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完結編

17 初デート

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 テーブルに手を置き、身を乗り出して告白する桃香の瞳を黒彦はじっと見つめる。そしてその両手の上にそっと手をのせた。

「さっき怪人に鈴木さんが捕らわれたとき、心臓が止まりそうになった……」
「て、店長」
「君といるととても穏やかな気持ちになる。でも他の男が君に絡んでいるのを見るとイライラしていた。君は大事な従業員で、とても大切な人だと思っている」
「お願いです! 店長の、気持ちを、教えてほしいんです」
「――好きだ」
「――!」

 桃香の緊張した表情が緩み、柔らかくなっていくのがわかる。頬を染め、落ち着きなく目を走らせる様子に黒彦も心拍数が上がってきた。
 ちょうど視線が合うと、そのままゆっくり引き寄せられ、磁石のように唇が重なる。

「て、ん、ちょ、う……」

 黒彦の大きな手が桃香の肩を抱き、腰も引き寄せられる。重ねた唇は甘く、自然と吸い、舌を絡め合っていた。そこで薬の効果が完全に切れる。
 ハッとした黒彦が思わず桃香から身体を離す。

「す、すまない」
「店長……。謝らないでください」
「しかし……」
「嬉しいです。だから、一瞬の気の迷いだって言われても、平気、です」
「そんなことはない。雰囲気に流されることはないから。でも――」
「でも?」

 不安げな眼差しを向ける桃香に、黒彦は難しい顔で答える。

「従業員に手を出すという行為は……。紳士的ではないな……」

 くすっと桃香は安心して笑い「茉莉ちゃんが言ってました。赤斗さんとは職場恋愛だって」と笑顔を見せる。

「そうか。そういうものか」

 黒彦もつられて笑った。その後、もう一度だけ優しいキスを交わし黒彦は帰っていった。桃香はいつまでも唇を指先でなぞり、口づけの感触を再生させていた。


 次の日、自然な雰囲気を装い桃香は出勤する。

「おはようございます!」
「おはよう」

 黒彦はいつもと同じような反応で、桃香は昨日の出来事は夢だったのかと思うほどだった。公私混同をしないように気をつけ桃香も、何もなかったかのように仕事をした。昼休み以外、あまり黒彦との接点はない。彼は事務的な処理やら発注やら、また別に何か仕事をしているようで、ほぼ店にいるのは桃香だった。
 勤務時間が終わるころ、黒彦が店にやってきて「お疲れ様」と告げる。いつも通りの様子に桃香も
「これで失礼します」と頭を下げた。

「鈴木さん」
「はい」
「ここ閉めたら食事に誘いたいんだが、どうだろうか」
「え……」
「遅いかな。やっぱり」
「いえ! そんなことないです」

 昨日の出来事は夢ではなかったと桃香は安堵した。

「じゃあ、後で」
「はいっ! 失礼します」

 心の中でガッツポーズを決めて桃香はいそいそと帰宅する。シャワーを浴びた後、何を着て行こうかと考えながら歩いていると「桃香ー」と声を掛けられた。振り返るとカンフー服を着た理沙が、鍛錬を終えた後のようで、タオルで汗を拭きながら立っていた。

「理沙さん、こんばんはー。ジョギングですか?」
「うん。少し走り込んでいるところだ。下半身強化しようと思って」
「へえー。私もなんか最近、太腿太って来ちゃったかも」

 ぶかぶかしたカンフー服の下で、引き締まり、出るところは出ている理沙のスタイルの良さを思い出す。

「はははっ。ちょっと動けばすぐ無駄なものはなくなるさ。ところで、何か嬉しそうだな」
「え? あ、やだっ。顔に出てるのかな」

 特に桃香の表情を読んだわけではないが、昨日の今日なので理沙は探りを入れる。

「何かいいことがあったのか?」
「あの、実は――」
「ほう! 桃香の憧れの君である店長に食事に誘われたのか。それは良かったな!」
「そうなんです」
「うんうん。そのまま一気に大人の付き合いにまっしぐらだな」
「え、いえ、そんなっ」
「いいじゃないか。私と緑丸は初デートで結ばれたぞ」
「え! それはさすがに早すぎじゃ」
「そうか? まあ桃香は桃香のペースがあるしな。じゃ、楽しんでくるんだぞ」
「あ、はい!」

 理沙は手を振り走り去った。

「まさか、今日……」

 思わず想像してしまい桃香は顔を赤らめる。

「いやいや、店長に限ってそんなスピード感じゃないと思うけど。でも理沙さんの彼っておっとりしてそうなのになあ」

 とてもその日のうちに手を出してくるようなタイプに見えない緑丸なので、人は見かけによらないものだと桃香は思った。しかしシャワーでしっかり身体を洗おうと考えていた。

 風呂をためている間に桃香は洋服を確認する。

「えーっと仕事終わってすぐだから、店長はあの恰好のままだろうな」

 黒彦の黒いシャツを思い出す。カジュアルなシャツとパンツなのに黒彦はフォーマルな雰囲気がある。桃香は二枚のワンピースを取り出し見比べる。

「こっちはちょっとカジュアル過ぎるかな。でも、こっちはちょっと透け感が……。うーん。でも初デートだし気合入れておきたいところ……」

 悩んだがレースの切り替えで、肌が良く透けるほうのワンピースを選んだ。
 身体を熱心に洗い、ローションをまんべんなく縫って念入りにナチュラルメイクを施していると、あっという間に書店の終了時間になった。

「ふー。支度にこんなに時間かけたの初めて」

 バッグとヒールを用意して、一息つくころにチャイムが鳴った。

「はーい」

 出るとやはり黒彦が立っていた。

「こんばんは」
「こんばんは」

 書店で会う時と違った、緊張感のある空気が流れる。

「出られる?」
「はい」

 外に出た桃香に黒彦は「素敵だ」と笑顔で褒めた。

「ありがとうございます」

 心の中で桃香はこっちのワンピースで良かったとホッとしていた。

「今夜は急だったし、『イタリアントマト』に予約入れたんだけどいいかな?」
「勿論いいです! 嬉しい! あのお店一人だと行きにくくて」
「よかった」

 さっと黒彦は腕を出す。このようなエスコートに経験がない桃香は、恐る恐る腕に手を回した。

「じゃあ、行こう」
「はいっ」

 もう商店街は夜の街へと変わっている。この小さな町の商店街は、夜の店と昼の店が混在していて歩く人々も同様だ。
 仕事帰りのサラリーマンや塾帰りの学生とこれから夜の店で勤める派手な人たちが行き交っている。『イタリアントマト』に着くわずかな時間に色々な人たちとすれ違った。

 黒彦が扉のドアを開け、桃香を先に店内に入れると茉莉が明るく「いらっしゃいませ。お席こちらです」と案内する。

「こんばんは。茉莉ちゃん」
「ふふっ。どうぞごゆくり」

 桃香が黒彦と進展があったことはすでにみんなに知れ渡っていて、茉莉は嬉しそうな笑顔を見せた。そんなことを知らない桃香と黒彦は彼女は愛想がとても良いという感想を持つだけだった。
 赤斗は一番静かでゆったりできる席を空けておいた。さらにそこの照明は少しだけ暗く落とし、ムードのある雰囲気を作ってある。

「どう? 二人の様子は?」

 忙しく調理しながらも赤斗は茉莉に様子を聞く。

「いい感じですよー。なんかあんな2人見るの新鮮です」
「まあね。前はもっと遠慮ないカップルだったしね」
「うーん。なんとなく不思議な感じ……」
「違和感はしょうがないけど、まあ二人が幸せなら……」
「ん……。そう、ですね」

 寂し気な瞳を見せる茉莉を、仕事が終わったら力いっぱい抱きしめようと赤斗は思った。
 勿論、屋外で。


 色々なパスタを堪能して黒彦と桃香は店を出る。

「美味しかったー」
「うん。ますます美味くなってる」

 しばらく歩くと桃香のアパートの前だった。

「じゃ。明日、ゆっくり休んで」
「あ、はい。ごちそうさまでした」

 頭を下げてあげると、間髪入れず黒彦の唇が軽くそっと触れた。

「おやすみ」
「お、おやすみ、なさい」
「もう遅いから早く入って」
「あ、は、はい。おやすみなさい」
「ん。じゃ」

 桃香が扉を閉めたのを見届けて、黒彦は帰っていった。扉の内側で桃香はドキドキする胸を押さえる。

「はあっ。なんかすっごくドッキンドッキンする」

 食事のあと軽く口づけされただけだが、桃香は腰が抜けそうな気持になっている。

「私には理沙さんみたいにすぐ大人の関係って言うのはハードル高いな」

 元々のんびり屋の桃香には急ぐつもりもなく、十分満足なデートだった。


 翌日、黒彦は仲間たちから新しい研究開発を行うからと呼び出されていた。彼には内緒だが、記憶を再構築する装置だ。
 黄雅の経営する『レモントイズ』の地下で作業は行われる。

「これ見てくれる?」

 黄雅が設計図を黒彦に渡す。

「どれどれ」

 中央のカプセルに6本のチューブが付いており、それぞれにまたカプセルがついている。

「これは一体なんだ?」
「エネルギーの交換と言うか充電装置って言う感じかな。疲労困憊になったら真ん中のカプセルに入って、みんなからエネルギーもらうの」
「ふうん。なかなか面白いとは思うが、回復なら俺が薬、調合してやるぞ?」
「まあ、それはそれでさ。なんかやっぱ開発とかしてないと落ち着かなくね?」
「技術がなまるのも良くないだろう」

 白亜と青音がさりげなく発言する。

「まあ、そうだな」

 機械や技術関係に関してはそれほど専門ではないので、黒彦は詳細を追求せずに参加することになった。また仲間たちでワイワイ楽しく創り上げる作業自体が楽しいので肯定的だ。
 黄雅に言われるまま作業する。いつの間にか鼻歌を歌っていたらしく、赤斗に尋ねられた。

「ご機嫌だな。昨日はあの後どうした?」
「ん? 昨日? ああ、送っていった」
「あ、そうなのか」
「美味かったよ。彼女もすごく楽しそうだったし」
「そっか。それは良かったよ」
「ねえ、付き合ってんの?」

 のほほんとした会話に白亜が突っ込んできた。

「ん? あ、ああ気持ちは伝えた」
「気持ち? それも大事だけどさあ。ちゃんと付き合いましょうって言ってんの?」
「むっ。言っていない気がする」
「あー、それダメダメ。ちゃんと形にしますって言わないとダメっぽいよー」
「そうなのか」

 うーんと考えている黒彦に青音も「そこを曖昧にしないほうがいい」と付け加える。

「なるほど。そこだけは結構初めからはっきりさせるんだな」
「そうだね。そこは雰囲気とか空気読むっていう感じじゃないみたいだ」

 緑丸も実感を込めて頷く。

「じゃあ早速明日伝えることにする」
「それがいいよー」
「恋人になるまでのお試し期間はないってことだな」

 手が止まる黒彦に「じゃあ、今日はこの辺にしよう」と赤斗は作業終了を告げる。

「ん、うん。じゃあな」

 告白の計画でも立て始めるのだろう。黒彦はいそいそと帰っていった。
 黒彦が立ち去った後、シャドウファイブたちは話し合う。

「やっぱりあの二人は付き合うことになったな」
「ちょっとじれったい気もするが……」
「上手くいってる感じはするよ」
「この装置どうする?」
「二人が上手くいくなら必要性はどうなんだろうか」

 黒彦と桃香が結ばれるのなら、記憶の再構築はもしかしたら蛇足になるかもしれないと考える。

「一応、このまま完成は目指そう。必要になるかもしれないし、役に立つかもしれないしな」
「そうだな」
「うん。何か創り上げるってやっぱり楽しいもんだしなー」

 思うことはそれぞれ色々あるが、とりあえず成り行きを見守りながら作業を続けることにした。 
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