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本編
59.終わりと始まり(side.タツ)
しおりを挟む気の持ち様だと人はいとも簡単に言う。
だがそう切り替えるのは決して簡単なことじゃない。
不安な気持ちをバネにするには根性が必要だ。
自信のなさを跳ね返すには覚悟も必要だ。
5年間乗り越えられなかった自分への音楽に対するコンプレックス。
いつまでたっても好きなこととイコールになってくれない実力。
足掻いても足掻いても答えが見つからない日々もあった。
5年かかって、やっと抜け出せたんだと思う。
久々に感じる熱いスポットライトを浴びて、俺はそう実感していた。
技術と心。
両方が組み合わさって、俺はやっと自分なりの答えを見いだせたんだろう。
5年前のあの技術力じゃ、駄目だった。
技術だけ磨いたとしても、きっと駄目だった。
5年かけて腕を磨き、そして5年かけて広がった絆があったからこそ、乗り越えられたのだ。
気の持ち様。
それは残酷な言葉ではあるが、同時に事実でもある。
自分の中の心の姿勢が変わった途端に、俺の道は一気に開けたのだから。
「リュウ、おかえり。見事だったな」
「松田さん」
「あの頃は本当に申し訳なかった。今さらなのは分かっているが、本当」
「もう良いですって。ケンさんに聞きました、俺をケンさんと会わせてくれたのは松田さんなんでしょう? 俺は松田さんに感謝はすれど恨んでなんかいませんよ。これっぽっちも」
「……すまん」
そう、何もかもが断たれたわけではなかったのだ。
切れたと思った絆は細くもちゃんと繋がっていて、俺がたった1年だけでもそこにいた意味はちゃんとあった。
「ったく、おせーよアホが。なに5年もかかってんだ、アイドル寿命知ってんのかお前は」
「……国民的アイドルが何言ってんだよ、タカ」
「なにサラッと弟キャラから爽やか兄貴キャラに変更してるわけ。何か気持ち悪いんだけど」
「相変わらずお前は性格悪いな、隼人」
「まあまあ。とにかくリュウ、おかえり。お前は本当有言実行の男だな」
「……おう」
「勝負はここからだ、ガキ。落ちんじゃねえぞ」
「分かってるよ、シゲ」
久しぶりに再会したマネージャーや仲間、スタッフ。
清々しい気持ちで、胸を張って会えたことを誇らしく思う。
それは5年間、迷って苦しんで喜んで楽しんで、そうして手に入れたものだ。
辛いことは山のようにあった。
どうしてこんなことに……と思うことも山のようにあった。
だけど今はこれで良かったのだと心の底から思う。
こうならなければ歩んできた道のりの尊さが分からなかったから。
こうならなければ出会うことのなかった絆がちゃんとあったから。
過去と現在。
俺はやっと、その両方をしっかり受け入れられる気がした。
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「おう、帰ったか。聞いたぞ、松田の野郎から」
「ケンさん」
「タツ! シュンちゃん! ついにやったって!? いやあ、めでたいねえ! 今日は赤飯炊こうかね」
「雅さんやめて、恥ずかしい」
もうすっかり慣れた“家”に帰ると、相変わらずのテンポで2人は話しかけてくる。
この人達は5年経っても変わらない。5年経っても温かく、家族のように接してくれる人達。
一度挫折したからこそ出会えた大事な絆。
そして、だからこそ俺もシュンもケンさんも雅さんも分かっていた。
俺の道がやっと広がったのと同時に、ここを離れる日がやってきたのだということ。
2人は何も言わないが、この店が別に住み込み社員など必要としていないことくらい俺にだって分かっていた。
忙しい時間帯だけバイトを雇えばそれで賄えるくらいの規模の居酒屋なのだ。
そうした方がずっと安上がりで、利益になる。
料理経験もなかった、しかも夢見がちな20代の男を住み込みで働かせながらギター指導を行うだなど破格中の破格の扱いだろう。
そうまでしてこの夫婦は俺にたくさんのものをかけてくれた。
一生かかっても返し切れないほどの恩を受けてしまったと本当に思う。
この場所がなければ俺はシュンと会うこともなく、いまもずっと答えすら分からないままに路頭で迷っていたはずだから。
「ま、お前らにしちゃ上出来だ。おい、タツ」
「なに」
「選別だ、受け取れ」
「え……っ、これ」
ケンさんから唐突に押し付けられた大きな何か。
受け取った後に一体何かと思って見直し、固まる。
手にずしりと重いそれは、古いギターだった。
ケンさんが現役時代に使っていた、正真正銘の相棒だ。
「も、もらえないって。こんなの」
「ああ? 良いから貰っとけっつの。俺はもう滅多にそいつを弾かねえんだ。楽器っつーのはな、使ってやらなきゃどんどんモノが悪くなっちまうもんなんだよ」
「いや、だからって」
「今のお前はもうそいつを弾きこなせる。どうせダメになるか誰かの手に渡ってしまうくらいなら、お前が持っていてくれや」
……少しは俺の力を認めてくれたのだろうか。
ケンさんからの褒め言葉など初めて聞く。
そしてコレを俺に預けてくれるくらい、ケンさんが俺のことを信頼してくれたのだということにも気付いた。
ケンさんに視線を向ければ、すぐに視線をそらして「けっ」と短く口にする。
何とも素直じゃないケンさんは、けれど情のない人でも不愛想な人でもない。
頭をガシガシとかきながら、やがて彼は穏やかに笑った。
そう、穏やかに。
初めて見るその表情にシュンと2人驚く。
「師匠からしてやれる最後のことだよ。おめでとう、タツ」
「……卑怯だろ、それは」
そのたった一言のせいで、涙腺が緩む。
ああ、どうやら俺もまだまだ余韻が抜けきっていないみたいだ。
音と向き合っているといつだって俺の感情は揺さぶられる。
久しぶりに立ったあれだけ大きなステージに未だ引きずられ、素直な感情が全て出てきてしまう。
今ケンさんを前に強気でいるのは無理そうだ。
泣きそうになる情けない自分を隠す様、俺は声を張り上げた。
「じゃあ、最後にケンさん弾いてよ」
「ああ?」
「俺ケンさんの……師匠の本気が聴きたい」
「……ったく、仕方ねえな」
ひったくるようにギターを取り上げ、近くの椅子にケンさんは腰掛ける。
今まで幾度となく手本としてギターを弾いてくれてはいたが、生の演奏をじっくり聴くのは何気に初めてだ。
俺も、興味津々なシュンも、近くの椅子に腰かけ視線を向ける。
ギターを手にして構えた時には、もうスイッチが切り替りギタリストのkenになっていた。
そうして奏でられるのは、おそらくは俺が生で聴くことのできる最初で最後のケンさんの演奏。
一言でいうなら、それはもうとんでもなかった。
第一線の中でも更に上級者だったというケンさん。
自分の技術が上がって耳も肥えたからこそ、そのすごさが良く分かる。
隣で聴くシュンも、敵わないという風に苦笑してその演奏を聴いていた。
……多くの人に支えられて、今がある。
いい加減なきっかけで入ったこの道は、しかしその縁がもとでここまでやってこれた。
普通だったら決して出会えないだろうこの人が、心を込めて俺に叩き込んでくれた技術。
決して独りだけの夢ではなくなった俺の音楽の道。
俺の人生の誇りだと、そう迷いなく言える。
「……良いか、タツ。本気で欲しいと思ったものは、きちんと追いかけろ。食らいつけ。お前にはそれを現実にできるだけの力があんだからよ」
いつの間にかケンさんの演奏は終わっていて、そのギターを俺の手に戻しそんなことを言う。
様々な思いが混ざって声にならない。
俺の頭をガシリと掴んで、その人は言った。
「お前には良い夢を見せてもらったよ。この先も元気で頑張んな」
頭を抑えつけられているから顔を上に上げられない。
ケンさんが今どんな顔をしているのかも分からない。
けれど充分だ。
その思いは真っすぐに俺の中に響く。
せっかく誤魔化せたと思っていた涙線はついに決壊し、今度は嗚咽を抑えるのに必死だ。
感情が涙と一緒に流れて、もう言葉にできない。
それでも、どうしても俺には伝えなければいけない言葉がある。
「5年間、本当にありがとうございました……! この恩は一生、忘れません」
こうして、俺は5年間に及ぶ修行生活に幕を閉じた。
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