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本編
50.自覚・後(side.タツ)
しおりを挟む「うえええ!? 知り合いいい!?」
俺達の反応を訝しんだ芳樹に事情を話せば、店内に絶叫が響き渡る。
こう見えて案外口の堅い芳樹なら大丈夫だろうと思い言ったが、反応は案の定だ。
ただそれ以上に衝撃がでかすぎて、シュンと2人固まったまま動けなかった。
『勝負、です。いつか同じ舞台でお互いに音を届けましょう』
真っすぐに、疑いのない目で俺に告げてきた言葉を思い出す。
あまり評価のされない俺を一生懸命励ましてくれた女の子。
俺なんかよりも段違いに素晴らしいものを持ちながら、それでも俺を憧れだと言い切る不思議な子。
出会ってまだ半年も経っていない。
それでも彼女の存在に、言葉に、音楽に、俺は幾度と救われてきたように思う。
俺に音楽の楽しさを気付かせてくれた、自信を少し分け与えてくれた。
音楽以外のことは少し、不器用そうではあったが。
話ひとつ繋げることすらたどたどしく、友達の作り方も分からないほどに。
焦ればその分から回って、思わず手を差し伸べたくなるような不安定さをもったチエ。
それでも自分の心を何とか伝えようといつだって一生懸命だった。
頑張ろうと、上を向こうと、努力し続けるその姿を応援したいと思った。
救ってくれたお礼に、手助けをできたらなんて思いは少々傲慢だったのかもしれない。
俺が何かをする必要はきっと、なかった。
だってそうだろう?
チエは、俺のいない世界でもこうして立派に花を咲かせている。
苦手だと言いながら、ハラハラするほどの危うさを持ちながら、それでも今日も彼女はこうして戦っているのだ。
必死に、持ち前のその芯の強さで。
その証に、彼女の紡ぐ音はチトセにも負けないほど力強い。
何ともチエらしいと、そんなことを思う。
「しかし何というか、竜也さんってやっぱすごい人なんだね。さすが元フォレスト!」
高揚したままの気持ちが抜けない俺に、唐突に芳樹が言う。
わけが分からなくて「は?」と聞き返す俺。
芳樹は屈託なく笑った。
「だって、あんなすごい奴に憧れって言われるんだろ? それってすげえって!」
「あー……、でもあの子変わってるしなあ。一般的に言うならすげえのはシュンの方で」
「いやいやいや! 俺音楽とか全然分かんないから才能とかよく分かんないけど、何も持ってない人は憧れの対象になんてならないんだぞ?」
自慢げに言う芳樹が可愛くなって、思わずグシャグシャと頭を撫で潰してしまう。
「うわ、やめっ」と言いながらも本気で抵抗しないあたり、本当可愛い奴だ。
すごい人。
それに自分が当てはまるかどうかと聞かれれば、やはり自信は持てない。
実力も技術もどうしても上ばかり目について、自分の無力さを痛感する。
俺にはあんな全てを惹き付けられるような演奏できる気がしない。
だが、それでも。
どこかで諦められない自分の心。
そんな自分を以前と比べて認めることができたのは、きっと……。
「こ、ここここ、こんばんは!」
「えっ、まじ、本物!?」
「えっ、あ、営業ちゅ……うわあああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
考えがまとまらないうちに、後ろから声が届いた。
即座に反応したのは芳樹で、興奮気味に声を発している。
スローモーションのようにゆっくり振り返れば、そこにいたのはさっきテレビ越しに見た少女。
紺色のダッフルコートを着た彼女の髪型も顔も、さっきテレビ越しに見たままのチエだった。
「チ、エ……」
掠れたように名を呼べば、目の前の少女は途端に肩を震わせる。
それでもチエは顔を下げることなく真っすぐ俺を見つめてきた。
「おう、チエ来たか。良かったぞ、さっきの」
「え、あ! あ、ありがとうございます!」
皆驚いている中でただ一人ケンさんだけが平然とそんなことを言う。
訳知り顔なのが理解できなくて視線を向ければ、いつものニヤリとした意地悪い笑みを浮かべるケンさん。
首を傾げ眉を寄せる俺に、ケンさんが顎でしゃくった先はチエのいる方。
訝しがりながらも視線を戻せば、チエは今もまだ俺の方を見つめ固まっていた。
不安げなその表情を見て、やっと俺は我に返る。
そうだ、呆けてる場合じゃない。
いつも俺達の音を聴いて感想をくれるこの子に、どうして何も言わないんだ俺は。
慌てて言葉を探すが、どうにも興奮状態が冷めていないようで上手くまとまらない。
「すごかった、やっぱりチエは天才なんだな。驚いた」
当たり障りのない、誰もが思いつくようなことしか言えない自分を情けなく思った。
衝撃が強いと語彙力が無くなるというのはどうやら本当らしい。
もう少し気の利いた言葉ひとつ言えないのかと自分でも思う。
しかし言葉が上手いこと出てこない。
チエはそれでも俺の言葉をきちんと拾い、泣きそうな顔をしながらもブンブンと首を横に振って反応してくれた。
「ずっと、伝えたかったんです。貴方にお礼が、言いたかった」
そうしてチエの口から出てきた言葉に、俺は首を傾げる。
お礼。その単語に思い当たるものが何一つなかったからだ。
目の前で、チエが大きく深呼吸するのが分かった。
「私、テレビで見たんです。リュウの、最後のライブを」
「……え」
「あの時の私は、本当ダメダメで……、今より何もできなくて、本当にどうしようもなくて」
あまりに抽象的なチエの言葉を、正直俺は理解できていない。
しかし俺がフォレストを抜けた時チエにとっても辛いことがあったのだと、それくらいは察することができた。
思えば俺はチエがどうしてここまで俺を憧れてくれているのか、その理由を知らない。
もしかすると、この話はそれと関係があるのだろうか。
ただただ耳を傾けたのは、今にも泣きだしそうな顔をしながらそれでも必死にチエが何かを言おうとしていたからだ。
「貴方の歌を、聴きました。テレビの向こうから」
「うん」
「あの時の、あのリュウの歌が私をここまで連れてきてくれた。あんなに力強くて、温かくて、優しくて、真っ直ぐに響く音を私は聴いたことがなかった。リュウのおかげで、私は、ここまでやってこれたんです」
数分かけて声をひっくり返しながら告げてくれたチエの言葉。
思わず俺は目を瞬かせ呆けてしまう。
「俺、の……おかげ?」
思わず、聞き返してしまう。
リュウとして最後の歌。
実力は悔しいほどになくて、技術も何もなくただただ体を巡った強い気持ちだけで歌った。
俺の作るちっぽけな音楽でも、誰かの力になるのならばと。
伝わるかどうかすら、分からないままに。
チエは、そんなあの時のことをまるで宝物かのように言ってくれる。
「ずっと、言いたかった。あの歌を私に届けてくれた貴方に、この言葉を言うのが夢だったんです」
「チ、エ……?」
「本当に、ありがとう!」
声をひっくり返しそうになりながら必死に言うチエ。
頭はやっぱり勢いよく下がっていて、身体は相変わらずの綺麗な90度。
呆然としたままの俺は、けれど、その言葉を理解した瞬間、体の芯が熱くなっていく。
沸騰するかのように。焼けるかのように。
……伝わっていた。
あの日のあの拙い音を拾って糧としてくれた人が、ここにいた。
あの日の気持ちはちゃんと、届いてくれていたのだ。
「……待ってますから」
「え?」
「今度は私がテレビの向こうから待ってます。タツやシュンさんがここまで来るのを」
そうしていつになく力強く言われた言葉に反応して、再び視線を合わせる。
するとチエは俺とシュンを両方見た後に笑顔を見せた。
「勝負、です。2人に負けないくらい、私だって、うんと強くなってみせます」
そう告げたチエの顔が、あまりに綺麗で驚く。
数少ない彼女のその満面の笑みは、恐ろしいくらいに温かい。
そのとき俺は見事にあっさりと持っていかれた。
自分より何歳も下の女子高生だとか、自分と段違いの才能があるとか、俺を憧れてくれているとか、そんなこと頭からすべて吹っ飛んでしまう。
ただただ純粋に惹きつけられ、目が離せない。
ああ、そうか。
どうしようもなくチエのことが好きなのだと、そう自覚した瞬間だった。
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