49 / 90
第五章 鳥啼く聲す
九
しおりを挟む
久しぶりに顔を見たケラトゥスはすこしばかりやつれているようだった。頬の張りが失われている。
「連れてきた。麻痺させてある」
狭い庵の粗末な机に降ろした。乗せられそうな台はそこしかなかった。どうせ魂を抜くのだが、だからと言って物のように床に置く気にはなれなかった。
「よくやった。マルゴ」
「だれがやるんだ?」
「イクゥス‐ブレード様が一連の儀式を執り行う。手を汚すのは自分だと言ってる」
「じゃあもう」
マルゴットは言いながらせせらぎの上流の方を指した。
「準備してる。夕方には終わるだろう。この子は生活区画に入れておこう」
答えたケラトゥスの目を見ながら、マルゴットは指した手を空中でふらふらさせている。その手をケラトゥスが取った。
「いつまでも辛抱させて済まない。だが忍従の日々はもうすぐ終わる」
手を放す。
「さあ、この子を運ぼう。わたしが背負う。秘密基地は初めてだったな?」
せせらぎに沿って登っていく。秘密基地の入り口は教えてもらわなければ気付かずに通り過ぎてしまうような小穴だった。ケラトゥスはいったんトリーンを下ろし、しゃがんで先に入ってマルゴットから受け取った。
聞いてはいたが、洞窟はひどい状態だった。状態というものがあればだが。自然の穴にほとんど手を入れていない。松明があっても足元がおぼつかなかった。
突き当りの部屋に入るとほっとした。ここの床は踏みしめられる程度に平らだった。木箱を寄せて即席の台を作り、トリーンを降ろした。
「イクゥス‐ブレード様は? 呪術文様はここじゃないのか」
「別の部屋だ。隠してある。行こうか。この子はここに置いておけばいい。麻痺は解けないな?」
マルゴットはうなずいた。ケラトゥスは先に出た。その背中に触れたい。もっと顔を見合わせて話をしたい。だがこらえた。いまは辛抱の時だ。
「ケラトゥス、ご苦労だった。ああ、あなたがマルゴット・シュトローフェルド様ですね。オウルーク・イクゥス‐ブレードです。お見知りおきを」
呪術文様を背に、手や服は薬品や泥で汚れているのに、このしわだらけの老元貴族には場を押さえる重みがあった。
「マルゴットとおよび下さい。若輩者ゆえ家名は重うございます」
「謙遜ですな。今回のトリーン奪取、お見事でしたぞ」
ケラトゥスの方を見ながら言った。今回のと付け加えた意味はおぼろげに分かる。自分はこの人の失敗を取り返したのだ。
「準備はいかがですか。すぐにでも連れてきましょうか」
割り込んだ声にとげとげしさが含まれているように感じたが、気のせいだろうか。
「まずい。予想以上に損傷している。ひびが拡がったらしい。入ってくる雨水が増えた」
書き付けを渡した。
「この薬品が必要だ。洗い流されてしまったか、薄まりすぎた。儀式は執り行えるが、失敗の可能性が大きくなる」
「ちょっとお時間を頂きますよ」
「だめだ。トリーン追跡はもう始まってるだろう。奴らだってばかじゃない。これまでの経緯からしてわたしの庵は疑わしい場所の第一候補になってるはずだ。三日以内だ。時間は金で買え」
「は。すぐに」
呪術文様の部屋を出ていく前にマルゴットの顔を見る。
「マルゴ、トリーンの世話を頼む。三日くらいなら麻痺させたままでいいが、水は与えてくれ」
「ではマルゴットさん。わたしは作業を続けます。先ほどケラトゥスが言ったとおり、世話はお願いします」
背を向けて呪術文様の上に這いつくばった。もう出て行けと言うことだった。マルゴットはその通りにした。
「連れてきた。麻痺させてある」
狭い庵の粗末な机に降ろした。乗せられそうな台はそこしかなかった。どうせ魂を抜くのだが、だからと言って物のように床に置く気にはなれなかった。
「よくやった。マルゴ」
「だれがやるんだ?」
「イクゥス‐ブレード様が一連の儀式を執り行う。手を汚すのは自分だと言ってる」
「じゃあもう」
マルゴットは言いながらせせらぎの上流の方を指した。
「準備してる。夕方には終わるだろう。この子は生活区画に入れておこう」
答えたケラトゥスの目を見ながら、マルゴットは指した手を空中でふらふらさせている。その手をケラトゥスが取った。
「いつまでも辛抱させて済まない。だが忍従の日々はもうすぐ終わる」
手を放す。
「さあ、この子を運ぼう。わたしが背負う。秘密基地は初めてだったな?」
せせらぎに沿って登っていく。秘密基地の入り口は教えてもらわなければ気付かずに通り過ぎてしまうような小穴だった。ケラトゥスはいったんトリーンを下ろし、しゃがんで先に入ってマルゴットから受け取った。
聞いてはいたが、洞窟はひどい状態だった。状態というものがあればだが。自然の穴にほとんど手を入れていない。松明があっても足元がおぼつかなかった。
突き当りの部屋に入るとほっとした。ここの床は踏みしめられる程度に平らだった。木箱を寄せて即席の台を作り、トリーンを降ろした。
「イクゥス‐ブレード様は? 呪術文様はここじゃないのか」
「別の部屋だ。隠してある。行こうか。この子はここに置いておけばいい。麻痺は解けないな?」
マルゴットはうなずいた。ケラトゥスは先に出た。その背中に触れたい。もっと顔を見合わせて話をしたい。だがこらえた。いまは辛抱の時だ。
「ケラトゥス、ご苦労だった。ああ、あなたがマルゴット・シュトローフェルド様ですね。オウルーク・イクゥス‐ブレードです。お見知りおきを」
呪術文様を背に、手や服は薬品や泥で汚れているのに、このしわだらけの老元貴族には場を押さえる重みがあった。
「マルゴットとおよび下さい。若輩者ゆえ家名は重うございます」
「謙遜ですな。今回のトリーン奪取、お見事でしたぞ」
ケラトゥスの方を見ながら言った。今回のと付け加えた意味はおぼろげに分かる。自分はこの人の失敗を取り返したのだ。
「準備はいかがですか。すぐにでも連れてきましょうか」
割り込んだ声にとげとげしさが含まれているように感じたが、気のせいだろうか。
「まずい。予想以上に損傷している。ひびが拡がったらしい。入ってくる雨水が増えた」
書き付けを渡した。
「この薬品が必要だ。洗い流されてしまったか、薄まりすぎた。儀式は執り行えるが、失敗の可能性が大きくなる」
「ちょっとお時間を頂きますよ」
「だめだ。トリーン追跡はもう始まってるだろう。奴らだってばかじゃない。これまでの経緯からしてわたしの庵は疑わしい場所の第一候補になってるはずだ。三日以内だ。時間は金で買え」
「は。すぐに」
呪術文様の部屋を出ていく前にマルゴットの顔を見る。
「マルゴ、トリーンの世話を頼む。三日くらいなら麻痺させたままでいいが、水は与えてくれ」
「ではマルゴットさん。わたしは作業を続けます。先ほどケラトゥスが言ったとおり、世話はお願いします」
背を向けて呪術文様の上に這いつくばった。もう出て行けと言うことだった。マルゴットはその通りにした。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説


結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる