ぼたん ~不器用な歌い手達が紡ぐ音~

雪見桜

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本編

7.気合と空回り

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熱に押される形で帰って来た私はピアノの前でひたすら音符を探す。
部屋に閉じこもってしまえばそこは完全に私だけの空間だ。
一度集中しだすと他が見えなくなるのはいつものこと。
結局集中が切れたのは、そろそろ日付が変わるかという時だった。

「うへえ、ただいまー、ちー」
「千歳くん? お帰りなさい、お疲れ様。ごめんね、今日事務所行けなくて」
「何言ってんの。ちーは昨日まで激務だったんだから今日くらい休みなよ」
「でも千歳くんも昨日まで一緒に働いてたのに」
「いやいや、それ言ったら昨日までの仕事ちーと俺とじゃ負担がまるで違うから。気にしないの」

なだれ込むように足をもつれさせて部屋に入ってくる千歳くん。
へとへとに疲れ果てているだろうに相変わらず千歳くんは私にとても甘い。
一番疲れているはずなのに何でもないことのように私を気遣う千歳くんに苦笑しながら、私は席を立った。

「ちょっと待ってね、お茶淹れるから」
「いーよ、大丈夫」
「駄目だよー、喉大事にしなくちゃ」
「……ん、ありがと」

ガバッと私に抱きつく千歳くんをベッドに連れて行って、ポイッと体を横たえさせる。
そうして近くに置いてあった緑茶のティーパックを広げてケトルのお湯を注いだ。
本当はちゃんと急須から淹れたお茶にするのが良いんだろうけれど、ついつい楽な方になってしまう。
それでも千歳くんは「ありがとー」とか「おいしー」とか言って喜んでくれる。
本当に素晴らしいお兄ちゃんだ。

「なんかちー、今日ご機嫌だね」
「うん、そうなの」
「お、珍しいね肯定するの。何かあった?」
「えへへ、秘密」
「えー?」

私の小さな変化にいつも気付いてくれる千歳くんが楽しそうに聞いてくる。
けれど、何だか勿体なくて言えなかった。
今でも幻だったんじゃないかって思う。
だから、ご機嫌なまま誤魔化すと千歳くんも笑ったまま誤魔化されてくれた。

「あのね、私頑張るの。歌も曲作りも、学校も。頑張るよ」

いつになく強気な私は上機嫌なまま千歳くんに告げる。
こんなこと千歳くんくらいにしか言えない。
他の人の前では、強気になる前に委縮してしまう。
けれどいつか、ちゃんと他の人にも言えるようになりたい。
それくらい強くなりたい。
そう思えること自体が、本当に珍しいことだった。
私にとってリュウという存在はそれだけ偉大だ。

「ちーがそう思えるなら俺も嬉しい。無理しすぎず頑張れ、俺も頑張る」
「うん、ありがとう千歳くん」
「でも、ちーは今のままでも十分頑張ってるからね。俺は今のちーも大好きだし」
「ふふ、私も千歳くん大好き」
「……ん、ありがとう」

優しい兄に支えられ、大事な出会いに助けられ。
多くの人から守られながら今の私がある。
そんなことを思いながら、その日の夜は更けていった。

「ねえ、ねえ、萌。昨日のミュージックガイド見た?」
「見た見た。しばらく見ない間にチトセ歌上手くなったね、ちょっとびっくり」
「もう、普段冷たいくせしてそういうとこ付き合ってくれるから萌好き! 超良かった!」
「あんたのことだから何回も見たんでしょ」
「うん、今日おかげで寝不足」
「……何時まで見続けたわけ」

学校に行くと今日も山岸さんと山崎さんが千歳くんの話をしてくれていた。
昨日千歳くんが出たのは生放送の音楽番組。
新曲披露……ではなくて、他のアーティストさんとのコラボ企画だ。
もちろん新曲前の売り出しでもあるけれど。
私は、録画して今朝お父さんお母さんと一緒に観た。
いつも一緒にいるから当然知っていたけれど、千歳くんの歌はどんどん上達している。
山岸さんが気付いてくれたことが、とても嬉しい。
前は「声量と勢いだけ」とプロの先生から辛辣な評価をされていたことを知っている。
千歳くんが悔しそうに眉を曲げながら、それでも食いしばって実力を上げていることを知っている。
最近やっと先生から褒められる所が出てきたと笑う千歳くんの根性と強さを私は傍で見てきた。

「本当チトセって天才! 私と1歳しか違わないのに、全然違う!」

千歳くんを純粋に応援してくれる山岸さんの声が心強い。
心の中で大きくガッツポーズを取るのと同時に、焦る気持ちも湧いてきた。

千歳くんはいつも私の前に立って私をぐいぐいと引っ張ってくれる人。
いつだって成長し続けられる強い人。
置いて行かれないように私も必死だ。
千歳くんにだって負けないよって、そう負けず嫌いな自分が顔を出す。
私が出来ることは千歳くんの出来ることに比べれば圧倒的に少ない。
けれど音楽だけは張り合える自分でありたい。
奏の看板と共に背負う者として、恥じない自分でありたい。
私が私であるために一番大事な場所だから。

「あー、新曲楽しみだなあ。奏の曲はハズレほとんどないんだよー」
「確かに奏の曲って独特だよね、コンビニとかで流れててもすぐ分かるし」
「そうなんだよ! しかもチトセにぴったりでさあ! 相方が天才なの、きっと。どんな人なのかなあ」

……ここにいますなんて言ったところで信じてくれないだろう。
けれど心臓がバクバクする。
ありがとう。
言えない言葉は心で呟いて気合を入れる。
私はきっと皆が思うような天才ではないけれど、それでも曲の存在をこうして思い出してくれることが本当に嬉しい。

「……ま」
「頑張ろう。うん、頑張る」
「中島?」
「よし、ってうわああ!?」
「え、ご、ごめん」

1人気合を入れ続けていると、いつの間にやら目の前に人がいてびっくりした。
話しかけられることなんてそんなにないから、腰を抜かしてしまう。
ガタンと分かりやすく音を立てて転げた私に、周囲の視線が集まって固まった。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
「いや大丈夫。てかこっちもごめんな?」
「いやいや! そんなことはないです!」

つい声を張り上げてしまったらしく、何事かと周りの視線がさらに集まる。
……ああ、もう私の馬鹿。
気合を入れた直後に理想と現実の壁にぶつかる。
なにひとつスマートにできない自分がやっぱり情けない。

「これ、さっきの教室に忘れてたぞ?」
「え」
「音楽のノート……五線譜って言うんだっけ」
「あ、あああ! ごめんなさい、ありがとう!」
「いやいや、そんな畏まらなくて大丈夫だって」

しまいには何よりも大事な日記を忘れる始末。
本当情けない。
そう思いながら、ノートを届けてくれた人に精一杯のお礼を言う。
確か、宮下くん。
スポーツ神経万能、明るくて気さくな人気者だったはず。
イケメンさんは、何をやってもイケメンさんだ。
そんなことを思う。
いや、でもこのクラスの人達は基本的にみんな中身イケメンだ。
だって、私は学校が苦手なのに、このクラスの居心地は悪くない気がするんだ。
本当に、良いクラスに入れたなあ。
感動していると、宮下くんがふっと笑う。

「……すごいな、素なのか」
「え、え?」
「いや、何でもない。それじゃ」

何だかよく分からない反応をされて、どう反応すればいいのかも分からないまま宮下くんが去っていく。
な、なにか気に障ることでもしてしまっただろうか。
神経質にそんなことを思ってしまうけれど宮下くんの機嫌はそんなに悪そうに見えなかったから、大丈夫だと信じる。……信じ、たい。

「おーい、中島。お前ちょっと職員室」

そんな矢先、担任の矢崎先生に呼ばれた。
その表情はどこか冴えなくて、どうしたものかとそう悩んでいるようにも見える。
それだけで何を言われるのか想像がついてしまって、小さくため息をついた。




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