凡庸魔法使いと超越能力少女のやっかいごと以上この世の終わり未満の冒険

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第六章 夢覺ませ

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 トリーンの左手に麦の粒が乗っている。真っ黒だ。こんなの見たことない。ふと気づくと右手にふつうの麦粒があった。左から右に水が流れるような感触があり、右手の麦も黒くなっていた。面白い。すると、いつの間にか右手の麦がふつうのに戻っている。また黒くなる。それが愉快で、なんどでもおなじように繰り返した。

 麦粒の乗った両手の向こうに複雑な文様があり、線は自分に続いていた。なんとなく繋がってると分かった。繋がってるのかしばりつけられてるのか。文様から外へは行けなかった。外は岩だらけの部屋。洞窟というのだろう。人が数人ひしめきあって口をぱくぱくしたりなにか書きとめていた。音は聞こえないが、時々書いている内容が見えた。呪術文様、トリーン、魂、残された体。

 ふと気づくと、黒い塊が浮かんでいた。縁がぼやけている。よく見ようと目を細めたら、それが大きくなって包まれた。

 真っ暗だった。身動きが取れない。やわらかいもので押さえこまれている。車輪の音がする。声を上げようとしたが出ない。

 光があふれた。まぶしくて目をぱちぱちすると笑い声がした。男の人と女の人が上から覆いかぶさるように見ている。手をのばすと女の人が抱き上げてくれた。胸元を拡げ、抱いたまま顔を近づける。香りが原初の食欲をそそったので口を開けると乳首をくわえさせられた。ほとばしる温かい安心を腹いっぱいに飲む。

 次の瞬間、また真っ暗になったかと思うと、下の方向が激しく変わり、うっすらと光の筋が見えた。手足を踏ん張ると筋が帯になり、すぐにすり抜けられそうなすき間になった。

 すき間を確かめようとすると、目の前にさっきの安心できる乳があった。顔を上げる。男の人と女の人を笑わせるのは簡単だった。床を這いまわってどちらかの後を追いかけ、目を見て口から音を出せばいい。だーだーでもうーうーでもいい。そうやって遊んでいる時の二人の幸せそうな顔はすばらしい。

 鬼。犬鬼だった。それと男の人が四人。闘っている姿が火に照らされていた。怖い。逃げなきゃ。足がもつれる。とにかく落ち着こう。隠れ場所! あの茂みがいい。

 気がつくと、さっきまでと異なり、トリーンは人形芝居を見ているように自分の行動を見ていた。演じる者が観る客になったのかな。とまどったが、それはそれですぐに慣れた。

 茂みにうずくまり、できるだけ小さくなりつつ様子をうかがっている自分がいた。かくれんぼ? いたずらをしたくなって右足のサンダルを取り上げた。なんの反応もない。つまらないので放りなげる。呪術文様の上に転がって消えてしまった。どこに行ったのだろう? まあいいや。

 熱そうだった。赤ちゃんが泣きわめいている。二人は床に転がっている。目は開いているのに見ていない。笑っていない。だれかに抱えあげられ、連れ出された。外ではみんな泣くか、わめくか、泣きわめいていた。なんでだろう? こうなった理由を知りたい。もうちょっと前を見たい。

 魔法使いの男の人が鬼に剣を向けている。顔が火に照らされた時、がんばれー! と心の中で大声を出していた。すると、鬼の上半身が吹き飛んだ。

 あっ、なに、赤ちゃん? かわいい。一緒にいるのはお父さんとお母さんかな。トリーちゃんって呼んでる。聞いているとトリーンのことだと分かった。わたしとおなじだ。いや、わたしか。赤ん坊がこっちを見た。見えるの? それともたまたま?
 赤ん坊が口を開いた。だーだー言ってる。発音できるよう応援する。ちゃんと呼んであげたら二人とも喜ぶよ。がんばれ。

 また見えるものが変わった。赤ん坊はちょっと大きくなり、たくさん話せるようになっていた。外から大声と悲鳴。両親が窓を細く開けた瞬間、炎が二人をなぎ払った。家が火に包まれる。
 足のたくさんある細長い鬼が兵士を押し倒して進んでくる。見えるかぎりの範囲に人がいなくなった広場に陣取ると、翼の生えた鬼の群れがぶよぶよした塊を運んできた。塊は紐みたいなので犬鬼をぶら下げている。なんだか憎らしくなったので空中のぶよぶよをつかむ。遠くにあるから大きいと思っていたのに手をのばすと見たままで、サンダルのように小さい。そのままこっちに持ってきてしまったが、気味悪くなったので手を振ると、さっきとおなじように文様の上に転がって消えた。

 熱い。板の割れる音がして大人たちが飛びこんできた。倒れている両親の肩をゆすって首を振った。トリーちゃんは大声で泣いた。抱えあげられる。また応援していた。逃げてー、がんばれー。

 魔法使いの男の人が、ディガン、話してくれ。この子も聞く権利はあると言った。トリーンが見ているのに気づくとほほ笑んだ。それからしてくれた話は胸にすとんと落ちた。
この世じゃだれもがだれもを利用してる。だからこそ君は自分について知るべきだと思う。いまのままじゃ君は起きた出来事に振り回されてるだけだ。それはあんまりだからな
 独りになってからわたしは自分の足で歩いてなかった。居場所を自分で作らなかった。強化の超越能力。これをどうしたらいいだろう。

 小さい女の子が独り。粗末な寝台に寝かされて天井を見ている。世話は最小限だが仕方がない。その子のような境遇は珍しくはなかった。トリーンはその子が眠るたびに心に話しかけた。
わたしとおなじ名前の女の子。あなたはとても強いのです。だって生きているから。それに力を持っています。いまは気付いていないけど、すぐに表に現れます。あなたは人を強くできます。顔を見て応援するだけ。あなたは自分が独りだって思って育ちます。それはまちがいではありませんが正しくもありません。自分について知れば自分の足で歩けます。だからこれから出会う人を大切にし、応援してあげなさい。そうすれば知るべきことが知るべき時にあなたの心に届きます
 寝顔が歪んだ。
信じて。この出会いを記念して、名前を付けてあげます。トリストゥルム 貴族の家名みたいに立派じゃないけど名乗るといいでしょう

 文様に戻ってきた。狭い洞窟。周りで記録を取る魔法使いたち。黒い麦とふつうの麦。

 そして、クロウさんがサンダルを持って立っていた。
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