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第一部
5 約束
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昨晩とは違って緋紗が少し前を歩く。
「十分くらい歩きますけど」
「大丈夫」
美術館に着くとまだ開館十分前で案内板の前のベンチに座って待つことにする。
「今更かもしれないけど。」
大友は名刺を差し出した。
『東海森林組合 大友直樹』――オオトモナオキ。
緋紗も自分が名乗ってないことに気付いた。――名前も教えあってなかった……。
「宮下緋紗です」
「ひさちゃんね」
――ちゃんづけか……。
少し不満だが気にしないようにし、そのうちに開館したので二人で入場した。
一番乗りかと思ったがすでに人がちらほらいる。
順路を辿り染物・織物を見たが二人とも関心があまりない分野なのでなんとなく眺めて通り過ぎた。
大友はやはり木が好きなのか渋い茶色をした木の箱を熱心に眺めている。
「やっぱり木工がお好きですか?」
「うーん。嫌いじゃないけど。あの大きな材木がこんな箱になることがあるのかと思うと不思議でね」
――変な見方。
緋紗のお目当てである陶芸部門に到着した。
緋紗が緋だすきの大きな皿を眺めていると大友も一緒に覗き込む。
「綺麗な緋色」
ため息交じりに見ていると、「この赤いラインは模様?」と、大友が訊ねるので得意そうにレクチャーした。
「緋だすきというのは備前焼の景色の中の一つなんです。
藁わらをたすき掛けにして窯の中に入れるんですけど、もともとは焼き物同士がくっつかないようにする方法で模様として珍重されるのはずっと後のことみたいです」
大友が腰をかがめて緋紗の耳元に囁く。
「昨日のひさちゃんの手首のようだね」
「なっ!」
耳まで真っ赤にしている緋紗に大友は薄く笑んだ。
「大友さんお茶しませんか?」
館内のカフェに緋紗は誘う。
「とても楽しかったよ」
「伝統工芸もいいものでしょ」
緋紗はさっきのアクシデントはなかったことにして満足げに言う。
「うーん。昨日から全部ね。いい日になった」
大友の言葉に顔を赤らめっぱなしだ。――この人こんな平気そうな顔で。
反応に困っていると、「また会える?」 と、大友が尋ねる。
「え?」
思ってもみなかった言葉に緋紗は聞き間違えたのかと思った。
「無理には言わないよ」
『会いません』なんて昨晩のことを思うと抵抗できるはずがなかった。
いつ、どこで、どうやって会えばいいのかわからないまま緋紗は、「会いたいです」 と、答えてしまう。
大友はスケジュール帳を取り出した。
「僕は来月末にまたこっち方面、広島だけど来るんだ。やっぱり仕事がらみだけどね」
――来月末……。
「土曜の夜なら。広島のどこですか?広島市?」
「いや三次市というところなんだ」
「岡山に七時には到着できると思うけど。備前市まで行こうか?泊まるとこあるかな」
「一応ありますけど。ちょっと田舎過ぎるので私が岡山まで出てきます」
――備前で人に見られたらすぐ噂になっちゃうよ。
備前市の特に作家内では情報が回りやすく緋紗のように女で弟子をしていると恰好の噂の的で、自分が関わりがない作家でも緋紗のことは筒抜けだ。
それぐらい備前焼界隈は狭い。
「どこが待ち合わせしやすいのかな」
「えーっと。駅から表口に出ると噴水と桃太郎像があるので、そこだと間違えないです。初めてでもよくわかるから」
「うん。じゃそこで七時に。覚えてて。泊まりだよ」
にっこりして大友がスケジュール帳に書き込んだ。――お泊り。
緋紗は『来月末桃太郎桃太郎――』と頭の中で呪文のように繰り返していた。
「そろそろ出ようか」
「はい」
大友が伝票をとろうとしたが緋紗が制した。
「ここくらいごちそうさせてください」
「じゃあごちそうさま」
カフェを出てそして会場を後にする。
「僕はもう駅に向かうけどひさちゃんはどうする?」
「あ。私ももう帰るので駅まで一緒にいきます」
並んで歩きながら緋紗は普通にカップルみたいだと思った。
しかし自分もそうだが大友が自分のことをどう思っているのかさっぱりわからなかった。――まだ好きじゃない。
少しドライなのかもしれない。
すぐ誰かに恋する友人がいるけど緋紗には信じられなかった。
恋人がいるときでも本当にその相手が好きかと聞かれたら『たぶん』とあいまいな感情のような気がする。
ましてや『愛してる』とはどんな感情なのだろう。
ただ大友に関して言えるのは『欲情してしまう』ということで『やりたい』と思う初めての相手なのだった。
駅の改札口に着く。
緋紗は伊部までの切符を買って改札口を通った。
大友は切符を持っていて駅員のいる改札口を通った。
違うところを通ってまた合流する。
また離れる。
新幹線方面とローカル方面に分かれる間で二人は立ち止まった。
「じゃあまた」
「はい。また」
エスカレータを上っていく大友がちらっと振り向いて緋紗に手を振る。
緋紗も振り返して登り切ったのを見てから自分が帰る方面へ歩き出す。
なんだか目まぐるしかった。――少しクールダウンしなきゃ……。
連続で二回窯を焚いたような興奮と疲労感だ。
電車の揺れを感じながら自分の日常へ帰っていった。
「十分くらい歩きますけど」
「大丈夫」
美術館に着くとまだ開館十分前で案内板の前のベンチに座って待つことにする。
「今更かもしれないけど。」
大友は名刺を差し出した。
『東海森林組合 大友直樹』――オオトモナオキ。
緋紗も自分が名乗ってないことに気付いた。――名前も教えあってなかった……。
「宮下緋紗です」
「ひさちゃんね」
――ちゃんづけか……。
少し不満だが気にしないようにし、そのうちに開館したので二人で入場した。
一番乗りかと思ったがすでに人がちらほらいる。
順路を辿り染物・織物を見たが二人とも関心があまりない分野なのでなんとなく眺めて通り過ぎた。
大友はやはり木が好きなのか渋い茶色をした木の箱を熱心に眺めている。
「やっぱり木工がお好きですか?」
「うーん。嫌いじゃないけど。あの大きな材木がこんな箱になることがあるのかと思うと不思議でね」
――変な見方。
緋紗のお目当てである陶芸部門に到着した。
緋紗が緋だすきの大きな皿を眺めていると大友も一緒に覗き込む。
「綺麗な緋色」
ため息交じりに見ていると、「この赤いラインは模様?」と、大友が訊ねるので得意そうにレクチャーした。
「緋だすきというのは備前焼の景色の中の一つなんです。
藁わらをたすき掛けにして窯の中に入れるんですけど、もともとは焼き物同士がくっつかないようにする方法で模様として珍重されるのはずっと後のことみたいです」
大友が腰をかがめて緋紗の耳元に囁く。
「昨日のひさちゃんの手首のようだね」
「なっ!」
耳まで真っ赤にしている緋紗に大友は薄く笑んだ。
「大友さんお茶しませんか?」
館内のカフェに緋紗は誘う。
「とても楽しかったよ」
「伝統工芸もいいものでしょ」
緋紗はさっきのアクシデントはなかったことにして満足げに言う。
「うーん。昨日から全部ね。いい日になった」
大友の言葉に顔を赤らめっぱなしだ。――この人こんな平気そうな顔で。
反応に困っていると、「また会える?」 と、大友が尋ねる。
「え?」
思ってもみなかった言葉に緋紗は聞き間違えたのかと思った。
「無理には言わないよ」
『会いません』なんて昨晩のことを思うと抵抗できるはずがなかった。
いつ、どこで、どうやって会えばいいのかわからないまま緋紗は、「会いたいです」 と、答えてしまう。
大友はスケジュール帳を取り出した。
「僕は来月末にまたこっち方面、広島だけど来るんだ。やっぱり仕事がらみだけどね」
――来月末……。
「土曜の夜なら。広島のどこですか?広島市?」
「いや三次市というところなんだ」
「岡山に七時には到着できると思うけど。備前市まで行こうか?泊まるとこあるかな」
「一応ありますけど。ちょっと田舎過ぎるので私が岡山まで出てきます」
――備前で人に見られたらすぐ噂になっちゃうよ。
備前市の特に作家内では情報が回りやすく緋紗のように女で弟子をしていると恰好の噂の的で、自分が関わりがない作家でも緋紗のことは筒抜けだ。
それぐらい備前焼界隈は狭い。
「どこが待ち合わせしやすいのかな」
「えーっと。駅から表口に出ると噴水と桃太郎像があるので、そこだと間違えないです。初めてでもよくわかるから」
「うん。じゃそこで七時に。覚えてて。泊まりだよ」
にっこりして大友がスケジュール帳に書き込んだ。――お泊り。
緋紗は『来月末桃太郎桃太郎――』と頭の中で呪文のように繰り返していた。
「そろそろ出ようか」
「はい」
大友が伝票をとろうとしたが緋紗が制した。
「ここくらいごちそうさせてください」
「じゃあごちそうさま」
カフェを出てそして会場を後にする。
「僕はもう駅に向かうけどひさちゃんはどうする?」
「あ。私ももう帰るので駅まで一緒にいきます」
並んで歩きながら緋紗は普通にカップルみたいだと思った。
しかし自分もそうだが大友が自分のことをどう思っているのかさっぱりわからなかった。――まだ好きじゃない。
少しドライなのかもしれない。
すぐ誰かに恋する友人がいるけど緋紗には信じられなかった。
恋人がいるときでも本当にその相手が好きかと聞かれたら『たぶん』とあいまいな感情のような気がする。
ましてや『愛してる』とはどんな感情なのだろう。
ただ大友に関して言えるのは『欲情してしまう』ということで『やりたい』と思う初めての相手なのだった。
駅の改札口に着く。
緋紗は伊部までの切符を買って改札口を通った。
大友は切符を持っていて駅員のいる改札口を通った。
違うところを通ってまた合流する。
また離れる。
新幹線方面とローカル方面に分かれる間で二人は立ち止まった。
「じゃあまた」
「はい。また」
エスカレータを上っていく大友がちらっと振り向いて緋紗に手を振る。
緋紗も振り返して登り切ったのを見てから自分が帰る方面へ歩き出す。
なんだか目まぐるしかった。――少しクールダウンしなきゃ……。
連続で二回窯を焚いたような興奮と疲労感だ。
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