スカーレットオーク

はぎわら歓

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セレナーデ(番外編) 

5 夜

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 ディナータイムでは沢田雅人の甘いシューマンが流れている。
 「赤ちゃんが産まれてからまたピアノいい感じよね」
  和奏が感心して言う。
 雅人のピアノは繊細で儚げな印象から暖かく落ち着い演奏へと変貌していた。

 「ああ。産まれたの。どっち?男?女?」
 「女の子。名前まだ聞いてないけどメロメロだよ」
  面白そうに言う和奏に和夫が「男親ってそんなもんだよ」 目を細めて和奏を見ながら言った。
 「ふーん」
  照れ臭そうな和奏を見て優樹も幸せな気持ちになった。

  演奏が終わり雅人が挨拶にやってくる。
 「じゃあこれで。失礼します」
 「ご苦労様。これから大変そうだけど平気?家庭優先してくれよ。ピアノは和奏もいるしさ」
 「ありがとうございます。帰ったらお風呂に入れるんですよ」
  雅人は嬉しそうに頭を下げて帰って行った。
 和奏はその昔、雅人が緋紗に長い片思いをしているのを知っていた。
その恋はひっそりと緋紗に知られることなく終わり、縁があった別の女と雅人は結婚した。
 (幸せそうだな)
 長く辛い片思いに共感していた和奏は心から雅人の幸せそうな姿を祝福していた。


 「さて、終わりにしよう。お疲れ様。じゃああとは自由にしてくれ」
 「はーい。お疲れ様でした」
  和夫は肩を回しながら部屋に戻って行った。
 「露天風呂はいるかな」
  優樹が背伸びをしながら言うと「今日はカップルいないからのんびり入れそうね」 と和奏が笑った。

  ペンションでは混浴の露天風呂があった。
 昔は屋根のない簡易の設備だったので、冬の夜は身体が冷えてしまい入るものがなかったが夏はよくカップルが夜中に入っていた。
 今では脱衣所も浴場もしっかりとした施設につくり変えられ、季節も時間帯も問わず利用するものが多い。
が、やはりカップルに人気が高く風呂場でイチャイチャするのでその場合長湯しづらかった。
 「のんびり入ってくるよ、じゃ」 
 「楽しそうな奴」
  エプロンを外してウキウキしながら露天風呂へ向かう優樹の後姿を、和奏は微笑んで見送った。


  さっぱりした優樹は二階の部屋にあがろうと階段をのぼりかけ、ロビーにいる和奏を見かけた。
どうやらライン中のようだ。あまり楽しくないのか難しい顔をしている。
 何秒か見ているとスマートフォンをバフっとソファーに叩くように置いた。

 「どうかしたの?」
 「ああ。優樹。別にね」
  不機嫌そうだ。
 「また彼氏と喧嘩?」
 「まあね」
 「もっと彼氏も大事にしてやれば。いつものあれでしょ」
 「どっか行こう行こううるさいのよね。夏だからってさ」
  和奏はペンションを優先にするため男からよく不満を言われているようだ。

 「和夫おじさんはもっと遊んでもいいよって言ってるじゃん。俺も手伝ってるしさ。彼氏とどっか旅行でも行けば」
 「いいのよ。別に行きたいことなんかないし。優樹こそ彼女、怒んないの?うちでバイトばっかりして」
 「家事手伝いって言ってある」
  はあっと和奏はため息をついて「お互いに人のことは言えないよね」 と頭の後ろで手を組んだ。

  優樹は和奏のはす向かいのソファーに座り「ねえ。ちょっと聞いてくれよ」と無垢な瞳を見せた。
 「ん?何。いいよ。」
 「この前さあ」
  優樹は両親の寝室を覗いた話をする。
 和奏は苦々しい気持ちで聞いていた。

 「なんかお父さんが知らない人に見えたよ」
 「うちママ死んじゃってるからさ。気にしたことないな」
 「ん……」
  少しの沈黙の後また優樹が和奏に訊ねた。

 「ねーちゃんはセックスどう思う?そりゃ気持ちいいけど、あんなお父さんみたいになるのって信じらんないや」
  和奏はぎょっとして「あんた。もう経験あんの?」と、驚いて聞いた。
 「え。あるよ。でも俺、遅い方じゃないかなあ。」
 「ああ、そうなの……」

  四歳しか違わないのにイマドキの奴は……と和奏は思いながら言った。
 「愛情の問題じゃないの?直樹おじさんと緋紗ちゃん誰が見てもラブラブじゃん」
 「そうか。気持ちなのか」
  妙に納得しながら優樹は頷いていた。

  直樹と緋紗は大恋愛だったと和夫からも伯父の颯介からも聞いていた。
 二人は岡山で出会い愛し合ったがお互いを大事に想いすぎて離れ、そして再び結ばれたのだという。
  一度得た自分の半身を手放す辛さは優樹にはまだ想像ができなかった。
そしてその半身を再び得る歓びも。
 憧れと妬みと焦燥感が募る。

 「明日は家に帰るよ。なんか気まずかったけど、話したらすっきりした」
 「そ。よかったね」
  和奏は余計なことを聞かされたせいでむしゃくしゃしていたが平静を装って「じゃ、そろそろ寝ようか」 と、席を立った。
  二人はロビーを後にした。
 根本的に寂しさがぬぐえないまま、それぞれ一人きりの部屋に向かった。


  和奏はベッドに横たわってドレッサーの上に飾ってある母、小夜子の写真を眺めた。
 嫣然と微笑みながら赤ん坊の和奏を抱いている。
 子供心にも母を美しいと思っていた。
この世の美しさの全てが母に集まっているとすら感じていた。
そんな母は和奏にとって誇りであり自慢だ。
それと同時に周囲の自分を見つめる目が、和奏を通り抜けて小夜子を見ているのではないかと感じてしまっている。
 (被害妄想なんだろうけど)
 若く美しく力強いまま逝ってしまった母が今生きていれば、父の和夫が恋しそうに遠くを見つめる姿を見ることも、自分が直樹に長く実らない恋をすることもなかったのでないかと考えてしまう。
 (なんか虚しい)
 優樹の〈言葉に言い表せない寂しさ〉は、和奏にもなんとなく理解できていた。
 和奏も同じだからだ。
しかしそれをどうすることも出来ない、幼い自分に憤りを感じることがある。
 (早く大人になりたい)
 「ママ……」
  呟いて目を閉じた。
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