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輪廻『獏枕』
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女の夢はいつも悪夢だった。毎晩魘されて寝汗でパジャマはびしょ濡れ、口の中は乾き夜中に水道の水をがぶ飲みする。ソファーに倒れてテレビのテストパターンをじっと見つめる。寝汗は乾くことなく身体を冷やす。シャワーを浴びてバスロープを巻いて冷えた布団にまた横になる。目を瞑るとさっきの続きが始まる。何故だか少女が出て来て首を絞める。『苦しいから止めて』少女は笑って一旦手を放す。スキップで一回転するとセーラー服に着替えている。手を伸ばし小走りで近付いてまた首を絞める。『苦しい、死んじゃう』笑って手を放す。今度はバク転の連続で私の周りを一回転する。すると手がやけに長い中年のおばさんに変わった。右手に買い物かごをぶら提げている。買い物かごを喰いちぎり一本の紐になった。その紐で首を絞める。『苦しい、お願い止めて』紐と首の間に隙間を空けようと無理やり爪を差し込む。爪が折れる。その爪が喉に刺さっている。刺さった穴に合わせておばさんはホースを差し込んだ。枯れたアザミの花に私の血を撒く。私の栄養でアザミは多きくなり観音立像になった。観音立像が私の首を摘まんで放り投げた。空中に浮いている。下は沼、ワニが口を開けている。小さいワニが沢山いる。いっそ大きなワニなら一気飲みにしてくれる。小さいワニは私の身体を突っつく。皮膚がぼろぼろになる。老婆が近寄って私の皮を剥ぎ取る。『痛い』老婆は足を私の肩に掛けて捲れる皮を両手で引っ張る。引っ張った皮は俎板の上に載せられた。トントントントン金太郎飴になる。チリ紙に包んで子供達が持ち帰る。甘いねと少女が私の皮をしゃぶっている。観音立像はひび割れて崩れ落ちた。崩れて石ころになる。その石を子守り女が私にぶつける。背の子供は深い皺を作り高笑いしている。笑い過ぎて頭が落ちた。転がって私の脛に噛み付いた。コリコリといい音を立てて私の軟骨を口の中で転がす。『お願い神様、私を夢の見ない生き物に変えて』私の周りにいる魑魅魍魎が誰かに摘ままれて消えていく。
「もう大丈夫ですよ、あなたを喰らう夢の染みは追い払いましたよ、一時的ですがね」
誰かいる。開けたバスロープから乳首が出ていた。
「誰あんた、それともまだ夢?」
「怪しいもんじゃありません、それを証拠にあなたを夢から出したじゃないですか」
女は奥で着替えた。慌てていない。男を騙して生きて来た貫禄。女結婚詐欺師、又吉桐子、四十一歳。
一度途切れた夢は桐子の詐欺とも知らずに再び繋がれた。しかし騙されて殺された。桐子は年老いた男の夢を喰い尽くしてきた。その夢の呪いが脳に染みとなり剥がれないでいる。
「強盗?それともあんたあたしの身体が狙い?」
「そうじゃありませんよ、あなたが私を思ったから飛んで来た。夢を見ない生き物に生まれ変わりたいって」
確かにそんなことを叫んだような気がした。今付き合っている男はいない。眠れば又夢の続きを見る。
「あんたお酒は?」
「日本酒はありますか?」
「こっちにおいで」
酒屋のように酒棚が並んでいる。金原仙人は美味そうな酒を二本手にした。
「あんたも欲張りだね」
「酒には目がありません、燗が好みです」
無遠慮な金原に不敵な笑みで見つめた。桐子は二合徳利に酒を入れレンジでチンした。ガラスのぐい吞みで熱燗を啜る。金原が「美味い」と感嘆の声。
「それであんた誰だっけ、人んちに勝手に上がり込んで」
ドアベルの音。桐子が玄関に向かうと警察がなだれ込んで来た。二人が金原の腕を押さえた。
「動くな、住居不法侵入の現行犯で逮捕する」
金原は手錠を掛けられた。転生移動で逃げることは出来る。秒刻みで過去の自分に戻れる。しかし驚かしてもいけない。
桐子は夢から覚めて金原に気付いたときすぐに警備会社への直通ベルを押していた。
「遅いわね刑事さん、ベル押してから十五分よ。殺されていたらどうするつもり」
桐子は刑事を詰った。
「警備会社から電話を受けて十分です」
若い刑事が桐子の言い分に腹を立てた。「いいから、いいから」とベテラン刑事が押さえた。
「被害はありますか?」
「あたしの裸見られた」
バストを揺らしながら若い刑事をからかった。
「施錠はされていなかったんですか?」
「掛けていたわ、習慣だから、忘れたことない。こいつに訊きなさいよ」
若い刑事は金原を睨んだ。
「どうやって侵入した?」
正直に答えたところで信用されない。
「玄関からですよ」
正直に答えた。擦り抜けたが玄関からに間違いない。
「施錠されているはずだ。無理にあければセキュリティーが作動する。正直に言わないと長くなるよ」
警官が出入り口や窓周りを調べて戻って来た。
「無理にこじ開けたような痕跡はありません」
「二階は?」
「それが上がれるような場所がありません」
ベテラン刑事が顎をしゃくった。連行しろとの合図である。
「私の顔を覚えておいてくださいよ、次もこれじゃ困ります。こう見えても意外と忙しい」
金原は女に言った。
「うるさい、歩け」
警官が背中を押した。
取調室に連れて行かれた。警察は侵入の手口からプロの常習犯と見た。手口を解明すれば今後の捜査にプラスになる。
「名前?」
「金原武」
「生年月日?」
「昭和二十年八月十五日八時十五分十五秒」
「そんなとこまで聞いていない」
「十五秒736822547692132468579648・・・・・」
「うるさい」
若い刑事はブチ切れた。
「正確に言わないと、残り19865桁まで遡れるけどいいの?」
金原が笑った。
「おい、昭和二十年て言えば古希を過ぎてる。いい加減なことを言うんじゃない」
若い刑事は机に拳を叩き付けた。金原と額が触れるほどに寄せている。金原は若い刑事の額にさっと人差し指を当てた。すぐに離す。
「言うんじゃない」
拳を叩く。
「言うんじゃない」
拳を叩く。
金原仙人は若い刑事に五秒の転生を空回りさせたのだ。拳がみるみる腫れていく。のぞき窓から見ていたベテラン刑事が飛び込んで来た。
「言うんじゃない」
拳を叩く。
「どうした、止めろ」
「言うんじゃない」
「おい誰か、押さえろ」
「言うんじゃない」
警官五人で若い刑事を抑え込んだ。羽交い絞めにされて連れ出された。
「言うんじゃない」
若い刑事は連れ出された。
「何をした?」
「彼は手柄を立てようと二件の冤罪を誘発してますね。そのせいで主婦が自殺している、その怨恨が更にエスカレートさせている。これから先が心配です」
金原仙人は冷めた茶を啜った。
「君には何か特殊な能力があるのかな、例えば霊感が強い人だったり、読心術に長けてるとかそういう人いるから。私がずっと若い頃一度そんな人と遇ったことがある。私の質問を先に読んで答えてしまうんだ。その内質問まで変えられて終いには私が頭を下げてお帰りいただいたことがある」
「そうですか、貴重な経験をなされた、あなたの肥やしになっているのでしょう。まあ私もそんなもんです」
金原は笑って言った。
「あなたが又吉桐子宅に侵入した目的はなんですか?」
ベテラン刑事の中田はそれを知りたかった。
「しいて言えば彼女を悪夢から救うためでしょうか」
「じゃ人助けですね、これにサインだけください。出ましょう」
金原は署名と拇印を押した。
「ところで金原さん、今夜忙しいですか?よかったら一杯付き合ってください」
「いいですね、実は日本酒と蕎麦が大好物です。それに」
金原仙人は予定を回想した。
「それに取立て急ぎの用はありません、もしかしたらさっきの女性が呼ぶかもしれませんけど」
「そうですか、私も日本酒派です。うちに来ませんか、家内がいますがご遠慮無用」
二人はタクシーに乗り込んだ。
「どうぞごゆっくり」
中田夫人が段取りして二人は飲み始めた。ストーブの上に薬缶を乗せ蓋はせずに二合徳利を二本入れてある。
「いい奥さんですね、羨ましい」
「金原さんはお一人ですか?」
「ええ、ずっと修行に明け暮れてました」
「修行と言いますと?」
金原仙人は名刺を差し出した。
「仙人?私はさっきも言ったように意外と神仏の存在、霊能力とか信じる方ですけど仙人から直接名刺を差し出されると職業柄怪しんでしまいます」
中田は笑いながら言った。金原も頷いている。
「そういうもんです、逆なら私も笑っちゃいますよ」
「でも仙人になるには修行期間と言うか長いんでしょ、金原さんはどう見ても三十代前半」
「さすがベテランの刑事さんだ、三十五歳の自分に転生しています。中田さんはお幾つですか?」
「来年定年です」
「それじゃ私より一回りしたのうさぎですね。仙人界も人手不足でして、私は小学六年の卒業と同時に修行に入りました。それから六十年の修行期間を得て仙人試験に合格しました。昔は千二百年の修行期間が必要でしたけどあっちもデジタル社会になりましてね。と言うより神が規制を弛めたんです。仙人が足りないと神が忙しい、くだらない事までやらなきゃならなくなる。雑用係りみたいなもんです」
中田は半信半疑だが金原の話が面白く真剣に聞くふりをしている。
「へえっ、そう言う事情ですか?それで又吉桐子宅に何の用で行かれたんですか?」
「さすが巧いタイミングで誘導しますね。彼女は悪夢に魘されて転生を望んだんです。夢を見ない動植物になりたいと。その強い思いが私に通じました。言い忘れましたが私の専門は転生です」
「転生って輪廻転生の?」
金原が頷いた。
「お蕎麦はどうされます」
中田夫人が様子見。
「是非いただきます。蕎麦を啜りながらの酒がこの世の天国」
夫人は笑って用意に掛かった。
「もうひとつ訊いてもいいですか?どうやって侵入されたんです」
「彼女の思いが私に通じると気が通じます。その気の道に沿って侵入したんです」
中田はいまいち分からない。
「どうして捕まったんです、そんな器用なあなたならいくらでも逃げることが出来たでしょ?」
「驚かすと面倒になる、それだけのことです。監房に入れられたら夜中にこっそり出ようと思っていました」
蕎麦が運ばれた。
「この汁は絶品だ、奥さんの手作りでしょ、美味い」
「お替りありますよ」
夫人は顔を赤らめて出て行った。
「こんな商売ですからね、あまり客も来ません、あなたが来てくれて良かった。家内も喜んでいる」
中田は空の徳利に酒を注いだ。
「それじゃ今度は私が質問する番ですね、私に何をさせたいのですか?」
読まれていたことに中田は笑った。仙人ならそれくらいはお見通しだろうと酒を勧めた。
「あの又吉桐子ですが、稀にみる悪女でして、分かっているだけでも四人は殺しています。その中のひとつの事件を担当しました。もう二十年前ですがね。手口が巧妙な上に相手は老人の一人暮らしですからね、若くてあの通りのいい女ですからひとたまりもありませんよ。上がり込まれて一年で殺されるんです。遺書も正式な書式で残されていましてね、桐子に全部持っていかれます。でもその一年に幸福を感じた年寄りがいたのも事実です。今は独り身であんな豪邸に暮らして悠々自適です。株式も相当持っていますからね」
「それで私に何を期待されています?」
金原は蕎麦を啜り終えた。中田がドアを開けて「おおい、お客さんが蕎麦お替り」「はーい」と返事が聞こえた。
「桐子に殺される運命と知りながらもそれに喜びを感じていた年寄りはいい、しかし桐子に夢を断たれた年寄りの恨みを晴らしてやりたい。それだけです。我々が押さえなくてもいい、悪事を重ねて反省もせずにのうのうと生きている、それも最上級の生活をしている。それが許されるなら努力した人の血と汗は馬鹿らしくなる」
中田は吐き捨てるように最後の言葉を言った。
「彼女の悪夢はあなたの言う夢を断たれた年寄りの怨念です。それが脳に張り付いて睡眠に入ると回り出します。悪夢のメリーゴーランドです。どうでしょう、私がその悪夢を剥がします。それには条件を付けましょう」
「どう言った?」
「悪夢を剥がす代わりに自首を勧めます。どうです?」
「自首すると嘘を吐いて悪夢だけ剥がしたらどうなります」
「また戻しましょう。彼女は年寄りの怨念で死んでいきます」
蕎麦を三杯お替りして中田夫人が用意した中田の隣の床に就いた。睡眠は好きな時に好きなだけいくらでも取れる。
「金原さん、私の寿命とか分かりますか。それによっちゃ苦労を掛けた家内にサービスしたいと思いましてね」
金原は半身起き上がる。中田もそれに倣った。
「本当は神に叱られる、寿命は神の設定ですからね、でも中田さんは来年還暦だし、いい奥さんだし、いいでしょう。蕎麦代です」
金原は微笑んだ。
「いいですか?」
金原仙人は人差し指を中田の額に当てた。天中から山根まで皺の起伏もしっかりと読み取る。
「少し船酔いを感じますよ」
中田は動けない。
「はい、いいですよ、吐き気はありませんか?」
中田は唾を飲んで我慢した。
「どうですか?」
自分の寿命を知ると言うのはやはり緊張する。
「満七十八歳と三か月、二十二日と十一時間三十二分です。後半の四年は認知症になり奥さんの世話になるでしょう」
「そうですか」
中田は聞いて不思議な気持ちになった。四年も妻の世話になることが苦しかった。だけどこの男はペテン師のインチキ野郎かもしれない。
「ペテン師はひどい、だけどインチキと思うのが一番いいかもしれません。悪いことは切り捨てるといい事だけが残る」
内心を読まれて驚いた。
「アドバイスとかありますか?」
「さっきも言ったように寿命の設定は神の仕事ですから私に変えることは出来ません。奥さんがあなたの世話をするのを幸せに感じる、世話をしたくてしょうがない、そんな関係で生きることですよ。どうです、奥さんと蕎麦屋でもやればいい、あの汁はお二人だけじゃもったいない」
中田は金原に一礼して床に就いた。翌朝中田が起床すると金原の床がきれいに畳まれていた。名刺の裏に『ご馳走様です。蕎麦最高』と書いてあった。
又吉桐子は泥酔してベッドに倒れた。寝不足が続いている。すぐに意識を失う。パタパタパタと大きな草履を履いた女の子が近付いて来る。「おばさん遊ぼう、箒遊びしよう」そう言って竹箒を桐子の顔に当てる。目を瞑ろうと思っても瞼が下りない。箒の先が目に刺さる。「痛いから止めて」「ごめんねおばちゃん」女の子は謝ってスカートを捲り上げた。股間から千枚通しが飛び出して眉間に刺さった。「そーれ、そーれ」と掛け声を出して押し込んだ。「ああ痛い、痛い」後頭部に飛び出した千枚通しの先は抜け出るとやせ細った老人になった。「私は桐子が好きだ。食べたいぐらい好きで好きでたまらない。特にここが好きだ」老人は長い舌を出して股間に当てた。その舌は糸鋸に変わり股間から腹に向けて鋸引きを始めた。「ギコギコギコギコ桐子のお腹」老人が笑う。『助けて、もう嫌、この夢から出して、夢の見ないモノに変えて」
魘される桐子の額に金原仙人は掌を当てた。指を裂けるほどに広げた。指が脳内に沈んでいく。脳に張り付いた悪夢が指先に振れた。回転する悪夢を止めた。桐子が飛び起きた。
「またあんた、警察にいたんじゃないの?」
「今日は警報を押さないでくださいよ」
「どうやって入ったの?」
「あなたが私を呼んだ。悪夢から救ってくれとね。これで二度目です」
桐子は立ち上がりネグリジェの上にガウンを羽織った。タオルに冷水を潜らせ軽く絞り顔を吹いた。恐い夢だった。最後に出ていた老人は見覚えがある。一年かけて衰弱死をさせた男である。毒も暴力も使わない、栄養を減らし快楽を強要し寿命を縮めた。
「おかしな人ねあんた、飲む日本酒?」
金原は頷いた。
「かあっ美味い、この酒は本当に美味い」
ラベルを見ると秋田の酒だった。
「確かにあんたが来ると夢から覚めるわ。ねえ、悪夢を見るたびにあなたに来てもらうのも悪いわ。悪夢その物を無くすことは出来ないの?」
「ええ、問題ありません」
金原はポケットから布切れを出した。
「これを枕に張り付けて眠ってください」
「何これざらざらしてる」
桐子はその布切れを擦った。
「獏の皮です、獏枕と言って悪夢を吸い取ってくれます」
桐子は信じていない、これまでの人生で人を信じたことがない。しかし藁をも掴む気持ちで受け取った。
「ねえ、それであたしから何を奪うつもり?」
「金品をいただくつもりはありません。あなたほど欲はありません。あなたが犯した犯罪、七人の悪夢があなたの脳に張り付いて、睡眠に入ると回り出すんです。獏枕は三日もすればその悪夢を剥がして吸い取ってくれます。罪を認めて自首をしてください。死刑になるでしょうがそれまではいい夢が見れますよ」
この男は何故そんなことを知っているのか、警察でも四人しか掴んでいない。それに老人、数年で死を迎える。それを一年間たっぷり楽しませてあげた。痛い思いはさせていない、栄養を減らし精気を吸い取っただけ。自首何て真っ平御免、そうだ悪夢を取り去ってからこの男を葬ろう。
「いいわ、約束する。自首するときあなたも付き合って」
「口約束は私に通じませんよ、いいですね」
最後にどんな悪足搔きをするか見たくなった。
その晩から枕に獏枕を被せて眠ることにした。大きな草履を履いた少女が草刈鎌を振りかざして駆け寄って来たが笑って戻って行った。おじいさんが長い舌を股間に這わせた、いつもなら槍か鋸に変わるのだが柔らかな舌はオーガズムに誘う。起床すると下着はびしょ濡れ、薄い獏枕は厚みを帯びてひんやりとする。三日間続けると全ての悪夢から解放され快眠を得ることに喜びを感じた。目のクマも取れ肌もきれいになった。久々に化粧をして外出した。高級ホームに出向き目ぼしい年寄りを捜す。
「おじいちゃん、久し振り」
車椅子の老人は桐子が誰だか分からない。
「あたしよ、孫の桐子」
「桐子か」
もしかしたらそうかもしれない。話し相手が欲しい、その願望がそう思わせる。
「会いたかった」
老人は介護士に孫と伝えた。老人の部屋は2LDK、机に遺影がある、夫人は亡くなりこのホームに移り住んでいる。桐子はスカートを捲り上げ老人の前で腰を振る。
「いいよ触って」
老人に何かが芽生え始める。それは永遠に消えることのない快楽の記憶。桐子が老人の手を取り先導する。ここ十数年排泄物の窓口でしかなかったモノが男を感じ始めた。桐子は柔らかな掌で包む。
「あたし、おじいちゃんとずっと暮らしたい。家に連れてって、あたしがおじいちゃんの世話をする、いいでしょ。こんなとこ引き上げておじいちゃんとこうやっていたい」
そして老人は翌日退所を打ち出した。桐子が自宅に戻り床に就いた。獏枕は水枕のように膨れている。桐子は床に放り投げてベッドに倒れた。
「ご機嫌が宜しいようで」
金原仙人がベッドの端に腰を下ろして言った。桐子は驚いたが落ち着いていた。
「ねえ、あたしを抱いて」
「いやあ、その前に獏枕はどうされました?」
桐子が床を指差した。金原は拾い上げた。
「これは使い捨てじゃありません、獏は神の使いで借り物です」
「ねえ来て」
金原仙人は仰向けの桐子に跨った。ブラウスのボタンを外してブラジャーを捲り上げた。豊満な乳房をゆっくりと揉む。桐子は悶えるが次第に胸が熱くなってきた。
「熱い、何したの?」
桐子が顔を上げると乳房が溶けていく。
「あなたは約束を破った、その上まだ懲りていない。悪夢を戻します」
金原仙人は膨れた獏枕を桐子の額に当てた。その上から掌をあてがう。桐子は動けない。ゆっくりと押す。膨れた獏枕から悪夢が桐子の脳に染みていく。獏枕は元の布切れに戻った。金原仙人は桐子の上から降りた。桐子は起き上がり溶けた乳房を持ち上げている。
「ねえ、戻してよあたしの乳房」
「また今夜から悪夢のメリーゴーランドが回りますよ。それも眠っているときだけじゃない、起きていても回転は止まらない。あなたの部屋に獏はいない、人の夢を喰う奴は人の夢に喰われる、神が設定したあなたの寿命は残り三日と八時間二十二分。それまで悪夢を楽しんでください」
「もう大丈夫ですよ、あなたを喰らう夢の染みは追い払いましたよ、一時的ですがね」
誰かいる。開けたバスロープから乳首が出ていた。
「誰あんた、それともまだ夢?」
「怪しいもんじゃありません、それを証拠にあなたを夢から出したじゃないですか」
女は奥で着替えた。慌てていない。男を騙して生きて来た貫禄。女結婚詐欺師、又吉桐子、四十一歳。
一度途切れた夢は桐子の詐欺とも知らずに再び繋がれた。しかし騙されて殺された。桐子は年老いた男の夢を喰い尽くしてきた。その夢の呪いが脳に染みとなり剥がれないでいる。
「強盗?それともあんたあたしの身体が狙い?」
「そうじゃありませんよ、あなたが私を思ったから飛んで来た。夢を見ない生き物に生まれ変わりたいって」
確かにそんなことを叫んだような気がした。今付き合っている男はいない。眠れば又夢の続きを見る。
「あんたお酒は?」
「日本酒はありますか?」
「こっちにおいで」
酒屋のように酒棚が並んでいる。金原仙人は美味そうな酒を二本手にした。
「あんたも欲張りだね」
「酒には目がありません、燗が好みです」
無遠慮な金原に不敵な笑みで見つめた。桐子は二合徳利に酒を入れレンジでチンした。ガラスのぐい吞みで熱燗を啜る。金原が「美味い」と感嘆の声。
「それであんた誰だっけ、人んちに勝手に上がり込んで」
ドアベルの音。桐子が玄関に向かうと警察がなだれ込んで来た。二人が金原の腕を押さえた。
「動くな、住居不法侵入の現行犯で逮捕する」
金原は手錠を掛けられた。転生移動で逃げることは出来る。秒刻みで過去の自分に戻れる。しかし驚かしてもいけない。
桐子は夢から覚めて金原に気付いたときすぐに警備会社への直通ベルを押していた。
「遅いわね刑事さん、ベル押してから十五分よ。殺されていたらどうするつもり」
桐子は刑事を詰った。
「警備会社から電話を受けて十分です」
若い刑事が桐子の言い分に腹を立てた。「いいから、いいから」とベテラン刑事が押さえた。
「被害はありますか?」
「あたしの裸見られた」
バストを揺らしながら若い刑事をからかった。
「施錠はされていなかったんですか?」
「掛けていたわ、習慣だから、忘れたことない。こいつに訊きなさいよ」
若い刑事は金原を睨んだ。
「どうやって侵入した?」
正直に答えたところで信用されない。
「玄関からですよ」
正直に答えた。擦り抜けたが玄関からに間違いない。
「施錠されているはずだ。無理にあければセキュリティーが作動する。正直に言わないと長くなるよ」
警官が出入り口や窓周りを調べて戻って来た。
「無理にこじ開けたような痕跡はありません」
「二階は?」
「それが上がれるような場所がありません」
ベテラン刑事が顎をしゃくった。連行しろとの合図である。
「私の顔を覚えておいてくださいよ、次もこれじゃ困ります。こう見えても意外と忙しい」
金原は女に言った。
「うるさい、歩け」
警官が背中を押した。
取調室に連れて行かれた。警察は侵入の手口からプロの常習犯と見た。手口を解明すれば今後の捜査にプラスになる。
「名前?」
「金原武」
「生年月日?」
「昭和二十年八月十五日八時十五分十五秒」
「そんなとこまで聞いていない」
「十五秒736822547692132468579648・・・・・」
「うるさい」
若い刑事はブチ切れた。
「正確に言わないと、残り19865桁まで遡れるけどいいの?」
金原が笑った。
「おい、昭和二十年て言えば古希を過ぎてる。いい加減なことを言うんじゃない」
若い刑事は机に拳を叩き付けた。金原と額が触れるほどに寄せている。金原は若い刑事の額にさっと人差し指を当てた。すぐに離す。
「言うんじゃない」
拳を叩く。
「言うんじゃない」
拳を叩く。
金原仙人は若い刑事に五秒の転生を空回りさせたのだ。拳がみるみる腫れていく。のぞき窓から見ていたベテラン刑事が飛び込んで来た。
「言うんじゃない」
拳を叩く。
「どうした、止めろ」
「言うんじゃない」
「おい誰か、押さえろ」
「言うんじゃない」
警官五人で若い刑事を抑え込んだ。羽交い絞めにされて連れ出された。
「言うんじゃない」
若い刑事は連れ出された。
「何をした?」
「彼は手柄を立てようと二件の冤罪を誘発してますね。そのせいで主婦が自殺している、その怨恨が更にエスカレートさせている。これから先が心配です」
金原仙人は冷めた茶を啜った。
「君には何か特殊な能力があるのかな、例えば霊感が強い人だったり、読心術に長けてるとかそういう人いるから。私がずっと若い頃一度そんな人と遇ったことがある。私の質問を先に読んで答えてしまうんだ。その内質問まで変えられて終いには私が頭を下げてお帰りいただいたことがある」
「そうですか、貴重な経験をなされた、あなたの肥やしになっているのでしょう。まあ私もそんなもんです」
金原は笑って言った。
「あなたが又吉桐子宅に侵入した目的はなんですか?」
ベテラン刑事の中田はそれを知りたかった。
「しいて言えば彼女を悪夢から救うためでしょうか」
「じゃ人助けですね、これにサインだけください。出ましょう」
金原は署名と拇印を押した。
「ところで金原さん、今夜忙しいですか?よかったら一杯付き合ってください」
「いいですね、実は日本酒と蕎麦が大好物です。それに」
金原仙人は予定を回想した。
「それに取立て急ぎの用はありません、もしかしたらさっきの女性が呼ぶかもしれませんけど」
「そうですか、私も日本酒派です。うちに来ませんか、家内がいますがご遠慮無用」
二人はタクシーに乗り込んだ。
「どうぞごゆっくり」
中田夫人が段取りして二人は飲み始めた。ストーブの上に薬缶を乗せ蓋はせずに二合徳利を二本入れてある。
「いい奥さんですね、羨ましい」
「金原さんはお一人ですか?」
「ええ、ずっと修行に明け暮れてました」
「修行と言いますと?」
金原仙人は名刺を差し出した。
「仙人?私はさっきも言ったように意外と神仏の存在、霊能力とか信じる方ですけど仙人から直接名刺を差し出されると職業柄怪しんでしまいます」
中田は笑いながら言った。金原も頷いている。
「そういうもんです、逆なら私も笑っちゃいますよ」
「でも仙人になるには修行期間と言うか長いんでしょ、金原さんはどう見ても三十代前半」
「さすがベテランの刑事さんだ、三十五歳の自分に転生しています。中田さんはお幾つですか?」
「来年定年です」
「それじゃ私より一回りしたのうさぎですね。仙人界も人手不足でして、私は小学六年の卒業と同時に修行に入りました。それから六十年の修行期間を得て仙人試験に合格しました。昔は千二百年の修行期間が必要でしたけどあっちもデジタル社会になりましてね。と言うより神が規制を弛めたんです。仙人が足りないと神が忙しい、くだらない事までやらなきゃならなくなる。雑用係りみたいなもんです」
中田は半信半疑だが金原の話が面白く真剣に聞くふりをしている。
「へえっ、そう言う事情ですか?それで又吉桐子宅に何の用で行かれたんですか?」
「さすが巧いタイミングで誘導しますね。彼女は悪夢に魘されて転生を望んだんです。夢を見ない動植物になりたいと。その強い思いが私に通じました。言い忘れましたが私の専門は転生です」
「転生って輪廻転生の?」
金原が頷いた。
「お蕎麦はどうされます」
中田夫人が様子見。
「是非いただきます。蕎麦を啜りながらの酒がこの世の天国」
夫人は笑って用意に掛かった。
「もうひとつ訊いてもいいですか?どうやって侵入されたんです」
「彼女の思いが私に通じると気が通じます。その気の道に沿って侵入したんです」
中田はいまいち分からない。
「どうして捕まったんです、そんな器用なあなたならいくらでも逃げることが出来たでしょ?」
「驚かすと面倒になる、それだけのことです。監房に入れられたら夜中にこっそり出ようと思っていました」
蕎麦が運ばれた。
「この汁は絶品だ、奥さんの手作りでしょ、美味い」
「お替りありますよ」
夫人は顔を赤らめて出て行った。
「こんな商売ですからね、あまり客も来ません、あなたが来てくれて良かった。家内も喜んでいる」
中田は空の徳利に酒を注いだ。
「それじゃ今度は私が質問する番ですね、私に何をさせたいのですか?」
読まれていたことに中田は笑った。仙人ならそれくらいはお見通しだろうと酒を勧めた。
「あの又吉桐子ですが、稀にみる悪女でして、分かっているだけでも四人は殺しています。その中のひとつの事件を担当しました。もう二十年前ですがね。手口が巧妙な上に相手は老人の一人暮らしですからね、若くてあの通りのいい女ですからひとたまりもありませんよ。上がり込まれて一年で殺されるんです。遺書も正式な書式で残されていましてね、桐子に全部持っていかれます。でもその一年に幸福を感じた年寄りがいたのも事実です。今は独り身であんな豪邸に暮らして悠々自適です。株式も相当持っていますからね」
「それで私に何を期待されています?」
金原は蕎麦を啜り終えた。中田がドアを開けて「おおい、お客さんが蕎麦お替り」「はーい」と返事が聞こえた。
「桐子に殺される運命と知りながらもそれに喜びを感じていた年寄りはいい、しかし桐子に夢を断たれた年寄りの恨みを晴らしてやりたい。それだけです。我々が押さえなくてもいい、悪事を重ねて反省もせずにのうのうと生きている、それも最上級の生活をしている。それが許されるなら努力した人の血と汗は馬鹿らしくなる」
中田は吐き捨てるように最後の言葉を言った。
「彼女の悪夢はあなたの言う夢を断たれた年寄りの怨念です。それが脳に張り付いて睡眠に入ると回り出します。悪夢のメリーゴーランドです。どうでしょう、私がその悪夢を剥がします。それには条件を付けましょう」
「どう言った?」
「悪夢を剥がす代わりに自首を勧めます。どうです?」
「自首すると嘘を吐いて悪夢だけ剥がしたらどうなります」
「また戻しましょう。彼女は年寄りの怨念で死んでいきます」
蕎麦を三杯お替りして中田夫人が用意した中田の隣の床に就いた。睡眠は好きな時に好きなだけいくらでも取れる。
「金原さん、私の寿命とか分かりますか。それによっちゃ苦労を掛けた家内にサービスしたいと思いましてね」
金原は半身起き上がる。中田もそれに倣った。
「本当は神に叱られる、寿命は神の設定ですからね、でも中田さんは来年還暦だし、いい奥さんだし、いいでしょう。蕎麦代です」
金原は微笑んだ。
「いいですか?」
金原仙人は人差し指を中田の額に当てた。天中から山根まで皺の起伏もしっかりと読み取る。
「少し船酔いを感じますよ」
中田は動けない。
「はい、いいですよ、吐き気はありませんか?」
中田は唾を飲んで我慢した。
「どうですか?」
自分の寿命を知ると言うのはやはり緊張する。
「満七十八歳と三か月、二十二日と十一時間三十二分です。後半の四年は認知症になり奥さんの世話になるでしょう」
「そうですか」
中田は聞いて不思議な気持ちになった。四年も妻の世話になることが苦しかった。だけどこの男はペテン師のインチキ野郎かもしれない。
「ペテン師はひどい、だけどインチキと思うのが一番いいかもしれません。悪いことは切り捨てるといい事だけが残る」
内心を読まれて驚いた。
「アドバイスとかありますか?」
「さっきも言ったように寿命の設定は神の仕事ですから私に変えることは出来ません。奥さんがあなたの世話をするのを幸せに感じる、世話をしたくてしょうがない、そんな関係で生きることですよ。どうです、奥さんと蕎麦屋でもやればいい、あの汁はお二人だけじゃもったいない」
中田は金原に一礼して床に就いた。翌朝中田が起床すると金原の床がきれいに畳まれていた。名刺の裏に『ご馳走様です。蕎麦最高』と書いてあった。
又吉桐子は泥酔してベッドに倒れた。寝不足が続いている。すぐに意識を失う。パタパタパタと大きな草履を履いた女の子が近付いて来る。「おばさん遊ぼう、箒遊びしよう」そう言って竹箒を桐子の顔に当てる。目を瞑ろうと思っても瞼が下りない。箒の先が目に刺さる。「痛いから止めて」「ごめんねおばちゃん」女の子は謝ってスカートを捲り上げた。股間から千枚通しが飛び出して眉間に刺さった。「そーれ、そーれ」と掛け声を出して押し込んだ。「ああ痛い、痛い」後頭部に飛び出した千枚通しの先は抜け出るとやせ細った老人になった。「私は桐子が好きだ。食べたいぐらい好きで好きでたまらない。特にここが好きだ」老人は長い舌を出して股間に当てた。その舌は糸鋸に変わり股間から腹に向けて鋸引きを始めた。「ギコギコギコギコ桐子のお腹」老人が笑う。『助けて、もう嫌、この夢から出して、夢の見ないモノに変えて」
魘される桐子の額に金原仙人は掌を当てた。指を裂けるほどに広げた。指が脳内に沈んでいく。脳に張り付いた悪夢が指先に振れた。回転する悪夢を止めた。桐子が飛び起きた。
「またあんた、警察にいたんじゃないの?」
「今日は警報を押さないでくださいよ」
「どうやって入ったの?」
「あなたが私を呼んだ。悪夢から救ってくれとね。これで二度目です」
桐子は立ち上がりネグリジェの上にガウンを羽織った。タオルに冷水を潜らせ軽く絞り顔を吹いた。恐い夢だった。最後に出ていた老人は見覚えがある。一年かけて衰弱死をさせた男である。毒も暴力も使わない、栄養を減らし快楽を強要し寿命を縮めた。
「おかしな人ねあんた、飲む日本酒?」
金原は頷いた。
「かあっ美味い、この酒は本当に美味い」
ラベルを見ると秋田の酒だった。
「確かにあんたが来ると夢から覚めるわ。ねえ、悪夢を見るたびにあなたに来てもらうのも悪いわ。悪夢その物を無くすことは出来ないの?」
「ええ、問題ありません」
金原はポケットから布切れを出した。
「これを枕に張り付けて眠ってください」
「何これざらざらしてる」
桐子はその布切れを擦った。
「獏の皮です、獏枕と言って悪夢を吸い取ってくれます」
桐子は信じていない、これまでの人生で人を信じたことがない。しかし藁をも掴む気持ちで受け取った。
「ねえ、それであたしから何を奪うつもり?」
「金品をいただくつもりはありません。あなたほど欲はありません。あなたが犯した犯罪、七人の悪夢があなたの脳に張り付いて、睡眠に入ると回り出すんです。獏枕は三日もすればその悪夢を剥がして吸い取ってくれます。罪を認めて自首をしてください。死刑になるでしょうがそれまではいい夢が見れますよ」
この男は何故そんなことを知っているのか、警察でも四人しか掴んでいない。それに老人、数年で死を迎える。それを一年間たっぷり楽しませてあげた。痛い思いはさせていない、栄養を減らし精気を吸い取っただけ。自首何て真っ平御免、そうだ悪夢を取り去ってからこの男を葬ろう。
「いいわ、約束する。自首するときあなたも付き合って」
「口約束は私に通じませんよ、いいですね」
最後にどんな悪足搔きをするか見たくなった。
その晩から枕に獏枕を被せて眠ることにした。大きな草履を履いた少女が草刈鎌を振りかざして駆け寄って来たが笑って戻って行った。おじいさんが長い舌を股間に這わせた、いつもなら槍か鋸に変わるのだが柔らかな舌はオーガズムに誘う。起床すると下着はびしょ濡れ、薄い獏枕は厚みを帯びてひんやりとする。三日間続けると全ての悪夢から解放され快眠を得ることに喜びを感じた。目のクマも取れ肌もきれいになった。久々に化粧をして外出した。高級ホームに出向き目ぼしい年寄りを捜す。
「おじいちゃん、久し振り」
車椅子の老人は桐子が誰だか分からない。
「あたしよ、孫の桐子」
「桐子か」
もしかしたらそうかもしれない。話し相手が欲しい、その願望がそう思わせる。
「会いたかった」
老人は介護士に孫と伝えた。老人の部屋は2LDK、机に遺影がある、夫人は亡くなりこのホームに移り住んでいる。桐子はスカートを捲り上げ老人の前で腰を振る。
「いいよ触って」
老人に何かが芽生え始める。それは永遠に消えることのない快楽の記憶。桐子が老人の手を取り先導する。ここ十数年排泄物の窓口でしかなかったモノが男を感じ始めた。桐子は柔らかな掌で包む。
「あたし、おじいちゃんとずっと暮らしたい。家に連れてって、あたしがおじいちゃんの世話をする、いいでしょ。こんなとこ引き上げておじいちゃんとこうやっていたい」
そして老人は翌日退所を打ち出した。桐子が自宅に戻り床に就いた。獏枕は水枕のように膨れている。桐子は床に放り投げてベッドに倒れた。
「ご機嫌が宜しいようで」
金原仙人がベッドの端に腰を下ろして言った。桐子は驚いたが落ち着いていた。
「ねえ、あたしを抱いて」
「いやあ、その前に獏枕はどうされました?」
桐子が床を指差した。金原は拾い上げた。
「これは使い捨てじゃありません、獏は神の使いで借り物です」
「ねえ来て」
金原仙人は仰向けの桐子に跨った。ブラウスのボタンを外してブラジャーを捲り上げた。豊満な乳房をゆっくりと揉む。桐子は悶えるが次第に胸が熱くなってきた。
「熱い、何したの?」
桐子が顔を上げると乳房が溶けていく。
「あなたは約束を破った、その上まだ懲りていない。悪夢を戻します」
金原仙人は膨れた獏枕を桐子の額に当てた。その上から掌をあてがう。桐子は動けない。ゆっくりと押す。膨れた獏枕から悪夢が桐子の脳に染みていく。獏枕は元の布切れに戻った。金原仙人は桐子の上から降りた。桐子は起き上がり溶けた乳房を持ち上げている。
「ねえ、戻してよあたしの乳房」
「また今夜から悪夢のメリーゴーランドが回りますよ。それも眠っているときだけじゃない、起きていても回転は止まらない。あなたの部屋に獏はいない、人の夢を喰う奴は人の夢に喰われる、神が設定したあなたの寿命は残り三日と八時間二十二分。それまで悪夢を楽しんでください」
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