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十一、あしびきの山鳥の……お!?

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 翌朝早く宿をたった。宿賃を払い、礼金を大目にはずむ。どの宿でもそうだが、書状の転送を早く確実に行ってもらうためだった。
 きょうから穀倉地帯に入り、巡る。宿はないが、商人がよく訪れるので旅行者に慣れている土地が続くのはありがたい。

「いよいよだな」
「緊張なさらずに。きのうわたしが申しましたこと、お忘れなきよう」
「わかっておる。でも、身分を隠せたら、と思うよ」

 戸善とぜんは頭の中で地図を開いた。作物の栽培に適した帯状の土地と川が両国にまたがって伸びている。どこまでがどちらの国のものか。また、月城つきしろ国が川の上流となるが、治水の費用、役務の分担はどうすべきか。いさかいの種が次から次へと芽を吹いたものだった。

 そしていま、その争いの勝者の国の貴族が敗者の国の現場に入ろうとしている。すでに決着のついた問題であり、土地の割譲と賠償が行われ、両国の王は誓いの盃を交わしている。また、条約にもとづいて両国応分の負担による土地開発、治水工事が始まってもいる。それによって現金が市中に流れ、みな豊かになりつつある。

 しかし、だからといって長年続いた反目が一夜にしてきれいさっぱりと消えることなどありえない。先祖からの田畑を失った者もいるし、親類縁者が分断された者もいる。理屈ではうらむべきは自国の王と貴族だが、隣国をかたきとしたほうが心を納得させやすい。

「見えてきました。きょうの宿です」
「これはまた。要塞のようだな」
「ええ。陣として使われていたとのことです」
「なぜいまだに取り壊していないのだ。やぐらなど不要だろうに」
 千草ちぐさは笠の下からのぞくと、ため息をついて目を伏せた。わかっていてもいわずにはおられなかったのだろう。

「お嬢様、そのようなことをなさらなくとも結構です。心から歓迎されていないのは事実ですが、卑屈になってはいけません」
 荷の家紋を手ぬぐいで隠そうとした千草ちぐさを見て注意する。
「相手の感情をおもんぱかるのは大事ですが、紋を隠すのはちがいます」
「そうだな。すまなかった。それと、忠言感謝する」
 戸善とぜんは頭をさげる。

 その豪農はにこやかに二人を出迎えてくれた。部屋も客用の立派なものだった。ここでも現金を豊富に持つ富裕農民の強みが表れている。
「ようこそいらっしゃいました。雨宮あまみや家のお嬢様のご研究のお役に立てますこと、うれしく思います」
「しばらくお世話になります。また、書状でも申しましたが、農民への取材をお許しくださいましてありがとうございます」
「いえ、どういたしまして。いろいろございましたがこれからは両国友好が肝要かと。そのひとつのさきがけとなれればと考えております」
「ごもっともと存じます。そのお心がけ、主君にも申し伝えます」
 戸善とぜんは言外に利益誘導をにじませ、主人の機嫌を取り結ぼうとした。ここで敵をつくってはならない。主人の顔がさらににこやかになったところを見ると、まずはうまくいったようだった。
 それでも、とやぐらをちらりを見上げる。わたしの世代では心の底からの友人にはなれないのだろうな、と思う。

 荷を解き、旅装から着替え、昼をとるとさっそく取材に出かける。
「お嬢様、もう一枚どうぞ。日はあってもそろそろ風が冷えてまいりました」
「ありがとう。そうする。あ、いま気づいたが、封をしてきたのか」
 戸善とぜんの腰を指さした。
「はい、さきほど。ここでは刀は持ちますが、こうしたほうがよろしいかと思いまして」
「わたしもそうしようか」
「いいえ、懐剣は不要でしょう。わたしのは見えますので」

 田や畑では人々がいそがしく働いていた。収穫後の田の手入れや、畑では冬物の種まきか、土を深く起こしていた。さすがの千草ちぐさも声をかけづらいようでためらっている。
 それでも小休止の時をねらって取材を始めた。これまでの経験からそれなりにこつをつかんだようで、皆を指揮しているような男性よりも、畔ですわって茶の用意をしている年配の婦人に声をかけていた。そうすると自然に人の輪ができ、効率よく話が聞ける。戸善とぜんは刀を持っているので離れて見ているようにしているが、情報収集において、まだまだ教えられることがあると興味深く見守っていた。自分はああいった、ご婦人同士で茶菓をはさんでのやりとりから情報を集めた経験はない。しかし見ているかぎり悪くない。きょうはじめて会うのになぜああも親しげに話ができるのだろう。

 そのうちに話が終わり、お嬢様が立ち上がったところでそばに行き、遠慮する彼らに包みを渡した。「研究にご協力いただきありがとうございます。これは些少ではありますが、茶代にでもどうぞ」
 愛想よくしたつもりだが、お嬢様にくらべると若干警戒される。腰のもののせいかもしれない。こよりの封が見えていても怖いものは怖い。この道具はただ人を斬るためにのみある。その点ではあそこの木に立てかけてある鍬に劣る。
 戸善とぜんは腰をかがめ、できるだけ小さく威圧的にならぬようにしてその場を去った。

「いかがですか、ご退屈などされてはいませんか」
 風呂を上がって縁側でほてった肌を風に当てていると主人が愛想よく話しかけてきた。お嬢様は部屋で書状を認めている。
「いいえ。このあたりは気候も穏やかで景色もいい。歩いているだけで退屈などいたしません」
「はは、風景ですか。この年になるとなんとも思いませんが、外国のかたにはまた見るところもございましょう」
「ええ、とくにあの西の山がいい。夕日と重なったときは見ほれました」
「これはどうも。あれはうちの山で、木を切ったり炭を焼いたりしております」ほめられて得意気だった。
「そうでしたか。ほかにもなにか産物はございますか」
「ま、山ですから祭りや新年用に獣や鳥をとりますし、ふだんでも山菜や筍、茸ですね。お好きですか」
「いや、そのような贅沢はあまり。御朔日や十五日に山菜や筍の炊きこみご飯は食べますが」
「ほお、ではいかがです。脂ののった山鳥などは」
「それはありがたい。もしご迷惑でなければお願いしたい。旅の疲れも癒せましょう」
「ではそのように」そういって歩み去る。そのうしろ姿を見送りながら、隠し田があるとすればあの山間か、と考えていた。

 山鳥の晩餐は主人に二人が呼ばれるという形になり、酒もついた。味は自慢するだけはあった。
「いかがですか」
「すばらしい。国でも食べたことはありますが、こちらのほうが脂にくせがない。まるで里の鳥のようです。捕まえたあと、臭み抜きに飼育などされるのですか」戸善とぜんは感心したようにいう。
「いいえ、里にはおりてきませんので、罠です。今朝獲りました」
「それでこれなら、山鳥は穂高ほだか産にかぎりますね。なにか特別な調理法でもございますか」
「それもいいえです。獲れたての山鳥にはよけいな味はつけません。塩くらいですね」
 千草ちぐさは飲めない分食べている。飯に炊きこまれた山菜の香りがさわやかにただよった。戸善とぜんにつづいてほめる。
「山鳥もみごとだが、山菜や汁もよい。この味噌は輸入をかんがえよう」
 主人はにこにこしている。「その際はわたしどもをごひいきに」

 その夜、満足の吐息をつきながら、戸善とぜんは床に就いた。

 深夜、目をひらく。布団をはねのけると術を使って気を消し、足音ひとつ立てずに台所に向かう。わずかな月明りでごみの桶を探り当てると、左手を筒状に丸め、光球を手の中のみ最小で点けた。一方向にだけ光が出るようにする。
 きょう捨てたばかりなのでまだ臭わない生ごみを木切れでかき回し、山鳥の内臓を引っ張り出して胃をひらいた。
 小さな灯りに照らされ、山の雑草に籾米と小松菜のような野菜がかなり混じっているのが見えた。どの内臓もそうだった。

 あとをきれいにかたづけ、部屋にもどって布団に入った。目を閉じるが眠らずに朝までずっとかんがえごとをする。

「お嬢様、本日は別行動をよろしいでしょうか。護衛をはなれますが、ここも思ったよりおだやかな様子でしたので」
「どうした? 朝早くから」
「出さなければならない書状がたまっておりますし、やはりここは宿ではないので転送が遅れているようです。急ぎ前の宿にもどりまして、書状を預け、来ているものがないか確認したく思います」
「わかった。これからすぐか。馬は?」
「いいえ、この時期に馬を借りるわけには。それで帰りは夜遅くになりましょう。主人には話をしてありますので、お気になさらずお休みください」
 千草ちぐさはうなずく。「では、行ってまいります」早足で出かけた。

 前の宿に向かう街道を途中でそれ、ほとんど駆け足のような急ぎ足になって方向を変える。宿から見たあの山に入り、山間を見おろせるところに登った。日は高くなり、そのあたりもまんべんなく照らされている。

 想像通り、いや、想像以上だった。農民の小遣い稼ぎではない。その程度の規模ではなく、本格的な開墾だった。畔や水路はきれいに整えられており、土木の専門知識と技能を持つ者たちが仕上げたのはあきらかだった。
 その様子を頭に刻みこむ。日は中天を超えている。山をおりると街道までもどってからまえの宿にいって用事をすませてとんぼ返りした。休憩も、食事もとらない一日だった。

 夜食におにぎりを用意してくれていたのでつまむ。親切な家だ。もてなしは暖かい。しかし一方で隠し田や畑を作り、違法な財産をたくわえている。あの規模なら役人も数名抱きこんでいるのだろう。税のごまかしは、法律を文字通り解釈すれば国に対する反逆であり、重罪だ。
 どうせよその国のことだとはいっていられない。隣国の生産力は正確に知っておきたい。それに、ここであることはわが国でもあるだろうし、公の目の行き届かない金品がどのくらい出回っているのかわからないでは済まされない。状況によっては地下経済を見逃すこともあるだろうが、そもそも知らないというのはあり得ないことだ。

 戸善とぜんはまた書状を認める。これまでにない長いものだった。暗号化したものだからさらに長くなる。一部では不審に思われるだろうと思い、二部に分けて宛先を別々にする。どこ宛だろうが、差出人が柄明慶つかあきよしなら諜報部に届けられる。その点は打ち合わせ済みだった。

 翌日は疲れが出たのかやたらに眠たかった。この季節にしては暖かいのも眠気を誘う。それでも書状を託せそうな商人や荷馬車がないか探し、預けることができた。小遣いを大目に与えて急ぐようたのむ。お嬢様にはきのう出したばかりなのにといわれたがごまかした。

 そのお嬢様だが、いささか気にかかることがある。どうも村の若者たちが近寄りすぎるようだ。取材の都合上気安いのはいいが、どこかで線を引いてもらわないと困る。身分の差はどうしたって存在するのだ。
 さらに輪をかけて困るのが、お嬢様自身もそのように声をかけられることを迷惑がっておられない。うまくあしらっておられるようだが、注目を集めるのがよい心持なのだろうか。どうも若者の気持ちはわからない。

「どうした。そのようなしかつめらしい顔をするな。人が寄ってこないではないか」道のわきの日向で休んでいると、千草ちぐさが声をかけた。
「お嬢様、農民との交流はけっこうですが、取材が目的にございますぞ」
「わかっておる。のう、明慶あきよし。実は村祭りにさそわれているのだ。踊るくらいはいいだろう」
 わかっていないじゃないかと思いつつ、声を荒げないように返す。
「こういった農民の祭りは求婚の場も兼ねております。お嬢様にはふさわしくございません」
「それもわかっておる。無礼はさせやしない。踊るだけだ。おまえもくるといい」
 だめだというべきだった。断固として。しかし、お嬢様の顔を見ているうちに口はべつのことをいっていた。
「踊るだけですよ。それと、もちろんわたしがつきしたがいます」
「おまえ、やはりほんとうは話せるのう」
「秘密ですよ。書状にも書いてはいけません」

 祭りといっても簡素なものだった。夕方から始まる。火が焚かれ、神主が収穫を報告、神に感謝し、来年も同様であるよう願った。そのあたりの祝詞はここも変わるところはなかった。

 日が完全に沈むと、焚火がさらに大きく、数を増やされ、踊りが始まった。輪が二つ横ならびにできる。右回りの男衆と左回りの女衆。輪は一点でくっつくようになっており、そこで気に入った者同士が組になって輪を抜けだすというのが決まりのようだった。
 むろん、お嬢様は踊るのみ。輪をぐるぐる回るだけとなる。手足の運びはかんたんで、二、三周分見ていればだれにでもできそうだった。

「おまえも踊らぬか」輪の中から呼ばれる。炎に照らされて歯が輝く。あのようなほがらかな顔は初めて見る。
 その千草ちぐさの声が合図となったかのように男衆の輪に引きこまれる。「いや、よしてくだされ、すみません」そういって遠慮はしたものの、しらけさせても、と思い、踊りをはじめると喝采がおきた。「月城つきしろのお武家はたいそうな踊り巧者じゃ、皆負けるでないぞ」

 輪を回るうちに、村娘からあきらかに誘いを受けることもあったが、さすがにそれは詫びをいって断った。千草ちぐさはその様子を見て微笑んでいる。
 さらに数周回ると、合図をされたので組になって輪を抜けた。周りから大声でからかわれる。
 その戸善とぜんを見上げて千草ちぐさがいう。「顔が赤いぞ」「炎の色です」

 二人は境内の木の根に腰をおろし、手ぬぐいで汗を拭いた。
「ありがとう。わがままを聞いてくれて」
「いいえ。わたしも楽しみましたから」
「はは。おまえ、ここの男よりも誘われていたではないか。お気に入りを見つけたら抜けてもよかったんだぞ」
「お戯れを」
 そういうと、千草ちぐさは真顔になって下を向いた。
「そうだな。戯れだ。われらの相手は親が決める。家のためになる相手をな」
「もうお決まりなのですか」
「いや。わたしはまだ学生だし、話もない。将来はそうなるだろうという意味だよ。そういう明慶あきよしはどうなのだ? ずっと独りというわけにはいくまい」
「いや、なかなかです。ちょうどいい同格の家には娘がおりませんので」
「なら、なおのことここの娘をもらえばいい。両国友好の象徴になる」
「わたしごときの婚姻では象徴にはなりませんよ」

 千草ちぐさは笑って踊りの輪を見る。「あの決め方。じつは理にかなっているのだろうな」
 戸善とぜんはうなずく。経験による知の蓄積においては貴族も農民も変わらない。婚姻を社会の安定的な発展に寄与するものとすべく、さまざまな手順が生みだされてきた。どの方法も合理的であると同時に、無駄と非効率、つまり娯楽の側面を含んでいる。
 そんなことを考えながらいう。
「それに、あれはさっぱりしていいですね。声をかけてすぐ手をつなぐ。さわやかではありませんか」

 すっと立ち上がり、千草ちぐさは伸びをした。「だれが婚姻をむずかしくしたのだ? いや、答えなくていい。われら貴族だ。結婚をいじりまわしたのは」

 薪が燃え崩れる。輪はちいさくなった。ふたりは頃合いを見て抜けた。帰り道は星の天井だった。
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