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3 将来へ
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星奈は市内の高校の家政科に入学した。将来の展望などは特に何もなかったが、母の奈保子の様子を見て、自分自身も家庭に協力をしたいと考えていたからだ。奈保子は完璧主義が故、家事などの手伝いを星奈にも、もちろん修一にもさせることはなく、一人で計画的に素早く行っている。子供心に母親を手伝いたい気持ちが常にあったが、奈保子にはその隙も余裕もなかった。しかし修一が医学部に合格し、二年に上がると家庭も落ち着きを取り戻した。今の星奈なら、奈保子に教えてもらうことなく、家事の手伝いができる。本格的に夕飯を作ったことはないが、学校で習った身体に良さそうな菓子を作ると奈保子は喜んだ。学校の課題だからと、作れるものを増やしながら、奈保子に星奈も出来ることがあることをアピールしていった。
今日の授業は和菓子作りとその発表だ。クラスメイトの半分が作り、半分は審査員となる。星奈は葛粉を使って『水まんじゅう』を作ることにした。
――中学時代。部活の茶道で、暑い夏に透明の涼し気な和菓子が出てきた。
「今日はお濃茶のお点前をしますから、少しお腹にボリュームがあるお菓子を食べましょうね」
池波静乃がにっこりと、保冷バッグを岸谷京香に差し出した。
「まあ。静乃先生。これを持っていらしたんですか?私が取りに行きましたのに……」
顧問の岸谷はオーバル型の眼鏡を直しながら、バッグの中の氷水と一緒に詰められた、十個ばかりの水まんじゅうを眺める。
「よく冷えている方が美味しいですからね」
暑い中、高齢の池波静乃が自分で和菓子屋に買いに行き、良く冷やしたうえで運んできたのだ。彼女の、例え中学生が相手だろうとも、気配りやもてなそうとする心遣いに、部員一同頭が下がる想いだった。
濃茶は、いつもの稽古で点てている薄茶と違って、人数分をまとめて入れるもので相当濃く、まさに練られた茶だ。上等な茶葉を使うので、味が苦くなっているわけではない。ただその濃度ゆえに胸やけを起こしたり、飲みなれてないものは胃が痛くなるそうだ。
部員たちは、濃茶にも興味を示すが、地元の銘菓であるはずの『水まんじゅう』に、興味津々だった。今の時代、和菓子を食べる習慣があまりないのだろう。名前を知っていても食べたことがあるのは、七名いる部員の中で新田美優のみだった。
新田美優も同じ高校に入学し、クラスも食物を専攻しているので星奈と一緒だ。茶道部からの付き合いだが、気が合い親友になっていた。美優は進路を決めるとき、星奈と同じところに行くと言い、ついてきたような雰囲気だった。星奈から見ると美優は勉強も運動もよくでき、美術も得意で、何でもできるイメージがあり、同じ高校を選ぶとは夢にも思わなかった。星奈が思うくらいなので勿論、美優も担任と家族に、よく考えるようにと言われたらしい。しかし頑固な彼女は、この家政科以外なら高校に行かないと頑として譲らず、今に至っている。
作業を終えて発表する時間がやってきた。
星奈は上手く透明になった水まんじゅうを、クラスメイトの審査員たちと教師に差し出した。プルプルとした冷たい触感を嫌う人は少ないだろう。
食べている姿で、好感触を得ていると思い星奈はほっとしていた。水まんじゅうの前にも、みたらし団子やどら焼きなど出されていたが、ひょっとして一番になれるかも?と言うくらいの良い反応だ。
しかし最後の作品が登場した時に、星奈は無理だなと苦笑した。
美しいサツキの花のネリキリだ。ピンクと紫のグラデーションの花弁に、添えられたグリーンの葉が美しい。みんなから称賛の声が上がる。
「かわいいー」
「きれーい」
美優はぱっちりした目をくるくるさせて、ニンマリしながら満足げだ。刻んでしまうのが惜しいと思いながら、星奈は黒文字で一口切り取り、口に入れる。(優しい味だ)
星奈だけが美優の夢を知っていた。彼女はこの高校を卒業したら、京都へ和菓子の修行に行くつもりなのだ。そして和菓子職人になりたいらしい。(美優ならきっとなれる)
星奈は小さな美優の身体に、大きなしっかりとした夢が詰まっていることが羨ましかった。身近にいる小柄な人たちは意志が強く、将来への展望がはっきりとあるような気がして、自分の背ばかり高く、凡庸な中身にため息をついた。それでも自分の透明な水まんじゅうを見てよい出来栄えに満足をした。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ、また正樹は受験生になった。特に目標もなく自分の偏差値に応じた近い大学に行くのだろうとぼんやり考えながら月姫を操作していた。
ミスト:受験平気なのか?遊んでて
月姫:余裕w
ミスト:すごいなw
月姫:受験なんて暗記じゃんw考えなきゃ平気だよw
ミスト:まあそうだなw
月姫:今の仕事どう?
ミスト:なかなかいいねw給料安いけどw
月姫:でもイン率下がったね
ミスト:肉体労働だからさw眠いww
月姫:好きなこと見つかってよかったね
ミスト:彼女に振られたけどなww
月姫:ひでえwww
気の置けない話をしながら目の前の大学受験とその後のことを考えた。(好きな仕事か……)
ミストは最初一般的に言う『いいところ』に就職したらしい。『いいところ』というのは収入の高いところと言う事だろう。ミストは穏やかな性格で落ち着いていて親切だが冷めたところもあり何を考えているのか謎めいた部分もあった。しかし戦闘になると好戦的で熱かった。『脳筋』ではないものの真っ先に特攻していくような前衛だ。おまけにプレイスキルが高く、多少の課金もしているので装備も良く獣人国家の中ではそこそこ目立つ存在でもあった。転職してから最近のミストはなんとなく戦い方が洗練されてきたように思う。『いいところ』で働いていたミストはここで鬱憤を晴らしていたのかもしれないと正樹はぼんやり思っていた。
適当な範囲魔法で弱いモンスターを倒していると☆乙女☆がやってきた。
☆乙女☆:こん
ミスト:こん
月姫:こんー
☆乙女☆:今夜戦争いく?
ミスト:俺パス
月姫:え いかないの?
☆乙女☆:えー
ミスト:おじさん疲れちゃってさwww
月姫:年寄だなw
☆乙女☆:仕事つらい?
ミスト:まだ身体が慣れないかなw
月姫:でもリア充だよな
ミスト:まねw
月姫:ああ彼女いなんだっけw
ミスト:おまえもだろww
☆乙女☆:でもここでモテモテだよねw二人ともw
ミストは戦士という職業柄、回復職の女にもてた。また月姫は女と勘違いされることが多く男から『姫』と愛称で呼ばれ人気が高かった。
ミスト:ここでモテてもねw
月姫:よく会ってもないのに好きになれるよなwww
☆乙女☆:そういうものなの?好きになったりしないの?
ミスト:俺はならないなあwゲームしたいだけだしw
月姫:遊んでて気が合う合わないくらいだよなw
☆乙女☆:なる~
☆乙女☆は好きな奴がいるのかもしれないと思いながら正樹はチャットを眺めた。ミストはよく回復職の女からよく誘われていて付きまとわれるのを見かけた。
そういうことが起こると面倒なのかミストのイン率がさがる。こういうゲームの世界でも出会いを求めている人間がいると思うと不思議な気がした。(キャラ萌えしてるだけじゃないのか)
ミストと自分の淡白さが似ているような気がして安心した。
ミスト:そろそろ落ちるよ
月姫:またノ
☆乙女☆:おつです^^ノ
ミスト:の
ミスト去った後☆乙女☆と少し狩りをした。
月姫:プリうまくなったよなw
☆乙女☆:^^
月姫:女のプリってサボる奴多いからなwww
☆乙女☆:そんなことないよw攻撃する人が強いとあんまりヒルいらないだけだよw
月姫:そうかあ?w
☆乙女☆:ミストさんなんかめっちゃ堅いしさ
月姫:ああミストはかてえw
ふと正樹は素朴な疑問をタイピングしてしまった。
月姫:もしかしてミストが好きなのか?
少し沈黙が流れる。
☆乙女☆:黙っててくれる?
月姫:ああ
☆乙女☆:ミストさんこういうの嫌そうだしさ
月姫:そうだな韻律下がるしな
☆乙女☆:ありがと
月姫:でもミストっておっさんだと思うぞww
☆乙女☆:ちょwww
☆乙女☆はリアルでは正樹の一つ年下で今、女子高に通っている。☆乙女☆の個人情報は正樹しか知らない。ミストにすら自分が女だということをハッキリと示してはいない。さすがにミストも☆乙女☆を男だとは思っていないだろうが性別や実生活にはまるで関心がなさそうだ。ネット上だがもう四年の付き合いになる。深いのか浅いのかよくわからない関係や親しさが不思議な魅力を醸し出すのが仮想現実かも知れないと正樹は思っていた。
月姫:そろそろまた受験だしちょっとインするの減るよ
☆乙女☆:らじゃー
月姫:乙女も勉強しろよ来年だろ?
☆乙女☆:どうするかなあ
月姫:ミストが言ってたぞ。好きな仕事しないと辛いってさ
☆乙女☆:好きな仕事かあ
月姫:何がしたいとかできるとかよくわかんね
☆乙女☆:姫は教えるのうまいじゃんw
月姫:え
☆乙女☆:姫のおかげで私遊べるようになったしねw
月姫:そうかwじゃまた困ったらなんか教えてやるおww
☆乙女☆:頼りにしてるww
そういえば教えることが楽しいと正樹は気づく。☆乙女☆に対してだけではなく部活の後輩にも色々教えることが多く慕われてもいた。(教えるねえ……)
志望大学のサイトを眺めてみる。(教職課程か……。採用が難しいんだろうな……)
また今度考えようとサイトを閉じた。
あれから正樹は頭から離れない教職について考え始め、夕飯時に家族に話してみると母の洋子と姉の知夏と実夏は『あんたが先生~?』と言いながら疑わしい顔つきで見てきたが、父の幹雄は『いいんじゃないか』と賛成した。
まったく何もなくぼんやり受験をするよりはモチベーションが上がり一つランクを上げることができた。先々の就職や採用に関してまで心配してもしょうがないのでとりあえず目の前の受験勉強を片付けることにする。正樹は幸運なことに家族や学校において頭を悩ませる出来事がほとんどなく、葛藤や怒り、反抗などの負の感情がないおかげで受験勉強もスムーズだ。(俺って順風満帆だよな)
不満もなく強い欲求もなく落ち着いて過ごしてきたこれまでを振り返って素直に思う。(来年からは大学生だな)
新しい環境を想像しながら少しだけインターネットを眺めて眠りについた。
受験勉強が終わったらしく、月姫が久しぶりにネットゲーム『KR』にログインしてきた。
月姫:おっす
☆乙女☆:おひさー^^
ミスト:hi
KAZU:こn
1598:こんですー
ミスト:受験終わったのか
月姫:おわったおわったw
KAZU:受かりそうか?
月姫:たぶんw
☆乙女☆:おめ^^
月姫:ありw
☆乙女☆は他のギルドメンバーとも遊ぶし、初対面の人ともパーティを組んできたが、やはり月姫がいるとほっとする。
今夜は敵国との戦争があり、久しぶりに月姫と対人戦にいくことになった。『アンダーフロンティア』のメンバーは、現在二十名ほどで構成されている。戦争に参加するものは八人で、ちょうど一パーティだ。いつものように☆乙女☆が防御力を上げ、月姫が撹乱させたのち、戦士のミストとKAZUが斬り込んでいく。狙われやすい☆乙女☆には、常にミストが盾になっている。混戦ではぐれかけていても、月姫が魔法で安全地帯に引き寄せる。☆乙女☆は命を守る仕事だが、自身もよく守られている。たかがゲームなのに、現実よりリアリティを感じる。そして守りたい意志と、守られている安心感を得るのだ。
KAZU:おつー
ミスト:おつ
1598:またよろですー
月姫:おつノ
☆乙女☆:^^ノシ
・∀・:ノノ
戦争が終わり、パーティが解散された。大半はログアウトし、ミストも眠いと言って去った。
月姫:なんか狩るか?
☆乙女☆:そうだねえ姫がやるなら
ペアで、気軽な狩りをする。
☆乙女☆:姫は大学いったらどうするの?
月姫:俺教師になるよw
☆乙女☆:へーかっこいいな
月姫:乙女のにーちゃんのほうがすごいだろw医者だしw
☆乙女☆:教えるのもすごいと思うよ
月姫:乙女は来年受験だろ
月姫:大学行くの?
☆乙女☆:ううん無理無理ww調理師学校いくんだ
月姫:ほーなんか意外w
☆乙女☆:ご飯大事だからねw
月姫:まあ一番大事かもなww美味い飯ww
月姫にはなんでも話していた。家族に、何を話しても反対されることはないが、強く関心を持ってもらえることもなかった。それは星奈自身が、家族に負担を掛けまいとする姿勢からの結果ではあるので、しょうがないと言えばそうだが少し寂しい。月姫に話せば、一緒に盛り上がってくれ、自分の選択が肯定される気がする。現実世界では、親友の新田美優が星奈のことを一番よく知っているが、このネットゲームには関心がない様で、深まることはなかった。恋愛話になり、星奈は同じギルドメンバーであるミストに憧れている話を美優にしてみたが、彼女は芸能人に対するファン心理のように捉えたらしく、軽く流されてしまった。そして、その気持ちを知っているのも月姫だけなのだ。自己主張の弱い星奈だが、自分の事を知ってくれている人がいると、心に灯ががともっているような気がする。腐らず曲がらずにここまでこれたのは月姫のおかげだろう、と久しぶりに遊んで実感していた。
高校を卒業すると、予定通り星奈は地元の調理師専門学校に入学し、親友の新田美優は京都の製菓専門学校へ行った。
「なんで和菓子なの?洋菓子じゃダメ?」
「洋菓子も美味しいし可愛いけどさあ。なんか和菓子のほうが深いじゃん」
「そう?」
「たんに好みなんだろうけど。和菓子ってさ。大きいのないじゃん。デコレーションケーキも可愛いけど、あたしは手の中にちょこんと宝石みたいなお菓子があるのが好きなんだ」
「そういわれてみたらそうだねえ」
美優は自分の宝物でもある様に、空っぽの掌を見つめていた。彼女は狭く専門的な追及をしていくのだろう。同じ歳なのに美優が大人びて見えた。星奈は、選択を自分でしてきたが、志があるとは言えなかった。兄の修一はまだ大学生だが将来、小児科医を目指すらしい。生きる目標を持つことと、生きる術を知っていることは違っていて、星奈は後者だと感じる。周囲を見回して、どう立ち振る舞えばよいか、どうすれば摩擦が少ないか、そして自立することが出来るか、に重点を置いて彼女は過ごしてきた。しかしまだ生きる意味や目標はなく、やりがいや達成感を感じることもなかった。もしも特別な才能があれば、人よりも秀でた何かがあれば、違っていたのかもと思うことはあるが、あっても何も変わらないのだろうと薄青い空を見上げた。
『アンダーフロンティア』のメンバーでオフ会が行われる。星奈も勿論誘われたが、場所が横浜で夕方から夜にかけて行われるため、行くのはやめた。片道三時間弱ではあるが出歩き慣れていないのと、恐らく男しか来ないだろうことも不参加の理由だ。月姫とミストに会ってみたい好奇心があったが、さほど強い感情でもない。後で月姫にどうだったか様子を聞いてみようと思うくらいだった。
今日は授業の大根の桂剥きで、うっかり包丁を滑らし、指先を切ってしまった。大した傷でなく、すぐに絆創膏をはって作業をしたが、テープ一枚が指先の皮膚の感覚を奪い、瞬く間に桂剥きの精度は落ちてしまっていた。一緒にグループ活動をしている、同期生の内田和弘が心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと切れただけ。すぐ血も止まってるから」
「そうか」
和弘は浅黒い気の良さそうな笑顔で頷いた。
「帰りに、石丸亭寄ってかないか?」
「いいねー。あっ。今日、友達が京都から帰ってくるんだった」
「ああ。和菓子の?」
「そうそう。良かったらさ、一緒にごはんしない?一人だとコンビニ寄っちゃうでしょ?」
和弘とは専門学校に入って仲良くなった。同じ県内だが、彼はこの学校まで一時間半かけて通っている。まだまだ二十歳の青年は育ち盛りで、帰宅まで何かしら買い食いをしてしまうのだ。駅が見えてくると、ちょうどこちらへ向かってくる小柄な美優が見えた。彼女も気づいたらしく手を振ってかけてきた。
「ほしなー」
「おかえりー」
小柄な美優は、星奈よりも頭一つ分小さく、手に持った荷物はとても重そうに見えた。和弘に気づき、美優は「カレシ?」と星奈に聞いた。
「違うよ。専門のともだち。ごはん仲間」
「そうなんだ。こんにちわ。新田美優です」
「は、はじめまして。内田和弘です」
和弘は浅黒い肌を朱に染めている。そして「俺、もつよ」と美優のボストンバッグに手を差し出した。
「あ、ありがと」
星奈は、ははーんと和弘の態度を見て感づいた。美優のことが気に入ったのだ。和弘は身長が百八十五センチあり、珍しく星奈と釣り合う身長だ。しかし友達以上の感情を持つことはお互いになかった。気が合う異性はなかなかいないのに残念だな、と大きな和弘と小さな美優の並んだ影を見て思った。
ギルドでは廃人と呼ばれるゲームに生活をすべて捧げてしまうようなプレイヤーがいない代わりに長期間遊び続けているプレイヤーが多いため、いつの間にか最大手のギルドになっていた。
始めてから七年も経つのかと思うと正樹にも感慨深く主要メンバーとの初めてのオフ会は少し興味深いものだった。メンバーの多くは関東と東海地方に住んでおり都合よく正樹の暮らす横浜で行われることになる。中華街で集まることになり正樹が良さそうな店を見つけて予約を取った。
ギルドには現在二十人ほど所属しているが実際に集まれるのは八人程度だ。ミストは来るが☆乙女☆はこない。(リアルミストか)
☆乙女☆にも会ってはみたかったがゲーム内での関係で十分なのでそれほど頓着しなかった。
賑やかな中華街は何年か前に家族と来たっきりだった。雑貨屋やら食べ物やら主に赤い色合いの光が夏の明るい夕方に散りばめられていてそれらを眺めながら正樹はワクワクして目的の店に向かう。
ギラっとした極彩色の店内に入るとチャイナ服の店員に声を掛けられたので名前を告げると大部屋に案内された。六時から開催予定で今はまだ五時四五分だがすでに二人ほど到着しているようだった。透かしの入った格子の扉から正樹は顔をだし部屋に向かって声を掛ける。
「こんですー」
「お、こん」
「こんー」
見ると三十歳前後だろうかと思われる男が二人座っていた。(たぶんミストとKAZUさんだ)
「姫? 俺ミストだよ」
「あ、はい。月姫です」
「おお。姫か。俺KAZU。」
思った通りだった。ミストは中肉中背であっさりした優しげな顔立ちに銀縁の眼鏡をかけていた。KAZUは少し濃い目の顔で色も浅黒くガタイも良かった。
「さすがヲリって感じですね」
正樹は席について率直な感想を言った。
「姫こそ、やっぱり美少年だったな」
「そんなことないですけど」
「あんまり違和感ないね」
正樹は色白で黒目がちな切れ長の奥二重で中性的な顔立ちだった。身長は百七十センチを少し超えた程度で今時にしては大きくなかったが水泳のおかげで滑らかな流線型の肢体と卵型の小顔でスタイルが良かった。
「姫のコスプレしてきても良かったのに」
「いやですよ」
そのうちにガヤガヤとメンバーが一人二人とやってくる。中には正樹が男だと知ってがっかりする者もいた。しかしいつの間にかゲーム内のように仲良く楽しく盛り上がっていく。今夜の集まりは大学生と社会人で最年長がミスト、最年少が正樹だった。
「俺、オジサンで恥ずかしいよ」
「そんなことないっすよ」
「やっぱミストさん、マジカッコいいですわあ」
正樹も現実のミストが大人で格好良くゲーム内のイメージと変わらないことに感心していた。自分の中性的な容姿を嫌ってはいなかったがミストのように男っぽい外見は憧れの対象で羨ましく思う。
全員揃ったところで乾杯をした。ミストと正樹だけウーロン茶だ。
「飲まないの?」
「車できたしね」
「そか」
「姫は?」
「あんまり好きじゃないんだ」
「じゃあ、合ってないんだな。今時飲まなきゃだめってことないから無理しなくていいと思うよ」
「うん。それより飯だな」
運ばれてくる料理を次々と正樹は平らげていると
「姫が飯食ってる~」
とか
「人参も食べてえー」
などからかうものがあって面白かった。
「俺はまだ育ちざかりなんで」
そんな様子をミストが優しく見守っていた。
一応十時までの予約だったのでオフ会はお開きとなった。帰路につくもの、そのままネットカフェに朝までいるもの各自、自由行動をとり始めた。
「姫は家どこ?市内だろ?」
「うん。電車ちょこっと乗るけど」
「送ろうか」
「いいの?」
「いいよ」
正樹はミストの車に乗せてもらうことにした。
「なかなかいいね。渋くて」
「もうずいぶん年式古いけどな」
しばらくすると正樹の家の近所にあるファミレスが見えてきた。
「ああ、そのへんでいいよ」
「いいのか?」
「うん」
なんとなく名残惜しかったので正樹は
「もう、すぐに帰る? そこのファミレスでコーヒー飲まない?」
と聞いた。
「そうだな。カフェインとっておくかな」
二人で店に入りコーヒーを注文した。
「さっき楽しかったね。でも俺のこと女だと本気で思ってたやつがいたなんてびっくりだよ」
笑いながら正樹が言うと
「昔はよくネトゲに女がいるなんて都市伝説って言ってたけどね」
ミストが面白がっていう。
「実際は案外いるもんだよね」
「だね」
ミストが少し一呼吸おいて言った。
「今度プロポーズするんだ」
「え」
正樹は目を丸くしてミストを見た。
「スカーレットにね」
ミストが敵種族のヒューマンである女盗賊『スカーレット』と懇意なのは知っていたが現実でもそんなふうに進行している関係だとは思ってもみなかった。
「KRで知り合ったの?」
「いや。リアルで。KRにいたのは後で知ったんだ」
「へー。なんかすごいね。俺、まだ好きな気持ちとかよくわかんないよ。結婚なんてするのかなあ」
「俺も一人でいるほうが楽だったし結婚なんてしたいと思わなかったけどね」
「なんか違うの? スカーレットさんは。特別な人なの?」
正樹は自分には経験のない感覚に興味が湧いた。
「うーん。特別というより、俺にとって唯一の女って感じがする。この人以外には感じないっていう感覚かな」
「なんかエロイな」
「大人だからエロくていいんだよ」
笑いながら言うミストになぜか正樹が照れてしまったと同時にそういう相手に巡り合えたことを羨ましく思った。
「なんかいいね。俺にもいつか出てくるといいけどね」
「きっといるよ」
まだ見ぬ相手に正樹は期待を膨らませた。
ぽつんと遊んでいる☆乙女☆を見つけて声を掛けようとしたが一瞬、躊躇った。(☆乙女☆はミスト好きなんだよな)
☆乙女☆:こん^^
☆乙女☆から声を掛けてきた。
月姫:こんー
☆乙女☆:オフどうだった?
月姫:面白かったよwヤローばっかだったけどw
☆乙女☆:やっぱそうなんだw
月姫:乙女も来ればよかったのにwみんないい奴らだったぞw
☆乙女☆:女子が一人もいないのってねえ
☆乙女☆からミストのことを聞かれたらどう返そうと思いながら少し考えて先回りをして言った。
月姫:思った通りギルマスもミストもおっさんだったよw
☆乙女☆:えーww
月姫:まあでも渋い感じw
☆乙女☆:そうなんだw会ってみたかったな
月姫:どこ住んでたっけ?
ミストが現れた。
ミスト:ptpt
ミスト:hi
月姫:こんw相変わらず外人みたいだなw
☆乙女☆:こんです^^
ミスト:俺の悪口言ってたろw
月姫:違うよw今度オフあったら乙女来いよって話w遠いと難しいけどさ
☆乙女☆:横浜かあー名古屋ならなあ
☆乙女☆:うち岐阜なの
ミスト:ああ志野とか織部とか
☆乙女☆:え
☆乙女☆:そんなの知ってるの?すごいね
月姫:それって何
ミスト:陶芸だよ彼女が多治見に住んでたことあるんだってさw
☆乙女☆:そうなんだ。でもうち大垣ってとこだから陶芸はそんな盛んじゃないんだよね
正樹は『彼女』と言う言葉に☆乙女☆が辛い反応をするのではないか気になり話題を変えようとした。
月姫:今日狩りする?
ミスト:俺パス
月姫:最近あんまり来ないね
ミスト:リア充なんでねw
☆乙女☆:残念
ミスト:じゃまたノ
月姫:ノ
☆乙女☆:^^ノ
ミストは顔だけ出しに来たのだろう少し話すと落ちていった。
月姫:なんか狩るか
☆乙女☆:やっぱ彼女いるんだね
(気にしたか……)
月姫:そうみたいね
月姫:まあもうミストも三十超えたおっさんだしw一人じゃかわいそうじゃねw
☆乙女☆:かなあ
月姫:乙女さ彼氏とかいないの
月姫:リアルで好きな奴とか
☆乙女☆:いない
☆乙女☆:専門も女子多いし
月姫:男っ気ないよなwいつもw
☆乙女☆:姫こそずっと彼女いないでそ?
月姫:いないこともないけどなw
☆乙女☆:え いるの
月姫:そろそろ別れそうww
☆乙女☆:あらまw
正樹はどこかしら冷めているせいか彼女ができても続かなかった。まず話があまり盛り上がらない。女からみると正樹は優しくてナイトのようなイメージを持つらしいが実際はマイペースで同性の友達のような関係になりやすかった。告白してくる女からすると甘い恋愛関係を想像しながら近づいてくるのだろう。そんな関係は正樹も疲れたし相手も幻滅していき、深い関係になるまえに終焉を迎える。
昨日会った彼女のことを思い出した。恋人の亜里沙とは告白されて付き合い始め三ヶ月経っていた。正樹がやっているネットゲーム『Knight Road』に興味があるというので実際にプレイするところを見せてやろうと家に誘った。
「そこ座ってて、今pc起動するからさ」
正樹がパソコンの電源を入れ、画面を見ながら立ち上がるのを少し待ち、ゲーム画面の『Knight Road』という文字とファンファーレが流れ出した時、振り返った。
「これこれ。……」
亜里沙は正樹のベッドに下着姿になって腰かけていた。
「もうワタシたち付き合って三ヶ月よね」
艶やかな茶色いストレートの髪を指先に巻きつけながら亜里沙は言う。いきなりのシチュエーションに正樹は躊躇った。
「ちょっといきなり過ぎない?」
「だって。正樹君、全然手え出してこないじゃん。アリサのことどう思ってるの?」
(どう思ってるんだろ……)言葉が返せず沈黙する正樹に亜里沙はいらだった。
「ワタシさあ。今、サークルの先輩から告られてるの」
「そうか」
「そうかって……」
正樹には亜里沙が何を言いたいのか何をしたいのか理解ができなかった。
「どうすればいいわけ?」
「ワタシたち恋人でしょ?」
亜里沙が声を高くしていきり立った。
「もっとゆっくりじゃだめなの?気持ちとか色々」
「そんなにのろのろやってたら楽しくないじゃん」
「ごめん」
「もういい」
亜里沙は服を着始めた。正樹は無感情に亜里沙の服を着るさまを見た。あっという間に着替えて
「じゃあね」
と言って部屋を出て行った。追いかけることも思いつかないほど(今の何だったんだ?)と静観してしまっている自分がいる。ただ少し疲れたなと思って椅子に座りネットゲームのログインを始めた。
正樹は友達が多いほうだが女友達は皆無だ。そして恋愛関係のない付き合いができる唯一の女である☆乙女☆に思わず興味をもった。
月姫:なあ名古屋ってなんかある?
☆乙女☆:きし麺とかw
月姫:食い物かよw
月姫:名古屋ってちょっと行ってみたいけどなんかあるのかな
☆乙女☆:どうだろw東京いくほうがいいでそw
月姫:そりゃそうだなw
☆乙女☆:名古屋まつりがあるかな 行ったことないけど
月姫:まつりかw
☆乙女☆:戦国武将系のコスしていっぱい人が歩くらしいよw信長とかw
月姫:面白そうだなw俺戦国好きだしww
☆乙女☆:私も行ってみたいけど周りに歴女いないしw一人もなんかねww
月姫:一緒に行ってみるか
☆乙女☆:え
月姫:まあ俺は行くよw
☆乙女☆:うーん考えとく
月姫:ググッとこw
戦国武将は好きだったので気が付くと☆乙女☆のことをそっちのけで祭りについて調べ始めていた。(秋か)一つ楽しみができた正樹は明日から始める家庭教師のバイト代を使わないように貯めておこうと決心する。
『名古屋まつり』というのは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑や、有名な戦国武将の行列などが町を練り歩き、派手な山車や合戦など見ごたえのある豪華絢爛な祭りだ。星奈も毎年行きたいと思いつつも、いまだ叶っていないところだったので、用事がない限り月姫と行ってみようと考えている。
(リアル姫かあ)全く現実の姿が想像できなかった。月姫の話によるとミストとKAZUは渋いオジサンらしい。
『名古屋まつり』に月姫と行くと言う話は、美優にも和弘にも一応内緒にするつもりだ。きっと危ないからと反対するだろう。ネット上では、もう八年も関わっていて性格や考え方などはだいたい把握しているつもりだ。それでもネット上の知り合いなど危ないと、反対されるのだろう。一回食事をしただけで、付き合い始めた美優と和弘のカップルのことを思うと自分のほうが随分慎重だと思うのに、と星奈は自嘲した。しかし初めてネットゲームに接続をするときのような、ときめきを感じる。長く知ってきたのに、現実で初めて会う月姫はどんな雰囲気の人だろう。特に何かの期待をしているわけではないが、ネットとリアルのギャップがあまりないことを願って眠りについた。
激しい人混みをかき分けて正樹は待ち合わせ場所の『銀時計』を探す。(金と間違えるなって言ってたな。しっかし人多いな)
名古屋まつりの影響だろうか。今まで味わった最大級の込み具合だった。(乙女、見つけられるかなあ)一応、携帯電話の番号とメールアドレスを聞いているので大丈夫だと思ったがお互いの外見の特徴を今になって何一つ話していなかったことに気が付いた。 (オフ会で皆、イメージがそこまで違わなかったから分かるよな)
ゲームの中での☆乙女☆はピンク色の妖狐で修道女のような顔も身体もすっぽりと覆った衣装を身にまとっていた。
時計らしい物体が見えてくる。人混みの頭一つ二つとびぬけた大きさなのでなんとなく見つけられた。人の隙間から、ちらっと待ち合わせをしていそうな女がいるのが見えた。(あれか?)
少し止まって様子を見てみる。
黒いショートカットの丸顔でピンクの頬をしている。デニム生地のシャツに膝丈のベージュのカプリパンツをはいている。(想像と全く違ってた)
そう思いながら正樹は女の目の前に立った。
「乙女?」
一重だが丸くて柔らかい目をこちらに向けて
「姫?」
と女は言った。
「うん。会えてよかった」
正樹はほっとして笑うと☆乙女☆も嬉しそうに笑う。
「疲れてる?お茶でもしてからうろつく?」
「腹減ったかな」
「そっか。せっかくだし名古屋っぽいもの食べとくかな」
「うーん。味噌煮込みうどん食べたい」
二人は駅を出てしばらく歩き『味噌煮込みうどん』の看板が目についたので適当に店に入った。
「お、きたきた」
「美味しそう」
「なんか色とかすごいな」
「それが結構クセになるみたいよ」
☆乙女☆は慣れた様子でうどんを啜った。(綺麗に食べるんだな)
正樹は熱さと麺の太さに格闘していた。土鍋の中でまだ煮えたぎっている。
「あっち」
「いつまでも熱いからさ。気を付けて。ゆっくり食べなよ」
「そだな」
腹ごなしをしてから二人はメイン会場へ向かった。
戦国武将のパレードを眺める。
「うお。信長かっけー」
「あー黒田官兵衛だ」
「あの千姫めっちゃ可愛いな」
二人は興奮して次々現れる行列に見入った。
「あ!合戦はじまるよ!」
「ほんとだ。すげえ。おもしれえ!」
「なんかリアルPVって感じだね」
「だなあ」
まつりを愉しんだ二人は適当なファミレスに入り休憩をした。
「来てよかったよ。楽しいな。この祭り」
「うん。面白いね。また来たいな」
「戦国コスプレってカッコよかったな」
「姫は森蘭丸が似合いそうだよ」
「えー。せめて伊達にしてくれよ」
「でも姫はイメージより男っぽいんだね」
「そりゃゲームじゃ女キャラだしな。乙女はもっと女女してるかと思ってた。身長何センチあんの?」
「ちょっとおー。百六十九だよ……」
「そうか。俺と三センチくらいしか変わらないんだな」
「ごめんね。女の子っぽくなくて」
イメージとは多少違うがゲーム内の☆乙女☆よりも、さらに付き合いやすく感じて正樹はリラックスしていた。
「なあ。またこんなイベントあったら一緒にいかね?」
「え」
「乙女といると楽しいし楽」
「なにそれ」
「リアルだと趣味合うやつとか付き合ってくれる奴って少ないんだよな」
「まあね。ちょっと距離が遠いからそんなに遊べないとは思うけどね。たまにはいいかも」
「来年もまたこのまつりは来てみたいな」
「うん。お互いに誰も行く人がいなきゃ一緒にこようか」
日が落ち始めるまで二人はイベントを愉しんだ。帰りがけに☆乙女☆はインスタントの『味噌煮込みうどん』を渡してくれた。
「じゃ、またね」
「KRでねー」
「どうだったの?」
名古屋まつりに月姫と行ったあと、美優に報告をする。
「楽しかったよ。合戦が面白くてさあ」
「そうじゃなくてっ!」
美優の聞きたいことは分かっている。月姫がどういう人間か、また星奈がどう思ったのか、が聞きたいのだ。
「なんか草食っぽい感じで優しい人だったよ。身長が同じくらいでさ、ずっと知ってる従姉みたいな感じだった」
「ふーん……。で?」
「でって……」
「付き合ったりしないの?」
「うーん。相手はまた遊ぼうって言ってくれたけど」
「星奈の気持ちはどうなのよ」
「ちょっとドキドキしたかな。まだわかんない」
「そっか。ブラコンの星奈にも、ついに彼氏ができたと思ったけどな」
美優の鋭い突っ込みに、ドキリとした。星奈は単に人よりも恋愛感情が希薄なだけだ、と自分で思っていた。しかし美優の言葉で、自分はずっと兄の修一を追いかけてきたことに、改めて気が付いた。そういえばネットゲームで好きになったミストは、どことなく優しくてなんでも知っている修一にキャラクターが、かぶる気がする。ただその恋愛感情は代替品でしかなかった。ミストは魅力的だったが大人の男過ぎた。夜空を見たときに、時たま見える星なのだ。
「美優。でも、なんかさ。お兄ちゃんから卒業できそうな気がするんだ」
「おおー!いいじゃん!今はそれで十分だね」
美優は、ぱっと顔を明るく輝かせた。(美優。綺麗になった)星奈も美優も食品を扱うため、お揃いのように髪はショートで化粧っ気もない。それでも美優は和弘と付き合い始めてから、志を持った少女から、しなやかな女性へと変貌を遂げているように思える。
「ありがと」
そして月姫のことを想うと、胸が高鳴るのを感じる。会ったとき、ゲームの中のキャラクターとそんなに違和感がなかった。卵型の白い滑らかな肌に、中性的な細い肢体。色素の薄い茶色い髪と、奥二重の優しい黒い目。シャツにジーンズだったが、白い月姫のローブを着せても似合うだろう。ただ声は柔らかいが異性のものだった。そして細くても、喉ぼとけと肩に男らしさを感じた。混雑した祭りの中で、星奈は月姫に身体を預けることがあったが、全く不快感はなかった。友人の和弘ですら、近寄らせたことも近寄ったこともないパーソナル領域を月姫とは簡単に超えられた。男なのに、異性なのに、全くその日から馴染んでしまうほど、月姫の存在は星奈にとってナチュラルだった。
今日の授業は和菓子作りとその発表だ。クラスメイトの半分が作り、半分は審査員となる。星奈は葛粉を使って『水まんじゅう』を作ることにした。
――中学時代。部活の茶道で、暑い夏に透明の涼し気な和菓子が出てきた。
「今日はお濃茶のお点前をしますから、少しお腹にボリュームがあるお菓子を食べましょうね」
池波静乃がにっこりと、保冷バッグを岸谷京香に差し出した。
「まあ。静乃先生。これを持っていらしたんですか?私が取りに行きましたのに……」
顧問の岸谷はオーバル型の眼鏡を直しながら、バッグの中の氷水と一緒に詰められた、十個ばかりの水まんじゅうを眺める。
「よく冷えている方が美味しいですからね」
暑い中、高齢の池波静乃が自分で和菓子屋に買いに行き、良く冷やしたうえで運んできたのだ。彼女の、例え中学生が相手だろうとも、気配りやもてなそうとする心遣いに、部員一同頭が下がる想いだった。
濃茶は、いつもの稽古で点てている薄茶と違って、人数分をまとめて入れるもので相当濃く、まさに練られた茶だ。上等な茶葉を使うので、味が苦くなっているわけではない。ただその濃度ゆえに胸やけを起こしたり、飲みなれてないものは胃が痛くなるそうだ。
部員たちは、濃茶にも興味を示すが、地元の銘菓であるはずの『水まんじゅう』に、興味津々だった。今の時代、和菓子を食べる習慣があまりないのだろう。名前を知っていても食べたことがあるのは、七名いる部員の中で新田美優のみだった。
新田美優も同じ高校に入学し、クラスも食物を専攻しているので星奈と一緒だ。茶道部からの付き合いだが、気が合い親友になっていた。美優は進路を決めるとき、星奈と同じところに行くと言い、ついてきたような雰囲気だった。星奈から見ると美優は勉強も運動もよくでき、美術も得意で、何でもできるイメージがあり、同じ高校を選ぶとは夢にも思わなかった。星奈が思うくらいなので勿論、美優も担任と家族に、よく考えるようにと言われたらしい。しかし頑固な彼女は、この家政科以外なら高校に行かないと頑として譲らず、今に至っている。
作業を終えて発表する時間がやってきた。
星奈は上手く透明になった水まんじゅうを、クラスメイトの審査員たちと教師に差し出した。プルプルとした冷たい触感を嫌う人は少ないだろう。
食べている姿で、好感触を得ていると思い星奈はほっとしていた。水まんじゅうの前にも、みたらし団子やどら焼きなど出されていたが、ひょっとして一番になれるかも?と言うくらいの良い反応だ。
しかし最後の作品が登場した時に、星奈は無理だなと苦笑した。
美しいサツキの花のネリキリだ。ピンクと紫のグラデーションの花弁に、添えられたグリーンの葉が美しい。みんなから称賛の声が上がる。
「かわいいー」
「きれーい」
美優はぱっちりした目をくるくるさせて、ニンマリしながら満足げだ。刻んでしまうのが惜しいと思いながら、星奈は黒文字で一口切り取り、口に入れる。(優しい味だ)
星奈だけが美優の夢を知っていた。彼女はこの高校を卒業したら、京都へ和菓子の修行に行くつもりなのだ。そして和菓子職人になりたいらしい。(美優ならきっとなれる)
星奈は小さな美優の身体に、大きなしっかりとした夢が詰まっていることが羨ましかった。身近にいる小柄な人たちは意志が強く、将来への展望がはっきりとあるような気がして、自分の背ばかり高く、凡庸な中身にため息をついた。それでも自分の透明な水まんじゅうを見てよい出来栄えに満足をした。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ、また正樹は受験生になった。特に目標もなく自分の偏差値に応じた近い大学に行くのだろうとぼんやり考えながら月姫を操作していた。
ミスト:受験平気なのか?遊んでて
月姫:余裕w
ミスト:すごいなw
月姫:受験なんて暗記じゃんw考えなきゃ平気だよw
ミスト:まあそうだなw
月姫:今の仕事どう?
ミスト:なかなかいいねw給料安いけどw
月姫:でもイン率下がったね
ミスト:肉体労働だからさw眠いww
月姫:好きなこと見つかってよかったね
ミスト:彼女に振られたけどなww
月姫:ひでえwww
気の置けない話をしながら目の前の大学受験とその後のことを考えた。(好きな仕事か……)
ミストは最初一般的に言う『いいところ』に就職したらしい。『いいところ』というのは収入の高いところと言う事だろう。ミストは穏やかな性格で落ち着いていて親切だが冷めたところもあり何を考えているのか謎めいた部分もあった。しかし戦闘になると好戦的で熱かった。『脳筋』ではないものの真っ先に特攻していくような前衛だ。おまけにプレイスキルが高く、多少の課金もしているので装備も良く獣人国家の中ではそこそこ目立つ存在でもあった。転職してから最近のミストはなんとなく戦い方が洗練されてきたように思う。『いいところ』で働いていたミストはここで鬱憤を晴らしていたのかもしれないと正樹はぼんやり思っていた。
適当な範囲魔法で弱いモンスターを倒していると☆乙女☆がやってきた。
☆乙女☆:こん
ミスト:こん
月姫:こんー
☆乙女☆:今夜戦争いく?
ミスト:俺パス
月姫:え いかないの?
☆乙女☆:えー
ミスト:おじさん疲れちゃってさwww
月姫:年寄だなw
☆乙女☆:仕事つらい?
ミスト:まだ身体が慣れないかなw
月姫:でもリア充だよな
ミスト:まねw
月姫:ああ彼女いなんだっけw
ミスト:おまえもだろww
☆乙女☆:でもここでモテモテだよねw二人ともw
ミストは戦士という職業柄、回復職の女にもてた。また月姫は女と勘違いされることが多く男から『姫』と愛称で呼ばれ人気が高かった。
ミスト:ここでモテてもねw
月姫:よく会ってもないのに好きになれるよなwww
☆乙女☆:そういうものなの?好きになったりしないの?
ミスト:俺はならないなあwゲームしたいだけだしw
月姫:遊んでて気が合う合わないくらいだよなw
☆乙女☆:なる~
☆乙女☆は好きな奴がいるのかもしれないと思いながら正樹はチャットを眺めた。ミストはよく回復職の女からよく誘われていて付きまとわれるのを見かけた。
そういうことが起こると面倒なのかミストのイン率がさがる。こういうゲームの世界でも出会いを求めている人間がいると思うと不思議な気がした。(キャラ萌えしてるだけじゃないのか)
ミストと自分の淡白さが似ているような気がして安心した。
ミスト:そろそろ落ちるよ
月姫:またノ
☆乙女☆:おつです^^ノ
ミスト:の
ミスト去った後☆乙女☆と少し狩りをした。
月姫:プリうまくなったよなw
☆乙女☆:^^
月姫:女のプリってサボる奴多いからなwww
☆乙女☆:そんなことないよw攻撃する人が強いとあんまりヒルいらないだけだよw
月姫:そうかあ?w
☆乙女☆:ミストさんなんかめっちゃ堅いしさ
月姫:ああミストはかてえw
ふと正樹は素朴な疑問をタイピングしてしまった。
月姫:もしかしてミストが好きなのか?
少し沈黙が流れる。
☆乙女☆:黙っててくれる?
月姫:ああ
☆乙女☆:ミストさんこういうの嫌そうだしさ
月姫:そうだな韻律下がるしな
☆乙女☆:ありがと
月姫:でもミストっておっさんだと思うぞww
☆乙女☆:ちょwww
☆乙女☆はリアルでは正樹の一つ年下で今、女子高に通っている。☆乙女☆の個人情報は正樹しか知らない。ミストにすら自分が女だということをハッキリと示してはいない。さすがにミストも☆乙女☆を男だとは思っていないだろうが性別や実生活にはまるで関心がなさそうだ。ネット上だがもう四年の付き合いになる。深いのか浅いのかよくわからない関係や親しさが不思議な魅力を醸し出すのが仮想現実かも知れないと正樹は思っていた。
月姫:そろそろまた受験だしちょっとインするの減るよ
☆乙女☆:らじゃー
月姫:乙女も勉強しろよ来年だろ?
☆乙女☆:どうするかなあ
月姫:ミストが言ってたぞ。好きな仕事しないと辛いってさ
☆乙女☆:好きな仕事かあ
月姫:何がしたいとかできるとかよくわかんね
☆乙女☆:姫は教えるのうまいじゃんw
月姫:え
☆乙女☆:姫のおかげで私遊べるようになったしねw
月姫:そうかwじゃまた困ったらなんか教えてやるおww
☆乙女☆:頼りにしてるww
そういえば教えることが楽しいと正樹は気づく。☆乙女☆に対してだけではなく部活の後輩にも色々教えることが多く慕われてもいた。(教えるねえ……)
志望大学のサイトを眺めてみる。(教職課程か……。採用が難しいんだろうな……)
また今度考えようとサイトを閉じた。
あれから正樹は頭から離れない教職について考え始め、夕飯時に家族に話してみると母の洋子と姉の知夏と実夏は『あんたが先生~?』と言いながら疑わしい顔つきで見てきたが、父の幹雄は『いいんじゃないか』と賛成した。
まったく何もなくぼんやり受験をするよりはモチベーションが上がり一つランクを上げることができた。先々の就職や採用に関してまで心配してもしょうがないのでとりあえず目の前の受験勉強を片付けることにする。正樹は幸運なことに家族や学校において頭を悩ませる出来事がほとんどなく、葛藤や怒り、反抗などの負の感情がないおかげで受験勉強もスムーズだ。(俺って順風満帆だよな)
不満もなく強い欲求もなく落ち着いて過ごしてきたこれまでを振り返って素直に思う。(来年からは大学生だな)
新しい環境を想像しながら少しだけインターネットを眺めて眠りについた。
受験勉強が終わったらしく、月姫が久しぶりにネットゲーム『KR』にログインしてきた。
月姫:おっす
☆乙女☆:おひさー^^
ミスト:hi
KAZU:こn
1598:こんですー
ミスト:受験終わったのか
月姫:おわったおわったw
KAZU:受かりそうか?
月姫:たぶんw
☆乙女☆:おめ^^
月姫:ありw
☆乙女☆は他のギルドメンバーとも遊ぶし、初対面の人ともパーティを組んできたが、やはり月姫がいるとほっとする。
今夜は敵国との戦争があり、久しぶりに月姫と対人戦にいくことになった。『アンダーフロンティア』のメンバーは、現在二十名ほどで構成されている。戦争に参加するものは八人で、ちょうど一パーティだ。いつものように☆乙女☆が防御力を上げ、月姫が撹乱させたのち、戦士のミストとKAZUが斬り込んでいく。狙われやすい☆乙女☆には、常にミストが盾になっている。混戦ではぐれかけていても、月姫が魔法で安全地帯に引き寄せる。☆乙女☆は命を守る仕事だが、自身もよく守られている。たかがゲームなのに、現実よりリアリティを感じる。そして守りたい意志と、守られている安心感を得るのだ。
KAZU:おつー
ミスト:おつ
1598:またよろですー
月姫:おつノ
☆乙女☆:^^ノシ
・∀・:ノノ
戦争が終わり、パーティが解散された。大半はログアウトし、ミストも眠いと言って去った。
月姫:なんか狩るか?
☆乙女☆:そうだねえ姫がやるなら
ペアで、気軽な狩りをする。
☆乙女☆:姫は大学いったらどうするの?
月姫:俺教師になるよw
☆乙女☆:へーかっこいいな
月姫:乙女のにーちゃんのほうがすごいだろw医者だしw
☆乙女☆:教えるのもすごいと思うよ
月姫:乙女は来年受験だろ
月姫:大学行くの?
☆乙女☆:ううん無理無理ww調理師学校いくんだ
月姫:ほーなんか意外w
☆乙女☆:ご飯大事だからねw
月姫:まあ一番大事かもなww美味い飯ww
月姫にはなんでも話していた。家族に、何を話しても反対されることはないが、強く関心を持ってもらえることもなかった。それは星奈自身が、家族に負担を掛けまいとする姿勢からの結果ではあるので、しょうがないと言えばそうだが少し寂しい。月姫に話せば、一緒に盛り上がってくれ、自分の選択が肯定される気がする。現実世界では、親友の新田美優が星奈のことを一番よく知っているが、このネットゲームには関心がない様で、深まることはなかった。恋愛話になり、星奈は同じギルドメンバーであるミストに憧れている話を美優にしてみたが、彼女は芸能人に対するファン心理のように捉えたらしく、軽く流されてしまった。そして、その気持ちを知っているのも月姫だけなのだ。自己主張の弱い星奈だが、自分の事を知ってくれている人がいると、心に灯ががともっているような気がする。腐らず曲がらずにここまでこれたのは月姫のおかげだろう、と久しぶりに遊んで実感していた。
高校を卒業すると、予定通り星奈は地元の調理師専門学校に入学し、親友の新田美優は京都の製菓専門学校へ行った。
「なんで和菓子なの?洋菓子じゃダメ?」
「洋菓子も美味しいし可愛いけどさあ。なんか和菓子のほうが深いじゃん」
「そう?」
「たんに好みなんだろうけど。和菓子ってさ。大きいのないじゃん。デコレーションケーキも可愛いけど、あたしは手の中にちょこんと宝石みたいなお菓子があるのが好きなんだ」
「そういわれてみたらそうだねえ」
美優は自分の宝物でもある様に、空っぽの掌を見つめていた。彼女は狭く専門的な追及をしていくのだろう。同じ歳なのに美優が大人びて見えた。星奈は、選択を自分でしてきたが、志があるとは言えなかった。兄の修一はまだ大学生だが将来、小児科医を目指すらしい。生きる目標を持つことと、生きる術を知っていることは違っていて、星奈は後者だと感じる。周囲を見回して、どう立ち振る舞えばよいか、どうすれば摩擦が少ないか、そして自立することが出来るか、に重点を置いて彼女は過ごしてきた。しかしまだ生きる意味や目標はなく、やりがいや達成感を感じることもなかった。もしも特別な才能があれば、人よりも秀でた何かがあれば、違っていたのかもと思うことはあるが、あっても何も変わらないのだろうと薄青い空を見上げた。
『アンダーフロンティア』のメンバーでオフ会が行われる。星奈も勿論誘われたが、場所が横浜で夕方から夜にかけて行われるため、行くのはやめた。片道三時間弱ではあるが出歩き慣れていないのと、恐らく男しか来ないだろうことも不参加の理由だ。月姫とミストに会ってみたい好奇心があったが、さほど強い感情でもない。後で月姫にどうだったか様子を聞いてみようと思うくらいだった。
今日は授業の大根の桂剥きで、うっかり包丁を滑らし、指先を切ってしまった。大した傷でなく、すぐに絆創膏をはって作業をしたが、テープ一枚が指先の皮膚の感覚を奪い、瞬く間に桂剥きの精度は落ちてしまっていた。一緒にグループ活動をしている、同期生の内田和弘が心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと切れただけ。すぐ血も止まってるから」
「そうか」
和弘は浅黒い気の良さそうな笑顔で頷いた。
「帰りに、石丸亭寄ってかないか?」
「いいねー。あっ。今日、友達が京都から帰ってくるんだった」
「ああ。和菓子の?」
「そうそう。良かったらさ、一緒にごはんしない?一人だとコンビニ寄っちゃうでしょ?」
和弘とは専門学校に入って仲良くなった。同じ県内だが、彼はこの学校まで一時間半かけて通っている。まだまだ二十歳の青年は育ち盛りで、帰宅まで何かしら買い食いをしてしまうのだ。駅が見えてくると、ちょうどこちらへ向かってくる小柄な美優が見えた。彼女も気づいたらしく手を振ってかけてきた。
「ほしなー」
「おかえりー」
小柄な美優は、星奈よりも頭一つ分小さく、手に持った荷物はとても重そうに見えた。和弘に気づき、美優は「カレシ?」と星奈に聞いた。
「違うよ。専門のともだち。ごはん仲間」
「そうなんだ。こんにちわ。新田美優です」
「は、はじめまして。内田和弘です」
和弘は浅黒い肌を朱に染めている。そして「俺、もつよ」と美優のボストンバッグに手を差し出した。
「あ、ありがと」
星奈は、ははーんと和弘の態度を見て感づいた。美優のことが気に入ったのだ。和弘は身長が百八十五センチあり、珍しく星奈と釣り合う身長だ。しかし友達以上の感情を持つことはお互いになかった。気が合う異性はなかなかいないのに残念だな、と大きな和弘と小さな美優の並んだ影を見て思った。
ギルドでは廃人と呼ばれるゲームに生活をすべて捧げてしまうようなプレイヤーがいない代わりに長期間遊び続けているプレイヤーが多いため、いつの間にか最大手のギルドになっていた。
始めてから七年も経つのかと思うと正樹にも感慨深く主要メンバーとの初めてのオフ会は少し興味深いものだった。メンバーの多くは関東と東海地方に住んでおり都合よく正樹の暮らす横浜で行われることになる。中華街で集まることになり正樹が良さそうな店を見つけて予約を取った。
ギルドには現在二十人ほど所属しているが実際に集まれるのは八人程度だ。ミストは来るが☆乙女☆はこない。(リアルミストか)
☆乙女☆にも会ってはみたかったがゲーム内での関係で十分なのでそれほど頓着しなかった。
賑やかな中華街は何年か前に家族と来たっきりだった。雑貨屋やら食べ物やら主に赤い色合いの光が夏の明るい夕方に散りばめられていてそれらを眺めながら正樹はワクワクして目的の店に向かう。
ギラっとした極彩色の店内に入るとチャイナ服の店員に声を掛けられたので名前を告げると大部屋に案内された。六時から開催予定で今はまだ五時四五分だがすでに二人ほど到着しているようだった。透かしの入った格子の扉から正樹は顔をだし部屋に向かって声を掛ける。
「こんですー」
「お、こん」
「こんー」
見ると三十歳前後だろうかと思われる男が二人座っていた。(たぶんミストとKAZUさんだ)
「姫? 俺ミストだよ」
「あ、はい。月姫です」
「おお。姫か。俺KAZU。」
思った通りだった。ミストは中肉中背であっさりした優しげな顔立ちに銀縁の眼鏡をかけていた。KAZUは少し濃い目の顔で色も浅黒くガタイも良かった。
「さすがヲリって感じですね」
正樹は席について率直な感想を言った。
「姫こそ、やっぱり美少年だったな」
「そんなことないですけど」
「あんまり違和感ないね」
正樹は色白で黒目がちな切れ長の奥二重で中性的な顔立ちだった。身長は百七十センチを少し超えた程度で今時にしては大きくなかったが水泳のおかげで滑らかな流線型の肢体と卵型の小顔でスタイルが良かった。
「姫のコスプレしてきても良かったのに」
「いやですよ」
そのうちにガヤガヤとメンバーが一人二人とやってくる。中には正樹が男だと知ってがっかりする者もいた。しかしいつの間にかゲーム内のように仲良く楽しく盛り上がっていく。今夜の集まりは大学生と社会人で最年長がミスト、最年少が正樹だった。
「俺、オジサンで恥ずかしいよ」
「そんなことないっすよ」
「やっぱミストさん、マジカッコいいですわあ」
正樹も現実のミストが大人で格好良くゲーム内のイメージと変わらないことに感心していた。自分の中性的な容姿を嫌ってはいなかったがミストのように男っぽい外見は憧れの対象で羨ましく思う。
全員揃ったところで乾杯をした。ミストと正樹だけウーロン茶だ。
「飲まないの?」
「車できたしね」
「そか」
「姫は?」
「あんまり好きじゃないんだ」
「じゃあ、合ってないんだな。今時飲まなきゃだめってことないから無理しなくていいと思うよ」
「うん。それより飯だな」
運ばれてくる料理を次々と正樹は平らげていると
「姫が飯食ってる~」
とか
「人参も食べてえー」
などからかうものがあって面白かった。
「俺はまだ育ちざかりなんで」
そんな様子をミストが優しく見守っていた。
一応十時までの予約だったのでオフ会はお開きとなった。帰路につくもの、そのままネットカフェに朝までいるもの各自、自由行動をとり始めた。
「姫は家どこ?市内だろ?」
「うん。電車ちょこっと乗るけど」
「送ろうか」
「いいの?」
「いいよ」
正樹はミストの車に乗せてもらうことにした。
「なかなかいいね。渋くて」
「もうずいぶん年式古いけどな」
しばらくすると正樹の家の近所にあるファミレスが見えてきた。
「ああ、そのへんでいいよ」
「いいのか?」
「うん」
なんとなく名残惜しかったので正樹は
「もう、すぐに帰る? そこのファミレスでコーヒー飲まない?」
と聞いた。
「そうだな。カフェインとっておくかな」
二人で店に入りコーヒーを注文した。
「さっき楽しかったね。でも俺のこと女だと本気で思ってたやつがいたなんてびっくりだよ」
笑いながら正樹が言うと
「昔はよくネトゲに女がいるなんて都市伝説って言ってたけどね」
ミストが面白がっていう。
「実際は案外いるもんだよね」
「だね」
ミストが少し一呼吸おいて言った。
「今度プロポーズするんだ」
「え」
正樹は目を丸くしてミストを見た。
「スカーレットにね」
ミストが敵種族のヒューマンである女盗賊『スカーレット』と懇意なのは知っていたが現実でもそんなふうに進行している関係だとは思ってもみなかった。
「KRで知り合ったの?」
「いや。リアルで。KRにいたのは後で知ったんだ」
「へー。なんかすごいね。俺、まだ好きな気持ちとかよくわかんないよ。結婚なんてするのかなあ」
「俺も一人でいるほうが楽だったし結婚なんてしたいと思わなかったけどね」
「なんか違うの? スカーレットさんは。特別な人なの?」
正樹は自分には経験のない感覚に興味が湧いた。
「うーん。特別というより、俺にとって唯一の女って感じがする。この人以外には感じないっていう感覚かな」
「なんかエロイな」
「大人だからエロくていいんだよ」
笑いながら言うミストになぜか正樹が照れてしまったと同時にそういう相手に巡り合えたことを羨ましく思った。
「なんかいいね。俺にもいつか出てくるといいけどね」
「きっといるよ」
まだ見ぬ相手に正樹は期待を膨らませた。
ぽつんと遊んでいる☆乙女☆を見つけて声を掛けようとしたが一瞬、躊躇った。(☆乙女☆はミスト好きなんだよな)
☆乙女☆:こん^^
☆乙女☆から声を掛けてきた。
月姫:こんー
☆乙女☆:オフどうだった?
月姫:面白かったよwヤローばっかだったけどw
☆乙女☆:やっぱそうなんだw
月姫:乙女も来ればよかったのにwみんないい奴らだったぞw
☆乙女☆:女子が一人もいないのってねえ
☆乙女☆からミストのことを聞かれたらどう返そうと思いながら少し考えて先回りをして言った。
月姫:思った通りギルマスもミストもおっさんだったよw
☆乙女☆:えーww
月姫:まあでも渋い感じw
☆乙女☆:そうなんだw会ってみたかったな
月姫:どこ住んでたっけ?
ミストが現れた。
ミスト:ptpt
ミスト:hi
月姫:こんw相変わらず外人みたいだなw
☆乙女☆:こんです^^
ミスト:俺の悪口言ってたろw
月姫:違うよw今度オフあったら乙女来いよって話w遠いと難しいけどさ
☆乙女☆:横浜かあー名古屋ならなあ
☆乙女☆:うち岐阜なの
ミスト:ああ志野とか織部とか
☆乙女☆:え
☆乙女☆:そんなの知ってるの?すごいね
月姫:それって何
ミスト:陶芸だよ彼女が多治見に住んでたことあるんだってさw
☆乙女☆:そうなんだ。でもうち大垣ってとこだから陶芸はそんな盛んじゃないんだよね
正樹は『彼女』と言う言葉に☆乙女☆が辛い反応をするのではないか気になり話題を変えようとした。
月姫:今日狩りする?
ミスト:俺パス
月姫:最近あんまり来ないね
ミスト:リア充なんでねw
☆乙女☆:残念
ミスト:じゃまたノ
月姫:ノ
☆乙女☆:^^ノ
ミストは顔だけ出しに来たのだろう少し話すと落ちていった。
月姫:なんか狩るか
☆乙女☆:やっぱ彼女いるんだね
(気にしたか……)
月姫:そうみたいね
月姫:まあもうミストも三十超えたおっさんだしw一人じゃかわいそうじゃねw
☆乙女☆:かなあ
月姫:乙女さ彼氏とかいないの
月姫:リアルで好きな奴とか
☆乙女☆:いない
☆乙女☆:専門も女子多いし
月姫:男っ気ないよなwいつもw
☆乙女☆:姫こそずっと彼女いないでそ?
月姫:いないこともないけどなw
☆乙女☆:え いるの
月姫:そろそろ別れそうww
☆乙女☆:あらまw
正樹はどこかしら冷めているせいか彼女ができても続かなかった。まず話があまり盛り上がらない。女からみると正樹は優しくてナイトのようなイメージを持つらしいが実際はマイペースで同性の友達のような関係になりやすかった。告白してくる女からすると甘い恋愛関係を想像しながら近づいてくるのだろう。そんな関係は正樹も疲れたし相手も幻滅していき、深い関係になるまえに終焉を迎える。
昨日会った彼女のことを思い出した。恋人の亜里沙とは告白されて付き合い始め三ヶ月経っていた。正樹がやっているネットゲーム『Knight Road』に興味があるというので実際にプレイするところを見せてやろうと家に誘った。
「そこ座ってて、今pc起動するからさ」
正樹がパソコンの電源を入れ、画面を見ながら立ち上がるのを少し待ち、ゲーム画面の『Knight Road』という文字とファンファーレが流れ出した時、振り返った。
「これこれ。……」
亜里沙は正樹のベッドに下着姿になって腰かけていた。
「もうワタシたち付き合って三ヶ月よね」
艶やかな茶色いストレートの髪を指先に巻きつけながら亜里沙は言う。いきなりのシチュエーションに正樹は躊躇った。
「ちょっといきなり過ぎない?」
「だって。正樹君、全然手え出してこないじゃん。アリサのことどう思ってるの?」
(どう思ってるんだろ……)言葉が返せず沈黙する正樹に亜里沙はいらだった。
「ワタシさあ。今、サークルの先輩から告られてるの」
「そうか」
「そうかって……」
正樹には亜里沙が何を言いたいのか何をしたいのか理解ができなかった。
「どうすればいいわけ?」
「ワタシたち恋人でしょ?」
亜里沙が声を高くしていきり立った。
「もっとゆっくりじゃだめなの?気持ちとか色々」
「そんなにのろのろやってたら楽しくないじゃん」
「ごめん」
「もういい」
亜里沙は服を着始めた。正樹は無感情に亜里沙の服を着るさまを見た。あっという間に着替えて
「じゃあね」
と言って部屋を出て行った。追いかけることも思いつかないほど(今の何だったんだ?)と静観してしまっている自分がいる。ただ少し疲れたなと思って椅子に座りネットゲームのログインを始めた。
正樹は友達が多いほうだが女友達は皆無だ。そして恋愛関係のない付き合いができる唯一の女である☆乙女☆に思わず興味をもった。
月姫:なあ名古屋ってなんかある?
☆乙女☆:きし麺とかw
月姫:食い物かよw
月姫:名古屋ってちょっと行ってみたいけどなんかあるのかな
☆乙女☆:どうだろw東京いくほうがいいでそw
月姫:そりゃそうだなw
☆乙女☆:名古屋まつりがあるかな 行ったことないけど
月姫:まつりかw
☆乙女☆:戦国武将系のコスしていっぱい人が歩くらしいよw信長とかw
月姫:面白そうだなw俺戦国好きだしww
☆乙女☆:私も行ってみたいけど周りに歴女いないしw一人もなんかねww
月姫:一緒に行ってみるか
☆乙女☆:え
月姫:まあ俺は行くよw
☆乙女☆:うーん考えとく
月姫:ググッとこw
戦国武将は好きだったので気が付くと☆乙女☆のことをそっちのけで祭りについて調べ始めていた。(秋か)一つ楽しみができた正樹は明日から始める家庭教師のバイト代を使わないように貯めておこうと決心する。
『名古屋まつり』というのは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑や、有名な戦国武将の行列などが町を練り歩き、派手な山車や合戦など見ごたえのある豪華絢爛な祭りだ。星奈も毎年行きたいと思いつつも、いまだ叶っていないところだったので、用事がない限り月姫と行ってみようと考えている。
(リアル姫かあ)全く現実の姿が想像できなかった。月姫の話によるとミストとKAZUは渋いオジサンらしい。
『名古屋まつり』に月姫と行くと言う話は、美優にも和弘にも一応内緒にするつもりだ。きっと危ないからと反対するだろう。ネット上では、もう八年も関わっていて性格や考え方などはだいたい把握しているつもりだ。それでもネット上の知り合いなど危ないと、反対されるのだろう。一回食事をしただけで、付き合い始めた美優と和弘のカップルのことを思うと自分のほうが随分慎重だと思うのに、と星奈は自嘲した。しかし初めてネットゲームに接続をするときのような、ときめきを感じる。長く知ってきたのに、現実で初めて会う月姫はどんな雰囲気の人だろう。特に何かの期待をしているわけではないが、ネットとリアルのギャップがあまりないことを願って眠りについた。
激しい人混みをかき分けて正樹は待ち合わせ場所の『銀時計』を探す。(金と間違えるなって言ってたな。しっかし人多いな)
名古屋まつりの影響だろうか。今まで味わった最大級の込み具合だった。(乙女、見つけられるかなあ)一応、携帯電話の番号とメールアドレスを聞いているので大丈夫だと思ったがお互いの外見の特徴を今になって何一つ話していなかったことに気が付いた。 (オフ会で皆、イメージがそこまで違わなかったから分かるよな)
ゲームの中での☆乙女☆はピンク色の妖狐で修道女のような顔も身体もすっぽりと覆った衣装を身にまとっていた。
時計らしい物体が見えてくる。人混みの頭一つ二つとびぬけた大きさなのでなんとなく見つけられた。人の隙間から、ちらっと待ち合わせをしていそうな女がいるのが見えた。(あれか?)
少し止まって様子を見てみる。
黒いショートカットの丸顔でピンクの頬をしている。デニム生地のシャツに膝丈のベージュのカプリパンツをはいている。(想像と全く違ってた)
そう思いながら正樹は女の目の前に立った。
「乙女?」
一重だが丸くて柔らかい目をこちらに向けて
「姫?」
と女は言った。
「うん。会えてよかった」
正樹はほっとして笑うと☆乙女☆も嬉しそうに笑う。
「疲れてる?お茶でもしてからうろつく?」
「腹減ったかな」
「そっか。せっかくだし名古屋っぽいもの食べとくかな」
「うーん。味噌煮込みうどん食べたい」
二人は駅を出てしばらく歩き『味噌煮込みうどん』の看板が目についたので適当に店に入った。
「お、きたきた」
「美味しそう」
「なんか色とかすごいな」
「それが結構クセになるみたいよ」
☆乙女☆は慣れた様子でうどんを啜った。(綺麗に食べるんだな)
正樹は熱さと麺の太さに格闘していた。土鍋の中でまだ煮えたぎっている。
「あっち」
「いつまでも熱いからさ。気を付けて。ゆっくり食べなよ」
「そだな」
腹ごなしをしてから二人はメイン会場へ向かった。
戦国武将のパレードを眺める。
「うお。信長かっけー」
「あー黒田官兵衛だ」
「あの千姫めっちゃ可愛いな」
二人は興奮して次々現れる行列に見入った。
「あ!合戦はじまるよ!」
「ほんとだ。すげえ。おもしれえ!」
「なんかリアルPVって感じだね」
「だなあ」
まつりを愉しんだ二人は適当なファミレスに入り休憩をした。
「来てよかったよ。楽しいな。この祭り」
「うん。面白いね。また来たいな」
「戦国コスプレってカッコよかったな」
「姫は森蘭丸が似合いそうだよ」
「えー。せめて伊達にしてくれよ」
「でも姫はイメージより男っぽいんだね」
「そりゃゲームじゃ女キャラだしな。乙女はもっと女女してるかと思ってた。身長何センチあんの?」
「ちょっとおー。百六十九だよ……」
「そうか。俺と三センチくらいしか変わらないんだな」
「ごめんね。女の子っぽくなくて」
イメージとは多少違うがゲーム内の☆乙女☆よりも、さらに付き合いやすく感じて正樹はリラックスしていた。
「なあ。またこんなイベントあったら一緒にいかね?」
「え」
「乙女といると楽しいし楽」
「なにそれ」
「リアルだと趣味合うやつとか付き合ってくれる奴って少ないんだよな」
「まあね。ちょっと距離が遠いからそんなに遊べないとは思うけどね。たまにはいいかも」
「来年もまたこのまつりは来てみたいな」
「うん。お互いに誰も行く人がいなきゃ一緒にこようか」
日が落ち始めるまで二人はイベントを愉しんだ。帰りがけに☆乙女☆はインスタントの『味噌煮込みうどん』を渡してくれた。
「じゃ、またね」
「KRでねー」
「どうだったの?」
名古屋まつりに月姫と行ったあと、美優に報告をする。
「楽しかったよ。合戦が面白くてさあ」
「そうじゃなくてっ!」
美優の聞きたいことは分かっている。月姫がどういう人間か、また星奈がどう思ったのか、が聞きたいのだ。
「なんか草食っぽい感じで優しい人だったよ。身長が同じくらいでさ、ずっと知ってる従姉みたいな感じだった」
「ふーん……。で?」
「でって……」
「付き合ったりしないの?」
「うーん。相手はまた遊ぼうって言ってくれたけど」
「星奈の気持ちはどうなのよ」
「ちょっとドキドキしたかな。まだわかんない」
「そっか。ブラコンの星奈にも、ついに彼氏ができたと思ったけどな」
美優の鋭い突っ込みに、ドキリとした。星奈は単に人よりも恋愛感情が希薄なだけだ、と自分で思っていた。しかし美優の言葉で、自分はずっと兄の修一を追いかけてきたことに、改めて気が付いた。そういえばネットゲームで好きになったミストは、どことなく優しくてなんでも知っている修一にキャラクターが、かぶる気がする。ただその恋愛感情は代替品でしかなかった。ミストは魅力的だったが大人の男過ぎた。夜空を見たときに、時たま見える星なのだ。
「美優。でも、なんかさ。お兄ちゃんから卒業できそうな気がするんだ」
「おおー!いいじゃん!今はそれで十分だね」
美優は、ぱっと顔を明るく輝かせた。(美優。綺麗になった)星奈も美優も食品を扱うため、お揃いのように髪はショートで化粧っ気もない。それでも美優は和弘と付き合い始めてから、志を持った少女から、しなやかな女性へと変貌を遂げているように思える。
「ありがと」
そして月姫のことを想うと、胸が高鳴るのを感じる。会ったとき、ゲームの中のキャラクターとそんなに違和感がなかった。卵型の白い滑らかな肌に、中性的な細い肢体。色素の薄い茶色い髪と、奥二重の優しい黒い目。シャツにジーンズだったが、白い月姫のローブを着せても似合うだろう。ただ声は柔らかいが異性のものだった。そして細くても、喉ぼとけと肩に男らしさを感じた。混雑した祭りの中で、星奈は月姫に身体を預けることがあったが、全く不快感はなかった。友人の和弘ですら、近寄らせたことも近寄ったこともないパーソナル領域を月姫とは簡単に超えられた。男なのに、異性なのに、全くその日から馴染んでしまうほど、月姫の存在は星奈にとってナチュラルだった。
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