68 / 109
ブルーシャドウ 山本青音(やまもと せいね)編
5 安眠
しおりを挟む
夕方になり学校や仕事帰りの客が商店街をウロウロし始める。『黒曜書店』も昼間は大した忙しさではないが、夕方から閉店時間の8時頃まで賑やかな書店となる。
最後の客が店を出ると黒彦は店を閉めた。店から自宅に入るとふわっと醤油とニンニクの香りが漂ってきた。
「美味そうな匂いだな」
『イタリアントマト』の赤斗の恋人、茉莉に和食を教わっているためか、最近桃香の料理の腕前が上がっている。食事にそれほど強い欲求がない黒彦だが、やはり恋人の手料理は良いものだとこっそり微笑む。
「ただいま」
「おかえりなさい。もうすぐ食べられますよ」
「ん。手を洗ってくる」
言われなくても帰宅すると手を洗う黒彦が、いつも可愛らしいなと桃香は思い笑んだ。テーブルには黒彦が買ってきたペアのマグカップが置かれている。
黒彦が食卓に着くと「どうぞ」と桃香が食事を促す。
「いただきます」
良い香りの正体は茄子の南蛮漬けだった。
「ん、これ美味い」
「よかった。茉莉ちゃんに教わったんですよー」
「ニンニクとショウガがよく利いてる」
「ですよねー」
桃香は緑茶をマグカップに注ぎ、綺麗な緑色を見つめながら「わざわざ買ってくれてありがとう」と礼を告げる。
「いや、俺が壊してしまったんだし。すまん」
「ううん。わざとじゃないんだし、おまけに直るなんてすごいんだあ」
「いいものは直しながら使うものなんだな」
「帰ってくるのが楽しみです。あ、でもこのカップもペアだから嬉しいな。もっとペアのもの増やしたいなあ」
「そうか? じゃ一緒に青音のところにでもいくか」
「黒彦さんもアンティーク好きなんですか?」
「そういうことでもないが、なんていうか歴史を感じさせるものはいいな」
「ですね」
桃香ももっともっと黒彦と年月を重ねていきたいと願う。
「ところで俺を待たなくてもいいんだぞ」
「ん? 夕飯ですか?」
「うん。遅くなるから先に食べてていい」
「んー。あのー、黒彦さんは子供の時夕飯どうでした?」
「どうだったかな。確か母さんか父さんと、もう少し早い時間に毎日交互に食べてたかな」
「そっかあ。じゃ一人で食べることはなかったんですね」
「そうだな」
「じゃあ、やっぱり待ってます。一緒に食べたいから」
「そうか」
「あ、でも子供がいたら交代交代で食べてあげましょうね」
桃香の気持ちが嬉しくて黒彦は胸が温かくなる。おぼろげな少年時代が懐かしかった。そういえば、と黒彦は思い出した。
――母親と食事を済ませると、ちょうど書店の閉店時間で店番をしていた父親が帰ってきた。父親は「ただいま」と席に着き母親は「おかえりなさい」と三人分のお茶を淹れる。そうやって食後のお茶はいつも親子三人で飲んでいた。
いつもより黒彦は早めにベッドに入った。子供の頃を思い出したせいか人恋しい気持ちになり、横たわっている桃香の背中を抱きしめる。桃香は逞しいからだで包み込まれ安堵し、また興奮し熱くなる。
いつもより身体を撫でる指先がより優しくマッサージのようで前戯とは違う雰囲気だ。桃香は子供の頃の話をしたため黒彦が甘えたくなっているのだと気づく。早くに亡くした両親の事でもう傷ついてはいないだろうが、仲間内では長兄のような黒彦がデリケートな甘えん坊な少年になる瞬間だ。滅多にないがこんな黒彦が桃香には愛しくてたまらない。ゆっくり向きを変え黒彦と向き合う。
抱かれていた身体を桃香は抱き返す。黒彦は桃香の腕に抱かれ、胸の中で安らぐ。やがてスースーと静かな寝息が聞こえ始めると桃香はそっと腕を外す。
「ちょっと痺れちゃった」
腕枕で朝までとは実際には難しかった。しばらく黒彦の安堵した寝顔を眺める。今はもう、うなされたり苦しそうな寝顔を見ることはない。
「黒彦さん、大好きですよ」
そう呟くと自分も愛を囁かれたような気分になり、桃香も幸せな眠りについた。
****************
商店街の仲間たちが静かに眠りについている頃、佐々木優奈は黙々と歩いていた。肌寒い夜のため、ベージュのスーツの上からグレーのショールを羽織っている。青音は気づかなかったが彼女はスーツにスニーカーだった。
ヒタヒタと歩き、たまに立ち止まり物陰に入る。
「しばらく待機だな」
ふーっと深呼吸をし壁に寄りかかりバッグからゼリー飲料を取り出し、一気に飲んだ。
「よし。もうしばらくこれでもつかな」
2時間はここでじっとしていなくてはならない。退屈さと眠気が襲いそうになると優奈は青音の事を思い出す。
「フー目が覚めてくる。これこそブルー効果かな」
疲れているとき、早く寝たいとき、すっきりしたいとき青音の事を考えると万能薬のように効果があった。
「早く見たい、じゃない会いたいな」
手をこすり合わせながら夜空を見ると、シャープな細い月が青音の伏した瞳のように見える。月に手を伸ばしても勿論届かない。
しかし青音は今や優奈の手が届く範囲にいるのだった。
最後の客が店を出ると黒彦は店を閉めた。店から自宅に入るとふわっと醤油とニンニクの香りが漂ってきた。
「美味そうな匂いだな」
『イタリアントマト』の赤斗の恋人、茉莉に和食を教わっているためか、最近桃香の料理の腕前が上がっている。食事にそれほど強い欲求がない黒彦だが、やはり恋人の手料理は良いものだとこっそり微笑む。
「ただいま」
「おかえりなさい。もうすぐ食べられますよ」
「ん。手を洗ってくる」
言われなくても帰宅すると手を洗う黒彦が、いつも可愛らしいなと桃香は思い笑んだ。テーブルには黒彦が買ってきたペアのマグカップが置かれている。
黒彦が食卓に着くと「どうぞ」と桃香が食事を促す。
「いただきます」
良い香りの正体は茄子の南蛮漬けだった。
「ん、これ美味い」
「よかった。茉莉ちゃんに教わったんですよー」
「ニンニクとショウガがよく利いてる」
「ですよねー」
桃香は緑茶をマグカップに注ぎ、綺麗な緑色を見つめながら「わざわざ買ってくれてありがとう」と礼を告げる。
「いや、俺が壊してしまったんだし。すまん」
「ううん。わざとじゃないんだし、おまけに直るなんてすごいんだあ」
「いいものは直しながら使うものなんだな」
「帰ってくるのが楽しみです。あ、でもこのカップもペアだから嬉しいな。もっとペアのもの増やしたいなあ」
「そうか? じゃ一緒に青音のところにでもいくか」
「黒彦さんもアンティーク好きなんですか?」
「そういうことでもないが、なんていうか歴史を感じさせるものはいいな」
「ですね」
桃香ももっともっと黒彦と年月を重ねていきたいと願う。
「ところで俺を待たなくてもいいんだぞ」
「ん? 夕飯ですか?」
「うん。遅くなるから先に食べてていい」
「んー。あのー、黒彦さんは子供の時夕飯どうでした?」
「どうだったかな。確か母さんか父さんと、もう少し早い時間に毎日交互に食べてたかな」
「そっかあ。じゃ一人で食べることはなかったんですね」
「そうだな」
「じゃあ、やっぱり待ってます。一緒に食べたいから」
「そうか」
「あ、でも子供がいたら交代交代で食べてあげましょうね」
桃香の気持ちが嬉しくて黒彦は胸が温かくなる。おぼろげな少年時代が懐かしかった。そういえば、と黒彦は思い出した。
――母親と食事を済ませると、ちょうど書店の閉店時間で店番をしていた父親が帰ってきた。父親は「ただいま」と席に着き母親は「おかえりなさい」と三人分のお茶を淹れる。そうやって食後のお茶はいつも親子三人で飲んでいた。
いつもより黒彦は早めにベッドに入った。子供の頃を思い出したせいか人恋しい気持ちになり、横たわっている桃香の背中を抱きしめる。桃香は逞しいからだで包み込まれ安堵し、また興奮し熱くなる。
いつもより身体を撫でる指先がより優しくマッサージのようで前戯とは違う雰囲気だ。桃香は子供の頃の話をしたため黒彦が甘えたくなっているのだと気づく。早くに亡くした両親の事でもう傷ついてはいないだろうが、仲間内では長兄のような黒彦がデリケートな甘えん坊な少年になる瞬間だ。滅多にないがこんな黒彦が桃香には愛しくてたまらない。ゆっくり向きを変え黒彦と向き合う。
抱かれていた身体を桃香は抱き返す。黒彦は桃香の腕に抱かれ、胸の中で安らぐ。やがてスースーと静かな寝息が聞こえ始めると桃香はそっと腕を外す。
「ちょっと痺れちゃった」
腕枕で朝までとは実際には難しかった。しばらく黒彦の安堵した寝顔を眺める。今はもう、うなされたり苦しそうな寝顔を見ることはない。
「黒彦さん、大好きですよ」
そう呟くと自分も愛を囁かれたような気分になり、桃香も幸せな眠りについた。
****************
商店街の仲間たちが静かに眠りについている頃、佐々木優奈は黙々と歩いていた。肌寒い夜のため、ベージュのスーツの上からグレーのショールを羽織っている。青音は気づかなかったが彼女はスーツにスニーカーだった。
ヒタヒタと歩き、たまに立ち止まり物陰に入る。
「しばらく待機だな」
ふーっと深呼吸をし壁に寄りかかりバッグからゼリー飲料を取り出し、一気に飲んだ。
「よし。もうしばらくこれでもつかな」
2時間はここでじっとしていなくてはならない。退屈さと眠気が襲いそうになると優奈は青音の事を思い出す。
「フー目が覚めてくる。これこそブルー効果かな」
疲れているとき、早く寝たいとき、すっきりしたいとき青音の事を考えると万能薬のように効果があった。
「早く見たい、じゃない会いたいな」
手をこすり合わせながら夜空を見ると、シャープな細い月が青音の伏した瞳のように見える。月に手を伸ばしても勿論届かない。
しかし青音は今や優奈の手が届く範囲にいるのだった。
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる