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輪廻Ⅱ『自戒』
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七年間飼っていた犬のコロが死んだ。珠緒が生まれた日に祖母からのプレゼント。小学校一年生始業式の朝だった。
「珠緒には始業式から帰ってから話した方がいいかねえ」
祖母の勝代は横たわるコロを撫ぜながら泣いていた。
「今でも後でも同じだ、辛いことは早い方がいい、それだけ早く忘れられる」
珠緒の父、義勝が反対した。
「でもあなた、珠緒が悲しくて学校に行かないかもしれない」
母の玲子が祖母に賛成した。
「さあ時間だよ、珠緒が起きて来るよ。夫婦で決めておくれよ。私はパンを焼いてやろう」
祖母がコロの頭を擦って立ち上がった。
「おばあちゃんおはよう」
「珠緒おはよう」
「おばあちゃん元気ないね」
「分かるのかい、珠緒は勘がいいねえ」
「コロが死んだぐらいで悲しまないで」
「そうだね、って珠緒」
勝代は驚いて焼けたパンを落としてしまった。それを珠緒が拾ってパタパタと叩いた。
「コロが死んだのを知っていたのかい珠緒は?」
「うん、死ぬ前に言いに来たよ」
「コロがかい?」
「うん」
返事をして珠緒はコロの横たわる居間に走った。
「珠緒、コロがね、お空の星になっちゃったの」
玲子が珠緒を抱きしめた。
「珠緒、人生には色んな事があるんだ。コロはお前が生まれた日にこの家に来た。兄弟と同じだよ。これからは空からずっと珠緒のことを見守っていてくれるからね。始業式から帰ったら庭にコロを埋めようね」
二人共7歳の我が子を、7歳ならこれぐらいの理解度だろうと慰めた。
「違うよ、コロは運命だよ。神様が迎えに来たんだよ。だから珠緒は全然寂しくないよ。ねえーコロ」
コロの唇を捲って犬歯を出した。一瞬コロが笑っているように見えた。夫婦は珠緒の態度に呆気に取られた。泣きじゃくりコロから離れないのではと心配していた。
「珠緒、始業式に行ける?」
恐る恐る聞いてみた。
「きまってんじゃん、健ちゃんと約束してるから。コロは埋めといて」
義勝は翌日会社を休んで玲子と精神科に相談に行った。担当医に内容を話した。
「お父さんは娘さんが死んだ犬に悲しみの表情を見せないことが気になさっているんですね?」
「はい、生まれた時から7年間ずっと一緒に暮らして来た犬です。普通なら悲しくて泣くでしょ。うちは所帯を持って10年目に生まれた娘です。他の子と違っていると心配でどうにもならないんです。先生、大丈夫でしょうか?」
夫婦は不安で胸が張り裂けそうだった。医師も普通の子なら泣くだろうと思っている。しかしそう言う説明は医師として適当ではない。
「娘さんはよく眠れていますか?」
「はい、熟睡しております」
「他に変わったことはありませんか?」
夫婦は考えた。
「ねえあなた、そう言えば珠緒が5歳の時の韓国で起きた事故、雑踏の中で多くの人が圧死した事故があるでしょ、あの時号泣していたわ」
「そう言えば、インドで吊り橋が落ちて大勢が亡くなったときも大声で泣いていた」
夫婦は珠緒が常人とは少しずれたラインで泣いているのを想い出した。
「先生、あの子は事件や事故そのもので泣いています。私達とはずれていませんか?」
医師も頷いた。
「確かに娘さんは大きな視点で物事を捉えているようですね。でも心配はご無用でしょう。成長するにつれ、言い方は悪いが狡さを学んで、私共と同じ視点で物事を見るようになるでしょう。もう少し余裕を持たれてみてはどうです」
夫婦は医師のまとめに納得して帰った。
「どうだったんだい、先生の所見は?」
夫婦が帰宅するなり勝代は玄関まで出向いて耳を傾けた。
「おばあちゃん、珠緒は?」
「ああ、疲れたから眠るって。泣き疲れたみたいだよ、テレビ観ていてワンワン泣いているんだあの子は」
「何のテレビ?」
「ヨーロッパで侵略戦争が始まったニュースだよ」
夫婦は見合って驚いた。
「だってまだ始まったばかりで犠牲者が何人とか判明していないじゃない」
玲子は勝代に喰って掛かった。
「そんなことあたしに分かるわけないだろう。あたしに当たるのも大概にしてよ」
勝代は腹が立って自室に戻った。
「あなた、珠緒の様子を見て来て下さい」
「俺が?」
義勝は気合を入れて二階に上がった。
「珠緒、起きているかい」
義勝はそっと部屋に入る。布団が揺れている。
「珠緒」
布団を少し捲ると枕を濡らして泣いている。
「珠緒、どうした、大丈夫か?」
額に手を当てる。熱はない。
「お父さん、どうして戦争しているの?」
トラックドライバーの義勝には難題である。政治や外交のことなど考えたこともない。
「悪い奴が領土を広げようとしているんだ」
「どうして、あの国はあんなに大きいのに、どうして領土が欲しいの?」
車の質問ならいくらでも答えられる。
「珠緒、お父さんは頭悪いからな」
「お父さんは悲しくないの?人間が殺し合うのに?」
珠緒は布団を被った。義勝にはこれ以上宥めることが出来ない。布団の上から手太鼓であやした。
『神様、どうして神様がいるのに人が争うんですか?神様は本当は私達の味方じゃないんですか?教えてください。そうじゃないと珠緒は神様を嫌いになります』
布団の中で泣きながら祈った。
「ふーっ」
金原の苦手なジャンルだった。珠緒のベッドに腰掛けて頭を掻いた。癪が出て来てフケを喰らう。
「この子が起きるから早く帰れ」
パタパタと羽音を立ててホバーリングしている。
「あなたは神様ですか?」
「ほら起きちゃった」
「あの鳥は神様の使いですか?」
「実はあれは鳥じゃなくて虫の仲間なんだ。それに私は神様じゃない、神様の下働きをしている仙人なんだ」
金原が手で追い払う仕草をすると珠緒が癪を呼んだ。
「可愛い」
仙人の垢や浮き霊を喰らい生きている癪。到底人間から好かれるような容姿ではない。
「可愛い、こいつが?うそっ」
金原も驚いている。癪は珠緒の肩に止まった。
「癪、あたし珠緒、友達になってね」
「ギュッギュッグエッグロ」
癪が鳴いた。
「止めた方がいいと思うよ、君が思うほどいい奴じゃない、いやいい虫じゃないよ」
珠緒は癪とキスをしている。
「汚いって」
金原が注意する。
「それでおじさんはどうして来たの?」
「君が神様を信じないと泣いた。それが私に届いたんだ。本職は転生を叶えるのが得意だが、稀に君のように純真な祈りに苛まされる」
「ごめんねおじさん」
「いいさ、欲の塊が多いからねえ、君を見ていると心が洗われる」
金原は正直な気持ちを伝えた。
「お父さんやお母さんは私が変なとこで泣くから心配しているの。昨日も病院に相談に行っていたのよ。珠緒はおかしいのかしら。おじさん、教えて」
珠緒が立ち上がると癪が羽ばたいた。そして天井の切れ目から消えて行った。
「癪、またねー」
手を振ると癪が旋回した。
「あいつ調子に乗ってるな」
金原が笑った。
「よし、君の額に触れさせてくれるかな」
珠緒は前髪を上げて額を突き出した。金原は右手人差し指の腹を天中に当てた。ゆっくりと小さな額を摺り下ろす。山根まで下げて指を離した。珠緒の寿命は残り27年と162日9時間48分26秒。現在7歳の珠緒は34歳で天寿を全うする。あまりにも早過ぎると金原は不憫に思った。
「分かった?」
「もう一度いいかな」
掌の生命線を額の中心に当てる。指を広げると小さい頭がすっぽり隠れる。その指が脳に沈んで行く。
「ちょっと酔うかも、船酔いに似ている」
「船に乗ったことない」
「じゃ、仕方ない」
珠緒の人生を読み取る。早回しして天寿の手前で止めた。
「ははあ、これか」
天寿が短い原因を突き止めた。24歳で珠緒はNGOに参加してアフリカに行く。12年間を難民キャンプの子等のために活動した。そしてテロ組織が学校を襲い子供等の盾になって一命を落とす運命である。金原は芽生えた時期を探る。15歳の夏、ある医師と出遭う。『薬一粒飲めば治る子供等がたくさんいる。注射一本で助かる命がたくさんある。私一人じゃ何も出来ないけど、同じ人間にどうしてこんな差があるのか不思議に感じた人達が集まれば何かが変わる』そう言われてもらった冊子が10年後に珠緒をアフリカに行かせた。この医師との出遭いを削り落とせば少なくとも銃弾に倒れることはない。金原は迷った。この子を救うかこの子に救われた多くの子等を犠牲にするか。小指で削り落とすことが出来る。触れた。しかし削らずに掌を戻した。
「どう、気持ち悪くなかった?」
「大丈夫、でも夢を見たような気がする」
「どんな夢?」
「私と同じ年ぐらいの子供達がいっぱいいた」
小指が触れた時に脳が敏感に反応したのだ。
「ねえおじさん、神様ってどんな人なの?」
「神様は人じゃない、神だよ」
「悪い神様もいるんでしょ。だって戦争を始めたんだもの」
珠緒は泣き出した。金原は泣く子は苦手である。そもそも子供はあんまり好きじゃない。
「君はどうしてコロが死んだのに悲しくないの?」
「だってコロが来て私に天国に行くって伝えに来たの。寿命なら仕方ないでしょ。神様がくれた命を生きたんだから」
子供には不思議な力がある。純粋が時に動植物と同じ空間に入ることが出来る。幼児が笑い転げたり泣き通しであるのは、その空間に入って喜怒哀楽を共有しているからである。
「じゃあどうして戦争で人が死ぬとそんなに悲しむの?普通の子はペットの犬の方が可哀そうだと思うよ」
珠緒はパジャマの袖で涙を拭った。
「珠緒、珠緒、入るわよ」
勝代は声が聞こえたので珠緒の部屋を覗いた。
「寝言かね」
勝代は珠代の額に掌を当てた。
「熱い。お前熱があるんじゃないのかい」
金原の掌が脳に沈んでいたせいでまだ火照っていた。
「違うよおばあちゃん、熱はないよ」
それでも勝代は体温計を脇に挟んだ。
「おかしいねえ、珠緒の言う通り熱はない」
「神様の使いのおじさんが来たんだよ。珠緒のことを心配してくれてたよ」
「うなされていたんだねえ」
「違うよ、癪も一緒だよ。可愛い鳥みたいだけど虫だよ」
「変な夢を見たんだねえ、癪なんて縁起が悪いよ」
珠緒は諦めた。一向に信じてくれない。
「明日、学校の帰りにおばあちゃんと一緒に病院に行こう。さあ寝なさい」
勝代が出て行った。勝代が出て行くと転生移動をしていた金原が戻って来た。
「ねえ、おばあちゃんが信用してくれないよ」
「それでいいさ、おばあさんは驚いて腰を抜かしてしまう。癪なんか見たらそれこそ死んでしまうかもしれない」
金原が笑うと珠緒も笑った。
「そうだこれを置いていこう。私の名刺だよ。親指と人差し指で挟んで擦れば私に通じるからね。ただし遊びには付き合わない。苦しい時、自分じゃどうにもならない時に呼んで」
金原は転生移動で部屋から消えた。
珠緒は両親や祖母の心配をよそにすくすくと育った。活発で利口で中学三年生で生徒会長も務めた。精神科には月一ずっと通い続けているが目立った異常は見当たらない。珠緒はただ両親が安心するから通院していただけである。そして運命の出会いが訪れた。
「今度あなたの担当になった中村と申します」
白髪で長髪の医師はペコンと頭を下げた。
「担当と言っても三か月でまた交代だけどね」
「よろしくお願いします」
珠緒はこの医師に好感を抱いた。
「あなたは親孝行だね」
「先生にはバレてました?」
「まあ、それもいいさ。親が安心するならそれに越したことはない。それに親が健在であることだけで幸せですよ。私は親がいない子供達を世話していましたからね。親子喧嘩するくらい幸福はありませんよ」
「先生はそう言う団体に加盟しているんですか?」
「ええ、小さなグループですけどね。またアフリカに行きます」
「どんなとこなんですか?」
「内乱が続いています。難民キャンプって聞いたことはあるよね。そこで親を失った子供等に医療を提供しています」
珠緒は中村医師の話に胸がときめいた。自分もそう言う仕事に就きたいと思った。
「先生、私達にも何か出来ることはありますか?」
「あるさ、先ずはその思いを捨てないで、その思いに向けて学習して、大人になってもまだ、その思いがあるならその時に力を貸して欲しい」
中村医師は冊子を渡した。
「薬一粒飲めば治る子供等がたくさんいる。注射一本で助かる命がたくさんある。私一人じゃ何も出来ないけど、同じ人間にどうしてこんな差があるのか不思議に感じた人達が集まれば何かが変わる。そう信じて行動しています」
珠緒の純粋な心にストレートに響いた言葉である。
「珠緒先生、テロリストが村を襲ってこっちに向かっているそうです」
「子供達を納屋に隠しましょう」
〔みんな、集まって、納屋に隠れるのよ、早くして〕
珠緒は一人一人を納屋の地下に入れた。
〔声を出しちゃ駄目よ〕
ジープが三台小学校に乗り入れた。銃を持った男達が職員を並ばせた。
〔子供等は?〕
痩せて目が窪んだ若い男が校長に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
校長から現地スタッフの頭に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
スタッフは目を瞑る。同時に頭を撃ち抜かれた。
〔子供等は?〕
現地の女スタッフに銃を突き付けた。
〔納屋だ〕
耐えられずに答えた。珠緒が走った。テロリストが追う。珠緒が走った方向は子供等が隠れている納屋とは反対側の鳥小屋である。柱の陰に隠れて追ってきた男を藁用のフォークで刺した。珠緒は小学一年生の時に仙人からもらった名刺がある。それをお守り袋に入れて肌身離さず身に着けていた。親指と中指で挟んで擦ればすぐに来る。だけど遊びは駄目だと釘を刺された。友達に自慢したくて何度か擦ったことはあるが現れなかった。『あたしとの約束守って』名刺を指で挟んで擦り合わせた。
〔いたぞ、撃ち殺せ〕
一斉にライフルが火を噴いた。
「癪、今だ」
金原仙人の号令にライフルの弾より早く珠代の前に出た。弾は癪の羽に吸収されるように弾かれる。
テロリストは人の五倍もある癪に驚いた。手を合わせる者もいれば逃げだす者もいる。
「癪、覚えていてくれたのね、ありがとう」
癪の背に乗り大空を飛んでいる。
「子供達は無事だよ」
「あっおじさん」
「君もおばさんになった」
「ありがとう」
「君の勇気には感動した」
「あたし戻らないと、あの子等を放ってはおけない」
珠緒は癪に戻るよう伝えた。
「君のお母さんが重い病は知っているね、お父さんが一人で看病しているがお父さんだって長年の運転業務で腰痛がひどい。お母さんを抱え上げるのも容易じゃない。どうだろう、これからの人生親孝行に継ぎこんだら」
「あの子達は親を殺されて行き場がないの。テロリストに連れて行かれて人殺しに育てられるの。そんなこと絶対に許せないわ」
「君は分かっていない。子供等が死ぬことも神が定めた天寿なんだ。私が君を助けたのは神に背いている。本当は君はあの場で死ぬ、それが君の天寿だったんだ」
「あなたはそれを分かっていたのね?」
「ああ、悩んだ、君の脳に細工して影響を受けた医師との出会いを削除しようかと悩んだ。でも君に救われる多くの子供等を優先した。一度戻って両親に会ったらどうだろう」
「両親に会えばあたしの気は揺らぐわ。それほど強くないもの。お願い、私の記憶を消し去って」
金原はホバーリングする癪の前に出た。
「君が普通の人に近付くのではなく、普通の人が君に近付いて欲しい。そうすれば争いも少なくなるだろう。私の夢でもある。おでこ出して」
珠緒はおかっぱ頭の前髪を上げた。掌を額に当てた。指の股が裂けるくらい拡げると指が脳に沈んで行く。小指の先で人生経路を回転する。
「あった、ここだ」
珠緒に影響を与えた医師との接点を擦り落とした。
「癪、家まで送り届けてくれ。寄り道はするなよ」
癪は空の切れ目に消えていく。
いつ帰って来てもいいように珠緒の部屋はそのまま残してある。目覚める前に金原と癪は部屋から移動した。
「珠緒、いつ帰って来たんだ?」
父の義勝は驚いて後ずさった。
「アフリカはもういいのかね?」
珠緒の笑顔を見て落ち着いた。
「おばあちゃんは?」
「おばあちゃんは五年前に死んだじゃないか、珠緒に電話で知らせた」
「ああ、そうだったわね」
消された人生経路から先は記憶が曖昧である。
「それでもうアフリカには行かないのかね?」
「うん、お父さんと一緒にお母さんの面倒を看るわ」
「珠緒」
義勝は嬉しくて涙が溢れた。下に降りて母玲子の枕元に座った。
「お母さん、お母さん」
指を握り見つめた。
「もう私のことも忘れてしまう。先日も買い物から帰ったら『どちらさんですか』って言われた。辛かった」
「お父さん、お母さんと二人にして」
「ああ、ワインでも買って来る」
義勝が買い物に出た。珠緒は胸にぶら下るお守り袋から名刺を出した。裏表を擦り上げる。
「来てくれてありがとう」
「ああ、良かった、頭は痛くないかい。稀に記憶を無くす人がいる。考えようによっちゃそれが幸せかもしれない」
金原は玲子の額に人差し指を当てた。天中から山根までをしっかりと読み込んだ。
「お母さんの天命は?」
「ぼちぼちだね」
「あたしに親孝行する時間はないの?」
「君がその気ならその命を少しお母さんに回そう」
「そんなこと出来るの?」
「ああ、君の寿命を削ぎ取りお母さんの生命線に繋げる」
「お願い、そうしてください」
珠緒は金原に手を合わせた。
「構わないが代償が生まれる」
「いいわ、説明も不要」
金原は頷いた。
「お母さんは記憶を取り戻し15年をお父さんと楽しく過ごせる」
「お願い」
珠緒は目を瞑り額を突き出した。
「本当にいいんだね?」
頷いた。やはりこれが神の与えた天命である。掌を額に被せた。指が脳に沈んで行く。
「珠緒先生、テロリストが村を襲ってこっちにやって来るそうです」
「子供達を納屋に隠しましょう」
〔みんな、集まって、納屋に隠れるのよ、早くして〕
珠緒は一人一人を納屋の地下に入れた。
〔声を出しちゃ駄目よ〕
ジープが三台小学校に乗り入れた。銃を持った男達が職員を並ばせた。
〔子供等は?〕
痩せて目が窪んだ若い男が校長に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
校長から現地スタッフの頭に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
スタッフは目を瞑る。同時に頭を撃ち抜かれた。
〔子供等は?〕
現地の女スタッフに銃を突き付けた。
〔納屋だ〕
耐えられずに答えた。珠緒が走った。テロリストが追う。珠緒が走った方向は子供等が隠れている納屋とは反対側の鳥小屋である。柱の陰に隠れて追ってきた男を藁用のフォークで刺した。珠緒は小学一年生の時に仙人からもらった名刺がある。それをお守り袋に入れて肌身離さず身に着けていた。親指と中指で挟んで擦ればすぐに来る。だけど遊びは駄目だと釘を刺された。友達に自慢したくて何度か擦ったことはあるが現れなかった。『あたしとの約束守って』名刺を指で挟んで擦り合わせた。
〔いたぞ、撃ち殺せ〕
一斉にライフルが火を噴いた。
「癪、来てくれたの」
「癪、行くな、天命だ」
癪は羽ばたいて旋回した。
了
「珠緒には始業式から帰ってから話した方がいいかねえ」
祖母の勝代は横たわるコロを撫ぜながら泣いていた。
「今でも後でも同じだ、辛いことは早い方がいい、それだけ早く忘れられる」
珠緒の父、義勝が反対した。
「でもあなた、珠緒が悲しくて学校に行かないかもしれない」
母の玲子が祖母に賛成した。
「さあ時間だよ、珠緒が起きて来るよ。夫婦で決めておくれよ。私はパンを焼いてやろう」
祖母がコロの頭を擦って立ち上がった。
「おばあちゃんおはよう」
「珠緒おはよう」
「おばあちゃん元気ないね」
「分かるのかい、珠緒は勘がいいねえ」
「コロが死んだぐらいで悲しまないで」
「そうだね、って珠緒」
勝代は驚いて焼けたパンを落としてしまった。それを珠緒が拾ってパタパタと叩いた。
「コロが死んだのを知っていたのかい珠緒は?」
「うん、死ぬ前に言いに来たよ」
「コロがかい?」
「うん」
返事をして珠緒はコロの横たわる居間に走った。
「珠緒、コロがね、お空の星になっちゃったの」
玲子が珠緒を抱きしめた。
「珠緒、人生には色んな事があるんだ。コロはお前が生まれた日にこの家に来た。兄弟と同じだよ。これからは空からずっと珠緒のことを見守っていてくれるからね。始業式から帰ったら庭にコロを埋めようね」
二人共7歳の我が子を、7歳ならこれぐらいの理解度だろうと慰めた。
「違うよ、コロは運命だよ。神様が迎えに来たんだよ。だから珠緒は全然寂しくないよ。ねえーコロ」
コロの唇を捲って犬歯を出した。一瞬コロが笑っているように見えた。夫婦は珠緒の態度に呆気に取られた。泣きじゃくりコロから離れないのではと心配していた。
「珠緒、始業式に行ける?」
恐る恐る聞いてみた。
「きまってんじゃん、健ちゃんと約束してるから。コロは埋めといて」
義勝は翌日会社を休んで玲子と精神科に相談に行った。担当医に内容を話した。
「お父さんは娘さんが死んだ犬に悲しみの表情を見せないことが気になさっているんですね?」
「はい、生まれた時から7年間ずっと一緒に暮らして来た犬です。普通なら悲しくて泣くでしょ。うちは所帯を持って10年目に生まれた娘です。他の子と違っていると心配でどうにもならないんです。先生、大丈夫でしょうか?」
夫婦は不安で胸が張り裂けそうだった。医師も普通の子なら泣くだろうと思っている。しかしそう言う説明は医師として適当ではない。
「娘さんはよく眠れていますか?」
「はい、熟睡しております」
「他に変わったことはありませんか?」
夫婦は考えた。
「ねえあなた、そう言えば珠緒が5歳の時の韓国で起きた事故、雑踏の中で多くの人が圧死した事故があるでしょ、あの時号泣していたわ」
「そう言えば、インドで吊り橋が落ちて大勢が亡くなったときも大声で泣いていた」
夫婦は珠緒が常人とは少しずれたラインで泣いているのを想い出した。
「先生、あの子は事件や事故そのもので泣いています。私達とはずれていませんか?」
医師も頷いた。
「確かに娘さんは大きな視点で物事を捉えているようですね。でも心配はご無用でしょう。成長するにつれ、言い方は悪いが狡さを学んで、私共と同じ視点で物事を見るようになるでしょう。もう少し余裕を持たれてみてはどうです」
夫婦は医師のまとめに納得して帰った。
「どうだったんだい、先生の所見は?」
夫婦が帰宅するなり勝代は玄関まで出向いて耳を傾けた。
「おばあちゃん、珠緒は?」
「ああ、疲れたから眠るって。泣き疲れたみたいだよ、テレビ観ていてワンワン泣いているんだあの子は」
「何のテレビ?」
「ヨーロッパで侵略戦争が始まったニュースだよ」
夫婦は見合って驚いた。
「だってまだ始まったばかりで犠牲者が何人とか判明していないじゃない」
玲子は勝代に喰って掛かった。
「そんなことあたしに分かるわけないだろう。あたしに当たるのも大概にしてよ」
勝代は腹が立って自室に戻った。
「あなた、珠緒の様子を見て来て下さい」
「俺が?」
義勝は気合を入れて二階に上がった。
「珠緒、起きているかい」
義勝はそっと部屋に入る。布団が揺れている。
「珠緒」
布団を少し捲ると枕を濡らして泣いている。
「珠緒、どうした、大丈夫か?」
額に手を当てる。熱はない。
「お父さん、どうして戦争しているの?」
トラックドライバーの義勝には難題である。政治や外交のことなど考えたこともない。
「悪い奴が領土を広げようとしているんだ」
「どうして、あの国はあんなに大きいのに、どうして領土が欲しいの?」
車の質問ならいくらでも答えられる。
「珠緒、お父さんは頭悪いからな」
「お父さんは悲しくないの?人間が殺し合うのに?」
珠緒は布団を被った。義勝にはこれ以上宥めることが出来ない。布団の上から手太鼓であやした。
『神様、どうして神様がいるのに人が争うんですか?神様は本当は私達の味方じゃないんですか?教えてください。そうじゃないと珠緒は神様を嫌いになります』
布団の中で泣きながら祈った。
「ふーっ」
金原の苦手なジャンルだった。珠緒のベッドに腰掛けて頭を掻いた。癪が出て来てフケを喰らう。
「この子が起きるから早く帰れ」
パタパタと羽音を立ててホバーリングしている。
「あなたは神様ですか?」
「ほら起きちゃった」
「あの鳥は神様の使いですか?」
「実はあれは鳥じゃなくて虫の仲間なんだ。それに私は神様じゃない、神様の下働きをしている仙人なんだ」
金原が手で追い払う仕草をすると珠緒が癪を呼んだ。
「可愛い」
仙人の垢や浮き霊を喰らい生きている癪。到底人間から好かれるような容姿ではない。
「可愛い、こいつが?うそっ」
金原も驚いている。癪は珠緒の肩に止まった。
「癪、あたし珠緒、友達になってね」
「ギュッギュッグエッグロ」
癪が鳴いた。
「止めた方がいいと思うよ、君が思うほどいい奴じゃない、いやいい虫じゃないよ」
珠緒は癪とキスをしている。
「汚いって」
金原が注意する。
「それでおじさんはどうして来たの?」
「君が神様を信じないと泣いた。それが私に届いたんだ。本職は転生を叶えるのが得意だが、稀に君のように純真な祈りに苛まされる」
「ごめんねおじさん」
「いいさ、欲の塊が多いからねえ、君を見ていると心が洗われる」
金原は正直な気持ちを伝えた。
「お父さんやお母さんは私が変なとこで泣くから心配しているの。昨日も病院に相談に行っていたのよ。珠緒はおかしいのかしら。おじさん、教えて」
珠緒が立ち上がると癪が羽ばたいた。そして天井の切れ目から消えて行った。
「癪、またねー」
手を振ると癪が旋回した。
「あいつ調子に乗ってるな」
金原が笑った。
「よし、君の額に触れさせてくれるかな」
珠緒は前髪を上げて額を突き出した。金原は右手人差し指の腹を天中に当てた。ゆっくりと小さな額を摺り下ろす。山根まで下げて指を離した。珠緒の寿命は残り27年と162日9時間48分26秒。現在7歳の珠緒は34歳で天寿を全うする。あまりにも早過ぎると金原は不憫に思った。
「分かった?」
「もう一度いいかな」
掌の生命線を額の中心に当てる。指を広げると小さい頭がすっぽり隠れる。その指が脳に沈んで行く。
「ちょっと酔うかも、船酔いに似ている」
「船に乗ったことない」
「じゃ、仕方ない」
珠緒の人生を読み取る。早回しして天寿の手前で止めた。
「ははあ、これか」
天寿が短い原因を突き止めた。24歳で珠緒はNGOに参加してアフリカに行く。12年間を難民キャンプの子等のために活動した。そしてテロ組織が学校を襲い子供等の盾になって一命を落とす運命である。金原は芽生えた時期を探る。15歳の夏、ある医師と出遭う。『薬一粒飲めば治る子供等がたくさんいる。注射一本で助かる命がたくさんある。私一人じゃ何も出来ないけど、同じ人間にどうしてこんな差があるのか不思議に感じた人達が集まれば何かが変わる』そう言われてもらった冊子が10年後に珠緒をアフリカに行かせた。この医師との出遭いを削り落とせば少なくとも銃弾に倒れることはない。金原は迷った。この子を救うかこの子に救われた多くの子等を犠牲にするか。小指で削り落とすことが出来る。触れた。しかし削らずに掌を戻した。
「どう、気持ち悪くなかった?」
「大丈夫、でも夢を見たような気がする」
「どんな夢?」
「私と同じ年ぐらいの子供達がいっぱいいた」
小指が触れた時に脳が敏感に反応したのだ。
「ねえおじさん、神様ってどんな人なの?」
「神様は人じゃない、神だよ」
「悪い神様もいるんでしょ。だって戦争を始めたんだもの」
珠緒は泣き出した。金原は泣く子は苦手である。そもそも子供はあんまり好きじゃない。
「君はどうしてコロが死んだのに悲しくないの?」
「だってコロが来て私に天国に行くって伝えに来たの。寿命なら仕方ないでしょ。神様がくれた命を生きたんだから」
子供には不思議な力がある。純粋が時に動植物と同じ空間に入ることが出来る。幼児が笑い転げたり泣き通しであるのは、その空間に入って喜怒哀楽を共有しているからである。
「じゃあどうして戦争で人が死ぬとそんなに悲しむの?普通の子はペットの犬の方が可哀そうだと思うよ」
珠緒はパジャマの袖で涙を拭った。
「珠緒、珠緒、入るわよ」
勝代は声が聞こえたので珠緒の部屋を覗いた。
「寝言かね」
勝代は珠代の額に掌を当てた。
「熱い。お前熱があるんじゃないのかい」
金原の掌が脳に沈んでいたせいでまだ火照っていた。
「違うよおばあちゃん、熱はないよ」
それでも勝代は体温計を脇に挟んだ。
「おかしいねえ、珠緒の言う通り熱はない」
「神様の使いのおじさんが来たんだよ。珠緒のことを心配してくれてたよ」
「うなされていたんだねえ」
「違うよ、癪も一緒だよ。可愛い鳥みたいだけど虫だよ」
「変な夢を見たんだねえ、癪なんて縁起が悪いよ」
珠緒は諦めた。一向に信じてくれない。
「明日、学校の帰りにおばあちゃんと一緒に病院に行こう。さあ寝なさい」
勝代が出て行った。勝代が出て行くと転生移動をしていた金原が戻って来た。
「ねえ、おばあちゃんが信用してくれないよ」
「それでいいさ、おばあさんは驚いて腰を抜かしてしまう。癪なんか見たらそれこそ死んでしまうかもしれない」
金原が笑うと珠緒も笑った。
「そうだこれを置いていこう。私の名刺だよ。親指と人差し指で挟んで擦れば私に通じるからね。ただし遊びには付き合わない。苦しい時、自分じゃどうにもならない時に呼んで」
金原は転生移動で部屋から消えた。
珠緒は両親や祖母の心配をよそにすくすくと育った。活発で利口で中学三年生で生徒会長も務めた。精神科には月一ずっと通い続けているが目立った異常は見当たらない。珠緒はただ両親が安心するから通院していただけである。そして運命の出会いが訪れた。
「今度あなたの担当になった中村と申します」
白髪で長髪の医師はペコンと頭を下げた。
「担当と言っても三か月でまた交代だけどね」
「よろしくお願いします」
珠緒はこの医師に好感を抱いた。
「あなたは親孝行だね」
「先生にはバレてました?」
「まあ、それもいいさ。親が安心するならそれに越したことはない。それに親が健在であることだけで幸せですよ。私は親がいない子供達を世話していましたからね。親子喧嘩するくらい幸福はありませんよ」
「先生はそう言う団体に加盟しているんですか?」
「ええ、小さなグループですけどね。またアフリカに行きます」
「どんなとこなんですか?」
「内乱が続いています。難民キャンプって聞いたことはあるよね。そこで親を失った子供等に医療を提供しています」
珠緒は中村医師の話に胸がときめいた。自分もそう言う仕事に就きたいと思った。
「先生、私達にも何か出来ることはありますか?」
「あるさ、先ずはその思いを捨てないで、その思いに向けて学習して、大人になってもまだ、その思いがあるならその時に力を貸して欲しい」
中村医師は冊子を渡した。
「薬一粒飲めば治る子供等がたくさんいる。注射一本で助かる命がたくさんある。私一人じゃ何も出来ないけど、同じ人間にどうしてこんな差があるのか不思議に感じた人達が集まれば何かが変わる。そう信じて行動しています」
珠緒の純粋な心にストレートに響いた言葉である。
「珠緒先生、テロリストが村を襲ってこっちに向かっているそうです」
「子供達を納屋に隠しましょう」
〔みんな、集まって、納屋に隠れるのよ、早くして〕
珠緒は一人一人を納屋の地下に入れた。
〔声を出しちゃ駄目よ〕
ジープが三台小学校に乗り入れた。銃を持った男達が職員を並ばせた。
〔子供等は?〕
痩せて目が窪んだ若い男が校長に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
校長から現地スタッフの頭に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
スタッフは目を瞑る。同時に頭を撃ち抜かれた。
〔子供等は?〕
現地の女スタッフに銃を突き付けた。
〔納屋だ〕
耐えられずに答えた。珠緒が走った。テロリストが追う。珠緒が走った方向は子供等が隠れている納屋とは反対側の鳥小屋である。柱の陰に隠れて追ってきた男を藁用のフォークで刺した。珠緒は小学一年生の時に仙人からもらった名刺がある。それをお守り袋に入れて肌身離さず身に着けていた。親指と中指で挟んで擦ればすぐに来る。だけど遊びは駄目だと釘を刺された。友達に自慢したくて何度か擦ったことはあるが現れなかった。『あたしとの約束守って』名刺を指で挟んで擦り合わせた。
〔いたぞ、撃ち殺せ〕
一斉にライフルが火を噴いた。
「癪、今だ」
金原仙人の号令にライフルの弾より早く珠代の前に出た。弾は癪の羽に吸収されるように弾かれる。
テロリストは人の五倍もある癪に驚いた。手を合わせる者もいれば逃げだす者もいる。
「癪、覚えていてくれたのね、ありがとう」
癪の背に乗り大空を飛んでいる。
「子供達は無事だよ」
「あっおじさん」
「君もおばさんになった」
「ありがとう」
「君の勇気には感動した」
「あたし戻らないと、あの子等を放ってはおけない」
珠緒は癪に戻るよう伝えた。
「君のお母さんが重い病は知っているね、お父さんが一人で看病しているがお父さんだって長年の運転業務で腰痛がひどい。お母さんを抱え上げるのも容易じゃない。どうだろう、これからの人生親孝行に継ぎこんだら」
「あの子達は親を殺されて行き場がないの。テロリストに連れて行かれて人殺しに育てられるの。そんなこと絶対に許せないわ」
「君は分かっていない。子供等が死ぬことも神が定めた天寿なんだ。私が君を助けたのは神に背いている。本当は君はあの場で死ぬ、それが君の天寿だったんだ」
「あなたはそれを分かっていたのね?」
「ああ、悩んだ、君の脳に細工して影響を受けた医師との出会いを削除しようかと悩んだ。でも君に救われる多くの子供等を優先した。一度戻って両親に会ったらどうだろう」
「両親に会えばあたしの気は揺らぐわ。それほど強くないもの。お願い、私の記憶を消し去って」
金原はホバーリングする癪の前に出た。
「君が普通の人に近付くのではなく、普通の人が君に近付いて欲しい。そうすれば争いも少なくなるだろう。私の夢でもある。おでこ出して」
珠緒はおかっぱ頭の前髪を上げた。掌を額に当てた。指の股が裂けるくらい拡げると指が脳に沈んで行く。小指の先で人生経路を回転する。
「あった、ここだ」
珠緒に影響を与えた医師との接点を擦り落とした。
「癪、家まで送り届けてくれ。寄り道はするなよ」
癪は空の切れ目に消えていく。
いつ帰って来てもいいように珠緒の部屋はそのまま残してある。目覚める前に金原と癪は部屋から移動した。
「珠緒、いつ帰って来たんだ?」
父の義勝は驚いて後ずさった。
「アフリカはもういいのかね?」
珠緒の笑顔を見て落ち着いた。
「おばあちゃんは?」
「おばあちゃんは五年前に死んだじゃないか、珠緒に電話で知らせた」
「ああ、そうだったわね」
消された人生経路から先は記憶が曖昧である。
「それでもうアフリカには行かないのかね?」
「うん、お父さんと一緒にお母さんの面倒を看るわ」
「珠緒」
義勝は嬉しくて涙が溢れた。下に降りて母玲子の枕元に座った。
「お母さん、お母さん」
指を握り見つめた。
「もう私のことも忘れてしまう。先日も買い物から帰ったら『どちらさんですか』って言われた。辛かった」
「お父さん、お母さんと二人にして」
「ああ、ワインでも買って来る」
義勝が買い物に出た。珠緒は胸にぶら下るお守り袋から名刺を出した。裏表を擦り上げる。
「来てくれてありがとう」
「ああ、良かった、頭は痛くないかい。稀に記憶を無くす人がいる。考えようによっちゃそれが幸せかもしれない」
金原は玲子の額に人差し指を当てた。天中から山根までをしっかりと読み込んだ。
「お母さんの天命は?」
「ぼちぼちだね」
「あたしに親孝行する時間はないの?」
「君がその気ならその命を少しお母さんに回そう」
「そんなこと出来るの?」
「ああ、君の寿命を削ぎ取りお母さんの生命線に繋げる」
「お願い、そうしてください」
珠緒は金原に手を合わせた。
「構わないが代償が生まれる」
「いいわ、説明も不要」
金原は頷いた。
「お母さんは記憶を取り戻し15年をお父さんと楽しく過ごせる」
「お願い」
珠緒は目を瞑り額を突き出した。
「本当にいいんだね?」
頷いた。やはりこれが神の与えた天命である。掌を額に被せた。指が脳に沈んで行く。
「珠緒先生、テロリストが村を襲ってこっちにやって来るそうです」
「子供達を納屋に隠しましょう」
〔みんな、集まって、納屋に隠れるのよ、早くして〕
珠緒は一人一人を納屋の地下に入れた。
〔声を出しちゃ駄目よ〕
ジープが三台小学校に乗り入れた。銃を持った男達が職員を並ばせた。
〔子供等は?〕
痩せて目が窪んだ若い男が校長に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
校長から現地スタッフの頭に銃を突き付けた。
〔子供等は?〕
スタッフは目を瞑る。同時に頭を撃ち抜かれた。
〔子供等は?〕
現地の女スタッフに銃を突き付けた。
〔納屋だ〕
耐えられずに答えた。珠緒が走った。テロリストが追う。珠緒が走った方向は子供等が隠れている納屋とは反対側の鳥小屋である。柱の陰に隠れて追ってきた男を藁用のフォークで刺した。珠緒は小学一年生の時に仙人からもらった名刺がある。それをお守り袋に入れて肌身離さず身に着けていた。親指と中指で挟んで擦ればすぐに来る。だけど遊びは駄目だと釘を刺された。友達に自慢したくて何度か擦ったことはあるが現れなかった。『あたしとの約束守って』名刺を指で挟んで擦り合わせた。
〔いたぞ、撃ち殺せ〕
一斉にライフルが火を噴いた。
「癪、来てくれたの」
「癪、行くな、天命だ」
癪は羽ばたいて旋回した。
了
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