19 / 29
十九、帰心矢の如し、飾るほどの錦なけれど
しおりを挟む
全員救出され、山瀬の厳重な警備のもと、恵子の館に帰った。負傷者はやつらに回収させ、島倉は縛り上げた姿のまま引き渡した。後がどうなろうと知ったことではないし、党との今後の関係は丹下九郎がどうでるかを見極めてから、ということになった。
「どうなってもこちらの不利にはならないですが」と恵子はもういろいろと計算をしているようだった。あのような連中が周辺にいながら取り締まらなかった寺にも圧力をかけるつもりらしい。この事件をきっかけにして僧侶への影響力を強めるという。
「これは容喙なれど、寺は火傷の恐れがありますぞ」
「わかっています。戸善殿のご心配ごもっとも。気をつけます」
二人は夕食後、ほどよく暖められた応接間で話をしていた。恵子が誘ったのだった。一日ずれたおかげもあって駅伝の手配は滞りなく済んだことと、許可証の写しを渡され、乗り継ぎなど旅について説明された。
それが一通り終わり、きょうの事件から今後の展望に話が移ったのだった。
「雷蔵様のことですが」
「こちらも心配か」恵子はため息をついた。かなりくつろいだ格好をしている。異国の浴衣、なのだろうか、淡い色の薄めの生地に蝶と花が刺繍されていた。「あそこまでずさんな計画だとは思ってもいませんでした。それに乗った弟には失望させられました」眉をひそめる。
戸善はうなずいていう。「わたしのような仕事ですと、陰謀というものはよく練り上げられた深いものと考えがちですが、島倉秀則のような者もいるということ、かえって勉強になりました。雷蔵様は気の迷いか、心の隙につけいられたのでしょう」
貸してもらった異国の浴衣は上質で、このような着心地は経験がなかった。実在するのか伝説なのかわからない鮮やかな鳥が刺繍されている。
「そういっていただけるのはありがたいのですが、結局これで弟は終わりました。子もいないですし。大牧家はわたし一人で背負っていかないといけません」きびしいが、どこかさびしげなところも含まれた顔をする。
「気楽なことをいう、とおしかりを受けそうですが、恵子様は上に立てるおかたです。十分お強いうえ、常に現実を見据えておられます」
「ありがとう。不思議なものですね。最近知り合ったばかりの、そのうえ外国人なのに、あなたにそういっていただけると心強い」表情がゆるんだ。
恵子は遠慮する戸善を制して茶を淹れた。「こちらもお試しください。お口にあいますかどうか」
外国の赤みを帯びた強い香りの茶と、かかおという豆から作ったという濃い茶色の甘い菓子だった。はじめての味で、人に話そうにもなににたとえればいいのかわからなかった。「これは、変わっていますね。溶けていく。甘くて香りが鼻に抜けていきます。おいしい」
恵子は口に手を当てて笑った。「殿方が茶と菓子でそのようなお顔になるなんて」
戸善は赤くなり、それがまた恵子を喜ばせた。
「ご帰国されたらなにをなさるのですか」ひとしきり笑い、くだけた雰囲気になった。恵子が茶のお代わりを淹れながら聞いてきた。
「いや、困りました。あまり考えたくありません」茶を一口飲み、口中をさっぱりさせた。忘れられない味の菓子だった。
「それはまた、どういう?」
「なんといっても任務に失敗したわけです。どういう報告書にするか、頭をひねっています」
「それはすみませんでした。どうやらわたしがですぎたまねをしたようですね。今回の件の解決を目指すあまり、あなたのご身分を千草様にも共有しておいたほうが良いと判断したのです。急ぎのあまり事前の相談もせず、それがあなたにもたらす影響についてはすっかり……」
「やむを得ません。さきほど申しましたが、恵子様が上に立てるおかたというのはそこです。情ではなく、知で判断される。だからこそ壁龕に千草様をひそませるという芝居がかった方法をとられた。あのようにされては取り繕えません。冒険に加わる道しかなくなりました」
「それはほめていただいたのですか。わたしには情はございませんか」唇をとがらせた。
「いいえ、そういう意味では。困りましたね。どうもご無礼をしてしまったようですが、お詫び申し上げます」
こんどはほほ笑んだ。どうしたのだろう? 今夜は表情がくるくると変わる。
「お気になさらないで。ちょっと絡んでみたくなっただけですから」
そろそろ、と戸善は思う。明日を考えるのであれば話を切り上げ、就寝の挨拶をすべきだろう。
だが、なぜかそのかんたんなことができない。このたわいない話をつづけていたい。
「さてさて、そのご報告についてですが、こたびは戸善殿にはひとかたならぬお世話になりました。その旨一筆お書きしますのでお持ちください。さすればお叱りもございませんでしょう」
「しかし、それでは……。わたくしごとき者のために大牧家当主のお手を煩わせましては申し訳がございません」
「いいえ。千草様にも同様の書状をお渡しするつもりです。月城国との友好のために、まずはわれら三家が関係を深めていければと考えております」
「わかりました。ではその書状を携えて帰国いたします。また、恵子様のお言葉は上司のみならず、父にも伝えます」
「それともうひとつ」戸善は一呼吸分間をおいていう。「わたくし個人としても大牧家および穂高国との友好関係の発展を望んでおります」
「これはうれしく、またたのもしいお言葉です。御礼申し上げます」
風の音がする。夜がふけるとともに強くなってきたようだった。
恵子は目を伏せ、また戸善を見て口を開く。
「戸善殿」
「はい」
「ご無礼かと存じますが、今後、あなた様個人に文を差し上げてもお差し支えないでしょうか」
「それは、どのような……?」
「ご迷惑でしょうか」
「いいえ、もとよりわたしの身分では障りなどございませぬが、よろしいのでしょうか。御木本は大家ではなく、そのうえわたしは末子です。そのような者に文を通じられるとは、なにか不都合が生じませぬか」
恵子は下を向いてしまう。
「ああ、不思議なおかたですね。近づけたと思ったら遠くなる。いったい戸善殿はどこにいらっしゃるのでしょう」
「礼を失しまして深くおわび申し上げます」ほかに言い様を知らなかった。このようなご婦人にはどう返事をすればいいのだろうか。
「人は、歯車仕掛けではないのです。わたしもです。戸善殿、おわかりになりませぬか」
「あなたは、母上のようだ」考えもせずに言葉が口からこぼれた。
見開かれた目が戸善を貫いた。
その目で投げかけられた、言葉にされない問いに答える。
「母上は、わたしが学校を卒業する前に亡くなりました。しかし、母上がいたからこそ、武人の家に生まれながら、忍びの道を選んだのです」
恵子はただうなずいている。口をはさもうとはしない。
「幼い時から、口癖のように『自らを信ずる念を持て』と教えられました。そのためには学問にはげめといわれ、実家から持参した本を与えてくれました」
目が灯りできらめいている。続きをうながされているようだった。
「母上の死後、争いをなくすべく国と国との関係を研究し、外交を学ぶにつれ、情報収集の重要さに気づかされたのです。父上や兄上たちはいい顔をしませんでした。諜報に良い印象がなかったのです。面と向かって説教されたこともあります。そういう時、常に母上の顔と言葉を思い出して反論していました」
風がどこかの隙間を通っているのか、虎落笛のような高い音がしていた。
「恵子様はこれまでは広大な直轄地を経営され、これからは大牧家そのものを支配されます。常の人にはおよばぬほどの強い念が必要ですが、すでにお持ちとお見受けしました。その強さがわたしの若い記憶の母上をよみがえらせたのです。ゆえに尊び、かつ敬い申し上げます」
すこし言葉を切る。
「それと、文についてですが、もちろん楽しみにお待ちいたします」
恵子はじっと戸善の顔を見ている。
「戸善殿のご心底、すっかりおうかがいいたしました。では、立派な御母堂にはおよばずとも、わたくしなりの想いを文にいたしましょう」
風がやみ、茶と菓子もなくなり、ふたりの時間は尽きた。たがいに就寝の挨拶をして応接室を出た。
「遅かったですね」千草が自分の部屋の前に立っていた。
「これは、まだお休みではございませんでしたか」急に現実に引きもどされてとまどう。
「なにをなさっておられたのですか」
「明日からの駅伝について、許可証などの書類の改めと馬の引継ぎの要領を確認しておりました」
「そうでしたか。明日からよろしくたのみます。早馬の心得がなく、ご迷惑をおかけします」
「いいえ。では、お休みなさいませ」
自室に入る寸前、背中から声をかけられた。
「異国の服も似合っておられます」
翌朝、空は澄み切っていた。冬の快晴。歩くたびに霜柱のくだける音がする。馬の鼻息がゆっくり流れていた。
「山瀬殿。おはようございます。先導よろしくお願いいたします」
「おまかせを。さ、お早う願います。各駅で刻限を合わせているはずですので」
旅装を整えた千草が挨拶を終え、鞍にまたがった。戸善もおなじく頭をさげ、うしろにまたがる。
恵子は通常の着物に帯刀して見送りに立っていた。周囲の空気より張り詰め、支配者としての力がみなぎっていた。「おふたりのご協力、感謝いたします。またお会いしましょう」
「では、まいりましょう」山瀬が合図した。
馬は戦闘速度までは出さないが、かなりの高速で街道を駆けていく。先導がときおり人払いする声がうしろまで届いてくる。旅人たちはなにごとかと思っているだろうが、道沿いの住民には事情を知らせてあるので目立った混乱はなかった。
昼過ぎ、かんたんな昼食をとって馬を変えた。早すぎるようだが、特別の計らいで余裕をもって交換するようになっていた。
日が地平線の向こうに沈みきる頃、今夜の宿に到着した。三人とも疲れ切っている。食事と風呂を早々に済ませると早めに床に就いた。
翌昼前、関所の穂高国側の駅に入った。千草が礼をいう。
「山瀬殿。先導ありがとうございます。無事到着いたしました」
「千草様、お父上の御患い、軽快なることを望みます。戸善殿、お世話になり申した。ではおふたりとも御無事で。縁がございましたらまたお会いしましょう」
二人も口々に礼をいい、頭をさげた。山瀬はそのまま馬首を返すと戻っていった。
関所ではなんのお咎めもなく、今回はよぶんな書類は不要だった。それでも関を通り抜けるのは駅伝の早馬のようにはいかなかった。
月城国側にはすでに雨宮家の迎えが来ていた。
「それでは千草様、これでおわかれでございます。お父上の御平癒、お祈り申し上げます。また、任務としては芳しくない結果となりましたが、得られたものは大きいと信じております」
「ありがとう。戸善殿。父上の平癒祈念につき感謝申し上げます。床上げまではあまり問い詰めないようにします。それと、たしかに任務は失敗しましたが、残念という気がしません。それほどいろいろな物事や人の心に触れました。この経験はかならず生かして見せます」
戸善は去っていく雨宮家の一団を見送ると、自分も家路についた。月城も穂高も、足の裏に伝わってくる街道の土の感触は変わらなかった。
「どうなってもこちらの不利にはならないですが」と恵子はもういろいろと計算をしているようだった。あのような連中が周辺にいながら取り締まらなかった寺にも圧力をかけるつもりらしい。この事件をきっかけにして僧侶への影響力を強めるという。
「これは容喙なれど、寺は火傷の恐れがありますぞ」
「わかっています。戸善殿のご心配ごもっとも。気をつけます」
二人は夕食後、ほどよく暖められた応接間で話をしていた。恵子が誘ったのだった。一日ずれたおかげもあって駅伝の手配は滞りなく済んだことと、許可証の写しを渡され、乗り継ぎなど旅について説明された。
それが一通り終わり、きょうの事件から今後の展望に話が移ったのだった。
「雷蔵様のことですが」
「こちらも心配か」恵子はため息をついた。かなりくつろいだ格好をしている。異国の浴衣、なのだろうか、淡い色の薄めの生地に蝶と花が刺繍されていた。「あそこまでずさんな計画だとは思ってもいませんでした。それに乗った弟には失望させられました」眉をひそめる。
戸善はうなずいていう。「わたしのような仕事ですと、陰謀というものはよく練り上げられた深いものと考えがちですが、島倉秀則のような者もいるということ、かえって勉強になりました。雷蔵様は気の迷いか、心の隙につけいられたのでしょう」
貸してもらった異国の浴衣は上質で、このような着心地は経験がなかった。実在するのか伝説なのかわからない鮮やかな鳥が刺繍されている。
「そういっていただけるのはありがたいのですが、結局これで弟は終わりました。子もいないですし。大牧家はわたし一人で背負っていかないといけません」きびしいが、どこかさびしげなところも含まれた顔をする。
「気楽なことをいう、とおしかりを受けそうですが、恵子様は上に立てるおかたです。十分お強いうえ、常に現実を見据えておられます」
「ありがとう。不思議なものですね。最近知り合ったばかりの、そのうえ外国人なのに、あなたにそういっていただけると心強い」表情がゆるんだ。
恵子は遠慮する戸善を制して茶を淹れた。「こちらもお試しください。お口にあいますかどうか」
外国の赤みを帯びた強い香りの茶と、かかおという豆から作ったという濃い茶色の甘い菓子だった。はじめての味で、人に話そうにもなににたとえればいいのかわからなかった。「これは、変わっていますね。溶けていく。甘くて香りが鼻に抜けていきます。おいしい」
恵子は口に手を当てて笑った。「殿方が茶と菓子でそのようなお顔になるなんて」
戸善は赤くなり、それがまた恵子を喜ばせた。
「ご帰国されたらなにをなさるのですか」ひとしきり笑い、くだけた雰囲気になった。恵子が茶のお代わりを淹れながら聞いてきた。
「いや、困りました。あまり考えたくありません」茶を一口飲み、口中をさっぱりさせた。忘れられない味の菓子だった。
「それはまた、どういう?」
「なんといっても任務に失敗したわけです。どういう報告書にするか、頭をひねっています」
「それはすみませんでした。どうやらわたしがですぎたまねをしたようですね。今回の件の解決を目指すあまり、あなたのご身分を千草様にも共有しておいたほうが良いと判断したのです。急ぎのあまり事前の相談もせず、それがあなたにもたらす影響についてはすっかり……」
「やむを得ません。さきほど申しましたが、恵子様が上に立てるおかたというのはそこです。情ではなく、知で判断される。だからこそ壁龕に千草様をひそませるという芝居がかった方法をとられた。あのようにされては取り繕えません。冒険に加わる道しかなくなりました」
「それはほめていただいたのですか。わたしには情はございませんか」唇をとがらせた。
「いいえ、そういう意味では。困りましたね。どうもご無礼をしてしまったようですが、お詫び申し上げます」
こんどはほほ笑んだ。どうしたのだろう? 今夜は表情がくるくると変わる。
「お気になさらないで。ちょっと絡んでみたくなっただけですから」
そろそろ、と戸善は思う。明日を考えるのであれば話を切り上げ、就寝の挨拶をすべきだろう。
だが、なぜかそのかんたんなことができない。このたわいない話をつづけていたい。
「さてさて、そのご報告についてですが、こたびは戸善殿にはひとかたならぬお世話になりました。その旨一筆お書きしますのでお持ちください。さすればお叱りもございませんでしょう」
「しかし、それでは……。わたくしごとき者のために大牧家当主のお手を煩わせましては申し訳がございません」
「いいえ。千草様にも同様の書状をお渡しするつもりです。月城国との友好のために、まずはわれら三家が関係を深めていければと考えております」
「わかりました。ではその書状を携えて帰国いたします。また、恵子様のお言葉は上司のみならず、父にも伝えます」
「それともうひとつ」戸善は一呼吸分間をおいていう。「わたくし個人としても大牧家および穂高国との友好関係の発展を望んでおります」
「これはうれしく、またたのもしいお言葉です。御礼申し上げます」
風の音がする。夜がふけるとともに強くなってきたようだった。
恵子は目を伏せ、また戸善を見て口を開く。
「戸善殿」
「はい」
「ご無礼かと存じますが、今後、あなた様個人に文を差し上げてもお差し支えないでしょうか」
「それは、どのような……?」
「ご迷惑でしょうか」
「いいえ、もとよりわたしの身分では障りなどございませぬが、よろしいのでしょうか。御木本は大家ではなく、そのうえわたしは末子です。そのような者に文を通じられるとは、なにか不都合が生じませぬか」
恵子は下を向いてしまう。
「ああ、不思議なおかたですね。近づけたと思ったら遠くなる。いったい戸善殿はどこにいらっしゃるのでしょう」
「礼を失しまして深くおわび申し上げます」ほかに言い様を知らなかった。このようなご婦人にはどう返事をすればいいのだろうか。
「人は、歯車仕掛けではないのです。わたしもです。戸善殿、おわかりになりませぬか」
「あなたは、母上のようだ」考えもせずに言葉が口からこぼれた。
見開かれた目が戸善を貫いた。
その目で投げかけられた、言葉にされない問いに答える。
「母上は、わたしが学校を卒業する前に亡くなりました。しかし、母上がいたからこそ、武人の家に生まれながら、忍びの道を選んだのです」
恵子はただうなずいている。口をはさもうとはしない。
「幼い時から、口癖のように『自らを信ずる念を持て』と教えられました。そのためには学問にはげめといわれ、実家から持参した本を与えてくれました」
目が灯りできらめいている。続きをうながされているようだった。
「母上の死後、争いをなくすべく国と国との関係を研究し、外交を学ぶにつれ、情報収集の重要さに気づかされたのです。父上や兄上たちはいい顔をしませんでした。諜報に良い印象がなかったのです。面と向かって説教されたこともあります。そういう時、常に母上の顔と言葉を思い出して反論していました」
風がどこかの隙間を通っているのか、虎落笛のような高い音がしていた。
「恵子様はこれまでは広大な直轄地を経営され、これからは大牧家そのものを支配されます。常の人にはおよばぬほどの強い念が必要ですが、すでにお持ちとお見受けしました。その強さがわたしの若い記憶の母上をよみがえらせたのです。ゆえに尊び、かつ敬い申し上げます」
すこし言葉を切る。
「それと、文についてですが、もちろん楽しみにお待ちいたします」
恵子はじっと戸善の顔を見ている。
「戸善殿のご心底、すっかりおうかがいいたしました。では、立派な御母堂にはおよばずとも、わたくしなりの想いを文にいたしましょう」
風がやみ、茶と菓子もなくなり、ふたりの時間は尽きた。たがいに就寝の挨拶をして応接室を出た。
「遅かったですね」千草が自分の部屋の前に立っていた。
「これは、まだお休みではございませんでしたか」急に現実に引きもどされてとまどう。
「なにをなさっておられたのですか」
「明日からの駅伝について、許可証などの書類の改めと馬の引継ぎの要領を確認しておりました」
「そうでしたか。明日からよろしくたのみます。早馬の心得がなく、ご迷惑をおかけします」
「いいえ。では、お休みなさいませ」
自室に入る寸前、背中から声をかけられた。
「異国の服も似合っておられます」
翌朝、空は澄み切っていた。冬の快晴。歩くたびに霜柱のくだける音がする。馬の鼻息がゆっくり流れていた。
「山瀬殿。おはようございます。先導よろしくお願いいたします」
「おまかせを。さ、お早う願います。各駅で刻限を合わせているはずですので」
旅装を整えた千草が挨拶を終え、鞍にまたがった。戸善もおなじく頭をさげ、うしろにまたがる。
恵子は通常の着物に帯刀して見送りに立っていた。周囲の空気より張り詰め、支配者としての力がみなぎっていた。「おふたりのご協力、感謝いたします。またお会いしましょう」
「では、まいりましょう」山瀬が合図した。
馬は戦闘速度までは出さないが、かなりの高速で街道を駆けていく。先導がときおり人払いする声がうしろまで届いてくる。旅人たちはなにごとかと思っているだろうが、道沿いの住民には事情を知らせてあるので目立った混乱はなかった。
昼過ぎ、かんたんな昼食をとって馬を変えた。早すぎるようだが、特別の計らいで余裕をもって交換するようになっていた。
日が地平線の向こうに沈みきる頃、今夜の宿に到着した。三人とも疲れ切っている。食事と風呂を早々に済ませると早めに床に就いた。
翌昼前、関所の穂高国側の駅に入った。千草が礼をいう。
「山瀬殿。先導ありがとうございます。無事到着いたしました」
「千草様、お父上の御患い、軽快なることを望みます。戸善殿、お世話になり申した。ではおふたりとも御無事で。縁がございましたらまたお会いしましょう」
二人も口々に礼をいい、頭をさげた。山瀬はそのまま馬首を返すと戻っていった。
関所ではなんのお咎めもなく、今回はよぶんな書類は不要だった。それでも関を通り抜けるのは駅伝の早馬のようにはいかなかった。
月城国側にはすでに雨宮家の迎えが来ていた。
「それでは千草様、これでおわかれでございます。お父上の御平癒、お祈り申し上げます。また、任務としては芳しくない結果となりましたが、得られたものは大きいと信じております」
「ありがとう。戸善殿。父上の平癒祈念につき感謝申し上げます。床上げまではあまり問い詰めないようにします。それと、たしかに任務は失敗しましたが、残念という気がしません。それほどいろいろな物事や人の心に触れました。この経験はかならず生かして見せます」
戸善は去っていく雨宮家の一団を見送ると、自分も家路についた。月城も穂高も、足の裏に伝わってくる街道の土の感触は変わらなかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話8話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。


文字変換の勇者 ~ステータス改竄して生き残ります~
カタナヅキ
ファンタジー
高校の受験を間近に迫った少年「霧崎レア」彼は学校の帰宅の最中、車の衝突事故に巻き込まれそうになる。そんな彼を救い出そうと通りがかった4人の高校生が駆けつけるが、唐突に彼等の足元に「魔法陣」が誕生し、謎の光に飲み込まれてしまう。
気付いたときには5人は見知らぬ中世風の城の中に存在し、彼等の目の前には老人の集団が居た。老人達の話によると現在の彼等が存在する場所は「異世界」であり、元の世界に戻るためには自分達に協力し、世界征服を狙う「魔人族」と呼ばれる存在を倒すように協力を願われる。
だが、世界を救う勇者として召喚されたはずの人間には特別な能力が授かっているはずなのだが、伝承では勇者の人数は「4人」のはずであり、1人だけ他の人間と比べると能力が低かったレアは召喚に巻き込まれた一般人だと判断されて城から追放されてしまう――
――しかし、追い出されたレアの持っていた能力こそが彼等を上回る性能を誇り、彼は自分の力を利用してステータスを改竄し、名前を変化させる事で物体を変化させ、空想上の武器や物語のキャラクターを作り出せる事に気付く。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる