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第四章 錆色に染まる道
九
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夕焼けが街道を赤く染めている。クロウの背後では横倒しになった荷馬車の車輪がごくゆっくりと回っている。馬は頭を糸で覆われ、足を天に向けたまま動かない。
「クロウ、蜘蛛をなんとかしろ!」
マールの声が響く。街道の向こう端でうずくまったまま動かないペリジーをかばっており、ディガンと一緒に犬鬼の攻撃を防いでいた。
クロウの正面には蜘蛛鬼が一匹、残った六本の脚でなんとか立っていた。動きが鈍くなったうえ、さらに火球二発で糸いぼを焼いたのでもう搦めとられる心配はないが、これであと一発だ。
蜘蛛鬼は猪のように太った胴体に鬼の頭がついている。顔だけは人のようで薄気味が悪い。胴は甲殻で覆われているので、小さい頭を焼き潰したい。
そいつは後ろ四本に体重をかけ、前側の脚を振り回している。あの爪に引っかけられたらペリジーのように吹っ飛ばされる。クロウは自分自身を囮にし、蜘蛛鬼が犬鬼に加勢しないよう挑発していた。
それにしても、と折れた三脚と焼かれた祠の残骸を横目で見る。あれは意図的な破壊だ。賊だろう。祠を壊し、荷馬車を鬼に襲わせ、後から荷を盗んでいくつもりだ。気長ではあるが、自分たちは安全でいられる。
爪が胸をかすめ、服を引き裂いた。もういけない。かなり疲れてきてよけきれていない。ディガンたちも苦戦していた。犬鬼は片腕をぶらぶらさせているが、かれらもペリジーをかばいながらでは決め手に欠けている。なんでもいい、撃つ隙をくれ。
よけきれない! 腕をかすめた。焼けるような感じ。見なくても出血が分かった。こんなことを続けてもこっちが消耗して不利になるだけだ。クロウは腹を決めた。
こぼれて散らばった荷物からなにか重そうなものをつかむ。皿だった。片手に霊火を込め、もう片手で蜘蛛鬼の顔に向かって投げると飛び出した。
皿がはねのけられ、脚が開いたところに潜りこむ。生臭い息がかかる。手を脂ぎった眉間に押しつけ、火球を撃った。背中に刺さる爪を感じた。
いや、刺さりきっていない。肉の焦げる臭いがし、胴体が地についた。脚が徐々に力を失っていく。クロウは自分を抱くようになったまま動きを止めた脚を押しのけ、短剣をかまえてディガンたちの方に走った。
マールがこっちを見て頼むと言うようにうなずく。クロウはいつかのペリジーのように犬鬼の後ろに回り込むと足の腱を切ったが、その瞬間振り回された腕に当たって吹っ飛ばされた。地面とはなんと固いのだろう。鼻と耳のあたりが生暖かい。薄れる意識を必死につなぎ止める。ここは戦場だ。闘いは終わっちゃいない。
頭を振り、ぼやける視界がはっきりした時、ディガンが膝をついた犬鬼の目をえぐっているのが見えた。
みんな赤いのは夕焼けのせいだろうか。
闘いは終わったが、ここにいてはいけない。生きている祠まで逃げなければならない。荷馬車はほうっておく。一番けがの少ないマールがペリジーを背負い、クロウとディガンは肩を貸しあってよろけながら歩いた。
日が沈みきり、満月と星が灯りの役を交替した頃、ようやく作動している祠が見えてきた。ペリジーをのぞいてみんなほっとする。三脚の真下に座りこんだ。
「小僧は?」
「良くない。朦朧としてる。目に来てるし、しゃべれない。大砲、おまえもひどいぞ。耳から出てるの、血だけじゃなくて汁っぽい」
「いまはどうしようもない。背嚢にいつもの血止めと痛み止めがある。使ってくれ。隊長はどうだ? 調子は?」
ディガンは無理に笑って首を振る。腰から下が血まみれだった。服をめくって止血する。
「こんなところに賊が来たらおしまいだな」
マールが苦しそうに話す。話していなければ気がくじけそうなのだろう。それはクロウもおなじだった。
「五発ある。なんとかなる。あきらめるな」
「気は分かるのか」
「すまん。頭を打ったせいか焦点を絞り切れない。感じてもなんの気だか」
「とにかくここでだれかが通りかかるのを待とう。主街道だ。なんとかなる。それか元気な奴が歩いて行ってもいい」
「分かったが、考えるのは日が昇ってからにしよう」
ディガンとペリジーを楽な姿勢で寝かせてやり、二人は背中合わせに座った。互いに相手の体温が伝わってくる。
「なあ、まだ話いいか」
話していないと不安なのだろう。マールにしては弱気だなと思ったが、自分もおなじだった。
「俺はいいが、無理するなよ、おやじ」
「けがはおまえの方がひどいだろ。で、辞めるのか」
答えようとしたクロウは咳き込んだ。
「おい、大丈夫か。もう話さなくていい。休め」
「いや、ちょっと血の塊が引っかかっただけ。もう取れた。なに? 辞めるかって? そうだな、潮時だ。よそへ行ってみたい」
「よそ?」
「中央とかいいな。ここからならそれほど遠くないし」
「なにしに?」
間があいた。言葉を選んでいるようだった。
「見たい。王族や貴族連中を」
クロウの口調は真剣だった。マールが黙っていると、後を続けた。
「魔王大戦をな、起こした奴ら、どんな面してどんな城に住んでやがるんだろうって」
「大砲さんよ。気持ちは分かるが、まあ落ち着け。そうだ、おまえは一つ所に腰を据えるのがいい。畑でも買え。もう終わったんだ。引きずるな」
咳が聞こえた。ディガンだった。背を向けている。
「おまえら、うるさい。もう寝ろ」
「クロウ、蜘蛛をなんとかしろ!」
マールの声が響く。街道の向こう端でうずくまったまま動かないペリジーをかばっており、ディガンと一緒に犬鬼の攻撃を防いでいた。
クロウの正面には蜘蛛鬼が一匹、残った六本の脚でなんとか立っていた。動きが鈍くなったうえ、さらに火球二発で糸いぼを焼いたのでもう搦めとられる心配はないが、これであと一発だ。
蜘蛛鬼は猪のように太った胴体に鬼の頭がついている。顔だけは人のようで薄気味が悪い。胴は甲殻で覆われているので、小さい頭を焼き潰したい。
そいつは後ろ四本に体重をかけ、前側の脚を振り回している。あの爪に引っかけられたらペリジーのように吹っ飛ばされる。クロウは自分自身を囮にし、蜘蛛鬼が犬鬼に加勢しないよう挑発していた。
それにしても、と折れた三脚と焼かれた祠の残骸を横目で見る。あれは意図的な破壊だ。賊だろう。祠を壊し、荷馬車を鬼に襲わせ、後から荷を盗んでいくつもりだ。気長ではあるが、自分たちは安全でいられる。
爪が胸をかすめ、服を引き裂いた。もういけない。かなり疲れてきてよけきれていない。ディガンたちも苦戦していた。犬鬼は片腕をぶらぶらさせているが、かれらもペリジーをかばいながらでは決め手に欠けている。なんでもいい、撃つ隙をくれ。
よけきれない! 腕をかすめた。焼けるような感じ。見なくても出血が分かった。こんなことを続けてもこっちが消耗して不利になるだけだ。クロウは腹を決めた。
こぼれて散らばった荷物からなにか重そうなものをつかむ。皿だった。片手に霊火を込め、もう片手で蜘蛛鬼の顔に向かって投げると飛び出した。
皿がはねのけられ、脚が開いたところに潜りこむ。生臭い息がかかる。手を脂ぎった眉間に押しつけ、火球を撃った。背中に刺さる爪を感じた。
いや、刺さりきっていない。肉の焦げる臭いがし、胴体が地についた。脚が徐々に力を失っていく。クロウは自分を抱くようになったまま動きを止めた脚を押しのけ、短剣をかまえてディガンたちの方に走った。
マールがこっちを見て頼むと言うようにうなずく。クロウはいつかのペリジーのように犬鬼の後ろに回り込むと足の腱を切ったが、その瞬間振り回された腕に当たって吹っ飛ばされた。地面とはなんと固いのだろう。鼻と耳のあたりが生暖かい。薄れる意識を必死につなぎ止める。ここは戦場だ。闘いは終わっちゃいない。
頭を振り、ぼやける視界がはっきりした時、ディガンが膝をついた犬鬼の目をえぐっているのが見えた。
みんな赤いのは夕焼けのせいだろうか。
闘いは終わったが、ここにいてはいけない。生きている祠まで逃げなければならない。荷馬車はほうっておく。一番けがの少ないマールがペリジーを背負い、クロウとディガンは肩を貸しあってよろけながら歩いた。
日が沈みきり、満月と星が灯りの役を交替した頃、ようやく作動している祠が見えてきた。ペリジーをのぞいてみんなほっとする。三脚の真下に座りこんだ。
「小僧は?」
「良くない。朦朧としてる。目に来てるし、しゃべれない。大砲、おまえもひどいぞ。耳から出てるの、血だけじゃなくて汁っぽい」
「いまはどうしようもない。背嚢にいつもの血止めと痛み止めがある。使ってくれ。隊長はどうだ? 調子は?」
ディガンは無理に笑って首を振る。腰から下が血まみれだった。服をめくって止血する。
「こんなところに賊が来たらおしまいだな」
マールが苦しそうに話す。話していなければ気がくじけそうなのだろう。それはクロウもおなじだった。
「五発ある。なんとかなる。あきらめるな」
「気は分かるのか」
「すまん。頭を打ったせいか焦点を絞り切れない。感じてもなんの気だか」
「とにかくここでだれかが通りかかるのを待とう。主街道だ。なんとかなる。それか元気な奴が歩いて行ってもいい」
「分かったが、考えるのは日が昇ってからにしよう」
ディガンとペリジーを楽な姿勢で寝かせてやり、二人は背中合わせに座った。互いに相手の体温が伝わってくる。
「なあ、まだ話いいか」
話していないと不安なのだろう。マールにしては弱気だなと思ったが、自分もおなじだった。
「俺はいいが、無理するなよ、おやじ」
「けがはおまえの方がひどいだろ。で、辞めるのか」
答えようとしたクロウは咳き込んだ。
「おい、大丈夫か。もう話さなくていい。休め」
「いや、ちょっと血の塊が引っかかっただけ。もう取れた。なに? 辞めるかって? そうだな、潮時だ。よそへ行ってみたい」
「よそ?」
「中央とかいいな。ここからならそれほど遠くないし」
「なにしに?」
間があいた。言葉を選んでいるようだった。
「見たい。王族や貴族連中を」
クロウの口調は真剣だった。マールが黙っていると、後を続けた。
「魔王大戦をな、起こした奴ら、どんな面してどんな城に住んでやがるんだろうって」
「大砲さんよ。気持ちは分かるが、まあ落ち着け。そうだ、おまえは一つ所に腰を据えるのがいい。畑でも買え。もう終わったんだ。引きずるな」
咳が聞こえた。ディガンだった。背を向けている。
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