凡庸魔法使いと超越能力少女のやっかいごと以上この世の終わり未満の冒険

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第九章 トリストゥルム

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 エップネン家をはじめとする今回の誘拐事件を引き起こした学生の家は、王室、貴族議会から内々の叱責を受け、公的には不問とする代わりに大学と研究所、そしてクロウに対しどのような訴えも起こさず沈黙を守ると誓った。
 それに伴ってクロウの罪は消滅し、実験素材扱いは終了した。

 しかし、もう目立たぬ存在でいることはかなわなかった。街を歩くと貴族たちのささやきが聞こえてくるようだった。不良貴族を殺害、脅迫した紋無し。誘拐事件は公然の秘密だった。

 大図書館の職員の態度も変わった。おびえている。なぜかクロウの検索依頼は最優先となった。

「いかがですか。調子は」
 本と書類を積み上げて各国の規制条約草案を調べていると、ケストリュリュム家の紋が目の端にちらついた。大魔法使いは隣に腰を下ろした。
「こんがらかってます。戦争を自動演算しようとした呪文と魔力規制条約の関係ですが、どっちがどっちを生んだのか分かりません。記録上はどうとでも言えるんです」
「仮説を立ててみては?」
「どういう?」
「二つ立てるんです。一つ目は魔力規制条約を結ぶ計画があって自動演算呪文の開発計画が立ち上がった。二つ目は逆。で、どっちが現状をよりよく説明できますか」
 顎をなで、クロウは答えた。
「条約が先ですね。そこに呪文の計画が上乗せされたと思います。ただし、自動演算の考え方そのものは魔法の研究がはじまったと同時にあったと言えます。戦争を自動化しようなどとはしなかったでしょうが」
「妥当だと思います。とすると、自動演算を考えに入れずにとりあえず魔力を規制しようとした理由はなんでしょうか」
「大破壊を防ごうとしたのでしょう。あなたのような大魔法使いが山をひっくり返すような呪文で戦っていては勝っても負けてもなにも残らない。だから規制し、戦闘はわたしのような凡庸魔法使いにさせようとした」
 図書館員は私語をする二人を注意しようとしたが、片方はケストリュリュム家の大魔法使い、もう片方は例の男ときてはだれも声をかけられなかった。そういう空気に気づいたのか気づいていないのか、二人は声をひそめた。
「凡庸はいただけませんが、それもそうでしょう。つまり、規制条約も自動演算呪文も平和を、すくなくとも悲惨な結果をもたらす戦闘を防ごうとしたのでは? 陰謀とか権力争いではなく」
「人倫に基づいていたとおっしゃるのですか」
 大魔法使いはうなずいた。
「我々はつい陰謀があったと考えがちです。しかし、このような大きな物事は倫理的な目的のもと、立派な方々が遂行しようとしたのではないでしょうか」
 資料をめくる手を止め、クロウは相手の目を見た。
「人間性を信じていらっしゃる」
「もちろんです。時には予想外の方向にそれますが、世の大事は悪意を持っては仕上げられないものです。悪は矮小です」
「変わった考え方ですね」
「そうでしょうか。歴史を学べばそういう思想になりはしませんか。というより、あなたもそう思ってますね。クロウさん」
 ほこりとすすだらけの天井を見上げる。しみの中に魔獣がいた。
「でも、魔王は出現した。みんな傷を負いました。心と体に。倫理に基づく善意で行ったとしても結果がこうです。それにだれも責任を負わない。呪文開発に関わった家はそしらぬ顔です」
「きびしいですね」
「ええ。その意味ではケストリュリュム家も真っ白ではないでしょう」
「侮辱されるのですか」
「じゃあなぜわたしを調査役にしたんですか。後援者に都合がいい事実ばかり掘ってくるなんて真似はできません」
 大魔法使いは笑顔になった。
「あなたと出会えてよかった。どうです、場所を移しましょう。話があります」
 手を拡げる。紋が踊った。
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