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本編
31.千依のこれまで3
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川口さんと村谷さんは、根から悪い人達じゃなかった。
間違ったことを言っていたわけでもなかった。
そして友達を止めるといって距離が開いてからも、用事のある時にはちゃんと話しかけてくれたし、無視されることもなかった。
ただ、向けられる感情が無に近くなっただけだ。
そして2人との距離が開くとまた私の日常は元通りだ。
私一人では誰も寄り付かない。
人との付き合い方が私は尚更分からなくなった。
人から向けられる視線がひたすらに怖いとそう思う。
それは、今まで一番身近に感じていたはずの千歳くんさえも。
「ちー、この間はごめん。……ちー?」
「な、な、なに」
「え……なんでそんな怯えんの。なんかあった?」
「なん、なんでもない」
「……ちー」
息が苦しくなった。
八方ふさがりでどうすればいいのか分からない。
いっそ、人のいない世界に逃げれば良いのかもしれない。
『また逃げるの?』
けれどその度に川口さんが、村谷さんが、頭の中で私を責め立てる。
……そうだ。
今逃げたって、人と全く関わらずに生きてくなんてできない。
逃げて、その先どうするの?
「……っ! ……は、ぁ……っ」
「ちー!?」
急に呼吸の仕方を忘れたのは、その時が初めてだ。
過呼吸と言われる症状だと知ったのは、その後。
「ちー大丈夫!? ちょっと、ちー!?」
……千歳くんにトラウマを焼きつけてしまったことは本当申し訳なく思う。
タイミングの悪さが重なった結果だった。
そして、千歳くんのシスコンが加速してしまったのは、多分これが原因。
学校に通えなくなったのはそこからだ。
朝に気合を入れて学校に行こうとするのに、靴ひもを縛ろうとする瞬間に手が震える。
たまらなく気持ち悪くなって立てなくなる。
ポンコツな私の体は、ますますポンコツになって、普通の生活すら難しくなっていく。
どうしようと焦れば焦るほどに、何もできなくなっていく。
あんなに大好きだった音楽すら、トラウマを思い出して怖い。
「ちー、ただいま! これ、ちーの好きなお菓子。一緒に食べよう」
「千歳くん……その」
「こら、そんな気使わない。俺達家族でしょ?」
千歳くんはそれでも根気強く接してくれた。
私なら嫌になるくらい何もかも出来ない私を何一つ責めずに、一緒にいてくれた。
気が遠くなるほど辛い時間を、辛い顔一つせず過ごしてくれた大事な恩人。
……もらってばかりで何も返せない。
酷い暴言を吐いて、それを未だ謝ることすらできないグズな自分。
そんな私を「大事な家族だ」なんて言って接してくれる彼に、罪悪感は募った。
こんなに大きく優しい人に、私はなんて醜い嫉妬をしていたんだろうって。
いつだって一番傍で見守ってくれた人なのに。
「ごめん、なさい。千歳くん、ごめん……!!」
泣き叫ぶしかできない私を、千歳くんはただただ背を撫で宥めてくれた。
そんなもどかしくモヤモヤとした日々が続いたのは1年。
たった1年かと思うかもしれない。
けれど365日24時間私のことを気にかけなければいけない生活は、当時まだ小学生だった千歳くんにとってどれだけの重荷だったことか。
小学6年生に上がっても、何も変われない私。
担任の先生が何度か訪ねてきたけれど、やっぱり恐怖で言葉ひとつも喋れなかった。
「こんなになるまで放っておいて申し訳ない」と先生がお母さんに言っているのを聞いて、「いえ、こちらこそお手数おかけして」なんて返事を聞いた。
迷惑ばかりかける自分にますます嫌気がさす。
「ねえ、ちー。これ、ド?」
「……ミ」
「え……あれ? でもこの本だとドって書いてる」
「これ、ヘ音記号だよ」
「あ! なるほど。ありがとうちー。ちーはやっぱりすごいなあ!」
千歳くんはそんな中でも変わらなかった。
何を思ったのか、この頃から千歳くんもギターをやるようになって音楽を猛勉強する。
かなりの熱の入り様で、分からないことがあるたびに私に尋ねる。
その度、大げさなくらいに千歳くんは私を褒めた。
そんな千歳くんの努力のおかげなんだろう。
千歳くんの相手だけは平気だったのだ。
音楽も相変わらず自分ではできなかったけれど、千歳くんの手伝いをする時間は不思議と苦ではなかった。
2人で音楽をするということ。
それはこの頃に始まったことだ。
そうして一つ一つ積み上げていった。
なかなか足は外に向いてくれない。
狭い世界の中でしか生きていけない私。
人の笑い声も怖くて、テレビすら見れなかった。
だから、それを聴けたのは本当に幸運だったんだと思う。
「あ」
それはリビングのソファにいたお父さんが立ち上がる時のこと。
偶然、本当にたまたまソファに置きっぱなしになっていたリモコンが反応し電源が入ったのだ。
途端に流れてきたのが、リュウのあの歌。
奇跡としか言いようがないと思う。
もしくは運命だったのかもしれない。
「わ、ごめんな千依! すぐ……千依?」
「ちー?」
「あらあら」
今もずっとあの音に出会えたことを感謝している。
何かに折れた目を持ちながら、それでも強烈に笑って音を最後まで楽しんでいたリュウ。
悔し涙を流しながら、それでも決して崩れず前向きな声を発したリュウ。
ああ、音楽ってこういうものだ。
温かい気持ちも、悔しい気持ちも、楽しい気持ちも、全部伝えてくれる。
そんなことを、その時やっと思い出した。
リュウの真っ直ぐな思いが痛いほど伝わる。
そのあまりに強く純粋な音色に、心の底から救われた気がしたんだ。
間違ったことを言っていたわけでもなかった。
そして友達を止めるといって距離が開いてからも、用事のある時にはちゃんと話しかけてくれたし、無視されることもなかった。
ただ、向けられる感情が無に近くなっただけだ。
そして2人との距離が開くとまた私の日常は元通りだ。
私一人では誰も寄り付かない。
人との付き合い方が私は尚更分からなくなった。
人から向けられる視線がひたすらに怖いとそう思う。
それは、今まで一番身近に感じていたはずの千歳くんさえも。
「ちー、この間はごめん。……ちー?」
「な、な、なに」
「え……なんでそんな怯えんの。なんかあった?」
「なん、なんでもない」
「……ちー」
息が苦しくなった。
八方ふさがりでどうすればいいのか分からない。
いっそ、人のいない世界に逃げれば良いのかもしれない。
『また逃げるの?』
けれどその度に川口さんが、村谷さんが、頭の中で私を責め立てる。
……そうだ。
今逃げたって、人と全く関わらずに生きてくなんてできない。
逃げて、その先どうするの?
「……っ! ……は、ぁ……っ」
「ちー!?」
急に呼吸の仕方を忘れたのは、その時が初めてだ。
過呼吸と言われる症状だと知ったのは、その後。
「ちー大丈夫!? ちょっと、ちー!?」
……千歳くんにトラウマを焼きつけてしまったことは本当申し訳なく思う。
タイミングの悪さが重なった結果だった。
そして、千歳くんのシスコンが加速してしまったのは、多分これが原因。
学校に通えなくなったのはそこからだ。
朝に気合を入れて学校に行こうとするのに、靴ひもを縛ろうとする瞬間に手が震える。
たまらなく気持ち悪くなって立てなくなる。
ポンコツな私の体は、ますますポンコツになって、普通の生活すら難しくなっていく。
どうしようと焦れば焦るほどに、何もできなくなっていく。
あんなに大好きだった音楽すら、トラウマを思い出して怖い。
「ちー、ただいま! これ、ちーの好きなお菓子。一緒に食べよう」
「千歳くん……その」
「こら、そんな気使わない。俺達家族でしょ?」
千歳くんはそれでも根気強く接してくれた。
私なら嫌になるくらい何もかも出来ない私を何一つ責めずに、一緒にいてくれた。
気が遠くなるほど辛い時間を、辛い顔一つせず過ごしてくれた大事な恩人。
……もらってばかりで何も返せない。
酷い暴言を吐いて、それを未だ謝ることすらできないグズな自分。
そんな私を「大事な家族だ」なんて言って接してくれる彼に、罪悪感は募った。
こんなに大きく優しい人に、私はなんて醜い嫉妬をしていたんだろうって。
いつだって一番傍で見守ってくれた人なのに。
「ごめん、なさい。千歳くん、ごめん……!!」
泣き叫ぶしかできない私を、千歳くんはただただ背を撫で宥めてくれた。
そんなもどかしくモヤモヤとした日々が続いたのは1年。
たった1年かと思うかもしれない。
けれど365日24時間私のことを気にかけなければいけない生活は、当時まだ小学生だった千歳くんにとってどれだけの重荷だったことか。
小学6年生に上がっても、何も変われない私。
担任の先生が何度か訪ねてきたけれど、やっぱり恐怖で言葉ひとつも喋れなかった。
「こんなになるまで放っておいて申し訳ない」と先生がお母さんに言っているのを聞いて、「いえ、こちらこそお手数おかけして」なんて返事を聞いた。
迷惑ばかりかける自分にますます嫌気がさす。
「ねえ、ちー。これ、ド?」
「……ミ」
「え……あれ? でもこの本だとドって書いてる」
「これ、ヘ音記号だよ」
「あ! なるほど。ありがとうちー。ちーはやっぱりすごいなあ!」
千歳くんはそんな中でも変わらなかった。
何を思ったのか、この頃から千歳くんもギターをやるようになって音楽を猛勉強する。
かなりの熱の入り様で、分からないことがあるたびに私に尋ねる。
その度、大げさなくらいに千歳くんは私を褒めた。
そんな千歳くんの努力のおかげなんだろう。
千歳くんの相手だけは平気だったのだ。
音楽も相変わらず自分ではできなかったけれど、千歳くんの手伝いをする時間は不思議と苦ではなかった。
2人で音楽をするということ。
それはこの頃に始まったことだ。
そうして一つ一つ積み上げていった。
なかなか足は外に向いてくれない。
狭い世界の中でしか生きていけない私。
人の笑い声も怖くて、テレビすら見れなかった。
だから、それを聴けたのは本当に幸運だったんだと思う。
「あ」
それはリビングのソファにいたお父さんが立ち上がる時のこと。
偶然、本当にたまたまソファに置きっぱなしになっていたリモコンが反応し電源が入ったのだ。
途端に流れてきたのが、リュウのあの歌。
奇跡としか言いようがないと思う。
もしくは運命だったのかもしれない。
「わ、ごめんな千依! すぐ……千依?」
「ちー?」
「あらあら」
今もずっとあの音に出会えたことを感謝している。
何かに折れた目を持ちながら、それでも強烈に笑って音を最後まで楽しんでいたリュウ。
悔し涙を流しながら、それでも決して崩れず前向きな声を発したリュウ。
ああ、音楽ってこういうものだ。
温かい気持ちも、悔しい気持ちも、楽しい気持ちも、全部伝えてくれる。
そんなことを、その時やっと思い出した。
リュウの真っ直ぐな思いが痛いほど伝わる。
そのあまりに強く純粋な音色に、心の底から救われた気がしたんだ。
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