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本編
32.千依のこれまで4
しおりを挟む何度も何度も、リュウの声を聴いた。
お父さんお母さんにお願いして、フォレストのCDを買ってもらって。
テレビ越しで聴いたあの曲をフルで聴いて、尚更気持ちが届いて何度も泣いた。
リュウの声は粗いし、特徴があるわけでもない。
けれど、力強くて温かくて元気になれる。
大丈夫だ、一緒に進もうと、励ましてくれているように感じる。
その言葉のひとつひとつが、心を込めた声が、強く私の心を掴む。
惜しむことなく届くその悔しい気持ちと前を向こうと足掻く気持ちがどこか自分と重なる。
それでもこの人は一生懸命立ち上がろうとこんな明るく温かい曲を歌える。
「私も、そうなりたい」
強く励まされて、やっとそう思えるようになった。
恐る恐るピアノの鍵盤を触る。
『おー、上手い!』
それまで凶器にしかならなかった川口さんの言葉が脳内に流れる。けれど、それはどこか温かく感じた。
何もかも失ったわけじゃなかった。
あんなに怒られたけれど、ピアノに関してだけは2人共手放しでほめてくれた。
そうだ。私には音楽がある。
聴いて、弾いて、そうやって私を幸せにしてくれたものがまだある。
「……っ、ちー」
指が“ちゃんと”動いた瞬間。
私はボロボロと流れる涙を隠すこともできず、叫ぶような嗚咽を押し殺すこともできず、一重に安心して泣き叫びながら音を紡いだ。
あまりに滑稽で、けれど大事な一歩。
中学生に上がって、やっぱり学校には行けなかったけれど、少しだけ前を向けるようになっていく。
音を通じて、私は自分の心を表現できるようになっていった。
そうして、保健室に通えるまでに回復したのは中学3年の夏。
それだけでもすごい進歩ではあったけど、やっぱりスローペースにしか進めない私。
最後までそこから先に進めなくて、勉強も大幅に遅れたおかげでちんぷんかんぷんなまま。
気付けば中学の卒業式を迎えた。
受験は、出来なかった。
自分から人の集まる学校という場所に行くということに、勇気が持てなかったのだ。
「ちー、一緒に音楽してみない?」
「……え?いつも、してるよ?」
「ん、そうなんだけど。そうじゃなくて、もう一つステップ上がってさ」
千歳くんからそんなお誘いがかかったのは、ちょうど中学を卒業してから2週間くらい経った頃のこと。
その日は、千歳くんの入学式だった。
「俺が表に立つ。ちーは、作曲家」
「作曲家?」
「ん。音楽の双子ユニット、カッコいいだろ」
どこまでも器用な千歳くんは音楽を始めてからものの数年でギターを弾き歌を歌うまでに成長していた。
私の知らない間に音楽の世界に魅了されたらしい千歳くんは、将来もしっかりと見据えて芸能科のある高校に入学したのだとその時初めて知る。
入学時は普通科として入った千歳くんだけど、その学校がもともと芸能人養成に力を入れた学校だと千歳くんは知っていたのだ。普通科出身でも著名人になれば芸能科へ転入でき高卒資格と芸能活動を両立できるようシステムが出来上がっている学校。
芸能人の卵が大勢入ることで有名な高校だった。
そして晴れて入学を果たしたその日、私に提案をしたのだ。
「俺達、いけると思う。ちーの才能と俺の力を、試してみたい」
「わ、私才能なんて」
「あるよ、ちーには。とんでもない才能。俺は誰よりも信じる。誰よりも知ってる。だから、一緒に勝負したいんだ」
今でも一字一句違えずはっきり覚えている。
だってその言葉と行動は、千歳くんが誰よりも私を信じてくれた証だ。
「はは、実は父さんのコネ使ってちょっと芸能事務所の人に啖呵きっちゃった」
「え、え……!?」
「だから助けてお願い」
確信犯の顔をして、千歳くんは笑う。
私達の芸能生活が始まったのはここからだ。
「今すぐ契約しましょう、他に取られる前に」
そこで初めて大塚さんに出会う。
緊張してしまって上手く音楽を広げられなかった私なのに、何かを見いだしてくれたのかそれ以降ずっと私達を支え続けてくれている。
千歳くんは「ほらね?」なんて得意げに笑っていたけれど。
奏は急速に、そして着実に出来上がっていった。
人前が怖くて何もできないポンコツな私を、大塚さんもスタッフさんも理解し根気よくサポートしてくれる。
私のペースで私の思うままに好きに音楽をさせてくれた。
千歳くんが初めはパイプになってくれて、次第に私からも直接大塚さんに話せるようになっていく。
この世の中で、皆が皆私に腹立つわけじゃないんだと、やっとそんな当たり前のことを知る。
デビューが決まれば自分のことのように喜んでくれて、駄目なことをすれば親のように本気で叱ってくれて、困った時には親身に相談に乗ってくれる……そういう人たちに囲まれた私は本当に幸運だった。
デビューしてからも私は人前には出られなかった。
けれど千歳くんと通して、私の世界は少しずつ広がっていく。
ちぃという名前だけ表に出す形ではあったけれど、その名前を受け入れ応援してくれる人もまたいた。
顔も声も知らないだろう私に宛てて長文の手紙をくれる人だっていたのだ。
音を通じて、私の繋がりは広がっていった。
不登校になってから約5年。
ようやく私は人と繋がることの尊さと素晴らしさを理解できるようになった。
高校に行こうと、頑張ってまたやり直してみようと、そう思えるようにまでなったんだ。
---------------------------------------------------------------
人から見れば、「たったそれだけ?」と思うようなことなのかもしれない。
けれど、たった5分にも満たないリュウの歌から私の世界は広がった。
一度折れてもう立ち直れないとすら思っていた所から、この世界へと連れて来てくれた。
まだまだ人が怖いという部分はある。
どうすればいいのか分からないことは山ほどだ。
時には恐怖が勝って、気持ちが沈むことも多々ある。
けれど、前に進んでみたい。
次、川口さん達と会った時には少しでも認めてもらえる自分になれるように。
結局やっぱり理想と現実は離れていて、実際会ってしまえば何一つ言えない駄目な自分を痛感したけれど。
落ち込み何も考えられず人に支えられなければ私は未だ立ち上がれない。
けれど、それでも。
「やっぱり、すごいなあ」
こうしてタツの歌はいつだって私を引き上げてくれる。
反省しなきゃ駄目なことは山ほどだけれど、必要以上に落ち込む私を引きとめてくれる。
いつだって、この歌は私の原点。
大事で大好きで、愛しい歌。
「俺の歌をそんなに言ってくれる子は君くらいだよ、マジで」
ボロボロ泣いてひどいことになっている私の顔。
それでもそこには目をつぶり、ただただ苦笑するタツ。
必死に頭を振って、私は否定した。
「タツは自分に自信がなさすぎ、です」
断言すれば、今度は爆笑された。
「それ、チエが言うの? 本当自分のこと見てから言いなって」
タツの言うことは私には上手く理解できない。
それでもタツの声は優しく、その笑顔は私を惹きつけ離さない。
「さっきも言ったけど、チエは大丈夫。だってこんな一生懸命で優しいんだもん。大丈夫」
歌い終わってギターを隅に置いたタツは私の目を見て笑う。
優しく頭を撫でてくれるその手があまりに温かくて、泣きそうになる。
弱り切った心と優しく温かなタツの歌。
ああ、と気付いてしまったのはその時だった。
いつからだったのかなんて分からない。
リュウとして最後の舞台であるあの歌を聴いた時からなのか。
タツとして出会って、その志に直に触れた時からなのか。
それともまさに今からなのか。
それでも、この気持ちはもしかしたら。
「……原点なんです、私にとってこの曲は」
「チエ?」
「いつだってこの曲に私は救われてきた。今も昔も、リュウもタツも、私にとってはきっと、同じ」
「……チエ」
「大好きです、出会ってくれて本当にありがとう」
そう、思わずこうして言葉に出てしまうほどに、私はこの人のことが好きなんだ。
それは予想していたより緩やかで温かくて幸せな始まりだった。
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