ちぐはぐ。

くるみ最中

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ちぐはぐ。第三話

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 ある土曜日の夜。俺はひとつ失敗をした。

「……あ。」

 ラグマットに、コーヒーをこぼしたのだ。
 ブラックコーヒーの褐色の染みが、気に入っているグレートーンのラグマットに大きな抽象絵画のような模様を作った。

「……しまったな。」

 ラグマットは結構かさばる。家での洗濯は手間だ。
 しかも今は夕方の6時。どうしたものかと思ったが、コインランドリーに持っていくことを思い付いた。
 コインランドリーには、大物を洗濯する槽がある。しかも乾燥も出来る。
 ラグマットは昨年の大掃除以来洗っていないし、汚れがかなり溜まっているだろう。
 今は11月。少し早い大掃除としてもちょうどいい。俺は、夕食を食べる前にコインランドリーにラグマットを持って行くことにした。

「………………あ。」
「あー! 桂木さん!」

 俺は、男の姿を見て頭が痛くなりそうになった。
 ……なぜ、彼がここにいるのだ。

「実は、僕んち洗濯機が壊れちゃったんですよ~! 信じられませんよね! こんなことなら、引っ越しするのにわざわざ持って来ないで、こっちで新しいの買えばよかった~」
「……」
「洗濯機って結構重いじゃないですか? こっちで買えば、引っ越し屋さんの料金も少し安くなったかもしれないですよね? 全く、失敗したなあ~」
 俺は、理由など何も質問していないのに、彼が全部答えてくれた。
 それでも、俺とは関係のないことであるはずだ。
「桂木さんは、どうしてここに?」
「……俺は、ラグマットにコーヒーをこぼして」
「へええ~! ジュウタンって洗濯したりするんだあ。桂木さんって綺麗好きでマメですね! イメージ通りだ~」
 どんなイメージだ?
 しかも、時々はラグも洗濯しないと、ダニが湧いてアレルギーに良くないのだぞ?
 俺はそんな風に言いたいのをぐっと我慢して、洗濯機にラグをぶち込んで早々に退散しようとした。
 すると、彼に声をかけられた。
「桂木さん、どこへ行くんですか?」
「……洗濯している間に、ちょっと用を済ませに」
「ご飯ですか? それなら、ご一緒しませんか?」
 彼は、にこにこして誘って来た。
 俺は、本当のところ、ちょっと迷ったのだが、誘いを断ることにした。
 一緒に行って、また頭痛がしても困る。
 彼とは、絶対的にペースが合わないのだから。

「……いえ、違うんで」
「そうですか……」
「残念ですが、また今度」
 俺はそう言って、そそくさとコインランドリーを出た。

 俺は、何も悪いことをしていない。無理をして互いに気分を害するよりは、ほどよい距離を保つのも大人のたしなみのつもりである。
 あまりに世間れしていない、彼の方が悪い。
 それでもなぜか、今、良心の呵責かしゃくというものが俺を襲っている。
 俺は近くの牛丼チェーンで持ち帰りを一人前買い、自分の部屋で割り箸を割っていると、頭の中に先ほどの、前城の情けないような顔が浮かんでくるのである。
 テレビを点けても、土曜のゴールデンの内容は全然頭に入って来なかった。

 洗濯が終わった頃に、再びコインランドリーに行くと、見慣れた後ろ姿が窓際の椅子に座っているのが見えた。
「……あ。」
「あっ、……桂木さん」
 しまった。よく考えたら、洗濯時間は二人とも、大体同じじゃないか。
 彼が乾燥もするとしたら、再び顔を合わせるのも、十分に考えられることであった。

 しかし、前城は今度は俺に必要以上に声を掛けてこようとはしなかった。
 俺にぺこりと頭を下げた後、手持ちの雑誌に目を落としている。

 先ほど俺に誘いを断られたのを気にしているのだろうか。
 少し寂しそうな顔をしているのは、俺の気のせいか?

 俺は、洗濯槽から洗濯済みのラグを取り出し、隣の乾燥器の槽に入れ替えた。料金をコインで入れる。
「…………」
 その後、迷った挙句に、前城の隣の椅子に座ることにした。近くの雑誌受けから、手ごろな雑誌を一冊取った。

「桂木さん……」
 彼はそんな俺を見ると、驚いたように、か細いような声で俺の名を呼んだ。
 俺は、なるべく抑揚がないように話をする。

「上着がないと、帰りは寒くなりますよ」
「あっ、そっそうですねえ」
「乾燥までするなら、あと40分はかかりますよ。今度から、暖かい格好をして来た方がいい」
「そうですねえ! さすが、桂木さん!」

 いやー、こっちは思ってたよりも冷えるんですね。そう、彼はいつも通りの声のトーンで話し始めた。俺はそれを聞きながら思う。
 ――だから、止めろって言ってるじゃないか。
 その必要以上に、素直に感情を表に出す、癖を。
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