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第五章 鳥啼く聲す
六
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「こういう話がある」
オウルーク山の峠を越えたところで夕食後、まだ燃え残っている火を見ながら、マルゴット・シュトローフェルドは小さな声で語り始めた。トリーンは炎を目に宿してじっと聞いている。まわりには兵士たちが散らばり、もう寝ている者もいた。
むかしむかしのおおむかし。月と日がまだけんかせず、なかよくいっしょに空にいたくらいむかしのおはなし。
女神トウィスティスがこの世をみまわすと、善と悪のてんびんが善のほうにかたむいているのが分かりました。みんなが良いことをなそうとし、悪を『ぜったいに』許さないぞとわめいています。
「ちょっと休んでいるとこれだ。てんびんはすぐどっちかにかたむいてしまう。トリストゥルム、ご苦労だがまたひとっ飛びお願いするよ。てんびんのつり合いをとっておくれ」
トリストゥルムは女神の胸の穴から一声鳴くと飛び立ちました。大きな翼が三の三の三倍の山、九の九の九倍の川を覆い隠し、人々は夜になったと思いました。
そのままトリストゥルムはこの世の果てのお城まで飛んでいき、一番高い塔の窓から中をのぞきこみました。部屋は天井、壁、床を花で飾られています。その真ん中で姿はまったくおなじ白い人と黒い人が、闘将と言う盤の上で駒を動かす遊びをしていました。
トリストゥルムは思いました。なるほど、どっちかが善でどっちかが悪だな。で、どっちかが一方的に勝ちすぎているのでてんびんのつり合いが取れてないんだ。さて、困ったぞ。どっちがどっちなんて見分けつかないし、闘将の遊び方も知らない。これじゃあどっちに手を貸したらいいか、どっちにいやがらせしたらいいか分からないじゃないか。
その時、トリストゥルムの脚をいも虫が横切ろうとしました。くちばしではさんで食べようとすると、いも虫は言いました。
「助けてください。助けてください。わたしはお役に立ちますよ」
「なんだと? おまえのようなちっぽけでみにくいいも虫がなんの役に立つのだ」
「あなたの困りごとをひとつ片づけてさし上げます。そうしたら見のがしてください」
「よし、ならこれはどうだ」
トリストゥルムは善悪のてんびんのつり合いのこと、あそこの白と黒の見分けのつかない人のこと、闘将の勝ち負けの具合が分からないと話しました。いも虫はぜんぶ聞くと言いました。
「なぜ区別しなきゃならないんです? 勝負させなきゃいいんでしょ。白い人も黒い人もその大きな翼で吹き飛ばし、闘将盤はひっくり返してしまえばいいじゃありませんか」
トリストゥルムはいも虫の言ったことをすこし考えました。そして塔のそばに浮かぶと、大きな翼で窓からとてつもない風を送りこみました。白い人も黒い人もこの世の向こう端まで吹き飛ばされ、闘将盤は壁に当たってひっくり返り、駒はもとにもどせないほどあちこちに散らばりました。
「いも虫よ。おまえはなかなか役に立った。だから食べないだけでなく褒美をやろう」
くちばしで部屋の中の一番きれいな花をつまむと、いも虫に食べさせました。するとどうでしょう。あっというまに美しい蝶になったではありませんか。元いも虫の蝶は喜んで飛んでいきました。後の世で、その美しさゆえに蝶は人々に追い回されるのですが、それはまた別の話です。
トリストゥルムは女神の胸の穴に帰り、ゆっくりと休んだのでした。
「これでおしまい」
「どういう意味のお話なの?」
「むずかしいな。お話の意味は一つだけじゃないし、これって決められるようなものでもないんだ。でもこのお話は善と悪の見分けはつくものじゃないって言ってるね」
トリーンは首を傾げる。
「そうなの? 良いことと悪いことって分かるよ。傷つけたり、盗んだりは悪いことに決まってる」
マルゴットは消えかけている火を見たが、もう枝は足さないでおこうと思った。
「決まってる? じゃあ魔王大戦で敵を倒したのは悪いことかな。いっぱい傷つけたよ」
「それは……、攻めてきたんだからしょうがないよ」
「うん。しょうがないね。で、それはしょうがない善かな、しょうがない悪かな」
二人の目のなかの炎が小さくなっていき、赤みの強い橙色の点になった。
「もうお休み。考えるのは日が昇ってからにするといい」
毛布を巻き付けてやった。小さい体が繭にくるまれたようになると、トリーンは目を閉じた。マルゴットはささやくような声で呪文を唱えていた。
真夜中、柄頭で石を打つ音が響き、兵たちは戦闘態勢を取った。隊列の右前方から五匹接近中。犬鬼三に蜘蛛鬼二。強弓の距離。祠は機能を失っている。原因不明。
火が起こされ、剣が構えられ、魔法使いは手に霊力を込め、火や氷や雷を撃ちだす準備を整えたが、なにかしっくりこない感じがしていた。
そう言えば合図したのはだれだ? なんで祠が? 次の報告は? 俺がもういっぺん探ってみる。
しかし、遅かった。左後方から鬼どもが飛びだしてきた。部隊は混乱し、初動において致命的な遅れを取った。先手を取られ乱戦となり、戦闘魔法は決め手を欠いた。撃とうにも味方を避けられない。
混乱の中、隊長に駆け寄って叫ぶ者がいた。
「シュトローフェルドです! トリーンを避難させます。隊を離れます!」
「許可する! 命令遅れて済まない。頼む!」
マルゴットは毛布にくるまれてだらんとしているトリーンを背負うと、街道をはずれて森の中に走りこんだ。
オウルーク山の峠を越えたところで夕食後、まだ燃え残っている火を見ながら、マルゴット・シュトローフェルドは小さな声で語り始めた。トリーンは炎を目に宿してじっと聞いている。まわりには兵士たちが散らばり、もう寝ている者もいた。
むかしむかしのおおむかし。月と日がまだけんかせず、なかよくいっしょに空にいたくらいむかしのおはなし。
女神トウィスティスがこの世をみまわすと、善と悪のてんびんが善のほうにかたむいているのが分かりました。みんなが良いことをなそうとし、悪を『ぜったいに』許さないぞとわめいています。
「ちょっと休んでいるとこれだ。てんびんはすぐどっちかにかたむいてしまう。トリストゥルム、ご苦労だがまたひとっ飛びお願いするよ。てんびんのつり合いをとっておくれ」
トリストゥルムは女神の胸の穴から一声鳴くと飛び立ちました。大きな翼が三の三の三倍の山、九の九の九倍の川を覆い隠し、人々は夜になったと思いました。
そのままトリストゥルムはこの世の果てのお城まで飛んでいき、一番高い塔の窓から中をのぞきこみました。部屋は天井、壁、床を花で飾られています。その真ん中で姿はまったくおなじ白い人と黒い人が、闘将と言う盤の上で駒を動かす遊びをしていました。
トリストゥルムは思いました。なるほど、どっちかが善でどっちかが悪だな。で、どっちかが一方的に勝ちすぎているのでてんびんのつり合いが取れてないんだ。さて、困ったぞ。どっちがどっちなんて見分けつかないし、闘将の遊び方も知らない。これじゃあどっちに手を貸したらいいか、どっちにいやがらせしたらいいか分からないじゃないか。
その時、トリストゥルムの脚をいも虫が横切ろうとしました。くちばしではさんで食べようとすると、いも虫は言いました。
「助けてください。助けてください。わたしはお役に立ちますよ」
「なんだと? おまえのようなちっぽけでみにくいいも虫がなんの役に立つのだ」
「あなたの困りごとをひとつ片づけてさし上げます。そうしたら見のがしてください」
「よし、ならこれはどうだ」
トリストゥルムは善悪のてんびんのつり合いのこと、あそこの白と黒の見分けのつかない人のこと、闘将の勝ち負けの具合が分からないと話しました。いも虫はぜんぶ聞くと言いました。
「なぜ区別しなきゃならないんです? 勝負させなきゃいいんでしょ。白い人も黒い人もその大きな翼で吹き飛ばし、闘将盤はひっくり返してしまえばいいじゃありませんか」
トリストゥルムはいも虫の言ったことをすこし考えました。そして塔のそばに浮かぶと、大きな翼で窓からとてつもない風を送りこみました。白い人も黒い人もこの世の向こう端まで吹き飛ばされ、闘将盤は壁に当たってひっくり返り、駒はもとにもどせないほどあちこちに散らばりました。
「いも虫よ。おまえはなかなか役に立った。だから食べないだけでなく褒美をやろう」
くちばしで部屋の中の一番きれいな花をつまむと、いも虫に食べさせました。するとどうでしょう。あっというまに美しい蝶になったではありませんか。元いも虫の蝶は喜んで飛んでいきました。後の世で、その美しさゆえに蝶は人々に追い回されるのですが、それはまた別の話です。
トリストゥルムは女神の胸の穴に帰り、ゆっくりと休んだのでした。
「これでおしまい」
「どういう意味のお話なの?」
「むずかしいな。お話の意味は一つだけじゃないし、これって決められるようなものでもないんだ。でもこのお話は善と悪の見分けはつくものじゃないって言ってるね」
トリーンは首を傾げる。
「そうなの? 良いことと悪いことって分かるよ。傷つけたり、盗んだりは悪いことに決まってる」
マルゴットは消えかけている火を見たが、もう枝は足さないでおこうと思った。
「決まってる? じゃあ魔王大戦で敵を倒したのは悪いことかな。いっぱい傷つけたよ」
「それは……、攻めてきたんだからしょうがないよ」
「うん。しょうがないね。で、それはしょうがない善かな、しょうがない悪かな」
二人の目のなかの炎が小さくなっていき、赤みの強い橙色の点になった。
「もうお休み。考えるのは日が昇ってからにするといい」
毛布を巻き付けてやった。小さい体が繭にくるまれたようになると、トリーンは目を閉じた。マルゴットはささやくような声で呪文を唱えていた。
真夜中、柄頭で石を打つ音が響き、兵たちは戦闘態勢を取った。隊列の右前方から五匹接近中。犬鬼三に蜘蛛鬼二。強弓の距離。祠は機能を失っている。原因不明。
火が起こされ、剣が構えられ、魔法使いは手に霊力を込め、火や氷や雷を撃ちだす準備を整えたが、なにかしっくりこない感じがしていた。
そう言えば合図したのはだれだ? なんで祠が? 次の報告は? 俺がもういっぺん探ってみる。
しかし、遅かった。左後方から鬼どもが飛びだしてきた。部隊は混乱し、初動において致命的な遅れを取った。先手を取られ乱戦となり、戦闘魔法は決め手を欠いた。撃とうにも味方を避けられない。
混乱の中、隊長に駆け寄って叫ぶ者がいた。
「シュトローフェルドです! トリーンを避難させます。隊を離れます!」
「許可する! 命令遅れて済まない。頼む!」
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