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おもむろにドアが開き、由良ははっと現実を思い出した。
ばつが悪い表情を見てすべてを見透かしたのだろう、早瀬は軽く肩を竦める。
「僕が言うのもなんだけど、君って肚が据わっているよね」
「……他に暇潰しがないんだから仕方ないだろ」
スマホもテレビも新聞もない環境は、逆に言うと読書にうってつけだった。
おまけにここは物音ひとつ届かないので、良くも悪くも没頭できてしまう。
紐の栞を挟みながら、遅れて気付く。
その気になれば早瀬を突き飛ばして外へ出るチャンスだったというのに、言い訳などしている場合ではなかった。
苦虫を噛み潰したような顔で本をチェストに置く由良に、早瀬は肩を揺らした。
「でも、嬉しいよ。君が僕の家で本読んでる姿を見られるのは」
その顔は、紛れもなく恋をしているそれだった。
否応なしに直面してしまい、由良はますます渋い顔をする。
(こいつ、本当に俺が好きなのか)
大学時代でも、社会人以降の交流でも、そんな素振りは少しも見せなかった。
あるいはそれは、由良が鈍感に過ぎたせいかもしれないが。
自分のどこがとか、そもそもお前はゲイだったのかとかを、訊いてみようかと思ってやめた。
まるで友人同士のような会話は、やはりどうしても交わす気になれなかった。
それよりもよほど、由良には無視できない興味の対象が存在した。
「あ、これ? うん、そう、カレー。作ってきたんだ」
眼差しを読んだ早瀬は、抱えてきた鍋をチェストに置く。
肘に引っ掛けていた藤の籠には食器とごはんの盛られた皿、タンブラーふたつが入っていた。
またぞろ薬とやらが混入していない保証はない。
だが、昼――だと思しき時間帯――に食べたパンはとっくに消化されており、空腹を覚えていた。
由良は黙って手を伸ばすと、籠の中からごはんと皿二枚を取り出す。
しゃもじでより分けていく姿を見、ふふっと早瀬が愛おしそうに微笑んだ。
何を考えているのだか、由良にもなんとはなしに察せられる。
(いつから……俺を好きだったんだ。なんで、こんな強硬手段しか取れなかったんだ、お前は)
無理やり縛り付けたところで、由良の心は落とし得ない。
むしろ遠ざかっていくばかりだと、早瀬だって理解しているだろうに。
どうせ嫌われるならと、閉じ込めたのだろうか。
自分だけの鳥籠に。
手を抜いて弁当に頼りがちな由良とは違い、割とこまめに自炊していると聞いたことがあっただけに、早瀬お手製だというカレーは具沢山だった。
ごろごろと大振りの人参やじゃがいもなどの他、長総家では珍しく感じられるウィンナー入りだ。
スープ用タンブラーの中身は、きのことほうれん草のポタージュだった。
蓋を開けるとまだ温かいままのそれが、穏やかな湯気を立てる。
「口に合うといいんだけど」
なんて平和で、なんて――歪な台詞なのだろう。
由良は込み上げてくる虚しさを飲み下しながら、スプーンを口に運ぶ。
正直な感想を言おうか否か、ほんの少しだけ逡巡した。
「……美味い」
結局、愚直な賛辞をぽつりと漏らす。
手料理を褒められた早瀬は、無邪気に破顔した。
「良かった! たくさん食べてね。あ、おかわりがほしいなら、ごはん追加してくるから」
お前は、どうして――こんな方法しか選べなかったんだ?
最初からまっとうに、それこそ体当たりしてきてくれたのなら、もっと違う結末があったかもしれないのに。
どうして、一番楽な方法を選んでしまったんだ?
それとも――お前の心にちっとも気付かずにいた俺のせいなのか?
湧き出してくる虚無感を、咀嚼とともに飲み込む。
もはや何を言おうと無駄であった。
それだけは判っているからこそ、ひどく気分が乾いていく。
確かに手作りのカレーは美味い。
その筈だ。
殆ど義務感で食を進める由良には、次第にそれさえよく判らなくなっていく。
得意の現実逃避もうまく機能していない。
早瀬がぽつぽつと雑談を振ってきていたが、由良は生返事を繰り返した。
「……ご馳走様」
「え、……もう? もういいの?」
ああ、と頷いてどうにか空にした皿をそっと押しやる。
比較的少食の早瀬以上に、食欲が沸かない。
それもこれもすべて、この男のせいだった。
早瀬は多少なりとも戸惑ったようだが、すぐに笑顔を取り繕った。
「そっか。そういう日もあるよね。……由良君?」
必死に場を繋げようとする早瀬のなにもかもが煩わしく、そちらに背を向けてベッドに横になる。
早瀬は二、三度、由良君、と呼び掛けたが、由良は一切を無視した。
また賢しらな暴力的行為に出られるかもしれない。
また拘束されるかもしれない。
その可能性は当然脳裏をよぎったが、とにかくすべてが虚しい。
どうにでもなれ、としか思えずにいる。
「……ごめん」
早瀬は、か細い声で呟いた。
硬く目を瞑っていた由良は思わず目を開け、後ろを振り返る。
悄然と肩を落とすそのさまは、手ひどく振られた男の姿そのものだった。
「謝って……済むことじゃないけど。ごめん」
由良はしばらくその項垂れた前髪の辺りを眺めていたが、やがて盛大に溜め息を吐いた。
「出ていってくれ」
怒るか喚くかするかと思いきや、早瀬はぎくしゃくと従った。
どちらが主導権を握るべき者なのか、もはや互いにも判らない。
重たいドアが閉まった音に、由良は頭を掻き乱した。
「……っくそ!」
『友達のままでいたい』。
その理想は、もはや望むべくもないところまで来ていた。
ばつが悪い表情を見てすべてを見透かしたのだろう、早瀬は軽く肩を竦める。
「僕が言うのもなんだけど、君って肚が据わっているよね」
「……他に暇潰しがないんだから仕方ないだろ」
スマホもテレビも新聞もない環境は、逆に言うと読書にうってつけだった。
おまけにここは物音ひとつ届かないので、良くも悪くも没頭できてしまう。
紐の栞を挟みながら、遅れて気付く。
その気になれば早瀬を突き飛ばして外へ出るチャンスだったというのに、言い訳などしている場合ではなかった。
苦虫を噛み潰したような顔で本をチェストに置く由良に、早瀬は肩を揺らした。
「でも、嬉しいよ。君が僕の家で本読んでる姿を見られるのは」
その顔は、紛れもなく恋をしているそれだった。
否応なしに直面してしまい、由良はますます渋い顔をする。
(こいつ、本当に俺が好きなのか)
大学時代でも、社会人以降の交流でも、そんな素振りは少しも見せなかった。
あるいはそれは、由良が鈍感に過ぎたせいかもしれないが。
自分のどこがとか、そもそもお前はゲイだったのかとかを、訊いてみようかと思ってやめた。
まるで友人同士のような会話は、やはりどうしても交わす気になれなかった。
それよりもよほど、由良には無視できない興味の対象が存在した。
「あ、これ? うん、そう、カレー。作ってきたんだ」
眼差しを読んだ早瀬は、抱えてきた鍋をチェストに置く。
肘に引っ掛けていた藤の籠には食器とごはんの盛られた皿、タンブラーふたつが入っていた。
またぞろ薬とやらが混入していない保証はない。
だが、昼――だと思しき時間帯――に食べたパンはとっくに消化されており、空腹を覚えていた。
由良は黙って手を伸ばすと、籠の中からごはんと皿二枚を取り出す。
しゃもじでより分けていく姿を見、ふふっと早瀬が愛おしそうに微笑んだ。
何を考えているのだか、由良にもなんとはなしに察せられる。
(いつから……俺を好きだったんだ。なんで、こんな強硬手段しか取れなかったんだ、お前は)
無理やり縛り付けたところで、由良の心は落とし得ない。
むしろ遠ざかっていくばかりだと、早瀬だって理解しているだろうに。
どうせ嫌われるならと、閉じ込めたのだろうか。
自分だけの鳥籠に。
手を抜いて弁当に頼りがちな由良とは違い、割とこまめに自炊していると聞いたことがあっただけに、早瀬お手製だというカレーは具沢山だった。
ごろごろと大振りの人参やじゃがいもなどの他、長総家では珍しく感じられるウィンナー入りだ。
スープ用タンブラーの中身は、きのことほうれん草のポタージュだった。
蓋を開けるとまだ温かいままのそれが、穏やかな湯気を立てる。
「口に合うといいんだけど」
なんて平和で、なんて――歪な台詞なのだろう。
由良は込み上げてくる虚しさを飲み下しながら、スプーンを口に運ぶ。
正直な感想を言おうか否か、ほんの少しだけ逡巡した。
「……美味い」
結局、愚直な賛辞をぽつりと漏らす。
手料理を褒められた早瀬は、無邪気に破顔した。
「良かった! たくさん食べてね。あ、おかわりがほしいなら、ごはん追加してくるから」
お前は、どうして――こんな方法しか選べなかったんだ?
最初からまっとうに、それこそ体当たりしてきてくれたのなら、もっと違う結末があったかもしれないのに。
どうして、一番楽な方法を選んでしまったんだ?
それとも――お前の心にちっとも気付かずにいた俺のせいなのか?
湧き出してくる虚無感を、咀嚼とともに飲み込む。
もはや何を言おうと無駄であった。
それだけは判っているからこそ、ひどく気分が乾いていく。
確かに手作りのカレーは美味い。
その筈だ。
殆ど義務感で食を進める由良には、次第にそれさえよく判らなくなっていく。
得意の現実逃避もうまく機能していない。
早瀬がぽつぽつと雑談を振ってきていたが、由良は生返事を繰り返した。
「……ご馳走様」
「え、……もう? もういいの?」
ああ、と頷いてどうにか空にした皿をそっと押しやる。
比較的少食の早瀬以上に、食欲が沸かない。
それもこれもすべて、この男のせいだった。
早瀬は多少なりとも戸惑ったようだが、すぐに笑顔を取り繕った。
「そっか。そういう日もあるよね。……由良君?」
必死に場を繋げようとする早瀬のなにもかもが煩わしく、そちらに背を向けてベッドに横になる。
早瀬は二、三度、由良君、と呼び掛けたが、由良は一切を無視した。
また賢しらな暴力的行為に出られるかもしれない。
また拘束されるかもしれない。
その可能性は当然脳裏をよぎったが、とにかくすべてが虚しい。
どうにでもなれ、としか思えずにいる。
「……ごめん」
早瀬は、か細い声で呟いた。
硬く目を瞑っていた由良は思わず目を開け、後ろを振り返る。
悄然と肩を落とすそのさまは、手ひどく振られた男の姿そのものだった。
「謝って……済むことじゃないけど。ごめん」
由良はしばらくその項垂れた前髪の辺りを眺めていたが、やがて盛大に溜め息を吐いた。
「出ていってくれ」
怒るか喚くかするかと思いきや、早瀬はぎくしゃくと従った。
どちらが主導権を握るべき者なのか、もはや互いにも判らない。
重たいドアが閉まった音に、由良は頭を掻き乱した。
「……っくそ!」
『友達のままでいたい』。
その理想は、もはや望むべくもないところまで来ていた。
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