グンナイベイビー

壺の蓋政五郎

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グンナイベイビー8

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「そうですよ、折角ですから丸山様のご厚意に甘えて晩餐を致しましょう」
 佐田がワインを口に含んで微笑んだ。良太はローストビーフを箸で食べ始めた。

 学校が退けて里見の家で受験勉強を二時間する。愛子は里見が気になっていた。良太の全てを知りながら特段驚くこともなく今まで通りの付き合いをしている。こういうタイプの男は初めてだった。一緒にいると安心出来る。
「良太、いいなこの勉強法」
 愛子が指導したプログラムに沿って始めた。実は実家に来る家庭教師の指導方法を里見に教えただけである。実際に愛子も成績を伸ばしている理に適った学習法。アパッチからは考えられない進学校を目指していた。教職員上げて愛子を応援している。特に教頭は両親の社会的地位を知っている。愛子の素行も含めて報告するよう指示されていた。愛子の母が主催するパーティーにも時折招待されてる付き合いである。自身の交友関係に財閥がいるという幅の広さを学校関係者に見せびらかしていた。里見と指先が触れた。愛子が指を握った。
「止めろ良太、俺はその気はない。愛するは女性、お前の処理対象にしてくれるな。それより勉強だ、もうひとつ上を目指してもいいな。お前のお陰だ。それより昨日の話、良太が良太じゃない話の続きは?別にいいさいつでも、でも早い方がいい、俺も気が楽になるし」
 二時間が経って愛子は帰宅した。今日は土曜で空手道場も休館日である。
「良太、善三さんが話があるから帰宅したらすぐに電話しろって」
 茉奈が言った。良太の様子がおかしいと茉奈が善三に伝えたことを善三が心配してくれた。愛子が電話すると『グンナイベイビー』が流れていた。茉奈の耳にも届いた。
「♪きいっと い~つうかは 君のパパもってか」
 茉奈が一節唸る。
「おう良太か、今から観音様で待ち合わせしよう、そう、上だ。六時の開店までには二時間ある。茉奈に代わって」
「はい、ダーリン」
「恥ずかしいだろ良太の前で。そっち出る時に人参を五本買って来てくれないか」
 愛子は自転車で観音様に向かった。石段の下に立つと観音様が微笑んでいる。一礼して上り始めた。大船駅からは大きく見えるが来るのは初めてだった。不良の決闘の場と聞いていた。良太も先日善三と来た。工業の生徒に謝罪するためである。先方は準備万端不良グループまで揃えていた。しかし良太の謝罪で丸く収まった。観音様の台座に寄り掛かり鎌倉山を見ていた。白い尖った煙突はうちである。今頃自分に化けた良太は何をしているだろう。妹のメイ子も修学旅行で大阪万博に行っている。両親が経営する会社のパビリオンで合流すると聞いていた。愛子は自分の身体が心配になった。大事なところを乱暴に扱っていないだろうか、おかしなものを挿し込んでいないだろうか気になった。

♪ だ~か~ら~ グンナイ グンナイ ベイビー
  涙こらえて~

 下から歌声が聞こえて来た。

♪今夜は そのまま お休みグンナ~イ

 階段から顔が覗いた。愛子は面識がない、良太は茉奈が付き合いだしてから年中食事を共にしているらしい。階段を上がり切って立ち止まった。リズムを取りながらステップを踏んでいる。歌もうまいしダンスもいい。

♪ グンナ~イ グンナ~イ ベイビー
  涙こらえて~
       (グンナ~イ ベイビー)

 バックコーラスも一人で担当。歌に合わせて腕の動きも真似ている。両手で愛子を指して笑った。愛子の隣に寄り掛かる。
「茉奈から聞いた、お前俺達にマンション譲ってくれたって?」
 善三が愛子の肩を組んだ。愛子が飛びのいた。驚いたのは善三だった。
「ははあ、茉奈がおかしいと言ってたけどほんとだな」
 愛子は男に肩を組まれるのが嫌だった。だけど避け方が大袈裟だったかもしれない。理由を知らない善三を驚かせてしまった。
「良太、お前信じる神様が変わったのか?それとも何か大きな目標を決めたのか?」
「特にありません」
「じゃどうしてマンションが嫌なんだ。ずっと楽しみにしていただろ。俺も茉奈もお前達二人が先に暮らすとばかり思ってたよ。それがどうして気が変わった。一日二日の間にさ」
 愛子は物の道理に従って言っただけである。そういう教育を受けて来たから自然に年上を敬う。その上に立った発言だった。だが本音はあの借家も3Kの中古マンションも大きな差がないと感じていた。新婚の姉夫妻があの借家からのスタートでは可哀そうな気もした。
「特に理由はありません。優先順位の問題だけです。善三さんとお姉さんがそのトップにおられる」
「それが変わったって言うんだ。良太にそういう考えは浮かばない。先ずは素直に喜んで受け入れる。そしてそれが失敗だと分かった時点で反省する。そう言う性格だよ」
 そう言ってじっと良太を睨んだ。愛子は下を向いた。
「なあ良太、折角観音様の前だ。正直に話してみなよ。嘘吐くと一生笑われるぞ。信教をアラーの神様に変えたとか、仙人を目指しているとか、何でもいいから観音様に話してみなよ。お前とは永遠の兄弟になるんだ。明らかに人の道を間違えた方向に進みかけていれば俺の責任でもある。人殺しをさせるわけにはいかない、泥棒したら一緒に返しに行く、家族ってそういうもんじゃねえのか」
 愛子は不思議に感じていた。住まいを譲っただけで見逃さずに心配してくれる家族がいる。細かい生活のマナーなんかじゃない、軌道から少しずれただけで気が付いて心配する、野生動物に通じる家族愛を感じた。ここで嘘を吐いても通じない。しかし善三は信用してくれるだろうか。観音様を見上げた。何も変わらぬやさしい微笑みである。
「実は良太と身体が入れ替わったんです」
 さすがの善三も仰け反った。新興宗教に入信したなら引き出して考え直せとアドバイスしようと思った矢先のこの告白。
「入れ替わったって誰と?」
 聞くだけは聞いてやろうと思った。
「私の名前は飯山愛子と言います。鵠沼女子の二年生で良太とは小学生の時から七里の空手道場で一緒です。私は女性に興味があり、良太は逆です。お互いに逆ならいいのにと悩んでいました」
「それで乗り移ったわけだ?どうやって?」
 愛子は一瞬考えた。不純な交友と思われたくなかった。
「道場で重なってお願いしたんです。そしたらどういうわけか願いが叶いました」
 善三は俄かには信じ難い。しかし良太の変わりようは尋常ではない。器はそのままで中身は別物。
「信じろと言っても難しいな。でも確認したい、愛子さんに化けた良太と会いたいな。愛子さんちは何処なの?」
 愛子は鎌倉山を指差した。
「あそこの白い先が尖った煙突が見えますか。あそこが自宅です」
 愛子の指先を目で追う。
「お屋敷だね君んちは、そこに良太がいるわけだ。明日行ってみようか。いや是非付き合って欲しい。良太は俺の大事な弟、その弟と親密な子は妹と同じだ。この話、観音様に誓って本当だと言えるかい?」
 愛子は観音様に手を合わせた。善三が時計を見た。
「あの善三さん、今夜工業の男の子と善三さんの店で待ち合わせをしています。彼にはこのことを言わないで欲しい」
 善三は頷いて階段を下り始めた。グンナイベイビーを歌い出した。愛子も続いた。善三の背中がすごく大きく見えた。

 中野と畑崎は大園興行の中村に夕方五時に顔を出すよう今井から聞いていた。狭い階段を上がると一番奥の席で中村が手招きしている。
「座れ、ヒーコでいいのか?」
 ウェイトレスにコーヒーを注文した。二人はぺこんと頭を下げて座った。
「中野、お前板前になるんだって、馬鹿じゃねえか、へいいらっしゃいってか、バチンと手を叩いて二回掌擦りで客を迎えるのかお前が」
 店内にもれなく聞こえる声量だった。客のほとんどが俗にいう堅気じゃない。夜の商売やパチプロ、悪徳不動産屋、やくざチンピラ、シャブの売人もいる。
「俺、真剣なんです。足洗って真剣に板前修業するって決めたんです。お願いです」
 中野は鼻先がテーブルに着くまで頭を下げた。雑誌で後頭部を叩かれた。
「ばか野郎、そんなこと聞いてんじゃねえよ。俺の下から抜けるんなら今までの学習料払え。おめえの立ち位置誰のお陰だ」
「いくら払えばいいでしょうか?」
「このガキ舐めてんのか。百用意しろ」
 到底用意無理な金額を要求した。中野は唖然とした。
「出来ねえんだろ、だからおめえは俺の下から抜けられないんだ。筋が通っているだろ、分かったら帰れ、明日からタイムカード押せよ」
 二人は立ち上がり一礼してエリーゼを出た。
「どうすんだ中野、百万なんて夢でも見たことねえ」
 畑崎が言った。
「俺は辞める。板前になる。中村さんにはもう会わない。何かされれば警察に行く」
 中野の決意は固かった。
「それじゃ俺もそうする。明日から親父と並んで畳針握る。家から出なきゃ攫われることもないだろう。でもお前は同じ大船で鉄板焼き屋にいたら中村さんが顔出すんじゃないか?」
「あの大将にどっか大船から離れた店紹介してもらう」
 中野が畑崎を送った。ガラスを隔てて畑崎のおふくろと目が合った。「こんにちは」と頭を下げた。

 鉄板焼き屋『一心』は賑わっていた。開店早々から会社帰りのサラリーマンで席は埋まっていた。
「良太が来る、工業の子と待ち合わせしているらしい」
 ホタテを焼いている善三が茉奈に言った。愛子が学生服のまま来店した。後ろに工業の一宮がいる。茉奈がカウンターの客にひとつ詰めてもらうようお願いした。一番善三に近い席に二人並んで座った。善三は愛子に黙って頷いた。一宮は昨日と同じかつ丼大盛、愛子は鉄板焼きそば並盛を注文した。
「良太、大盛にしろよ、俺が食うから」
 善三は笑って「はいよ」と返事した。
「良太、俺さ、お前に相談があるんだ。俺等工業はさ、粋がってんけど女っ気がないだろ、だから女の扱いと言うかな、接し方?お前等商業は女の花園みたいだろ」
 一宮はアパッチの女番長最上玲子に一目ぼれした。玲子に告白する術を良太から教えて欲しかった。
「一宮君好きな子がいるんだ、どんな子?」
「お前には正直に言う、アパッチの番長」
 愛子は驚いた。性別を超えた恋敵が目の前にいる。それも攻略法を教えろと言う。ただ愛子は良太の親友里見と接して心が動いている。もしかしたら自分の身体は普通の女に戻るかもしれない、そんなざわつきもある。
「彼女達の溜まり場知ってるよ。学校から海岸に出て辻堂よりの防風林、放課後は必ずそこで屯してる」
「何で良太がそんなこと知ってんだ?」
「僕はアパッチの二年生と友達なんだ。こないだ藤沢でナンパしたでしょ、その子から聞いた」
「そうか、あの子の友達か良太は、それで二人の関係は?」
「子供の頃から空手道場で一緒」
 かつ丼大盛が配膳された。焼きそばは並盛二つが出された。
「一宮君におまけだ」
 一宮はどっちから食うか迷う。かつ丼を一気食いした。焼きそばは愛子のペースに合わせた。
「よし、月曜日に鵠沼の防砂林に行く。そして彼女に告白する。良太も付き合え」
「うん」
 思わず返事をしてしまった。でも覗きたい気も半分ある。店は盛況、暖簾を潜っては諦めて帰る客もいる。
「お前達、子供の時間は終わりだ、食べたらとっとと帰れ」
 茉奈が一宮と愛子に言った。
「悪いな、その代わり今日も無料だ、半額の特典は次も使える」
 善三が笑って言った。有線から『グンナイベイビー』が流れる。善三が口ずさむ。
「観音様の対決の日も階段上がりながらこの歌を口ずさんでいましたね」
 一宮が想い出して言った。
「ああ、大好きな歌だ。フルコーラス振りを付けて歌える。今度聞かせてやろうか」
 ♪ だ~か~ら~ グンナ~イ グンナ~イ ベイビ~
   涙こらえて~
        (グンナ~イベイビー)
 善三が鉄板の上で振りマネして一宮に指を差した。

 宴も終わり染が紅茶を入れてくれた。
「良太様、私は愛子お嬢様が心配でなりません。明日お会いしてお話をしたいのですが」
 佐田が良太を誘った。
「今夜電話をしてみます。僕も愛子と一緒に相談に乗って欲しいんです。はっきり言ってこのままでいいのか悩んでいます。愛子も僕と同じ気持ちだと思います」
 良太は女になれば自分の愛情表現が男に向けられるとそう考えていたが、思うような結果が出せない。むしろ男でありながら今の気持ちを表現していく方が人として正しいのではないかと感じ出した。
 佐田と染が片付けを終え宿舎に戻った。良太はバスルームの姿見の前で裸になった。胸を揉んだ、なんとなくおかしな気になる。股間に指を当てる。滑ッとする。愛子から触るなと注意されている。一物が欲しくなった。

 一心から戻りシャワーを浴びた。一物を弄っていると膨らんだ。数回しごくとすぐに果てた。
「お兄ちゃん何してんの。あたしも入るから汚さないでよ」
 幸子が怒鳴った。もしかした声が洩れたかもしれない。湯船に浮かんだ欲の飛沫を桶で救って排水溝に流した。蓋にこびりついて流れないので足裏で擦り付けた。
「お兄ちゃんご飯は?」
「焼きそば食べて来たから要らない。ごめんなさい、電話しなくて」
 おかしな言葉遣いに幸子は返事をしなかった。愛子は自宅に電話した。話し中だった。
 良太が電話に出ると愛子の母親だった。
「愛子、お留守番お願いしますね、メイ子の帰りは火曜日の午後になります」
「お母さん達はいつ帰るの?」
「帰る時期はこっちから知らせます。会社も大事な時期だからどうしても成功させたいの。分かるわね」
 電話を切られた。すぐに電話が鳴る。
「もしもし、あたし」
 良太。
「ああ、僕だよ」
 愛子。
 お互いがおかしな言葉遣いに笑ってしまった。
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