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レッドシャドウ 田中赤斗(たなか せきと)編

10 準備

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 朝はりきって起き出し、肉じゃがの材料を探し求める。茉莉の家からは少し遠いが、鮮度も品揃えもよいという評判のスーパーに行った。

「えーっと、肉じゃがにいいジャガイモってどれかなあ」

ジャガイモが何種類もあり、選ぶのに一苦労する。

「硬いのもやだし、ぐずぐずに崩れるのもなあー」

悩んだが結局、いつも使う男爵を選んだ。こんな調子で材料を揃えるのに1時間もかけてしまったが満足のいく買い物が出来た。

「さーて。今日はやるぞ!」

急いで家に帰り、時間の逆算をする。公園の見回りは夜8時からだ。

「あんまり早く作ってもなあ。1時間もかかんないからなあ」

早々に買い物を済ませたが、まだ作るには早すぎた。

「そうだ! 服、服考えとこう!」

もしかしたら今日、告白するかもしれないのだ。料理と一緒に茉莉は自分自身もどうにか良く見せたいと思いクローゼットを眺める。

「あちゃー。ジャージとTシャツとジーンズしかないや……」

痩せたおかげで前に着ていたワンピースとチュニックはぶかぶかだった。まだおしゃれをするという方に気が回っていなかったので着ていく服がない。
時計を見るとまだ昼前だ。

「よし! 服買いに行こう!」

茉莉は今度は服を買うためにショッピングモールに出かけることにした。久しぶりに着られる服ではなく、オシャレな服を買う目的なので緊張する。

「どうしよう。どこで何買ったらいいのかわかんない……」

元々ファッションに関心がなかったので、なおさらどうしたらよいのか途方に暮れる。

「あーあ。今日は告白はもうやめようかな……」

茉莉はフロアに設置されているソファーに身を沈める。店内を歩く女性客は皆、キラキラ輝いていて眩しい。

「桃香さんに服の事も聞いておけばよかった」

ふうっとため息をつくと「おや? マリちゃん、どうしたんじゃ?」と親しげな声が聞こえた。太極拳の師匠、高橋朱雀だった。

「あ、おじいさん」
「元気ないのう。すっかり元に戻ったと思ったのに」
「それが……」
「よかったら、話してみなさい」

高橋朱雀の優しい目と声に、茉莉は告白に着ていく服がないと正直に話す。

「うん、うん。恋する乙女じゃのう」
「桃香さんってどんな服だったかもはっきり思い出せないし……」
「駄目じゃよ。モモカちゃんのまねをしても」
「え……。ですよね。私は可愛くないしなあ」
「違う違う。二人の魅力は違うものじゃからの。肉じゃがにケチャップをかけても合わんじゃろ? ん? 合うのかの?」
「あははっ。肉じゃがにケチャップー? んーどうなんだろ」
「まあ、それはさておき。マリちゃんにはマリちゃんの似合う恰好があるからの」
「はあ……。それが分かればいいんですが」
「どおれ。わしが一緒に選んでやろう」
「ええ? おじいさんが?」
「なんじゃ。こうみえても、若い頃はコーディネート王だったんじゃぞ」
「えー」

確かにそう言われて見れば、高橋朱雀はダンディーだ。いつもはカンフー服か白衣だが、今日はざっくりした目の粗いシャツに細身のパンツを履いている。太極拳のおかげなのか背筋は綺麗に伸び、姿勢よくしなやかな雰囲気だ。豊かな白髪は艶やかで軽く後ろに撫でつけられていて、カジュアル過ぎずフォーマル過ぎない。

「し、師匠ー!」
「な、なんじゃなんじゃ」
「お願いします! 一緒に服買いに行ってください!」
「おうおう。よしよし。ちなみにわしは赤斗が好きそうな格好も知っとるぞ」
「ええー!? ちょっと! それを早く言ってくださいよ! さあ、いきましょいきましょ!」

こうして茉莉は強力な助っ人を得て準備万端で夜に臨んだ。



公園の茂みには怪しい三人組が潜んでいる。

「おい。じいいさんがなんでここにいるんだ」
「いやあ。マリちゃんのことが心配での」
「親心ですね」
「まったく2人とも覗き趣味だな」
「黒彦さんもじゃないですかあ」
「俺は薬の効果を確認するためだ。へんな反応が出たらすぐに解毒剤を飲ませないといけない」
「なんじゃ。まだ未確認なのか」
「いや、改良型を試してないだけだ」
「もう! 人で試すのはよしてくださいよ!」
「まったく、いつまでも人騒がせじゃのう」
「今回は人助けだ。しっ! 来たぞ」

桃香、黒彦、朱雀が静かにしてると、茉莉と赤斗がベンチを指さすのが見えた。


すらりと背の高い2人は一緒に歩いているだけで絵になっている。しかも示し合わせたようにペアルックのようだ。
桃香が小声で感心したように朱雀に告げる。

「あの服をおじいさんが選んだんですか?」
「そうじゃ」
「へえー。良く似合ってる」
「そうじゃろう。そうじゃろう」
「こんど私も選んでもらおうかなあー」
「やめておけ。エロい格好させられるだけだぞ」
「ふぉーっふぉっふぉ。えーのう、えーのう。カウガール」
「まあイタ飯屋なのにウエスタンな赤斗には似合っているか」

赤斗はジーンズにサイドゴアブーツを穿き、革の帽子を首に下げている。茉莉はデニムのミニスカートにショートウエスタンブーツ、そしてオレンジのウエスタンシャツを着ている。

 がさっと音を立てると赤斗がちらりと一瞥する。

「しっ! 音を立てるなよ」
「はーぃ」
「うむ」

こうして三人組は二人の動向を見守ることにした。


しばらく茉莉と赤斗は静かに公園の空気を感じ、様子をうかがう。

「まだまだこれからって感じかな」
「そうですね。あんまり今日はいないですね」

三人組のせいか、今夜は確かにカップルが少ない。茉莉は温かいうちにと保温バッグからタッパーウェアを取り出し赤斗に渡す。

「あ、あのこれ。夜冷えるかと思って、これ」
「ん? なに? おやつ?」
「あ、はい。夜食です」
「へー。どれどれ」

蓋を開けるとふわっと出汁と醤油の匂いが漂う。

「ああ、いい匂い。あ、肉じゃがだ」
「はい。赤斗さんも好きだって言ってたから、久しぶりに作ったんです。これお箸」
「ありがとう」

茉莉はジャガイモが赤斗の口の中に運ばれる様子をじっと見つめる。口づけるようなそぶりを見せ、ころりとジャガイモが消えていった。

「んっ! うまいっ!」
「え、ほんとですか! よかったー!」
「うん。こんなに美味い肉じゃが食べたの初めてだよ。腹減ってないのにどんどん食べちゃうな」
「嬉しいー」
「茉莉ちゃんは食べないの?」
「あ、はい。味見してきたので、どうぞ」
「そう? 一緒に食べようよ」
「いえ、あのお箸、それだけだし」
「ああ、やっぱ嫌かな。箸、一緒だと」
「そ、そそそ、んな」

茉莉は間接キスだと思い興奮し始める。

「箸を舐めまわしたりしてないからさ。はい、あーん」
「え、あ、あーん」

赤斗が舐めまわした箸を舐めまわすことは、間接的にディープキスではないかと茉莉は更に興奮する。

「あ、ほんとに美味しく出来てる」
「ね。こんな肉じゃが毎日食べてもいいくらいだよ」

茂みの後ろでは三人組が良しっとガッツポーズを決めている。

もぐもぐと美味しく咀嚼しながら、赤斗の言葉も噛みしめる。
(毎日食べてもいいくらい……)
あっという間に空っぽのなったタッパーウェアを片付け、温かいお茶を飲む。

「ふー。なんか満たされるなあ」
「ほんとですね」
「美味しいものを食べると幸せを感じるよね」
「はいっ」

茉莉は自分の作った肉じゃがを美味しいと食べてもらえただけで満足し、告白の事をすっかり忘れていた。

「今日、俺たちペアルックみたいだね」
「え、ええ。偶然ですね」
「そういう恰好好きなの?」
「えーっと、カウボーイってなんかワイルドでいいですよね」
「だよね。俺もそう思うんだ。でも実はこれカウボーイじゃなくてイタリアだから同じ牛飼いでもブッテロになるんだ」
「へー! アメリカじゃないんだ! そっか。イタリア料理作ってますもんね!」
「うん」

また茂みがガサガサ鳴る。

「あれカウボーイじゃないんだ」
「紛らわしいな」
「まあどっちでも同じことじゃわい」
「でも、いい感じになってきましたねえ」
「ああ、もうそろそろ効いてくるはずだ」
「ほうほう。楽しみじゃわい!」

三人組はまた息をひそめる。


赤斗がうーんと背伸びをする。

「最近、茉莉ちゃん綺麗になってきたね。凄く痩せたよね」

茉莉は赤斗に褒められて気持ちが舞い上がる。


茂みでは桃香が「これって効いてきたんじゃないですか?」と黒彦に尋ねる。

「いや、赤斗が人を褒めるのはいつものことだ」
「そっかあ」

確かに桃香も働いているとき赤斗に褒められてテンションが上がったことをおもいだした。


「ちょっとカップルが増えてきたのかな」
「そうですかね」
「茂みがガサガサ鳴り始めたね」
「ああ、そういえば」
「俺もこんな自然の中で愛し合える人がいればなあ」
「わ、私もそう思います」
「え? 茉莉ちゃん外で平気なの?」
「あ、っと、外が好きってことじゃないですけど好きな人(赤斗さん)となら場所にこだわりはないです」
「俺と茉莉ちゃんて結構気が合うよね。不思議だな」
赤斗のつぶやきを茉莉は一言一言噛みしめる。


黒彦が「効いてきた」と呟く。

「え? そうなんですか?」
「ああ、自分の事を話し始めた。もう一歩だ」
「ほうほう。どうなるのかの!」

ワクワクしながら見守る。


確かに赤斗に変化が表れ始めた。言葉をうまく出せないのか少し考えているふうでもあり、少々落ち着きなく見える。

「どうしたんだろう。初めて外でもオッケーだって人に会ったから嬉しくなってきちゃったよ」

それでも爽やかに笑う赤斗はまぶしい。

「私、私、赤斗さん以外とお外では嫌です!」
「茉莉ちゃん、それって?」

尋ねられて本来の目的を茉莉は思い出す。
静まり返った体育館でスリーポイントをきめる気持ちで茉莉は告げる。

「赤斗さんが好きです」
「茉莉ちゃん……。何か月もずっと、こんなに側に居たのに。言われてみて俺も気づいた……。俺も君が好きだよ」
「え? ほんと?」
「うん。なんだろう。最初からいい感じの子だとは思ってたんだけど、あんまりはっきりしなくて、でもこの今思う気持ちは好きなんだろうと思う」
「赤斗さん……」

茉莉はあまりに夢のような言葉が返ってきたせいで現実感がない。

「茉莉ちゃん……」

ゆっくりスローモーションで赤斗の端正な顔が近づいてき、温かい唇が重ねられたことで、これが現実だと知る。
そして目を閉じ赤斗と口づけを交わし合った。


茂みでは桃香が「やりましたね!」とガッツポーズを決めている。
朱雀は不満そうだ。

「セキのやつ。小道具で小細工しおって!」

2人のキスシーンは赤斗の革の帽子のせいで隠されており見ることが出来なかった。

「まあ、ちょっと残念ですよねえ。素敵な場面なのに」
「やっぱり、二人は覗きか。俺は薬の効果が分かったからこれで帰る」
「なんじゃ、帰るのか。ここからが、いいところじゃいのかい」
「当たり前だろう。帰るぞ」
「あ、はーい」
「しょうがないのう。しかし、ええもんじゃ」

これから赤斗と茉莉は結ばれるだろうと三人は納得して帰路につく。

「ところで何の薬じゃったんじゃ?」
「自分の気持ちに正直になって、それを少しだけオーバーに表現する薬だ」
「ほう。どうりで可愛らしいもんじゃと思ったわい」
「媚薬じゃないかと心配しましたよ」
「媚薬で赤斗を射止めても、あの娘は嬉しくないだろう」
「なるほどのう。クロもなかなか考えておるんじゃの。ふぉーっふぉっふぉ」

桃香は素っ気ない態度なのに、女の子の気持ちを考えてくれるフェミニストの黒彦がやっぱり好きだと実感する。

『もみの木接骨院』の前に着くと、高橋緑丸が立っていた。

「じいちゃん、どこにいってたんだ。遅いから警察にいくとこだったよ」
「お、すまん、すまん。クロとモモカちゃんと遊んでおっただけじゃ」
「ああ、そうなの? 黒彦、ありがとう。じいちゃんの相手してもらって。桃香さんもありがとうね」
「ん。別に」
「いえいえ、おやすみなさい」

手を振る二人の後姿を見て、高橋朱雀ははやく孫の緑丸にも恋人が現れてほしいと願った。

「いざとなったら、クロに催淫剤作ってもらうかの。いや、ほれ薬か」
「じいちゃん、変なことばっかり言わずにもう家に入ってね」

緑丸はやれやれと祖父を家にいれる。今はまだ『もみの木接骨院』が賑やかになることを朱雀も緑丸も想像だにしていなかった。
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