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蠱惑Ⅱ『猫ふんじゃった』
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特に猫が好きではありませんでした。父が死に母が死に、叔母が死んでこの家には私一人になりました。私は二度所帯を持ちましたが、二度とも妻に逃げられて10年前に実家に戻って来ました。一度目は仕方ないと諦めましたが二度も逃げられると両親に報告するのも恥ずかしく、また両親も報告を受けることが恥ずかしいとあまり話題にもならずに暮らして来ました。
最初に猫を持って来たのは叔母でした。叔母は自分もそう長くないから一人きりは寂しいだろうと子猫を貰ってきたのでした。まだ目が開いたばかりの子猫に玉と名付けました。玉は叔母に可愛がられていました。叔母が死んだときは棺の上に乗って泣いていました。
「玉、遊んでおいで」
私には慣れない玉でしたが、ペットの猫は人から餌をもらわなくては生きていけない。どら猫のように鼠を追い掛けたり、魚屋から盗んだりと器用には生きていけない。ですから餌をねだる時だけ私に愛想泣きをするのでした。叔母が死んで一年後に玉は一匹の猫を連れて帰りました。大きな猫で大と名付けました。
「お前はどこの子だ?」
やはり私になれることはありません。玉は出入り自由ですがその猫を家に上げることはしませんでした。
「駄目だ、お前は」
玉の後について家に入ろうとする猫に石を投げて脅しました。それでも毎日来ては縁側に上り日向ぼっこをしています。雨の寒い日でした。縁側の内と外で玉と大はにらめっこをしていました。大は寒さで震えています。
「ほら、今日だけだよ」
ガラス戸を開けるとさっと入り玉と共に二階の叔母の部屋に上がって行きました。それから三か月後のことでした。私は叔母の部屋にはあまり入りませんでした。玉と大で好きに使っていました。二匹とも大人でそれもおとなしく部屋を汚すこともありませんでした。トイレは勝手に外で済ませてくれる、餌はきれいに食べ残さずに食べてくれる。週一に掃除機を掛ける程度でした。それが泣き声がするのです。上がってみると叔母のベッドに子猫が六匹いました。蹲りにゃーにゃーと鳴く子猫に近付いたら嚙み殺すぞと言わんばかりの玉が私を睨み付けました。玉が雌であることを初めて知り、大が雄であることも始めて知りました。雌雄の猫が一緒にいればこうなることに気付かない私が失格でしょう。私は責任を持って育てる決意をしました。獣医に頼んでこれ以上増えないように大を去勢してもらいました。
子猫は順調に育ちました。親と変わらぬ大きさになり食欲も旺盛です。玉と大の二匹の時は部屋も荒らされずにいましたが遊び盛りの猫がじっとしているわけもなく、叔母のベッドは無残にも穴が開いてしまいました。空いた穴から入り込み出れなくなった一匹を引っ掻かれながらも助け出しました。生まれたばかりに名前を付けましたが、その特徴は薄れて、今やどれがどれだかさっぱり分かりません。おいとか、こらとか呼ぶとみながこっちを向いて耳を立てる仕草に笑ってしまいます。
猫が増えると近所の小学生が学校帰りに遊びに来るようになりました。
「おじさん、猫と遊んでもいい?」
断る理由はありません。
「いいよ、でもなるべく早く帰るんだよ。お母さんとお父さんが心配するからね」
子供達は二階に上り猫とあそんでいます。一人の子が猫に顔を引っ掻かれてしまいました。
「うちの子をどうしてくれるんだ?」
父親はやくざ風に見えました。大した傷ではありません、一週間もすれば消えてしまうような細い引っ掻き傷でした。
「薬代を出しましょう」
「薬代だと、病院に連れて行くんだよ明日、俺が仕事を休んでな」
父親は金が目当てであると分かりました。
「どうすればいいでしょうか?私は仕事もしていません、僅かな年金暮らしです。あなたの請求に応えることは出来ません。その代わりお嬢さんを引っ掻いた猫は特定出来ます。仕返しをしてください」
私が二階に案内すると言うと、父親は気味悪がって帰ってしまいました。うちに猫がたくさんいるのが、近所でも噂になり、猫好きのおじさんと渾名までついてしまいました。それはいいのですが困ったことにもなりました。うちの庭に段ボールに入れた子猫を捨てていくのです。
「困るんですけど、何とかならないでしょうか」
私は役所に行き捨て猫の保護を訴えました。
「ああ、あなたは本町にお住いの通称猫好きのおじさんですね。存じ上げています。どうでしょう、私どもで引き取ると殺処分となります。それでも良ければ手続きいたしますが可哀そうですよね、猫好きのおじさん」
調子のいい担当に世辞を言われその気になってしまいました。私は子猫の入った段ボールを持ち帰りました。子猫を外に置きっ放しにするわけにもいかず、母の部屋に入れました。ドアを閉めて他の猫が立ち入らないようにしました。しかし縄張り意識と言うのでしょうか、玉と大、その子等が騒いでいます。まさか噛み殺すことはないだろうとドアを開けて解放しました。玉がすぐに五匹に寄り添い舐め始めたのです。私は玉の母性本能だと安心しました。役所でのやり取りが美談となり私は猫から離れることが出来なくなりました。猫の餌が二トン車で届いたこともあります。幼稚園の散歩コースにもなりました。園児が猫に手を振るのは実に可愛い。しかし微笑ましい事だけではありませんでした。手に余した飼い主はうちの庭に捨てていくのでした。猫だけではありませんでした。ウサギや子犬を捨てていく人もいます。二階の二間を猫部屋にしていましたが下の二間も占領されてしまいました。私がいるのはダイニングキッチンで、寝る時はテーブルを端に寄せて、布団を縦に半分に折って床としていました。このキッチンを占領されればもう私の居場所はありません。出入りする時も隙間から侵入を窺う猫を蹴飛ばして牽制しています。
そして三年が過ぎました。猫の数は把握出来ません。恐らく60匹以上の猫がいくつかのグループを形成し、二階と一階、屋根裏、縁の下とそれぞれのアジトを築き、お互いを牽制し合って暮らしています。時には争いが起きて目が潰れていたり、びっこを引いている猫がいます。そして事件が起きました。ウサギを食われてしまったのです。もう愛玩ではなくなりました。ネズミやトカゲを食する野生の猫に戻っていたのです。盛りの付いた猫が一晩中唸る声は、不気味です。猫好きだった近所の子供等も親に注意され、うちの近くで見掛けることはなくなりました。
「こんにちは」
やって来たのはいつぞやの総務課のおばさんでした。
「何でしょうか?」
「実は、近隣から苦情が出ていまして」
猫とははっきり言わない。
「どのようなことでしょう?」
「猫がうるさくて眠れないとか、恐いとかそんな苦情です」
「どちらの方でしょうか、直接行ってお話を伺ってきます」
総務課のおばさんは困った顔をしていました。
「複数と言いますか、ほとんど全部です」
私の家の周りには12軒ありその全戸から苦情がきていると言いました。
「そうですか、私が猫を飼い始めた時はよく遊びにいらしていた。あなたにも捨て猫の処分をお願いしたが受付けてくれませんでした。あの時が始まりです」
「それはお宅さんの管理の問題です。猫好きなら猫好きで慕われるように努めていただかなくてはなりません。今更こちらのせいにされてもお門違いです」
相談に行ったときのにこやかなおばさんではなく、鬼婆に見えました。
「そうですか、分かりました。さあどうぞ、中に入って調査をしてください。さあどうぞ」
私が玄関を開けると数匹が飛び出してきました。獣の臭いを振り撒きながら隣の庭に入って行きます。
「もういいです、閉めてください」
私がおもいきりドアを閉めると一匹の足が挟まりました。
「こんにゃろう」
私は足を挟んだまドアを押すと肉球がパツンと落ちました。
「ああ、あなた、動物虐待で訴えますよ」
私は肉球を拾ってプニョプニョしました。
「ああ」
総務課の鬼婆は走って逃げて行きました。それから一月ほどして猫の保護団体を名乗る男女四人が訪ねて来ました。
「私達の活動は猫ちゃんと飼い主をお見合いさせています。お宅にもかわいい猫がたくさんいると聞いています」
やけににこやかな男女である。終始笑顔でいます。
「そんなに楽しいのですか?」
私の問い掛けにお互い見合っています。
「おじさん、猫ちゃんを解放してあげようよ。その手伝いをさせて欲しいの」
年長の女が言った。
「私はどうすればいいのかな?」
「はい、一匹ずつ写真を取らせて欲しいんです。それをインターネットに掲載してお見合いしてもらうんです」
「インターネット?」
「はい、うちに登録されている方は6万人いらっしゃいます」
「大人の猫はさすがに引き取り手はないだろうね」
「種によります。人気種ですと倍率が高くなります」
「あんた等の儲けか?」
私の嫌味に笑顔が消えました。
「どうされますか?」
「ちょっと待って、知らないよ」
私は玄関から飛び出さないように猫を追い払いました。それぞれが尻尾を高く上げて構えています。
「ふりゃ」
近付く猫を掃除機の柄で追い払います。
「さあ、どうぞ」
私が声を掛けると保護団体を名乗る四人組が入って来ました。
「二階二グループ、一階に三グループ、縁の下に二グループ、屋根裏には幾つのグループがあるか分かりません。二階のオルガンのある部屋は気性の荒いグループですから気を付けてくださいよ。私は終わるまで外にいますから」
四人が入り外から南京錠を掛けました。5分もしないうちに叫び声がしました。
「開けて、開けて」
四人がドアの前で叫んでいます。恐らく猫の襲撃を受けているのでしょう。南京錠を外しドアを開けると四人が倒れ込みました。その隙に猫が数匹逃亡しました。四人の顔は傷だらけです。年長の女は耳を齧り切られていました。
「救急車呼ぼうか?」
年長の女を抱えるようにしてワゴン車で立ち去りました。この話がまた役所に戻されて例の鬼婆が男を二人連れてやってきました。
「保護団体の代表の方が大怪我をされました。あなた訴えられますよ」
「誰が?それで誰に?」
私は知らないよと伝えました。それでもにこやかに入ったのでした。
「彼等がどうしても猫の写真を撮ると言って入ったんですよ。私は注意しましたが意に介さず入ってしまった。それで猫に襲われた、ばかだよねえ」
私が笑うと鬼婆は目を吊り上げました。
「いいですか、行政処分ですからね」
「行政処分て?」
「猫は全て殺処分されます」
「いやです。私は自宅で仮にも飼っていたペットを無責任に捨てることは出来ません。あなたにはもっと早く助けて欲しかった」
私は中に戻りました。私は床に就いて考えました。捨てるのは無責任、元はと言えば他人の無責任からこうなったのですが、私が真似ればほら同じだと笑われます。それにあの鬼婆の世話になるのは絶対に避けなければなりません。相談に行ったときに他人事と追い返した役所の無責任にも腹が立ちます。私は責任ある解決策を模索しました。私が死ねばこの猫達はどうなるだろう。納戸に山のように在庫があるキャットフードを上げなければ子猫達はどうなるだろう。そうです、餓死です。それなら私がしっかりしているうちに葬ってあげるのが責任ある飼い主の姿ではないでしょうか。私が、飼い主が、責任を持って処分する、そして葬る。一石二鳥の策が頭に浮かびました。それも私の心構えが緩む前に実行しなければなりません。陽がくれて来ました。私はドアと言うドア、窓という窓を全て締め切り鍵を掛けました。これで家の中や屋根裏にいる猫グループは外へ出ることが出来ません。縁の下のグループは仕方ありません、野良猫として生きていくでしょう。納戸から大量のキャットフードを出しました。各部屋にぶちまけました。子猫達は喜んで食べ始めました。しかし口の肥えた大人の猫は見向きもしません。石油ストーブを逆さまにして灯油を布団に染み込ませました。火を点けると燻っています。焼け付く前に一酸化炭素中毒で死んでしまうでしょう。猫は大騒ぎしています。二階の叔母の部屋に入ると玉が睨んでいます。大は飛び掛かって来る様相です。オルガンの上に居並ぶ猫を手で追い払いました。叔母は近所の子供等にオルガンを教えていました。私が弾けるのは唯一猫ふんじゃったです。それも弾くと言うより人差し指一本で鍵盤を叩くだけです。
「さあ、ご主人様と一緒にこの世の責任をとりましょう」
足元が熱くなってきました。布団から壁、天井と火の手が上がっているのでしょう。猫共はギャーギャーと大騒ぎしています。ライバル関係のグループが喧嘩を始めました。
「こんな時に喧嘩をするな、みんな一緒になって責任ある行動をしよう。これだけの猫が散らばれば近隣のみなさんに迷惑が掛かる。私が最後に演奏しよう」
鍵盤を叩きました。煙で視界が消えました。
「♪ネコ ふんじゃった ネコ ふんじゃった ネコ ふんじゃーふんじゃーふんじゃった」
子猫がバタバタと倒れていきます。可哀そうだけど悔いはありません。私が飼っていた猫は私自身が処分しました。捨てる人の気が知れません。
了
最初に猫を持って来たのは叔母でした。叔母は自分もそう長くないから一人きりは寂しいだろうと子猫を貰ってきたのでした。まだ目が開いたばかりの子猫に玉と名付けました。玉は叔母に可愛がられていました。叔母が死んだときは棺の上に乗って泣いていました。
「玉、遊んでおいで」
私には慣れない玉でしたが、ペットの猫は人から餌をもらわなくては生きていけない。どら猫のように鼠を追い掛けたり、魚屋から盗んだりと器用には生きていけない。ですから餌をねだる時だけ私に愛想泣きをするのでした。叔母が死んで一年後に玉は一匹の猫を連れて帰りました。大きな猫で大と名付けました。
「お前はどこの子だ?」
やはり私になれることはありません。玉は出入り自由ですがその猫を家に上げることはしませんでした。
「駄目だ、お前は」
玉の後について家に入ろうとする猫に石を投げて脅しました。それでも毎日来ては縁側に上り日向ぼっこをしています。雨の寒い日でした。縁側の内と外で玉と大はにらめっこをしていました。大は寒さで震えています。
「ほら、今日だけだよ」
ガラス戸を開けるとさっと入り玉と共に二階の叔母の部屋に上がって行きました。それから三か月後のことでした。私は叔母の部屋にはあまり入りませんでした。玉と大で好きに使っていました。二匹とも大人でそれもおとなしく部屋を汚すこともありませんでした。トイレは勝手に外で済ませてくれる、餌はきれいに食べ残さずに食べてくれる。週一に掃除機を掛ける程度でした。それが泣き声がするのです。上がってみると叔母のベッドに子猫が六匹いました。蹲りにゃーにゃーと鳴く子猫に近付いたら嚙み殺すぞと言わんばかりの玉が私を睨み付けました。玉が雌であることを初めて知り、大が雄であることも始めて知りました。雌雄の猫が一緒にいればこうなることに気付かない私が失格でしょう。私は責任を持って育てる決意をしました。獣医に頼んでこれ以上増えないように大を去勢してもらいました。
子猫は順調に育ちました。親と変わらぬ大きさになり食欲も旺盛です。玉と大の二匹の時は部屋も荒らされずにいましたが遊び盛りの猫がじっとしているわけもなく、叔母のベッドは無残にも穴が開いてしまいました。空いた穴から入り込み出れなくなった一匹を引っ掻かれながらも助け出しました。生まれたばかりに名前を付けましたが、その特徴は薄れて、今やどれがどれだかさっぱり分かりません。おいとか、こらとか呼ぶとみながこっちを向いて耳を立てる仕草に笑ってしまいます。
猫が増えると近所の小学生が学校帰りに遊びに来るようになりました。
「おじさん、猫と遊んでもいい?」
断る理由はありません。
「いいよ、でもなるべく早く帰るんだよ。お母さんとお父さんが心配するからね」
子供達は二階に上り猫とあそんでいます。一人の子が猫に顔を引っ掻かれてしまいました。
「うちの子をどうしてくれるんだ?」
父親はやくざ風に見えました。大した傷ではありません、一週間もすれば消えてしまうような細い引っ掻き傷でした。
「薬代を出しましょう」
「薬代だと、病院に連れて行くんだよ明日、俺が仕事を休んでな」
父親は金が目当てであると分かりました。
「どうすればいいでしょうか?私は仕事もしていません、僅かな年金暮らしです。あなたの請求に応えることは出来ません。その代わりお嬢さんを引っ掻いた猫は特定出来ます。仕返しをしてください」
私が二階に案内すると言うと、父親は気味悪がって帰ってしまいました。うちに猫がたくさんいるのが、近所でも噂になり、猫好きのおじさんと渾名までついてしまいました。それはいいのですが困ったことにもなりました。うちの庭に段ボールに入れた子猫を捨てていくのです。
「困るんですけど、何とかならないでしょうか」
私は役所に行き捨て猫の保護を訴えました。
「ああ、あなたは本町にお住いの通称猫好きのおじさんですね。存じ上げています。どうでしょう、私どもで引き取ると殺処分となります。それでも良ければ手続きいたしますが可哀そうですよね、猫好きのおじさん」
調子のいい担当に世辞を言われその気になってしまいました。私は子猫の入った段ボールを持ち帰りました。子猫を外に置きっ放しにするわけにもいかず、母の部屋に入れました。ドアを閉めて他の猫が立ち入らないようにしました。しかし縄張り意識と言うのでしょうか、玉と大、その子等が騒いでいます。まさか噛み殺すことはないだろうとドアを開けて解放しました。玉がすぐに五匹に寄り添い舐め始めたのです。私は玉の母性本能だと安心しました。役所でのやり取りが美談となり私は猫から離れることが出来なくなりました。猫の餌が二トン車で届いたこともあります。幼稚園の散歩コースにもなりました。園児が猫に手を振るのは実に可愛い。しかし微笑ましい事だけではありませんでした。手に余した飼い主はうちの庭に捨てていくのでした。猫だけではありませんでした。ウサギや子犬を捨てていく人もいます。二階の二間を猫部屋にしていましたが下の二間も占領されてしまいました。私がいるのはダイニングキッチンで、寝る時はテーブルを端に寄せて、布団を縦に半分に折って床としていました。このキッチンを占領されればもう私の居場所はありません。出入りする時も隙間から侵入を窺う猫を蹴飛ばして牽制しています。
そして三年が過ぎました。猫の数は把握出来ません。恐らく60匹以上の猫がいくつかのグループを形成し、二階と一階、屋根裏、縁の下とそれぞれのアジトを築き、お互いを牽制し合って暮らしています。時には争いが起きて目が潰れていたり、びっこを引いている猫がいます。そして事件が起きました。ウサギを食われてしまったのです。もう愛玩ではなくなりました。ネズミやトカゲを食する野生の猫に戻っていたのです。盛りの付いた猫が一晩中唸る声は、不気味です。猫好きだった近所の子供等も親に注意され、うちの近くで見掛けることはなくなりました。
「こんにちは」
やって来たのはいつぞやの総務課のおばさんでした。
「何でしょうか?」
「実は、近隣から苦情が出ていまして」
猫とははっきり言わない。
「どのようなことでしょう?」
「猫がうるさくて眠れないとか、恐いとかそんな苦情です」
「どちらの方でしょうか、直接行ってお話を伺ってきます」
総務課のおばさんは困った顔をしていました。
「複数と言いますか、ほとんど全部です」
私の家の周りには12軒ありその全戸から苦情がきていると言いました。
「そうですか、私が猫を飼い始めた時はよく遊びにいらしていた。あなたにも捨て猫の処分をお願いしたが受付けてくれませんでした。あの時が始まりです」
「それはお宅さんの管理の問題です。猫好きなら猫好きで慕われるように努めていただかなくてはなりません。今更こちらのせいにされてもお門違いです」
相談に行ったときのにこやかなおばさんではなく、鬼婆に見えました。
「そうですか、分かりました。さあどうぞ、中に入って調査をしてください。さあどうぞ」
私が玄関を開けると数匹が飛び出してきました。獣の臭いを振り撒きながら隣の庭に入って行きます。
「もういいです、閉めてください」
私がおもいきりドアを閉めると一匹の足が挟まりました。
「こんにゃろう」
私は足を挟んだまドアを押すと肉球がパツンと落ちました。
「ああ、あなた、動物虐待で訴えますよ」
私は肉球を拾ってプニョプニョしました。
「ああ」
総務課の鬼婆は走って逃げて行きました。それから一月ほどして猫の保護団体を名乗る男女四人が訪ねて来ました。
「私達の活動は猫ちゃんと飼い主をお見合いさせています。お宅にもかわいい猫がたくさんいると聞いています」
やけににこやかな男女である。終始笑顔でいます。
「そんなに楽しいのですか?」
私の問い掛けにお互い見合っています。
「おじさん、猫ちゃんを解放してあげようよ。その手伝いをさせて欲しいの」
年長の女が言った。
「私はどうすればいいのかな?」
「はい、一匹ずつ写真を取らせて欲しいんです。それをインターネットに掲載してお見合いしてもらうんです」
「インターネット?」
「はい、うちに登録されている方は6万人いらっしゃいます」
「大人の猫はさすがに引き取り手はないだろうね」
「種によります。人気種ですと倍率が高くなります」
「あんた等の儲けか?」
私の嫌味に笑顔が消えました。
「どうされますか?」
「ちょっと待って、知らないよ」
私は玄関から飛び出さないように猫を追い払いました。それぞれが尻尾を高く上げて構えています。
「ふりゃ」
近付く猫を掃除機の柄で追い払います。
「さあ、どうぞ」
私が声を掛けると保護団体を名乗る四人組が入って来ました。
「二階二グループ、一階に三グループ、縁の下に二グループ、屋根裏には幾つのグループがあるか分かりません。二階のオルガンのある部屋は気性の荒いグループですから気を付けてくださいよ。私は終わるまで外にいますから」
四人が入り外から南京錠を掛けました。5分もしないうちに叫び声がしました。
「開けて、開けて」
四人がドアの前で叫んでいます。恐らく猫の襲撃を受けているのでしょう。南京錠を外しドアを開けると四人が倒れ込みました。その隙に猫が数匹逃亡しました。四人の顔は傷だらけです。年長の女は耳を齧り切られていました。
「救急車呼ぼうか?」
年長の女を抱えるようにしてワゴン車で立ち去りました。この話がまた役所に戻されて例の鬼婆が男を二人連れてやってきました。
「保護団体の代表の方が大怪我をされました。あなた訴えられますよ」
「誰が?それで誰に?」
私は知らないよと伝えました。それでもにこやかに入ったのでした。
「彼等がどうしても猫の写真を撮ると言って入ったんですよ。私は注意しましたが意に介さず入ってしまった。それで猫に襲われた、ばかだよねえ」
私が笑うと鬼婆は目を吊り上げました。
「いいですか、行政処分ですからね」
「行政処分て?」
「猫は全て殺処分されます」
「いやです。私は自宅で仮にも飼っていたペットを無責任に捨てることは出来ません。あなたにはもっと早く助けて欲しかった」
私は中に戻りました。私は床に就いて考えました。捨てるのは無責任、元はと言えば他人の無責任からこうなったのですが、私が真似ればほら同じだと笑われます。それにあの鬼婆の世話になるのは絶対に避けなければなりません。相談に行ったときに他人事と追い返した役所の無責任にも腹が立ちます。私は責任ある解決策を模索しました。私が死ねばこの猫達はどうなるだろう。納戸に山のように在庫があるキャットフードを上げなければ子猫達はどうなるだろう。そうです、餓死です。それなら私がしっかりしているうちに葬ってあげるのが責任ある飼い主の姿ではないでしょうか。私が、飼い主が、責任を持って処分する、そして葬る。一石二鳥の策が頭に浮かびました。それも私の心構えが緩む前に実行しなければなりません。陽がくれて来ました。私はドアと言うドア、窓という窓を全て締め切り鍵を掛けました。これで家の中や屋根裏にいる猫グループは外へ出ることが出来ません。縁の下のグループは仕方ありません、野良猫として生きていくでしょう。納戸から大量のキャットフードを出しました。各部屋にぶちまけました。子猫達は喜んで食べ始めました。しかし口の肥えた大人の猫は見向きもしません。石油ストーブを逆さまにして灯油を布団に染み込ませました。火を点けると燻っています。焼け付く前に一酸化炭素中毒で死んでしまうでしょう。猫は大騒ぎしています。二階の叔母の部屋に入ると玉が睨んでいます。大は飛び掛かって来る様相です。オルガンの上に居並ぶ猫を手で追い払いました。叔母は近所の子供等にオルガンを教えていました。私が弾けるのは唯一猫ふんじゃったです。それも弾くと言うより人差し指一本で鍵盤を叩くだけです。
「さあ、ご主人様と一緒にこの世の責任をとりましょう」
足元が熱くなってきました。布団から壁、天井と火の手が上がっているのでしょう。猫共はギャーギャーと大騒ぎしています。ライバル関係のグループが喧嘩を始めました。
「こんな時に喧嘩をするな、みんな一緒になって責任ある行動をしよう。これだけの猫が散らばれば近隣のみなさんに迷惑が掛かる。私が最後に演奏しよう」
鍵盤を叩きました。煙で視界が消えました。
「♪ネコ ふんじゃった ネコ ふんじゃった ネコ ふんじゃーふんじゃーふんじゃった」
子猫がバタバタと倒れていきます。可哀そうだけど悔いはありません。私が飼っていた猫は私自身が処分しました。捨てる人の気が知れません。
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