76 / 109
イエローシャドウ 井上黄雅(いのうえ こうが)編
1 委員長と王子
しおりを挟む
店先を掃除しながら、商店街を行き交う幸せそうなカップルを眺め、自分も幸せを感じていると、どんよりとしたオーラを纏っているような女性が歩いてきた事に気づく。髪は1つにきつく結ばれコートに手を入れたまま、俯き加減でカツカツとヒールを鳴らしている。
すれ違うカップルに冷ややかな一瞥をくれ、顔を上げ『レモントイズ』のショーウィンドウに目を止めた。無表情だがオーバル型の眼鏡の奥の瞳がゆるむ。その視線の先には白いウサギのぬいぐるみがあった。
ウサギと彼女を同時に視界に入れたとき、黄雅は「あっ」と小さく声を上げた。すると女性も振り向く。
「黄雅くん?」
「委員長!」
女性は少し明るい表情を見せ懐かしそうに目を細めるが「委員長は止めて」ときつく言う。
「えー。山崎さん? 菜々子さん?」
「なんでもいいけどさ」
「でも久しぶりだね。どれくらいぶりだろう」
「ほんとね。こっちに帰ってきてたの?」
「うん。うち継いでる」
「あ、そっか。ここ黄雅くんちだったわね。みんなは?」
「みんなも一緒に帰ってきてるよ」
「そうなんだー」
「委員長はずっとこの町に?」
「ううん。こっちには最近戻ってきたというか……」
またどんよりとした雰囲気になってくる彼女に、黄雅が心配そうな目を向ける。
「そんな目をするの止めてくれる? 昔から変わらないわねえ。はあー……。左遷でこっちの支社に飛ばされたのよ」
「え? 委員長が左遷だなんてまさか。みんなぼんくらじゃないの? 委員長より優秀な人なんかそうそういないでしょ?」
山崎菜々子はやれやれといった表情でため息をつく。
「はあー。黄雅くんに言われるとイヤミとも思えなくて困っちゃうわー。黒彦くんあたりが言うと完全にイヤミに聞こえるけど」
「そんなことないよー」
「町で一番、いや6人いるからあれだけど、天才たちに優秀って言われてもねえ」
「俺はほんとうにそう思ってるのにー」
「ふふっ。ま、いっか。久しぶりに会えて少し元気出た」
「帰りはこんな時間なの? うちも、もうそろそろ閉めるんだけど一緒に赤斗のとこにでもご飯食べに行かない?」
「そうねえ……。今日はもう疲れてるからまた今度にしとくわ」
「そっか」
「また誘って、じゃ」
「うん、またね」
肩を揉みながら菜々子はカツカツとヒールを鳴らして去って行った。その疲れた後姿を見つめながら黄雅は今度彼女に『もみの木接骨院』に行った方がいいよと言おうと思っていた。
ショーウィンドウの白いウサギを手に取り黄雅は小学校時代を思い出す。
――小学校ではウサギが飼育されていた。飼育委員だった黄雅は、小屋を掃除し、ウサギの世話をこまめに行った。おかげでウサギの毛並みはよく、彼によく懐いた。そんなウサギと戯れる黄雅に、黄色い歓声を上げる女子が多かったことは勿論言うまでもない。
「黄雅くーん、黄雅くーん、一緒にうさぎ抱っこしよぉ」
「あんたさっきしたじゃない! 今度はあたしー」
「ねえねえ、うさぎと黄雅くんと写メとってー」
毎日、ウサギが目当てか黄雅が目当てか分からない女子で、昼休みは飼育小屋がにぎわっていた。白いウサギを抱く黄雅はまるで王子そのもので、誰もがウサギになりたいと思っていたぐらいだ。心優しい黄雅はそれぞれの女子の願いを叶えつつも、ウサギが疲れないように配慮し「先着5名で、1回5分だよ」と告げる。
「やっだー、あたし6番目めー」
希望がかなわない女子もいる。
「じゃ、明日君が来るまで待ってるよ」
「やっだあっー。待っててくれるのぉー?」
「うん」
「じゃっ、今日は我慢する」
「ありがとう。優しいんだね」
「えーっ? そうかなあ?」
黄雅のソフィスティケートされた対応でみんな満足していた。そんな中、唯一と言っていいほど、飼育小屋に来なかった女子がいた。それが学級委員だった山崎菜々子だ。通りががることがあっても素知らぬふりだ。それに気づき黄雅が声を掛ける。
「委員長はウサギ触らないの?」
「え、あ、うん。動物苦手なんだ」
「そっか」
それからは彼女に声を掛けることはなくなった。ある放課後、ハンカチを飼育小屋に忘れたと思い、取りに行くと小屋の前で菜々子がしゃがんでウサギを見つめていた。口でチッチッチッチとまるで猫を呼ぶようにつぶやいている。鼻をひくひくさせ反応するウサギに優しい目を向けていた。
「委員長?」
「あっ、黄雅くん……」
ぱっと立ち上がり、菜々子は恥ずかしげに俯いた。
「すきなの? ウサギ」
「う、うん」
「なんで触りに来ないの?」
「ん、なんか、ウサギもしんどいだろうと思って」
「そっか。待ってて、今、ウサギ抱っこさせてあげるよ」
「えっ、いいよいいよ」
「遠慮しないでよ」
飼育小屋をすぐに開け、中に菜々子を招き、椅子に座らせる。
「どの子がいい?」
「えーっと、えーっと」
白や茶色、白黒など色々種類がいる。そのうちの真っ白いウサギが菜々子を見上げた。
「この子かな」
「ん、シロね。はい」
ふわっと抱き上げられ、シロは菜々子の膝に乗せられた。やはり鼻をひくひくさせる。
「ふわふわであたたかい」
「シロ、委員長好きみたいだよ。大人しくしてる」
「そうなのかな」
「うん。こいつあんまり大人しくないんだ。抱っこされるの嫌いだし」
「え、そうなの? じゃ、あんまり無理させたらいけないね」
「平気。だっこしてもらいたそうだから」
「ならいいけど……」
ずっとウサギに触りたかったのだろうが、他の女子の手前とウサギの疲労を考えて菜々子は遠慮していたらしい。
「また良かったら放課後に抱かせてあげるよ」
「ありがと。でももう満足したから。降ろしてあげてくれる?」
「ん。ほらシロ」
小屋を閉めると菜々子は嬉しそうな笑顔で「じゃ、さよなら」と帰っていた。
「さよなら」
学級委員で教師からの信頼は厚く、正義感も強い彼女は、クラスの男子にも少し怖がられているが、ウサギを抱いているところは可愛らしい女子だった。
「委員長もやっぱり女の子だなあ。可愛いものが好きなんだな」
黄雅は彼女のそんな一面を見られてうれしかった。そしてシロにも話しかける。
「良かったな、シロ。これでクラス全員の女子に抱っこされたんだぞ」
シロは耳をぴくぴくさせ、黄雅の言葉が終わるとぴょんと飛んで仲間のところへ交じった。
「今でもウサギ好きかなあ」
小学生位の頃と今の菜々子は大きく変わった様子はなかった。昔と同じく責任感や正義感が強く仕事を頑張っているのだろう。
ウサギのぬいぐるみに「ストレスはよくないよね」と話しかけてから、また元に戻した。
すれ違うカップルに冷ややかな一瞥をくれ、顔を上げ『レモントイズ』のショーウィンドウに目を止めた。無表情だがオーバル型の眼鏡の奥の瞳がゆるむ。その視線の先には白いウサギのぬいぐるみがあった。
ウサギと彼女を同時に視界に入れたとき、黄雅は「あっ」と小さく声を上げた。すると女性も振り向く。
「黄雅くん?」
「委員長!」
女性は少し明るい表情を見せ懐かしそうに目を細めるが「委員長は止めて」ときつく言う。
「えー。山崎さん? 菜々子さん?」
「なんでもいいけどさ」
「でも久しぶりだね。どれくらいぶりだろう」
「ほんとね。こっちに帰ってきてたの?」
「うん。うち継いでる」
「あ、そっか。ここ黄雅くんちだったわね。みんなは?」
「みんなも一緒に帰ってきてるよ」
「そうなんだー」
「委員長はずっとこの町に?」
「ううん。こっちには最近戻ってきたというか……」
またどんよりとした雰囲気になってくる彼女に、黄雅が心配そうな目を向ける。
「そんな目をするの止めてくれる? 昔から変わらないわねえ。はあー……。左遷でこっちの支社に飛ばされたのよ」
「え? 委員長が左遷だなんてまさか。みんなぼんくらじゃないの? 委員長より優秀な人なんかそうそういないでしょ?」
山崎菜々子はやれやれといった表情でため息をつく。
「はあー。黄雅くんに言われるとイヤミとも思えなくて困っちゃうわー。黒彦くんあたりが言うと完全にイヤミに聞こえるけど」
「そんなことないよー」
「町で一番、いや6人いるからあれだけど、天才たちに優秀って言われてもねえ」
「俺はほんとうにそう思ってるのにー」
「ふふっ。ま、いっか。久しぶりに会えて少し元気出た」
「帰りはこんな時間なの? うちも、もうそろそろ閉めるんだけど一緒に赤斗のとこにでもご飯食べに行かない?」
「そうねえ……。今日はもう疲れてるからまた今度にしとくわ」
「そっか」
「また誘って、じゃ」
「うん、またね」
肩を揉みながら菜々子はカツカツとヒールを鳴らして去って行った。その疲れた後姿を見つめながら黄雅は今度彼女に『もみの木接骨院』に行った方がいいよと言おうと思っていた。
ショーウィンドウの白いウサギを手に取り黄雅は小学校時代を思い出す。
――小学校ではウサギが飼育されていた。飼育委員だった黄雅は、小屋を掃除し、ウサギの世話をこまめに行った。おかげでウサギの毛並みはよく、彼によく懐いた。そんなウサギと戯れる黄雅に、黄色い歓声を上げる女子が多かったことは勿論言うまでもない。
「黄雅くーん、黄雅くーん、一緒にうさぎ抱っこしよぉ」
「あんたさっきしたじゃない! 今度はあたしー」
「ねえねえ、うさぎと黄雅くんと写メとってー」
毎日、ウサギが目当てか黄雅が目当てか分からない女子で、昼休みは飼育小屋がにぎわっていた。白いウサギを抱く黄雅はまるで王子そのもので、誰もがウサギになりたいと思っていたぐらいだ。心優しい黄雅はそれぞれの女子の願いを叶えつつも、ウサギが疲れないように配慮し「先着5名で、1回5分だよ」と告げる。
「やっだー、あたし6番目めー」
希望がかなわない女子もいる。
「じゃ、明日君が来るまで待ってるよ」
「やっだあっー。待っててくれるのぉー?」
「うん」
「じゃっ、今日は我慢する」
「ありがとう。優しいんだね」
「えーっ? そうかなあ?」
黄雅のソフィスティケートされた対応でみんな満足していた。そんな中、唯一と言っていいほど、飼育小屋に来なかった女子がいた。それが学級委員だった山崎菜々子だ。通りががることがあっても素知らぬふりだ。それに気づき黄雅が声を掛ける。
「委員長はウサギ触らないの?」
「え、あ、うん。動物苦手なんだ」
「そっか」
それからは彼女に声を掛けることはなくなった。ある放課後、ハンカチを飼育小屋に忘れたと思い、取りに行くと小屋の前で菜々子がしゃがんでウサギを見つめていた。口でチッチッチッチとまるで猫を呼ぶようにつぶやいている。鼻をひくひくさせ反応するウサギに優しい目を向けていた。
「委員長?」
「あっ、黄雅くん……」
ぱっと立ち上がり、菜々子は恥ずかしげに俯いた。
「すきなの? ウサギ」
「う、うん」
「なんで触りに来ないの?」
「ん、なんか、ウサギもしんどいだろうと思って」
「そっか。待ってて、今、ウサギ抱っこさせてあげるよ」
「えっ、いいよいいよ」
「遠慮しないでよ」
飼育小屋をすぐに開け、中に菜々子を招き、椅子に座らせる。
「どの子がいい?」
「えーっと、えーっと」
白や茶色、白黒など色々種類がいる。そのうちの真っ白いウサギが菜々子を見上げた。
「この子かな」
「ん、シロね。はい」
ふわっと抱き上げられ、シロは菜々子の膝に乗せられた。やはり鼻をひくひくさせる。
「ふわふわであたたかい」
「シロ、委員長好きみたいだよ。大人しくしてる」
「そうなのかな」
「うん。こいつあんまり大人しくないんだ。抱っこされるの嫌いだし」
「え、そうなの? じゃ、あんまり無理させたらいけないね」
「平気。だっこしてもらいたそうだから」
「ならいいけど……」
ずっとウサギに触りたかったのだろうが、他の女子の手前とウサギの疲労を考えて菜々子は遠慮していたらしい。
「また良かったら放課後に抱かせてあげるよ」
「ありがと。でももう満足したから。降ろしてあげてくれる?」
「ん。ほらシロ」
小屋を閉めると菜々子は嬉しそうな笑顔で「じゃ、さよなら」と帰っていた。
「さよなら」
学級委員で教師からの信頼は厚く、正義感も強い彼女は、クラスの男子にも少し怖がられているが、ウサギを抱いているところは可愛らしい女子だった。
「委員長もやっぱり女の子だなあ。可愛いものが好きなんだな」
黄雅は彼女のそんな一面を見られてうれしかった。そしてシロにも話しかける。
「良かったな、シロ。これでクラス全員の女子に抱っこされたんだぞ」
シロは耳をぴくぴくさせ、黄雅の言葉が終わるとぴょんと飛んで仲間のところへ交じった。
「今でもウサギ好きかなあ」
小学生位の頃と今の菜々子は大きく変わった様子はなかった。昔と同じく責任感や正義感が強く仕事を頑張っているのだろう。
ウサギのぬいぐるみに「ストレスはよくないよね」と話しかけてから、また元に戻した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
86
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる