところでお店は?茉奈さんいないと大変でしょ?」
「うん三日間は安静にしろって医者も旦那も言うの。そうだ桜さん手伝ってくれると嬉しい。旦那も喜ぶ」
「えっ、そんなことしたら善三さんいただいちゃうぞ」
「いいよ、あたしに分からないようにして」
「嘘よ」
 茉奈は桜ならいいと思った。善三は浮気など絶対にしない。善三にはバレていないが茉奈はピンキャバの客と寝たのも一人や二人じゃない。桜ならいいと思った。自分の過去と相殺出来るような気がした。
「ねえ、ほんとに手伝ってあげて欲しいの」
「分かった。お父さんに訊いてみる。二日間ね」
 そしてその日から一心に手伝いに出た。

 善三が観音様の練習から店に直行すると店前に打ち水がしてある。盛り塩もきれいである。
「桜ちゃん」
「大将、よろしく」
「よろしくって」
「大丈夫、心配しないで、茉奈さんから頼まれたの」
「茉奈が」
「二日間お世話になります」
 中野が入って来た。桜を見て驚いている。
「紹介しよう、俺の師匠の娘さんで桜ちゃん。俺の初弟子で中野君。皿洗い修行中」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。女将さんがいない二日間お手伝いさせていただきます」
 桜が暖簾を出した。男が三人立っている。桜は茉奈から事情を聴いている。この男達がそうに違いない。
「何か御用でしょうか?お客様ならどうぞお入りください」
 返事はない。別の女に三人は驚いている。中野が飛び出そうとしたのを善三が押さえた。
「俺等が出るとまた昨夜と一緒だ」
 善三は様子を見ることにした。
「女将さんは?」
 桜に声を掛けたのは茉奈に怪我を負わせた今井だった。
「あんたね、ナイフで怪我させたのは。あんたどうして捕まらないか分かってんの?女将さんが話せばあんた刑務所に入るよ。女将さんはね、あんたが逃げる時『ごめんなさい』って謝った。その目が捨て犬見たいで可哀そうだから、それで警察に言わないよの。あなたも故意で傷を負わせたわけじゃない、自分の傷は消えるけどあんたの前科は消えないからって、あんたに分かる、他人でも困っている人に手を差し伸べることがあるの。あんたの将来女将さんからのプレゼントだよ。悔しかったら見舞いに行ってごらん。ナイフなんか持ち歩いてどうせチンピラで終わりでしょ」
 店の前にはいつの間にか様子見の客が集まって来た。
「そうだそうだ」
 桜を囃し立てる野次馬もいる。
「悔しかったら親分になって見返してみなよ。あたしやくざなんて怖くないの。店の前から立ち去って。横浜の親分連れて来るよ」
 三人は野次馬が気になり退散した。
「いいかな?」
 勤め人が桜に訊いた。
「あっどうぞ、失礼しました。みなさんどうぞお入りください。いらっしゃいませ、大将、中野君、お願いします」
「おい返事は」
 善三が中野の肩を叩いた。
「あいよ」
「はい、いらっしゃしゃいませ」
 瞬く間に客席が埋まる。これで一件落着すればいいが、中村と言う男がこのまま引き下がることはないだろうと善三の胸中は複雑だった。

 愛子は里見と下校を共にした。里見の両親は共働きで食事の支度も自身で賄っている。
「愛子ちゃん、ナポリタン食べるか?」
「うん」
 玉ねぎを器用に切る。ウインナーソーセージを三本に割る。パスタはフライパンで茹でる。
「何でも出来るんだね里見君は」
「どうってことないさ、自分の食事だから自分で作って当然でしょ」
 里見が笑って言った。パスタを上げ湯切りしてバターを入れる。ケチャップと牛乳調味料を入れ温まると再びパスタと具材を混ぜ合わせた。
「ようし完成」
 四人掛けのテーブルで向かい合った。
「美味しい」
「お世辞でも嬉しいよ」
「いつもこうやって食べるの」
「ああ、家にある具材で作る。時間もあるし。そう言えば家で誰かと食事するのは久しぶりだな。うちの両親二人共六時には家出るし帰りは八時だから」
「大変だね」
「大変なのは両親さ、俺の大学進学の費用稼がなくちゃならないから。でも愛子ちゃんから勉強方法教わって助かった。公立に行けそうだから、両親の負担も減る。そのお返しがナポリタンじゃ悪いけど」
 里美が言って笑った。
「ねえ、里見君、もし良太と入れ替わっても遊びに来ていい?」
「駄目、遊びじゃなくて勉強なら大歓迎」
 愛子はそんな里見にどんどん惹かれていった。愛子と良太が入れ替わっていることも気にせず交際を続けている。しかし里美に惹かれるほど良太との入れ替わり行為が辛くなっていた。
「里見君て付き合っている人いるの?」
「いない、意中の人はいる」
「誰?」
 思わず聞いてしまった。
「言わない。隠すわけじゃないけど苦しみたくないし、もしも俺の思いが相手に知れて悩みの種になって欲しくないから」
 愛子は里見の思いやりを感じ取った。
「里見君、もし私が元に戻って里見君に」
「待った。愛子ちゃん、俺は今恋愛は封印している。それは進学、より良い所を目指している。今は自分のことより、俺のために働き詰めの両親のことを優先してる。思いを無駄にしたくない。いいとこに進学していいとこに進路を決めることがこの恩返し」
 愛子の言葉を封じて里見が言った。

 サードフライを脳天で弾いた。
「飯山、ベンチに下がれ」
 監督が良太を下げさせた。
「お前大丈夫か本当に?」
 ベンチに入ると明菜が氷水で頭を冷やしてくれた。
「しかし良太君は下手糞ね。キャッチボールとかやったことないの?」
 明菜も良太の運動音痴には呆れた。
「ない、俺んち貧乏でグローブ買ってもらえなかったから。わざと野球から離れてた」
「なんか得意はないの?」
「しいて言えば走るのが得意。自転車も結構得意」
「自転車?競輪選手目指せばいいじゃない。マッチョも多いし」
 からかった明菜の言葉に良太は目覚めた。
「そうか競輪もあるね」
 この年中野浩一が競輪学校卒業後デビューし連勝を重ねていた。良太はスポーツ新聞を見て知っていた。
「良太君新聞配達してたんでしょ?」
「俺が行かないから困っているみたいだ。店長から電話があるらしい、妹が言ってた」
「ねえ、走ってみない。監督、リハビリ代わりに愛子に代走やらせてください」
 良太は愛子に先導されファーストに着いた。
「あたしがゴーって言ったらセカンド目指して」
 良太は言われるままにリードした。
「ゴー」
 良太は走った。キャッチャーが投げる。ショートがセカンドベースを確保。ボールが届く前に良太が走り抜けた。そのままサード目指した。タッチアウト。しかしその俊足は監督も驚いた。
「こりゃ行けるな」
 良太はそのままベンチに戻った。
「アウトになっちゃった」
 良太はルールを知らない。サードまで走るとは誰も思っていない。セカンドは楽々セーフだった。
「飯山、ちょっと来い」 
 監督が良太を陸上部の顧問に頼みタイムを計ることにした。
「君陸上の経験は?」
「ありません」
「まあいい好きに走ればいいさ」
 良太はスタンディングスタートの構え。
「ようい、どーん」
 良太は風を切るように走る。陸上部員も良太の走りに驚いている。ゴールした。
「えっ、11秒6」
 陸上部の監督がすぐに良太を迎えた。それをソフトボール部の監督が横取りした。
「ダメダメ、上げられない」
 部活が終わり明菜と二人になった。
「すごい、良太君、もし男子の中でもすごい記録よ、それもスタンディングで」
 スポーツに興味のない良太だがこれだけ大騒ぎになるのはそれなりの記録だろうと感じた。
「ありがとう明菜。俺にこんな才能があるなんて知らなかった。中学入学からずっと新聞配達で山道走り回っていたから自然と脚力が付いたんだと思う。俺、競輪選手目指してみようかな」
「そうよ、良太ならきっとなれるよ」
 これまで将来のことなど考えたことがない。大学進学を目指して里見と受験勉強はしているが成績だけでは進学出来ない。金が必要である。アルバイトで賄える額じゃない。姉の協力無しでは叶わない。これまでも姉の汚れた仕事で育ててもらってきた。どこかでその恩返しをしなければならない。大学を卒業してそれが出来るのか疑問だ。良太は真剣に競輪選手を考えた。

 茉奈が退院したのは二日後である。その間桜が一心を手伝っていた。店の前にチンピラ三人の姿はなかった。善三も解決と思っていた。しかし三日後にチンピラ三人を連れだって中村が店にやって来た。店は盛況で空席はない。ボックスの客が中村達の入店を機に立ち上がり勘定を済ませた。
「おう、ちょうどいい」
 中村等はそのボックスに座った。茉奈がテーブルを片付けながら今井を睨んでいる。
「なんだおい、この店は客に挨拶もしねえのか」
 中村が茉奈に言った。
「いらっしゃいませ、ふん」
 茉奈が挑発した。ここで騒いだら全部警察に知らせてやるつもりだ。
「ねえ君、太腿の傷が消えるまであんたのこと忘れないよ。でも君が反省するならすぐに忘れる」
「茉奈、止めろ」
 善三が鉄板を離れてボックスにやってきた。そして三人を睨み付けた。
「明日君等も警察に呼ばれているだろ、こないだの続きだよ。行くんだろ。うちは俺と中野と女房と三人で行く。洗い浚いぶちまける。女房の診断書を持ってな」
「おいおい大将、聞き捨てならねえな。これ等うちの若い衆だからさ、若い衆コケにされて俺が黙っているわけにはいかねえ」
 中村が凄んだ。
「あんた兄いなら面倒看てやれ、店を脅して潰そうなんてケチなこと考えるんじゃない」
 客が一人二人と立ち上がる。茉奈が謝りながらレジを打つ。中野は絶対出て来るなと善三に念を押されていた。
「おい、お前等鉄板屋にコケにされて悔しくねえのか」
 中村に脅されるも三人は下を向いている。
「どうやらやくざには不向きのようだな。今なら間に合うぞ、自分の夢をもう一度見つめ直したらどうだ」
 善三が言うと畑崎が頷いた。
「中村さん、やっぱり俺畳屋継ぎます。許してください」
 店から飛び出した。それを中野が追い掛けた。
「情けねえなあの野郎、明日畳屋に火を点けてやるか」
 中村が笑った。
「君はどうなんだ、うちの女房は君にはまだ良心があるって警察には一切話していない。だがそれも君次第だ。君が店の前でナイフを振り上げているのは複数のお客さんが目撃してるよ。証人になってくれると言ってくれた」
 善三は膨らませて伝えた。今井は茉奈の前に出た。
「すいませんでした。俺恐くて見舞いにも行けませんでした」
 今井が茉奈に謝罪した。
「そうだと思った。あなたを信じて正解だった。約束する、私は全部忘れました」
 茉奈が笑いながら言った。今井は中村に一礼して店を出て行った。残った西尾は立場を無くしていた。
「中村さん、俺どうすればいいっすか?」
 西尾の泣きそうな声に居残る客が笑いを堪えていた。
「てめえ等二度と俺の前に顔出すんじゃねえぞ。大船でチラとでも見掛けたら地獄見るぞ」
 西尾は「はい」と返事して飛び出した。
「おい、鉄板屋、お前さんも店主ならその街にはその街のしきたりってのがあるぐらい分かってるな。いいか、俺は堅気の筋でこれまであんたに接してきた。それをあんたが拒否したんだ。これからはやくざもんとしてこの店と接するからな。覚悟しといた方がいい」
 中村は客も含めて店内を睨み回した。
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