上 下
1 / 40

一、鳴き声

しおりを挟む
 発:東部方面鎮護将軍アイルーミヤ
 宛:第三軍司令官ノーウル

 件名:占領地の治安維持および統治について

 大いなる闇の王の下、貴官の日頃の働きには感謝している。
 また、この度の勝利を誠にめでたく思う。これは貴官の勇猛果敢なる作戦行動による所が大きく、その点には満足している。

 しかしながら、占領軍による、治安維持および統治計画を逸脱する行為が頻発しているとの情報がある。
 具体的には略奪、無差別な破壊行為、裁判によらない処刑などである。
 貴官も承知しているだろうが、これらは治安維持および統治計画のいずれにも含まれていない。即刻対応し、当初計画通りの統治を行うよう命令する。

 前回の通信を繰り返すが、降伏を受け入れ、占領した以上、その地のすべては『大いなる闇の王』に所属する。復活の日まで、我らはそれらを預かっているに過ぎない。
 よって、財産の略奪、破壊は許されず、また、人間を含む知性ある生物に対しては陛下に従うよう適切な教育を施さねばならない。

 貴官が戦闘と同じく、統治においても私を満足させてくれることを強く期待する。

 署名:大いなる闇の王の下僕 アイルーミヤ


 アイルーミヤ将軍は一息つくと、通信紙に今口述した通りの内容が書き込まれたか読み直した。

 なんとか使えるようにした執務室には茶の香りが広がっている。長きに渡る放置と戦闘で城は破損し、まだ修理や片付けは終わっていない。
 ここら辺はやっと静かになったが、最前線や占領地はそうはいかないだろうな、と茶を一口飲んだ。

 内容の確認が終わると、将軍は紙の端を指で弾いた。そこから煙のない炎が燃え広がり、通信紙を焼き尽くし、宛先に送信された。

 これでノーウルも反省するだろう、とアイルーミヤ将軍は茶を飲みほした。まったく、占領後には飴をなめさせておけとあれほど言っておいたのに。
 しかし、これは我ら全体の欠点でもある。戦いは勇敢だが、統治が稚拙すぎる。奪って壊して殺す。そんな事だから五百年前に皆まとめて封印されたんだろう。

 彼女は窓を開け、夜風が長い黒髪を撫でるのを楽しんだ。
 今度はそうじゃない。光に従う奴らが、闇の王の下僕となる。昨日は我らだったが、明日封印されるのは光の女王だ。

『みー』

「何?」

 アイルーミヤ将軍は外を見回した。月明かりはなく、人里離れた城の庭は真っ暗だった。

『みー』

 近い。窓の下だ。

 黒い、小さな塊がもぞもぞしているのが漏れた明かりでなんとか見えた。鳴かなければ気づかなかっただろう。

「猫か。小さいな」

 一匹だけだった。親とはぐれたのだろうか。彼女は呪文を唱えて額の目を開く。軽く付近の生命探知を行ったが、猫程度の大きさの生き物は他にはいなかった。

「お前、どうした? 一匹か」
『みー』

 声に気づいた仔猫は彼女の方を向いて鳴いた。そのため、声が大きく聞こえた。かすれていて、『みー』という声に『ひー』という音が混じっている。

 彼女はどうしようか迷った。放っておいてもいいが、あの声の様子だと長くはもたないかも知れない。残り物でも投げてやろうか。いや、そのくらいならいっそ、入れてやった方がいいか。

 とりあえず、今夜だけ。明日になったら執事に言って引き取り手を探させよう。
 それに、あいつは黒猫だ。闇の色をしている。吉兆だ。助ければ縁起がいいかも知れない。

 簡単な呪文をつぶやき、引き寄せるように手を振ると黒い毛玉が手の中に飛び込んできた。空中浮遊してびっくりしたのか、鳴くのも忘れてきょとんとしている。

 その顔を見て彼女は笑った。声を出す笑いは久しぶりだった。

「なんだ、お前全身黒じゃないのか。靴下猫だ」
 手足の先と、腹に白い部分があった。目の青さは薄れて黄色くなりかけているので、そこそこ育った仔猫らしい。これなら肉をやっても大丈夫だろう。
 彼女は猫をテーブルに降ろし、夜食の鶏肉を小さく刻んで与えた。猫は肉を用心深そうに嗅いでから食べ始めた。
「そんなにあわてて食うな。誰も取らないよ」
 小皿に水を入れてやると勢い良く飲んだ。
「お前、どこから来た? 歩いてきたんじゃないだろう? 荷馬車にでも紛れてきたのか」
『みー』
「まあいい。今夜だけだぞ。食べたら好きな所で寝ろ」

 靴下猫はよく食べ、よく飲んだ。終いには心配するほど腹がぽっこり丸くなった。

 食べ終わるとそわそわしだし、そこらを嗅ぎ回り始めた。なんだろう? 少し見ているうちに、何事かわかった彼女はあわてて藁屑を詰めた箱を作ってやった。
 そこに靴下猫を連れて行くと、ふんふん嗅いだ後に用を足した。

 執事や召使はもう休んでいるし、わざわざ起こすまでもない。汚物と汚れた藁屑を便所に捨てて戻ってくると、靴下猫は毛づくろいをしていた。まだ不器用で、丸くなった腹のせいで時々転げていた。彼女は書類をめくりながらその様子をちらちら見ては微笑んでいた。

「おい、もう寝るぞ。来るか?」
『みー』

 彼女は靴下猫を連れて寝室に入った。猫には、さっきの箱と同じ物を、今度は寝箱として作ってやった。さっきの箱も隅に置いておく。好きなように寝たり、用を足したりすればいい。

「おやすみ」
『みー』

 朝方、靴下猫が彼女の横に潜り込もうとしてきた。彼女は夢うつつで、好きな所で寝ろって言ったしな、と思い、猫を入れてやった。暖かで柔らかくて、喉を鳴らす音が心地よかった。

「閣下、お早うございます。朝をお持ちしました」
 いつもの時間に起床し、着替えを終えた頃、執事が執務室の扉の外から告げた。
「お早う。入れ」
 執事が扉を開け、数人の召使が朝食を運び込み、前夜の夜食を下げた。城の食堂はまだ使える状態ではない。当分執務室で食事するしかなかった。

『みー』
 靴下猫が鼻をひくひくさせながら寝室から出てきた。

「閣下、これは?」
「猫だ」
「そのようですが、何か持ってきましょうか」
「頼む」

 執事が目配せすると、召使の一人が部屋を出た。

「お飼いになるのですか」
「昨日の夜見つけた。親もいなかったし、一晩だけのつもりでな」
「では、私が連れてまいりましょうか。補給の商人にでもやりましょう。鼠除けにいいでしょう」

『みー』

「いや、待て。やはり私の下に留めておく。鼠除けになるのであればちょうどいい。これからも書類が増えることだし、かじられてはかなわんからな」
「かしこまりました。そのように」

 彼女が朝を摂っていると、靴下猫の朝も届いた。切り落としの肉で、調理はしていない。猫にとってはその方がいいらしく、昨夜より食いつきが良かった。

「昨日も言っただろ。あわてるな」
『みー』

 開け放った窓から朝の風が入ってくる。今日はいい天気になりそうだった。

「お済みになりましたか」
「ああ、済んだ」

 召使たちが空いた皿を下げ、掃除をする。靴下猫は手伝うつもりなのか邪魔をするのか、箒やはたきにまとわりついている。

「閣下。あの猫はなんと呼べばよいのですか」
「そうか、そう言えばまだ名前をつけていなかった」

『みー』

「よし、お前はクツシタだ。クツシタ、な」
「クツシタ、でございますか」

『みー』
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした

仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」  夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。  結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。  それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。  結婚式は、お互いの親戚のみ。  なぜならお互い再婚だから。  そして、結婚式が終わり、新居へ……?  一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です

岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」  私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。  しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。  しかも私を年増呼ばわり。  はあ?  あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!  などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。  その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。

処理中です...