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第六章 夢覺ませ
五
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クロウは収容されている宿泊所の部屋から外を見た。以前なら個室で寝起きなんて考えられなかった。だが嬉しくともなんともない。仲間と話をさせないつもりだ。開け放った窓の外にはわざと見えるように見張りが立っている。順調? と手信号をしても無反応だった。
まるで罪人じゃないか。俺がなにをしたと言うんだ? クロウはいつもの問いを自分自身に投げかけると、なにもしなかったからじゃないのか、という答えが心の奥底から返ってきた。
戦後、あちこちを流れながらその場しのぎの仕事ばかりやってきた。その中でおかしいと思うことがあっても見ないふりをしてきた。関わると損をするからだ。
今度はどうだ? またじっとしているつもりか。それが最善手なのは明らかだった。じっとしていれば風は頭の上を吹き過ぎていく。逆らうな。罪は犯していない。これは機密保持目的の幽閉だろう。なら年内には解放されると踏んでいた。自分に情報的な価値がなくなってしまえば終わる。
「久しぶりですね。かまわないのですか」
宿泊所の応接室。卓を挟んだ向こうにニキタ・エランデューアが座っている。光の具合でこげ茶の目が明るい茶に見えた。横の壁には見張りがもたれてこれ見よがしに記録を取っている。
「ええ。専属契約をしているのに話も状況確認もできないでは困りますから。ご不便はありませんか」
「まったくない。快適そのもの」
ニキタの言葉にかこつけて当てこすった。
この見張りには感情があった。顔をしかめる。
「聞かれる前に答えますね。意識は戻っていません。文様は未解明のまま。動作はしてるので実験名目で黒麦を量産してます。それと、いまは所有権だかなんだかの手続き中。山ごとローテンブレード家から王室の管理になります」
「みんなは?」
「あなたとおなじ。不満抱えて退屈。ディガンとマールはそれぞれ農地購入の計画を練ってます。直接取り引きはできなくても、わたしとマダム・マリーがいますから。ペリジーはかわいそうに落ち込んでます。勉強はわたしが仲介して課題をやってますが、職につけるかどうか」
「そっちで雇うんじゃなかったのか」
ニキタは困った顔をした。
「逮捕歴ありはね。傷とみなされます。貴族系の商会はそういうの嫌うので」
逮捕という言葉でクロウの態度が変わった。
「逮捕って、俺たちゃなにもしてない。そもそもなんで閉じ込められてんだ?」
言葉や口調に気をつける余裕がなくなってきていた。見張りが記録用紙から目を離した。
「あの呪術文様はいろいろな偶然が重なって生まれた唯一無二のものだから。超越能力者に対するあなたたちの干渉だって影響してるかもしれない。関係者はすべて押さえておくつもり。それが王室のやり方」
「それにしたってこれは罰じゃないんだろ? なら小僧の経歴は真っ白じゃないか。なにも差障りないはずじゃ」
「公式の発表では公務の妨害となっています。交通安全部特務隊に対する」
「いや、あれは民間人協力者としてだし、隊長の許しもあった」
「そのような制度はありませんし、許可の証拠はありません。ないんでしょ? 命令書とかの文書」
見張りが記録用紙を置いた。じっとクロウを見、わずかな兆候も逃さないようにしている。しかし、どうやら堪えたようだった。椅子に深く腰掛け、肘から先をきちんと卓につける。膝は直角にし、足を平行にそろえてつま先から踵まで床に置く。わざとらしい。見張りには分かった。尋問を受ける捕虜の姿勢だった。しかしこのお嬢さんには分からないはずだから、こちらへの挑発だろう。また記録用紙を取り上げ、反抗的態度について記した。
「じゃあどうすりゃいい? だれに頭下げたらいいんだ? なめろって言うならあんたの足だってなめるぜ」
「おい、よせ。無礼にもほどがある。面会は中止だ」
割って入る見張りをニキタは手を上げて止めた。
「いいんです。気にしません。お仲間を含め、経歴を真っ白にできます。取り引きしませんか」
「糞が」
見張りはじりじりしている。このお嬢さんがいなければ殴っていただろう。
「認めます。わたしは貴族で商売人です。あなたの言葉で言うなら二倍の糞です……」
クロウと見張りは若い娘の発する言葉に驚いた。ニキタは涼しい顔で続ける。
「……クロウ、わたくしの足をなめる、とおっしゃいましたね? 任務を一つ受けてくださいませんか」
黒い目が戦場で敵を見るときのように細められている。見張りはいつでも取り押さえられるように場所を移した。
「そんなに睨まないでください。鬼退治です。王室からの要請で、あの山の鬼を一掃したいとのことです。なにかと調査の邪魔だそうで。でも人手が足りません。魔法使いと優れた元兵士も加えたい。で、マダム・マリーが請け負ったのです」
「勝手にすればいい。知ったことじゃない」
ニキタはほほ笑んだ。
「最新の情報をお知らせします。あの山全体がトリーンの超越能力の影響下にあると確認されました。ただし強化されるのは一部の魔法使いだけ」
「一部?」
「魂を抜かれる前に一度でも強化された者のみです。気が合うとかどうとか言ってますが、わたしには分かりません。ただ以前の実験などで強化された者たちの大半は別の任務や仕事を抱えていてすぐこちらに来るとはいかないのです」
「俺は暇ってことか。それに実験も兼ねてるんだな」
見張りは気を緩めた。話の方向が変わってきている。いい方に。
「はっきり言ってそうです。悪い話ではないと思いますよ。それに書類もきちんと作ります」
「糞」
「またですか。それは了承と考えてよろしいですね。ありがとうございます。では」
ニキタは立ち上がると有無を言わせずにさっさと帰っていった。見張りは唖然として見送り、クロウに目を戻した。規則違反なのだが、つい声をかけてしまう。
「あんた、やられっぱなしじゃないか」
「ああ、ずっとそうだった」
まるで罪人じゃないか。俺がなにをしたと言うんだ? クロウはいつもの問いを自分自身に投げかけると、なにもしなかったからじゃないのか、という答えが心の奥底から返ってきた。
戦後、あちこちを流れながらその場しのぎの仕事ばかりやってきた。その中でおかしいと思うことがあっても見ないふりをしてきた。関わると損をするからだ。
今度はどうだ? またじっとしているつもりか。それが最善手なのは明らかだった。じっとしていれば風は頭の上を吹き過ぎていく。逆らうな。罪は犯していない。これは機密保持目的の幽閉だろう。なら年内には解放されると踏んでいた。自分に情報的な価値がなくなってしまえば終わる。
「久しぶりですね。かまわないのですか」
宿泊所の応接室。卓を挟んだ向こうにニキタ・エランデューアが座っている。光の具合でこげ茶の目が明るい茶に見えた。横の壁には見張りがもたれてこれ見よがしに記録を取っている。
「ええ。専属契約をしているのに話も状況確認もできないでは困りますから。ご不便はありませんか」
「まったくない。快適そのもの」
ニキタの言葉にかこつけて当てこすった。
この見張りには感情があった。顔をしかめる。
「聞かれる前に答えますね。意識は戻っていません。文様は未解明のまま。動作はしてるので実験名目で黒麦を量産してます。それと、いまは所有権だかなんだかの手続き中。山ごとローテンブレード家から王室の管理になります」
「みんなは?」
「あなたとおなじ。不満抱えて退屈。ディガンとマールはそれぞれ農地購入の計画を練ってます。直接取り引きはできなくても、わたしとマダム・マリーがいますから。ペリジーはかわいそうに落ち込んでます。勉強はわたしが仲介して課題をやってますが、職につけるかどうか」
「そっちで雇うんじゃなかったのか」
ニキタは困った顔をした。
「逮捕歴ありはね。傷とみなされます。貴族系の商会はそういうの嫌うので」
逮捕という言葉でクロウの態度が変わった。
「逮捕って、俺たちゃなにもしてない。そもそもなんで閉じ込められてんだ?」
言葉や口調に気をつける余裕がなくなってきていた。見張りが記録用紙から目を離した。
「あの呪術文様はいろいろな偶然が重なって生まれた唯一無二のものだから。超越能力者に対するあなたたちの干渉だって影響してるかもしれない。関係者はすべて押さえておくつもり。それが王室のやり方」
「それにしたってこれは罰じゃないんだろ? なら小僧の経歴は真っ白じゃないか。なにも差障りないはずじゃ」
「公式の発表では公務の妨害となっています。交通安全部特務隊に対する」
「いや、あれは民間人協力者としてだし、隊長の許しもあった」
「そのような制度はありませんし、許可の証拠はありません。ないんでしょ? 命令書とかの文書」
見張りが記録用紙を置いた。じっとクロウを見、わずかな兆候も逃さないようにしている。しかし、どうやら堪えたようだった。椅子に深く腰掛け、肘から先をきちんと卓につける。膝は直角にし、足を平行にそろえてつま先から踵まで床に置く。わざとらしい。見張りには分かった。尋問を受ける捕虜の姿勢だった。しかしこのお嬢さんには分からないはずだから、こちらへの挑発だろう。また記録用紙を取り上げ、反抗的態度について記した。
「じゃあどうすりゃいい? だれに頭下げたらいいんだ? なめろって言うならあんたの足だってなめるぜ」
「おい、よせ。無礼にもほどがある。面会は中止だ」
割って入る見張りをニキタは手を上げて止めた。
「いいんです。気にしません。お仲間を含め、経歴を真っ白にできます。取り引きしませんか」
「糞が」
見張りはじりじりしている。このお嬢さんがいなければ殴っていただろう。
「認めます。わたしは貴族で商売人です。あなたの言葉で言うなら二倍の糞です……」
クロウと見張りは若い娘の発する言葉に驚いた。ニキタは涼しい顔で続ける。
「……クロウ、わたくしの足をなめる、とおっしゃいましたね? 任務を一つ受けてくださいませんか」
黒い目が戦場で敵を見るときのように細められている。見張りはいつでも取り押さえられるように場所を移した。
「そんなに睨まないでください。鬼退治です。王室からの要請で、あの山の鬼を一掃したいとのことです。なにかと調査の邪魔だそうで。でも人手が足りません。魔法使いと優れた元兵士も加えたい。で、マダム・マリーが請け負ったのです」
「勝手にすればいい。知ったことじゃない」
ニキタはほほ笑んだ。
「最新の情報をお知らせします。あの山全体がトリーンの超越能力の影響下にあると確認されました。ただし強化されるのは一部の魔法使いだけ」
「一部?」
「魂を抜かれる前に一度でも強化された者のみです。気が合うとかどうとか言ってますが、わたしには分かりません。ただ以前の実験などで強化された者たちの大半は別の任務や仕事を抱えていてすぐこちらに来るとはいかないのです」
「俺は暇ってことか。それに実験も兼ねてるんだな」
見張りは気を緩めた。話の方向が変わってきている。いい方に。
「はっきり言ってそうです。悪い話ではないと思いますよ。それに書類もきちんと作ります」
「糞」
「またですか。それは了承と考えてよろしいですね。ありがとうございます。では」
ニキタは立ち上がると有無を言わせずにさっさと帰っていった。見張りは唖然として見送り、クロウに目を戻した。規則違反なのだが、つい声をかけてしまう。
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