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第九章 トリストゥルム

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 学生は賊に比べると覚悟が足りない。貴族の子女は紋が身を守ってくれると思っているが、その勘違いを引き剥がすと指一本抵抗しなかった。おびえた目で潜伏場所や人数を話す。川沿いの倉庫に三名だった。大戦が終わって治水事業が再開されると、街道と同じように水運も盛んになり、それに伴って急造の煉瓦造りの倉庫がいくつも並びだした。そのうちの一棟だと言う。
「そうか。俺はこれからそこに行って奴らをぶちのめす。その前におまえだ」
 世間にはさまざまな知識、教養がある。体に残さず、心にずっと傷を刻み込む方法はたくさんあり、クロウはそのいくつかを知っていた。

 ニキタに状況を知らせ、大学を出ると川に向かう。オウグルーム市の接線のように流れているルーム川。遠くからでも煉瓦造りの建物が固まって赤黒い塊に見える。街用の上品な服を着替え、いつもの古着に急所を覆う革鎧を着けたクロウは清々しい様子だった。これから命令ではなく自分の意志で戦場に向かう。それはなんだか心地よかった。

 素人どもは見張りもおいていなかった。建物にこもれば安心安全と思っているらしい。クロウは通用口ではなく、あえて搬入用大扉を引き開け、大声で呼ばわる。うす暗いうえ、荷や空き木箱がごろごろして見通しは効かない。
「なにもかも分かっている。小細工はよせ。いまトリーンを返せばすべて不問に付して終わらせてやる。返答やいかに!」
「断る。おぞましき魔王を生み出す研究開発の中止を求める!」
 返答は大声だったが、震えをごまかすためのように聞こえた。
「おまえがヨウハー・エップネンか。エップネン家は武門と聞いている。人質をとっての要求は恥ずかしくないのか」
「これは非常事態だ。二度目の魔王大戦が起きようとしている。阻止するためならなんでもする!」
「トリーンの無事を確認したい。取り引きするにしてもそれからだ」
「おまえは誰だ? 取り引きに来たのか」
 声の調子が変わった。いまごろ身元改めか。素人は考える余裕もないらしい。
「わたしはクロウ。縁あってトリーンと行動を共にしている。その子に聞いてもらえれば分かる。それと、取り引きについてだが権限は与えられていない。しかし、無事を確認すれば言い分を伝えよう」
 沈黙が続く。どこから見ているのだろう。気を消しているのか。だが奴らは陣地構築も行っていない。こういう倉庫に隠れられる場所はそうはない。

「おじさん!」
 木箱の上に二人出てきた。やせた男が肩を押さえていた。見たところ怪我はないようだった。
「返す気になったか」
 聞きながら、クロウは目で合図した。応援願う、と。
 しかし、トリーンはかすかに首を振った。驚いたが、状況の変化には即対応しなければならない。残り二人はどこにいる? 気配を探った。
「よせ。学生と言っても気ぐらい消せるぞ。わたしがヨウハー・エップネンだ。この子は頭がいい。話を分かってくれた。我らに協力するそうだ」
「クロウさん、魔王の復活は許されない。それが可能性であっても止めなくては」
「ほらな」
 勝ち誇った様子だった。
「トリーン。なにを言われたか知らんが勘違いするな。強化の超越能力はあれば便利な程度の物だ。こんな行為で研究開発は止められないぞ。そのくらいいまのおまえなら分かるな」
「規制条約がある。魔力の集中が不可能ならば、この子の能力は必須だ」
「条約なんぞその気になればどうにでもなる。歴史を見れば明らかだ。それと、研究開発速度をなめるな。呪文の単純化は進んでいる。消費する魔力も小さくなってきてる。いつまでも超越能力に頼る技術ではない」
 意識せずヨウハーの手に力がこもる。トリーンが痛がる。
「そうであっても止めねばならない。すくなくとも遅らせねば。できることをしないではいられないんだ。貴き血を持つ者の義務だ」

 雷がクロウの右足を焼いた。弱く、ズボンが焼け、肌が焦げたが立ってはいられた。ヨウハーは左を向いてよせと言うふうに手を振った。
 クロウはもう一度目で合図した。今度はトリーンもうなずいた。

「トリーンを放せ。これは交渉じゃない。俺が個人として要求してる。分かるか。貴き血のお坊ちゃん」
「痛い!」
 トリーンが叫び、肩を押さえていた手がゆるんだ瞬間、振りほどいて木箱から飛び降りる。クロウは転がるトリーンに駆け寄って抱き上げた。そのまま荷と木箱の間を縫って出口を目ざす

 両側から雷が襲うが、狙いがついていない。搬入用大扉の所でトリーンを降ろし、物陰から応援してくれるよう頼んだ。
 何発か喰らった背が焼けるようだが、こいつらは軍事訓練を受けていない。光や音で見た目は派手だがその分無駄の多い雷だった。

 クロウは振りかえると口を大きく開けた。いまだけ大魔法使いになる。

 竜の息が倉庫内をなめつくす。木箱は一瞬にして灰になり、壁の煉瓦は赤熱した。もうどこにいようがかまうものか。倉庫ごとだ。クロウは天井、壁、床と炎をゆっくり動かす。そのうちに気を感じるようになった。気を消す程度の集中もできなくなったのだろう。三人が二人、一人になり、消えた。

 終わった。外に出て数歩歩く。いつの間にかトリーンが腰に抱きついてきた。頭をなでながら、やはり自分は大魔法使いじゃないと実感した。竜の息は無茶だったな、と思う。
 視界が暗くなっていった。
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