スカーレットオーク

はぎわら歓

文字の大きさ
109 / 140
セレナーデ(番外編) 

1 和奏(わかな)

しおりを挟む
 ペンション『セレナーデ』の裏庭でスカーレットオークの炎のような紅い葉を眺めている優樹の耳にオペラ、カルメンの『ハバネラ』が聴こえてきた。
 優樹の父、直樹が弾いているだろうピアノの音はこの紅い葉のように情熱的だ。

  優樹はふっと陶芸教室のアトリエのほうへ目をやると、母の緋紗も手を止めて直樹の演奏を聴き入っている。
 (いつまでもラブラブだよなあ)ショートボブの顔にかかった髪の毛の隙間から緋紗の染まった頬をみて、優樹は両親を羨ましく感じていた。
やがて演奏も終わり、しばらくアトリエの周りを散策していると、ペンションの裏口から直樹が眼鏡を直しながら出てきた。


 「ああ、優樹。母さん終わった?」
 「うん。終わったよ」
 「お手伝い、ご苦労様」

  直樹はポンと自分より少し低い位置の優樹の肩をたたいて微笑みながらアトリエに向かって行った。
  優樹はペンションに入ってピアノのある食堂の方へ歩くと、またピアノの音が聴こえてくる。
 (和奏わかな ねーちゃんが弾きはじめたのか)

  滑らかな風に乗ってシューベルトの『アヴェマリア』が優樹のすべすべした頬を撫でる。
 (俺が初めて聴いた音楽は、ねーちゃんのこの曲だ)優樹はなんとなくそう記憶していた。
このことを緋紗に話すと確かに妊娠したときに和奏が優樹のために、この曲を弾いてくれたと言い、驚いていた。

  そおっとピアノのそばに近寄り邪魔をしないように和奏の演奏を聴く。
そして優美で少し物憂げな様子で目を閉じて鍵盤をたたいている和奏を眺めた。
  演奏が終わるのを待ってしばらくじっとする。優しく鍵盤から手を離したのを見届けてパラパラと拍手をした。

 「わ。びっくりした。いたの」
 「うん。お母さんの手伝い。今、片付いた」
 「そ」
  和奏は太くて腰と艶のある黒い髪をかき上げてそっぽを向いている。
 少しよそよそしい態度だが優樹は無遠慮に近づく。

 「どうかした?」
 「別に……」
 「変なねーちゃん。じゃ帰るよ。またね」
 「またね」

  いつもと少しだけ様子の違う和奏をしり目に優樹は厨房を覗いた。
 「和夫おじさん。帰るね」
 「おお。ご苦労さん。またな」
  和奏の父親であるこのペンション『セレナーデ』のオーナー和夫が低いが明るい良く通る声で応えた。優樹もにこっと微笑んでペンションを後にした。


  ペンション『セレナーデ』は吉田和夫と今は亡き妻の小夜子が始めたもので二十年以上経っていた。
 丸太小屋でできた温かみのある建物は、年月とともに重厚でどっしりとしたアンティーク感をも醸し出している。
 周囲のモミの木やオーク類が異国情緒感じさせちょっとしたおとぎの国の家のようだ。
 運営が始まった当初から優樹の父、大友直樹は林業組合員で仕事を持っていたが、休日などに手伝っており、母の緋紗もまたこのペンションの売りでもある陶芸教室を行っていて皆、家族のような付き合いだった。

  直樹も緋紗も和奏のことは勿論生まれたときから知ってる。
そして優樹も、生まれたときから和夫と和奏の家族同然だった。
 特に和奏は実の弟のように誰よりも四つ年下の優樹のことを熱心に面倒見ていた。
お互いに一人っ子であるためか家族として姉弟としてとても濃いつながりを二人は感じている。


 「和奏。今日のデザート試食してみてくれ」
  和夫は粉引きの小さな小皿にとろりとしたオレンジ色のムースを持ってきた。

 「ん。さっぱりしてて美味しいね」
 「うん。駿河エレガントって名前の甘夏だよ。ほんとは今の時期には食べられないんだぞ」
 「へー。そうなんだ。すごく美味しいよ」
  力強い眉と目を和らげて和奏はにっこり微笑んだ。
そんな表情をみて和夫は目を潤ませ、「美味しそうに食べるな」と、言う。
 「やだ。最近すぐうるうるしちゃって。歳じゃないの?」
  艶やかな笑顔でからかう和奏に和夫は頭を掻いて「そうかもな」と照れ臭そうにつぶやいた。

 (もう二十歳なんだなあ)
 和夫は娘の成長に心から感動していた。
 妻の小夜子は和奏が三歳の時に亡くなった。
 小夜子を忘れることができず、再婚の話を何度か断りながら一人で和奏を育てた。
この土地には親戚もおらず頼ることはできなかったが、幸い直樹と緋紗のサポートがあり何とかやってこれた。
そしてその二人の息子の優樹も和奏にとって大事な家族の一員であり、彼女の情緒が育つのにいい影響を及ぼしたんだと思っている。

 (小夜子。和奏は思った以上にいい娘になったよ)
 小夜子がいない日々は色褪せてセピア色になりそうだったが、忘れ形見の和奏がまた和夫に色彩を呼び戻した。
そして再び人生を創造する喜びを与えてくれたのだと感謝している。
いつか再び小夜子のもとに行ったならこのペンションで過ごした日々と娘の素晴らしさを話してやろうと心に決めているのだった。

  和奏は感傷に浸っている和夫の姿を見ながら(あーあ。また黄昏て……)と同情するような気持で眺めた。子供のころから父が自分に愛情を存分に注いでくれているのは理解していたが、こうやって母をしのぶ姿には切なくなる。
 和奏自身も母のいない辛さを感じないわけではないが、どんどん薄れていく記憶にはその辛さも緩和されていった。
しかし和夫の辛さや寂しさは計り知れなかった。
また老いてきた父は昔の思い出をよく話すようになってきている。

まだまだ身体も頭のしっかりしている和夫だがもう六五歳になる。
いつまでもここペンション『セレナーデ』を経営してほしいと願いながらも、いつか自分がここを経営していくのだと強い意志を持っていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

処理中です...