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イエローシャドウ 井上黄雅(いのうえ こうが)編

10 みんなは一人のために。一人はみんなのために

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 そろそろ彼女が通りががるころだと思い、黄雅は店をしまう準備をする。平日はのんびりしたもので客も少なく主に壊れたおもちゃの修理をしている。閉店時間になったのでシャッターを降ろしたが、まだ菜々子は現れなかった。



「残業なのかなあ」



 なんだがそわそわしながら黄雅は店の前であたりを見渡した。数分すると菜々子が現れ黄雅はほっとした。



「ん? どうしたの? そんなところに突っ立って」

「あ、おかえり」

「ははーん、私を待ってたんでしょー?」

「えっ!?」

「冗談よ、冗談」



自分の気持ちを見透かされたのかと黄雅はドキリとする。そのまま誘わずに去ろうとする菜々子に

「あの、菜々子さん、飲みいかない?」と珍しく自分から誘った。



「んー、今日はどうしようかなあ。最近飲み過ぎで、そろそろ休肝日かなーって思ってたんだけど」

「あ、そっか……」

「どうしたのよ。黄雅くんはあんまり飲まないじゃない。あー、わかった」

「えっ」

「仕事で嫌なことがあったのね? いいわよ、付き合ってあげる」

「う、うん」



 いつもの居酒屋にやってくると、顔見知りになっている菜々子はするっとカウンター席に座り「おじさーん、生チュー2つねー」と黄雅の注文を勝手に頼んでいた。



「あと、適当に串おねがーい」



中ジョッキのグラスが運ばれ「おつかれー」と二人で乾杯する。



「ぷふーっ! この一杯のために生きてるわね!」

「はははっ、菜々子さんは大げさだなあ」

「そんなことないわよー」



グラスを半分空けた頃、焼き鳥を品よく箸で一つ一つ取り皿に取る黄雅に「もう! かじるのっ!」と菜々子は横に向けた肉を噛み、すっと串を抜く。



「へえ、上手だねえ」

「もー、こんなことに感心しないの、で、どうしたのよ。悩み?」

「悩みかあ」



悩んでいるわけではないのでどう返答したらいいのか考えていると、菜々子はすでにグラスを空にしてた。



「そういえばさあ。今、太極拳教室いってるじゃない? でね、高橋先生ってばさあ」

「あ、セクハラされちゃった?」

「ちがうちがう。逆逆、私だけされないのよ」

「え? おじいさん、菜々子さんにはセクハラしないんだ」

「そうなのよ。なんでかしら? いや、セクハラはダメだからされたいわけじゃないし。高橋先生も私から見たらセクハラじゃなくてスキンシップ程度なんだけどね」



 どうやら桃香はじめ教室に通っている女性たちは、高橋朱雀にボディタッチを受けるようだが菜々子だけ無いらしい。



「やっぱ色気がないからかしらねえ。昔から会社でも私だけ被害に遭ったことないのよ。いい事なんだけど」

「うん。いい事だよ。というか、色気は関係なんじゃないのかなあ」

「そう?」

「だって菜々子さんを中学から知ってるんでしょ? だからじゃないの?」

「まあねえ。孫の同級生だしね。でももういい大人なんだけどなあ」

「うーん。確かに他の人たちに比べたら、菜々子さんは気軽に接しにくいかもね」

「なによ! やっぱり可愛げがないって言いたいのね」

「ちがうってー。まあ、そもそも俺たちおじいさんたちと世代が違うからセクハラとかしたいと思ったことないよー」

「ああ、そっか。もう草食の部類かあ」

「おじいさんはいつまでも元気だね」



「ま、いいけど。ところで黄雅くん、飲みが足りないじゃないの?」

「飲んでるよー。菜々子さんがペース早いんだよ」

「ところでさあ。おもちゃ屋の経営って大丈夫なの? みたところあんまりお客いなさそうだし」

「ははっ。心配してくれるの?」

「いやあ、まあ、自営も勤めも明日はどうなるか分かんないけどね」

「ネット注文も多いから平気だよ。おもちゃだけじゃなくて、楽器とか電気機器類も修理してるし」

「そっか。昔から器用だったもんねえ」



 いつものように仕事や経済の話をし、たわいもないことを話す。あらためて黄雅は菜々子といると、仲間たちとはまた違った楽しさと安らぎがあるのだと気づく。菜々子は、仲間たちよりも黄雅に気を使わない。黄雅はそれがとても楽だった。

 千鳥足の菜々子のまともになるのを見計らい、黄雅は足を止める。



「菜々子さん」

「なにー?」

「俺たち付き合わない?」

「いいわよー。今度はどこいくのー?」

「違うよ。場所じゃなくて。恋人として付き合ってほしいんだ」

「えっ? なに? 恋人?」

「うん。菜々子さんもいまフリーでしょ?」

「そうだけど」

「やっぱり俺じゃ嫌なのかな」

「い、嫌なんて思ったことはないけど」

「じゃあ、よろしくね」

「え、あ、うん」



 菜々子を無事送り、黄雅は明るい気持ちで家路につく。



「応じてもらえた」



珍しく心臓がどきどきしていた。それもそのはずで『付き合ってほしい』と言われたことは多々あったが、言ったのは初めてだったのだ。





 昨晩の話を反芻してみる。



「夢じゃないわよね」



多少酔ってはいたが、黄雅から付き合ってほしいと言われたと記憶している。



「本気かしら?」



珍しく仕事もあまり集中できず捗らなかった。しかし普段から人の倍こなしているので誰も何も言わない。上司からまた本社に戻れそうだと聞かされたが、どっちでもいい気がしている。少し早めに仕事を終えて、コツコツと商店街をゆっくり歩く。『レモントイズ』の店先で、黄雅は小学生と話をしているのが見えた。

 少しかがんで男の子に優しい微笑みを見せている。男の子は嬉しそうに笑顔を見せ、やがて走り去った。



「うーん。いいパパになりそうね」



ゆっくり近づくと黄雅は菜々子に気づいたようでパッと明るい顔を見せた。



「おかえり。今日は早いんだね」

「あ、うん。ただいま。ちょっと早いかな」

「ごめんね、まだ閉店時間じゃないんだ」

「いや、別にいいけど」

「奥ででも待っててくれる? 飲みに行こうよ」

「ん。いいわよ」



またいつものように飲みに行くのだろうか。今日から恋人になってるはずだが何か違うのだろうか。とりあえず菜々子は黄雅の言うとおりにすることにした。







 太極拳教室が終わった後、菜々子は桃香を呼び止める。



「ねえ、桃香ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど今いい?」

「ええ。いいですよー」



さりげない会話のように菜々子は「あのね。お付き合いが始まったらどれくらで深い関係になるものかしら。今どきって」と尋ねる。



「うーん。今どきかあ。期間というよりも早い人だとデート三回目でそうなっちゃうかも」

「え? 三回目で? キスとかじゃなくて?」



びっくりして思わず大きな声を上げてしまい、他のみんなの関心をひいてしまう。



「なになにー」

「なんだ?」

「恋バナですかあー」

「どうかしたんです?」



わらわらとみんなに菜々子は取り囲まれる。



「あわわ……」



そこへ高橋朱雀も加わった。



「ふぉーっふぉっふぉ。なんじゃ菜々子ちゃん恋の相談か? 水臭いのう。どれどれわしが乗ってやろう」

「え、ええーっ」

「じゃ、私もー」

「聞いとこうかな」



結局全員で話をすることになってしまった。まるで会議でやり玉に挙げられたときの四面楚歌状態のような気がしていた。しかし菜々子はひるむことなく対決することを選ぶのだ。



「えーっと。実は――」



菜々子は黄雅の名前は伏せて、付き合い始めて三ヵ月になるがキスはおろか、手も握っていないことを話した。



「へー、結構シャイなんですねえー」

「大事にされてるんですよ」

「遠慮してるんじゃないのか?」

「プラトニックラブなの?」



女性たちが口々に話していると朱雀が「ふぉっふぉ。コウのやつ、まったく奥手じゃのう」と言い出した。



「ぶっ!」



菜々子は名前を出していないのに黄雅の名前が出てきたので、危うく中国茶を吹き出すところだった。



「な、なんで黄雅くんって……」

「なんでって。みんな知ってますよ?」

「二人でよく歩いてるじゃないですかあ」

「まさか別の人じゃないですよねえ」

「いえ、まあ黄雅くんだけど」



確かに頻繁に一緒に商店街を歩いていれば、バレていないはずはなかった。



「で、コウのやつが手を出してくるのが遅いんじゃな?」

「ええ、まあ……」

「やっぱり大事にされてるんですよー」

「遠慮もあるのかなあ」



意見が飛び交う中、菜々子はキラキラ眩しい女性たちを見て、自分にはそんなキラキラは見当たらないと思っている。



「私って、そういう気にあんまりさせないんじゃないかな。あんまり色気も可愛げもないしね。ふう……」

「同級生だから友達っぽいんじゃないですか?」

「黄雅さんが、そもそもがっついてないですよねえ」



女性たちが口々に言うが、なかなかこれと言った解答も解決もない。

静かに聞いていた朱雀が口を開く。



「ふぉっふぉっ。コウは菜々子ちゃんと、そうなりたいと思っておるじゃろうよ。しかし菜々子ちゃんには隙がなさそうじゃ。手が出しにくそうじゃのう」



そう言われれば、会っている間飲んで仕事の話をして黄雅はほとんど聞き役だ。菜々子の主導権が強すぎるのかもしれない。



「おまけに、あやつは相手に配慮をし過ぎる。菜々子ちゃんが大げさにオッケーサインを出さんとダメじゃの」

「オッケーサイン……」



どうすればいいんだろうと考える菜々子に、単純な理沙は「黄雅に抱いてって言えばどうだ?」と提案する。



「えええっ!?」

「なんだ? だめか?」

「いや、駄目とは言わないけど……」



どんなシチュエーションでそんな台詞を吐けばよいのだろう。



「いきなりハードル高すぎですよー」

「かなあ」

「それを態度にすべきでは?」

「そうそう。よろける振りで抱きついちゃうとか」

「あ、それいいねえ」



 名案のようだが菜々子が「そうなったことがあるのよ。でもね――」暗い表情で言う。

 意図的ではなかった。酔っぱらって、転び黄雅にぶつかりそうになったことがある。その時、黄雅はさっと菜々子の腰を支えくるっとタンゴを踊るように回して体勢を直した。



「へー、素敵! 黄雅さんってワルツって感じだけどー」

「ああ、タンゴも似合いそうだ」



話が脱線しはじめると朱雀が「おほんっ」と咳払いした。



「よしよし。じゃあ良いこと教えてやろう。今度コウに会ったら「お互いの事を全部知りたい」と言うといい」

「知りたい……?」

「そうじゃ。それでコウはいちころじゃ。ふぉーっふぉっふぉ」

「試す価値ありですよー」

「私は師匠のファッションのアドバイスのおかげで上手くいきましたよ」

「老師は経験豊富だものな」



「ありがとう、みんな。私がんばるわ」

「成功したら教えてくださいねー」

「もちろんダメなら次考えようー」

「ほんとありがとう!」

「みんなは一人のために。一人はみんなのために。ですよー」



女性たちは連帯感と固い友情で結ばれ始めていた。

少し遠目から朱雀は「わしはいつの間に、おじいさんの知恵袋になってしまったのかのう」と少しつまらなさそうだった。
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