上 下
34 / 59

34

しおりを挟む
 
 翌月の15日、繭子と一平は車で1時間ほどの海に来ていた。
 先日、一平からのメッセージに繭子が了承の返信をすると、彼から案内したい場所があるので一緒に来てもらえないかと言われたのだ。
 まさか海に行くとは全く予想していなかったが。

 あのキス以来、顔を合わせていなかったので、朝、アパートまで車で迎えに来てくれた彼とは最初は少しぎこちなかったものの、カーラジオから聞こえる爽やかなポップスに耳を傾けながら車窓から見える風景を眺めているうちにだんだんとリラックスしてきて、車内でも軽い会話ができるようになっていた。
 
 まだ人通りもそれほど多くない午前8時、2人は海岸沿いを並んで歩いていた。快晴の青空で、優しく顔に当たる風が、穏やかな波の音が心地よかった。
 一平はいつもの場所に繭子を連れて行きベンチに腰を下ろした。
 バックパックから大きめの水筒とランチボックスを出して隣に置くと、水筒からアイスコーヒーを持参したコップに注ぎ、繭子に手渡した。
 「こんな朝早くから付き合ってくれてどうもありがとう。朝食はまだだよね? サンドイッチを作ってきたから食べよう」
 「え、わざわざ作ってきてくれたんですか!? すみません、私、何も用意してこなくて……」
 繭子が恐縮すると一平が微笑んだ。
 「いいんだよ、俺が手ぶらで来てって言ったんだから。お腹すいたね、まずは食べようよ」
 ランチボックスを差し出されて見ると、そこには具沢山の分厚いサンドイッチが並んでいた。野菜もたっぷりで美味しそうだ。繭子は1つ取り出すと目を輝かせた。
 「…わぁ、美味しそう…! ありがとうございます。いただきます」
 ぎっしり挟まれた具をこぼさないように気を付けながら一口口に入れた。シャキシャキのレタスに分厚いトマトとハム、そしてローストビーフも入っていた。
 「美味しい! こんなリッチなサンドイッチ初めてかもしれません! とっても美味しいです!」
  繭子の様子を見ていた一平が笑った。
 「ありがとう。よかった、喜んでもらえて。作った甲斐があったよ」
 安心して、一平もサンドイッチを頬張った。

 全て食べ終え、コーヒーを飲みながら一息ついていると、一平が前を向いたまま静かに語った。  
 「……実は、この海に、亡くなった依子の遺骨を散骨したんだ。彼女の強い遺志でね。彼女は昔から海が大好きで、結婚するまでこの海が目の前に見えるマンションに住んでいたんだけど、俺と結婚してからは俺のために店の近くの俺のマンションに移ってくれたんだ。だから休日は毎週のように一緒にここで朝から夕方まで過ごしていた。依子の入院先も海の近くの病院にした。最期まで大好きな海を見られるように……」
 依子さんのご遺骨をここに……。 海が大好きだった依子さんの想いに応えて……。
 繭子は目の前に広がる青い海を静かに見つめた。
 「……彼女が亡くなったのは9月15日なんだ。それ以来、15日を定休日にして毎月ここに1人で訪れて海に花を手向けている。15日に誰かを連れてきたのは繭子さんが初めてだよ」
 ああ、そうか、だから毎月15日が定休日なのか…。そんな大事な日に私を連れてきてくれたなんて……。
 「ありがたいことに毎月この日は天気が良くて、ゆっくりと彼女と過ごすことができる。彼女に店のことや色々あったこととかを報告するんだ。それに、信じてもらえないかもしれないけど、俺が呼びかけると彼女も答えてくれるんだよ。だからしばらくの間2人でおしゃべりをするんだ。傍から見るとただ俺がじっと海を眺めているだけにしか見えないけどね」
 それを聞いて繭子は切なくなり胸が痛くなった。やっぱりまだマスターの心の中には依子さんが生き続けている。分かってはいたが自分がそこに入り込む余地はない……。
 じっと海を見ていた一平が繭子に顔を向けた。
 「今日、君をここに連れてきたのは、依子の前で俺の気持ちを話したかったから。彼女もきっと聞いているに違いない」
 そこで一旦言葉を切ってから一平は再度海に向かって言った。
 「依子、今から繭子さんに俺の気持ちを伝えるから。ちゃんと聞いていてくれよ」

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

可愛がっても美形吸血鬼には懐きません!~だからペットじゃないってば!

ミドリ
恋愛
 文明がほぼ滅び、希少種となってしまったヒト。『神の庭』があると言われるネクロポリスに向かう自称うら若き乙女・小町は、環境に対応する為に進化した亜人に襲われる。  亜人はヒトを食らう種族。食べられそうになった小町を助けてくれたのは、超絶美形の吸血鬼の亜人、シスだった。  小町の血の匂いに惹かれ、護衛を名乗り出るシス。どうしたってドキドキしてしまう小町と、小町を喋る家畜としか見ていなそうなシスの明るいドタバタ恋愛ストーリーです。 『神の庭』とは。小町の目的とは一体。そして亜人とヒトの運命や如何にーー。

粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる

春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。 幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……? 幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。 2024.03.06 イラスト:雪緒さま

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話

水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。 相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。 義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。 陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。 しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。

処理中です...