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青景一誠

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 ウイルスによって学校が閉鎖され、数ヶ月が経った頃。長い長い春休みが明けて、ようやく学校が始まったという頃には、誰も長袖のワイシャツを着ていなかった。季節は既に、初夏だった。

「…………暑い」

 その日僕は、久しぶりに外に出た。二週間ほど前に、オンライン授業を中止して、分散登校を始めるとの連絡が届いたのだ。クラスメイトを、半分に分けて投稿させるらしい。出席番号が奇数の奴は月、水、金に。偶数の奴は火、木、土に。僕の出席番号は偶数だから、火曜日の今日、登校した。

 自粛生活で体力の落ちた身体は、軽い暑さでもすぐにバテた。汗がだくだくと流れる中、忘れかけていた通学路の道を、重い足取りで歩く。でも、嫌な気分になっているのは、僕だけじゃなかった。この道を歩く、同じ制服を着た人たち、その全員が、多分同じ事を思っている。

 見慣れたはずの知らない景色は、体力を削ぐには十分だ。しだいに、校舎が見えてくる。大嫌いで、憎いとさえ思っていた、あのてっぺんに光る校章が——まるで知らないものに見えて、ちょっと面白かった。

(———そういえば、学校ってこんな匂いだった)

 下駄箱に入って上履きを履いた時、まず思ったのはそんな事だった。私立江上原高校。自称進学校というだけあって、学校の中には埃ひとつ落ちていない。でも、その中でどことなく、甘いような蒸せるような匂いが、少しだけ香っている。

「——よっ! 久しぶりだな! 戸石!」

 すん、とマスク越しに鼻を鳴らした時、背後から突然肩を組まれた。ぎょっとして、何も言えないまま振り向く。そこに立っていたのは、去年同じクラスだった三河だった。爽やかな風貌に反して、そこには強かな傲慢さが潜んでいる。ただ、マスクをしている事で、その雰囲気はいささか柔らかいものになっていた。

 三河は、僕の視線を何か別の事に勘違いしたのか、僕の肩を組んでいた腕を慌てて退けると、ごめんごめん、と軽く笑った。

「わり、こういうのしない方が良いんだよな」

 ソーシャルディスタンスだっけ、と呟いた三河に、大丈夫だよ、と力なく笑った。しかし、僕が思わず驚いてしまったのは、その事についてではなかった。

(———三河、三河蓮。一年の時に同じクラスだったけど。こんな、肩を組むほど仲良くはない。そもそも話した事も数回くらいしかない……はず)

 三河は目立つグループにいる方で、野球部のエース。半ば孤立していた僕とは、接点はほぼ無いに等しかった。出席番号が近かったから、入学オリエンテーションの時に軽く話したってだけ。それからはグループも別れて、もうずっと話していなかった。

(そんな奴が、何で僕に——……?)

 何だか、やけに馴れ馴れしい。つい訝しげな視線を向けそうになる。三河はそんな僕には気づかず、からっとした雰囲気で笑って歩き出した。何も言わずに、僕もそれに続く。予期せず、並んで歩くかたちになった。

「ほら、メールで二年のクラス分け送られてきただろ? 俺たちのクラスさ、1-4だった奴 全然いなかったじゃん」

「ああ……」

 思い出しながら頷く。自粛期間中、分散登校の手引きと一緒に、クラス分けがPDFで発表された。確かに三河の言う通り、今年のクラス——2-4は、去年同じクラスだった人間が極端に少なかった。

「だからクラス分け見た時 戸石がいて、ホントに安心したんだよね」

 そう言って笑った三河から、『嘘の匂い』はしなかった。そこで、気づく。

(ああ、三河も不安なんだ)

———長い長い休暇が終わって、人との話し方も忘れた今、クラスで孤立してしまったらどうしようって。

(だから、僕を利用したのか。腕なんか組んで、俺たち仲良いよな、なんて退路を塞いで)

 これはつまり、契約で、牽制なんだ。離れていかないよなって。

 それは不思議と、嫌な気分じゃなかった。所謂『一軍』の三河も、こんな風に人間らしいところがあるのか、と思った。だから、軽く微笑んで答えた。

「……僕も、嬉しいよ。三河と同じクラスで安心した」

 途端、自分の周りに嘘の匂いが『香った』。マスクを押し上げる事で、笑っていない癖に、目を細めただけで笑ってる風に見せられる。———便利だなあ、なんて。思ってもない癖に。

 僕の返答に、三河はやたらと嬉しそうに顔を輝かせると、もう一度僕の肩を組んだ。

「わっ」

「良かった~……! 戸石が良い奴でマジ安心したわ。なぁ、春希って呼んでもいい?」

「……うん……」

 力なく、頷く。俺の事も蓮って呼べよ——とは言わないところに、彼の性格が如実に現れていた。苦笑いになっていないと良い。なんて白々しいんだろう。多分、三河も白々しいって気づいていた。でも、青春なんてすべからく白々しいものだろう。四人以上の人間で写真を撮れば、一人くらいは乗り気じゃない人間が映り込むものなのだ。

 そうして長い長い階段を登り終えれば、段々と目的の教室が見えてくる。あと数mという距離に差し掛かった時に、突然 三河が、何かを思い出したように「あ」と声を上げた。

「でも、確かあと一人いたよな。元1-4だった奴。女子で」

 声には出さないまま、ああ、と思う。正直、あのクラス分けを見た時、三河の事なんて眼中になかった。あの日、僕の関心は、ある一人の名前にだけ注がれていた。

「何だっけ、ほらあの、いつも一人でいる。ぼーっとした……」

 そう言いながら、三河が教室の扉に手をかける。がらがらとけたたましい音が鳴って、扉が開いた。

「あっ……」

 声を上げたのは、三河だった。思い出したのだろう。だって、今噂したその人が——教室にたったひとり、微動だにせず座っていたのだから。

———青景一誠。三河が唇だけでそう呟いた。

 彼女は振り向きもせず、瞬きもせず、ただ、前だけを見ていた。扉を開けた僕たちの方なんて見向きもしないで。

 僕は、彼女の事が嫌いだった。

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