思い出は小糠雨と共に

宮里澄玲

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 翌朝、私は昨夜から浴室に広げておいた傘を見つめていた。
 
 あなたが貸してくれた傘は無地の濃紺のシンプルなものだったが、おそらく専門の職人さんの手によるものだろう、造りが丁寧でしっかりした上質な素材を使用しているのが素人の目から見ても分かった。そして驚くほど軽くて持ちやすかった。こういう傘だからきっと値も張っているに違いない。そんな傘を何の躊躇もせずに見ず知らずの私に貸してくれたのだ。
 大事に使っているのか、汚れている感じはなかったが、まさかそのまま返すわけにはいかない。
 私は事前に調べた通りの手順で傘を綺麗に洗って干しておいた。
 一晩経ち、もう表面は乾いていたので、ドライヤーを出すと、生地を傷めないように細心の注意を払いながら温風を当てて完全に乾かした。それから最後に時間をかけて丁寧に折りたたんでからタオルに包んでいつも持ち歩いている鞄の中にそっと入れた。
  
 1つの傘の中で並んで歩くあなたは私の歩調に合わせるようにゆっくりと歩いてくれた。私よりも20㎝くらい背が高く細身で男性にしては色白で、ある有名なフィギュアスケーターに雰囲気が似ていると思った。
 歩き始めるとあなたは私が濡れないようにと私の方に傘を寄せた。それではあなたが濡れてしまう、とあなたの方に戻そうとすると、僕は大丈夫です、それよりあなたが風邪をひいてしまったら大変ですから、と結局ほとんど私が傘を独占してしまう形になってしまった。
 駅に着いたらどこかで傘を買ったのだろうか、それともそのまま家まで帰ったのだろうか、逆に風邪をひいてしまっていないだろうか…。どちらにしても申し訳ない。おそらく家には何本か傘があるとは思うが、こんないい傘をいつまでも私が持っているわけにはいかない。早めに返さないと。でも、どうやって返したらいいのか。名前も連絡先も、どこに住んでいるのかも知らない。そうなると、もうあの店しかない。あそこはほぼ常連客しかこない。事情を話して店で預かっていてもらおうか…いやそれはあまりにも失礼だ。きちんと会ってお礼をしなければ。どういう仕事をしているか知らないが、あの時間にいたということは少なくとも土曜日は休みなのかもしれない。とりあえずまた来週店に行ってみよう。それに何となく気になって週間天気予報を調べてみると次の土曜日は曇りのち雨となっていた。私は雨女ではなかったが向こうが雨男ならまた会えるような気がした。

 ところが、私が店に顔を出せたのはそれから約1ヶ月後のことだった。

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