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番外編
千歳の独り立ち2
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事務所の隅に賃貸の情報誌があったことに気付いたのはつい最近のこと。
大塚さんと何か真剣に話し合いしていたのを何度か見かけた。
だから落ち着いて話を聞けたのだと思う。
「驚かないね、ちー。やっぱり気付いてた?」
「何となく……かな?」
「理由、聞かないの?」
「聞きたいよ? けれど、千歳くんが話したいと思うことを、話したいと思う時に聞きたい、かな。千歳くんは私にいつもそうしてくれたから」
「……やっぱり、敵わないなあ」
千歳くんが苦笑して私も苦笑する。
本音を言うと、すごく不安で寂しくて引き留めたかった。
同じ日に生まれて、ずっと一緒に育った私達。
いつだって千歳くんが帰る場所は私と同じで、何かあればすぐに会える距離で、何をするにも一緒だった。
そうやって過ごしてきた一緒が、この先無くなってしまう。
お互い成人していて大人として過ごしていくなら、それぞれ独り立ちするのは普通のことかもしれない。
それでも一緒に過ごした時間が長すぎて、濃すぎて、1人ずつになる未来をうまく想像は出来なかった。
黙って背中を押したい。
千歳くんのことだから、いっぱい考えて出した答えだろう。
そう分かるからこそ、千歳くんが決めた道を応援したい。
けれど不安も寂しさもどうにも拭えない。
そんな思いなんて、きっと千歳くんにはばれてしまっているだろうけれど。
それでも口には出さない私に、千歳くんはやっぱり苦笑したまま首を振った。
「話すよ、理由」
「良いの?」
「勿論。相棒なんだから」
……やっぱり、もっと頑張らないとな。千歳くんを支えられるように。
何を言わなくても私の気持ちを察して気遣ってくれる優しい兄。
頼りっぱなしで上手く返せない私。
けれど千歳くんが口にした独り立ちの理由は、意外なものだった。
「ちーに依存してないで、ちゃんと自分の足で立てるようになりたいんだ」
依存。
あまりに千歳くんとは結び付かない単語に目を見開く。
千歳くんに依存していたのは、どちらかと言えば私の方だ。
今だってそうかもしれない。
千歳くんに守ってもらって今の私がある。
それでも千歳くんはもう一度はっきりと首を振った。
「俺1人じゃ芸能界で成功なんて絶対無理だった。ちーの才能に気付いて、ちーが人見知りであることを利用して、そうして今の地位を築いたんだ。ちーのその才能と優しさに、縋っていたんだよ」
「そんな、千歳くん、それは違」
「うん、ちーは絶対そう言ってくれると思ってた。だから言えなかった。だってそんな懺悔したところで、ちーは俺を庇ってくれるだろ? そうして俺は自分勝手に自分の枷を軽くして楽になってしまう」
「……千歳、くん」
「そんな顔しないでちー。俺自身、変にプライドがあったんだよ。こんな醜くて人に縋らないと駄目な自分、人に晒したくないってさ」
カラカラと笑って、何でもないことのように言う千歳くん。
今度は私が必死に首を振る。
あっさりとそんなことを言えてしまうほど自分を卑下する千歳くんにショックを受けたのかもしれない。
ここまで自分を悪く言うほど苦しんだだろう千歳くんに気付けなかった自分が情けないのかもしれない。
動けなくなって、声をあげられなくなった私の中に宿ったのは、悔しさだ。
どんなに強く否定したって、千歳くんのこの思いはきっと溶けてくれない。
こうして千歳くんが断言する時はいつだって、千歳くんが自分で答えを出した時だと知っているから。
それでも何かを言わずにはいられなくて、弱々しくなりながらも私は声をあげる。
「千歳くんは、醜くなんてない。それは、私、怒る」
思った以上に強い言葉になって、千歳くんが驚いた表情を見せた。
顔を上げた私の目は熱くて、それを見てやっぱり千歳くんは苦笑する。
昔から変わらない、温かくて柔らかい目で。
「昔は許せなかったんだよ、こんな自分。それに恐れてた、ちーの才能に追い付けなくなる時が必ず来るだろう自分の未来を。その時、俺は惨めな思いをするだろうなと、どこまでも自分勝手に考えてた」
「千歳くん」
「そう怒らないで、ちー。これは俺の素直な気持ちなんだ、どうしたって消せない自分の醜い部分」
「…………うん」
「向き合うことが、怖かった。俺よりちーが目立つことに恐怖を覚えていた。俺は自分で思った以上に臆病だったんだ……、ちーありきの俺だった」
果たして本当にそうなんだろうか。
千歳くんは自分のことばかり考える人ではないことを、私は誰よりも知っている。
どんな時でも私の心を一番にして、何もかも多くのものを背負ってくれた。
時に自分の精神を削りながら、それでもいつだって私の相棒で家族であり続けてくれた千歳くん。
その千歳くんの今までを、千歳くんの生まれ持った性格だと一言では言いたくない。
今の奏が、私が、ここにあるのは、千歳くんが努力を続けてくれたからだ。
私の心に寄り添って一から音楽を学んでくれた。
学校に行けなかった私を一度だって責めなかった。
人と上手く話せない私のパイプ役になってくれた。
友達が出来れば自分の事のように喜んでくれた。
私が決めた覚悟を、いつだって受け入れ応援してくれた。
当たり前のことなんかじゃない。
千歳くんが兄であってくれたからこそ頑張れたことは、数えきれない。
けれど千歳くんは、自分を醜くて臆病だと言い切る。
自立できていないのだとはっきり言う。
誰よりも多く考え自分で行動を起こしてきてくれた人が、当然のように自分の至らなさを言葉にする。
その内容は、私にとってはとても受け入れられるものではなかった。
後ろ向きな言葉で今千歳くんが自分のことをそう言っているわけでは無いことは分かっている。
千歳くんの中で変わった思いがあるからこそ言えたことなんだとも思う。
けれど、それでもどうしても千歳くんが醜いとも狡いとも臆病だとも思えない。
その言葉を無理やり呑み込もうとしたけれど、やっぱり無理だ。
千歳くんが私の意志を尊重して私にそうしてくれたように、笑って聞くことは出来なかった。
今の私は色んな感情を押し込めて、まるで般若のような顔だと思う。
千歳くんはそれでも変わらず穏やかに笑う。
「ちゃんとした兄妹になろう、ちー。あるべき兄妹の姿になりたい」
「……あるべき、兄妹?」
「そう。縋るんじゃなくて、支え合える兄妹。ちーを過剰に過保護に心配するだけじゃなくて、俺もちゃんと自分の道を歩いて行かなきゃ。……俺の人生なんだから」
「……千歳くん」
「自分を見つめ直したい。自分で自分の世話をして、自分だけの時間を作って、そうしてフラットな状態でちーと向き合えるように。ちーとちゃんと、対等になりたいんだよ」
……私はここまでしっかり千歳くんのようにこの先を考えられていただろうか?
自分のことで精いっぱいで、ちゃんと客観視することが未だに出来ていなくて、千歳くんの言葉にただただ一喜一憂していた。
千歳くんが見つめていたのは、もっとずっと先のこと。
私と対等になりたい。
そう言ってくれる千歳くんに、私の方こそ対等と言ってもらえる価値があるのだろうか。
……頷くことはできなかった。
けれど、それで良いわけじゃないのだと、そのくらいは私でも分かる。
千歳くんがこうして真剣に話してくれたことに返せる自分で、私はありたい。
「大丈夫だよ、ちーは」
「っ、千歳くん」
「もう大丈夫だろう、俺達は? 離れていたって、こんな話をしたって、壊れるような関係じゃないはずだ」
「……うん」
「俺さ、最近すごく楽しいんだ。自分の人生に前向きになれた気がする。ちーの才能に怯えるだけの俺じゃなくなった。俺にとってはすごい成長なんだよ、少し前まではちーにこんな話すること自体無理だったんだから」
「……うん、最近の千歳くんは生き生きしていると私も思う」
「だろ?」
楽し気に笑う千歳くん。
何かを吹っ切り晴れた表情の千歳くん。
目を輝かせ、未来を語る千歳くんの姿に、ようやく私は本心から頷いた。
緩んだ自分の顔にはやっぱり苦さが残ってはいたけれど。
大塚さんと何か真剣に話し合いしていたのを何度か見かけた。
だから落ち着いて話を聞けたのだと思う。
「驚かないね、ちー。やっぱり気付いてた?」
「何となく……かな?」
「理由、聞かないの?」
「聞きたいよ? けれど、千歳くんが話したいと思うことを、話したいと思う時に聞きたい、かな。千歳くんは私にいつもそうしてくれたから」
「……やっぱり、敵わないなあ」
千歳くんが苦笑して私も苦笑する。
本音を言うと、すごく不安で寂しくて引き留めたかった。
同じ日に生まれて、ずっと一緒に育った私達。
いつだって千歳くんが帰る場所は私と同じで、何かあればすぐに会える距離で、何をするにも一緒だった。
そうやって過ごしてきた一緒が、この先無くなってしまう。
お互い成人していて大人として過ごしていくなら、それぞれ独り立ちするのは普通のことかもしれない。
それでも一緒に過ごした時間が長すぎて、濃すぎて、1人ずつになる未来をうまく想像は出来なかった。
黙って背中を押したい。
千歳くんのことだから、いっぱい考えて出した答えだろう。
そう分かるからこそ、千歳くんが決めた道を応援したい。
けれど不安も寂しさもどうにも拭えない。
そんな思いなんて、きっと千歳くんにはばれてしまっているだろうけれど。
それでも口には出さない私に、千歳くんはやっぱり苦笑したまま首を振った。
「話すよ、理由」
「良いの?」
「勿論。相棒なんだから」
……やっぱり、もっと頑張らないとな。千歳くんを支えられるように。
何を言わなくても私の気持ちを察して気遣ってくれる優しい兄。
頼りっぱなしで上手く返せない私。
けれど千歳くんが口にした独り立ちの理由は、意外なものだった。
「ちーに依存してないで、ちゃんと自分の足で立てるようになりたいんだ」
依存。
あまりに千歳くんとは結び付かない単語に目を見開く。
千歳くんに依存していたのは、どちらかと言えば私の方だ。
今だってそうかもしれない。
千歳くんに守ってもらって今の私がある。
それでも千歳くんはもう一度はっきりと首を振った。
「俺1人じゃ芸能界で成功なんて絶対無理だった。ちーの才能に気付いて、ちーが人見知りであることを利用して、そうして今の地位を築いたんだ。ちーのその才能と優しさに、縋っていたんだよ」
「そんな、千歳くん、それは違」
「うん、ちーは絶対そう言ってくれると思ってた。だから言えなかった。だってそんな懺悔したところで、ちーは俺を庇ってくれるだろ? そうして俺は自分勝手に自分の枷を軽くして楽になってしまう」
「……千歳、くん」
「そんな顔しないでちー。俺自身、変にプライドがあったんだよ。こんな醜くて人に縋らないと駄目な自分、人に晒したくないってさ」
カラカラと笑って、何でもないことのように言う千歳くん。
今度は私が必死に首を振る。
あっさりとそんなことを言えてしまうほど自分を卑下する千歳くんにショックを受けたのかもしれない。
ここまで自分を悪く言うほど苦しんだだろう千歳くんに気付けなかった自分が情けないのかもしれない。
動けなくなって、声をあげられなくなった私の中に宿ったのは、悔しさだ。
どんなに強く否定したって、千歳くんのこの思いはきっと溶けてくれない。
こうして千歳くんが断言する時はいつだって、千歳くんが自分で答えを出した時だと知っているから。
それでも何かを言わずにはいられなくて、弱々しくなりながらも私は声をあげる。
「千歳くんは、醜くなんてない。それは、私、怒る」
思った以上に強い言葉になって、千歳くんが驚いた表情を見せた。
顔を上げた私の目は熱くて、それを見てやっぱり千歳くんは苦笑する。
昔から変わらない、温かくて柔らかい目で。
「昔は許せなかったんだよ、こんな自分。それに恐れてた、ちーの才能に追い付けなくなる時が必ず来るだろう自分の未来を。その時、俺は惨めな思いをするだろうなと、どこまでも自分勝手に考えてた」
「千歳くん」
「そう怒らないで、ちー。これは俺の素直な気持ちなんだ、どうしたって消せない自分の醜い部分」
「…………うん」
「向き合うことが、怖かった。俺よりちーが目立つことに恐怖を覚えていた。俺は自分で思った以上に臆病だったんだ……、ちーありきの俺だった」
果たして本当にそうなんだろうか。
千歳くんは自分のことばかり考える人ではないことを、私は誰よりも知っている。
どんな時でも私の心を一番にして、何もかも多くのものを背負ってくれた。
時に自分の精神を削りながら、それでもいつだって私の相棒で家族であり続けてくれた千歳くん。
その千歳くんの今までを、千歳くんの生まれ持った性格だと一言では言いたくない。
今の奏が、私が、ここにあるのは、千歳くんが努力を続けてくれたからだ。
私の心に寄り添って一から音楽を学んでくれた。
学校に行けなかった私を一度だって責めなかった。
人と上手く話せない私のパイプ役になってくれた。
友達が出来れば自分の事のように喜んでくれた。
私が決めた覚悟を、いつだって受け入れ応援してくれた。
当たり前のことなんかじゃない。
千歳くんが兄であってくれたからこそ頑張れたことは、数えきれない。
けれど千歳くんは、自分を醜くて臆病だと言い切る。
自立できていないのだとはっきり言う。
誰よりも多く考え自分で行動を起こしてきてくれた人が、当然のように自分の至らなさを言葉にする。
その内容は、私にとってはとても受け入れられるものではなかった。
後ろ向きな言葉で今千歳くんが自分のことをそう言っているわけでは無いことは分かっている。
千歳くんの中で変わった思いがあるからこそ言えたことなんだとも思う。
けれど、それでもどうしても千歳くんが醜いとも狡いとも臆病だとも思えない。
その言葉を無理やり呑み込もうとしたけれど、やっぱり無理だ。
千歳くんが私の意志を尊重して私にそうしてくれたように、笑って聞くことは出来なかった。
今の私は色んな感情を押し込めて、まるで般若のような顔だと思う。
千歳くんはそれでも変わらず穏やかに笑う。
「ちゃんとした兄妹になろう、ちー。あるべき兄妹の姿になりたい」
「……あるべき、兄妹?」
「そう。縋るんじゃなくて、支え合える兄妹。ちーを過剰に過保護に心配するだけじゃなくて、俺もちゃんと自分の道を歩いて行かなきゃ。……俺の人生なんだから」
「……千歳くん」
「自分を見つめ直したい。自分で自分の世話をして、自分だけの時間を作って、そうしてフラットな状態でちーと向き合えるように。ちーとちゃんと、対等になりたいんだよ」
……私はここまでしっかり千歳くんのようにこの先を考えられていただろうか?
自分のことで精いっぱいで、ちゃんと客観視することが未だに出来ていなくて、千歳くんの言葉にただただ一喜一憂していた。
千歳くんが見つめていたのは、もっとずっと先のこと。
私と対等になりたい。
そう言ってくれる千歳くんに、私の方こそ対等と言ってもらえる価値があるのだろうか。
……頷くことはできなかった。
けれど、それで良いわけじゃないのだと、そのくらいは私でも分かる。
千歳くんがこうして真剣に話してくれたことに返せる自分で、私はありたい。
「大丈夫だよ、ちーは」
「っ、千歳くん」
「もう大丈夫だろう、俺達は? 離れていたって、こんな話をしたって、壊れるような関係じゃないはずだ」
「……うん」
「俺さ、最近すごく楽しいんだ。自分の人生に前向きになれた気がする。ちーの才能に怯えるだけの俺じゃなくなった。俺にとってはすごい成長なんだよ、少し前まではちーにこんな話すること自体無理だったんだから」
「……うん、最近の千歳くんは生き生きしていると私も思う」
「だろ?」
楽し気に笑う千歳くん。
何かを吹っ切り晴れた表情の千歳くん。
目を輝かせ、未来を語る千歳くんの姿に、ようやく私は本心から頷いた。
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