62 / 88
本編
61.芽生えと昇華(side.千歳)
しおりを挟む『千歳く、曲出来たぁ……けっこ、う、自信さ……く……』
体力を限界まで削って、精神までも削って、千依は膨大な数の曲を作りあげた。
アルバム制作という俺達にとって初めての作業は、分かっていたとはいえ予想をはるかに越えて大変だったと思う。
元々そんなに体力のない千依は、全然説得力のない弱り切った声で自信作だと笑う。
そして、それだけ言うと糸がプツリと切れたかのように意識を落として目を覚まさなかった。
俺も一緒に曲作りをすることが多々あるとはいえ、スイッチが入った時の千依にはやはり追い付けない。
山積みの五線譜にその小さな顔が埋もれるくらい、千依は音を生みだし続けた。
十数曲の収録曲に対して、これまで書きためた分と今回新たに書いた分で桁が変わるほどの量だ。
そこから千依が厳選に厳選を重ねて絞り込んだ曲数は30曲ほど。
それらを全て見直し、曲としての完成度をこの短時間で2段階ほど上げたのだから、やっぱり千依はとんでもない。
しかも曲調がアップテンポなものからバラードに至るまで何でも作れるというのは大きい。
普通1人で何曲も作ると曲に偏りが出来てしまうものなのに、千依にはそれがない。
本当に同じ人が作った曲なのかと思うほど、それぞれ独立している。
それなのに、他とどことなく違う雰囲気から千依が作りあげた曲だと分かってしまう。
音が絡むと千依はやっぱりどこまでも化物級の天才だ。
「千歳? お前なにジッと固まって……って、おい千依、ちゃんとベッドで休め。休憩室空けてるから」
「大塚さん無駄無駄。ちー、今力使いきった直後だししばらくは何しても起きないよ」
「……またかよ、ちっとは体労れ。で、お前は何してんだ」
「ちーの作ってくれた曲の確認。……ちー、頑張ったね。これは本当力作」
「……何曲まで絞った?」
「32。全部修正してる」
「……本当、こいつはいつも想像のはるか上を行く奴だな」
心底恐ろしげな声をあげながら大塚さんが言う。
そして大きくため息をついて爆睡中の千依を抱え上げ、休憩室へと運んでいった。
「さてと、これをどう組み立てていくかな……」
再び静かになった部屋で一人俺はその力作達を読み解いていく。
すでに収録が確定しているシングル曲達を束ねてまずはアルバムのテーマを決めた。
そこからそのテーマに沿う曲を引っ張りだしたり作ったりで現在候補が32曲。
ある程度共通のテーマで世界観を統一させながら、それでも飽きが来ないようにと、千依は32通りのパターンの曲を生みだした。
千依が集中して生みだした曲達の中からさらに選ばれた曲なだけあって、どれが収録になっても……いや、どれがシングル曲になってもおかしくないだけのクオリティだ。
正直この先は好みの問題だろうとすら思える。
だからこそ、ここから俺の色を混ぜていく作業が始まるのだ。
千依が作り出した世界観と俺の中の想像をかけ合わせて、奏という世界が広がる。
ここまで素晴らしいものを生みだしてくれる千依の才能を無駄にしないために、気など抜けない。
曲の順序、構成。
歌い方に、楽器の音の出し方。
曲を作るというのは音符の並びを決めるだけではない。
作り手と歌い手、演奏者が全て合わさって初めて出来あがる。
「あー、もう! やりがいあるけど、これ本当迷うよちー。良曲作りすぎだって」
そんな贅沢過ぎる悩みを口にしながら、悶々と悩む俺。
器用ではあるが飛び抜けた才能があるわけじゃないから、何かを成すために人並みの時間はかかるのだ。
そしてそんな時、目の前のスマホが光った。
淡いピンクのそれは、最近千依が買い替えたもの。
液晶画面に大きく“山岸真夏”と書いてある。
……思わず手が伸びてしまう自分がいた。
ハッとして手を引っ込めるものの、長く表示されるその名前の引力に逆らえない。
……まさか、自分があんな一発でやられるなどと思わなかったのだ。
未だに自分で自分が信じられない。
そんな感情、一番信用おけないと思っていたのに。
それなのに名前を見た瞬間に空気がピンと張りつめ、心臓がピキッと音を立てる。
脳内には勝手に彼女のあの笑顔が再生され、幸せな気分になってしまうのだ。
何となく認めるのは悔しいけれど、そこまではっきりと変化が訪れて自覚しないほど自分も鈍くはない。
「……ちー、ごめん。余計なとこ触らないから」
欲望に負けて、通話ボタンを押す。
そんな行為すら、今まではしなかったというのに。
『あ、もしもし千依? ごめんね、仕事してたよね。体調良くなったか心配になっちゃってさー、お節介だとは思ったんだけど!』
耳に響いてきた声は、相変わらず芯のある強い声。
アハハと笑いながら相手を気遣うその言葉は紛れもなく記憶の中の彼女と一致する。
……悔しいと思ってしまう。
家族以外に感情を振り回されるのはあまり好きじゃないのだ。
それなのに声が聞けただけで嬉しいとも思ってしまうから、何だか腹立たしい。
そんな感情、声になどのせてやらないけど。
もはやそんな自分の意地すら恋愛ボケしているとは分かっているけれど。
「ああ、ごめんね真夏ちゃん。ちーは今集中切れて寝ちゃってるんだ。心配してくれてありがとう」
『え……え、ええ!? な、な、ち、ち、千歳、さん!?』
「はは、真夏ちゃん挙動不審だよ? 大丈夫?」
途端にガシャンと電話越しで何かが倒れる音が聞こえる。
もう知り合って半年以上経っていると言うのに、未だに慣れてはいないらしい。
まあ、実際会った回数だって2度、3度だけだから当然だろう。
『み、耳元で名前呼ばないでー! 倒れますって!』
「……うん、電話でそれは無理かな」
『うわああああ! あ、や、えっと……、あの……そう! そう、千依は大丈夫ですか!? 熱は!』
「うん。そっちはもうすっかり。ただ、ちょっとテンション上がっちゃったらしくて無理してたからしばらくは休ませるよ」
『無理してって、相変わらずあの子は……。すみません、ちゃんと休めって叱ってやってくれますか?』
「えー、俺ちーに叱るとかできないんだけどなあ」
『嘘付け! 千依が一番自分を叱るのは千歳さんだって言ってましたよ!! シスコンのくせして結構厳しいって!』
「……ちーも言うようになったな」
真夏ちゃんはずっと変わらない。
もう一人の千依の友達の萌ちゃんも、相変わらずだ。
この2人に支えられてちーは少しずつ心を開く様になった。
文句ひとつ言わなかった子が、たまに拗ねるようになったり意地悪言うようになったり。
まあ元の性格がお人よしすぎるから、それにしたって相当軽いものだが。
そんな変化ひとつとっても嬉しいと思う。
だってそれは千依が自分に自信を持ち始めたという証だから。
自分なんかがという気持ちじゃなくて、自分だってと思えるようになったということだから。
「まあ、とにかく連絡ありがとうね。ちーにはちゃんと言っとくから安心して」
『お願いしますよ! あ、あと千歳さんもちゃんと休んで下さいね。私テレビでクマだらけのチトセとか見たくないですから!』
「……普通そこは“心配だから”って言わない?」
『じゃあ私普通じゃないんです』
「いや、自信満々に言われても」
真夏ちゃんは本当に変わった子だ。
散々ファンだと言いながら、案外俺のことをぞんざいに扱う。
“千歳”に対しては、千依の兄というフィルターで見る。
そのくせして堂々と正直すぎるチトセの感想を言ってきたり、俺を見て動揺したり。
どこかちぐはぐな子。
……それでも、そんな所がなんだか可愛らしくて仕方ない。
そう思ってしまう自分も相当いかれてる。
どうやら俺の世界もまた、そうやって少しずつ広がっているようだ。
今まで正直、仕事と家族以外どうでも良かった。
大事にするべきものを履き違えたくないとどこかで思ってきたのかもしれない。
もう二度とあんな家族を苦しめるような無神経なことしたくないとも思ってきたのかもしれない。
けれど、時間は誰にだって流れる。
あんなに苦しんだ千依だって、こうして世界を広げて立派に羽ばたこうとしている。
あんなに怖がっていた“人”の力で。
千依の全ての始まりはタツだった。
そこに恋情が加わってなおさら千依は輝きを増している。
……正直、恋愛なんてくだらないものとどこかで思っていたところはあった。
だけど案外くだらなくなどないのかもしれない。
今まで優先順位を相当落としてきたものの中に、もしかしたら大事な何かはあるのかもしれない。
千依が変わって、俺の心も変わってきて、そうしてようやくそんなことに気付いた。
もし千依がタツに向けた気持ちが、今の俺にとってあの子への気持ちとどこか共通するのなら。
それならば、俺にも何だか分かる気がするのだ。
他人から見ればくだらないと思えるかもしれない感情でも、軽いと思えるような動機でも、時に強い力になって背中を押してくれることがある。
それを俺は最近知った。
「……でも悔しいから言ってやらない」
まあ、そうはいっても人間そう簡単には変われない。
考えを改めはしても、それが態度に出てくるかは別問題だ。
それでも気分は何だか新鮮で晴れ晴れとしていた。
芸音祭まであと3カ月弱。
千依や過去のこと、その他もろもろ奥でくすぶっていた感情が昇華しはじめていることに気付いたのはこの頃のこと。
0
お気に入りに追加
54
あなたにおすすめの小説
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる