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後漢末
9 美女連環の計
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美しい羽飾りと絹で出来た傘のついた天子の馬車である羽葆蓋車に、董卓仲穎はゆうゆうと揺られ司徒・王允子師の屋敷にやってきた。馬車を先導するのは名馬中の名馬・赤兎馬にまたがる美丈夫、呂布奉先だ。
呂布は赤兎馬から降り董卓の手を引く。立派な体格と鋭い目つき、流れるような髪を束ねた呂布と岩のような体躯の董卓を前にして、王允は汗をかきながら、なんとか声を出す。
「よ、ようこそ、お越しを。相国。呂将軍」
「出迎えごくろう。どれどれ。うーん。司徒であるというのに子師殿の屋敷は少し質素すぎやしまいか? のう奉先」
「ええ。父上。少し暗ろうございますな」
「え、あ、そうでしょうか」
「わしが建て替えてやろう。わっはっは」
「い、いえ、お気持ちだけで。ど、どうぞ庭に宴の用意をしております」
「どれどれ楽しみだわい」
董卓はずかずかと我が物顔で屋敷を歩く。曹操が董卓暗殺に失敗してから朝廷に更に緊張が走っている。今日、董卓が呂布を伴って王允の屋敷を訪れたのは、曹操をかくまっていないか様子を見に来たのである。
池のほとりに宴席を設けているが、花もなく楽もなく質素な様子に董卓は大げさに嘆く。
「なんと! これが三公の宴であるのか。普段から楽士もおらぬのか」
「申し訳ございません。急なおいでで、もうすぐ舞女がやって来ます故」
「父上。子師殿にもう少し俸禄を差し上げてはどうです?」
「うむ。家臣どもの俸禄を見直さねばならぬなあ」
「相国。お気遣いありがとうございます。特に不自由はしておりませんので。どうぞ、酒を」
王允はとりあえず董卓と呂布に酒をふるまう。王允は俸禄を十分に与えられていたが、それを己が贅沢のために使うことはなく、貧しい民への施しに消えていた。
先帝・霊帝の時代に張譲をはじめとする十常侍に搾取され、漢王朝の財は芥子粒ほどであった。霊帝は、裕福な庶民に金で官位を与え己の享楽に勤しんだ。国庫は常に火の車であり、その苦しみは民に重い税として課せられた。董卓も同様である。民の暮らしぶりや苦しみには全く関心がないのだ。
妓楼はまだ来ぬのかと気をもんでいるところへ、養女である貂蝉がやってきた。
「おとうさま。こちらでしたの?」
「ちょ、貂蝉っ。どうしてここへ。部屋で書を読んでおれと言っておいたであろう」
「だ、だって……」
豊かな艶のある髪を結い上げ、ほっそりとした腰つきに雪のような白い肌。双眸は汚れなく澄んでおり、仄かに色づく紅色の小さな唇は可憐であった。董卓と呂布は突然現れた可憐な乙女に息をのみ見入る。
「し、子師殿。この娘は、そなたの娘かね」
「あ、は、はい。娘の貂蝉でございます。これ! 相国と将軍に挨拶するのだ」
「あい。貂蝉と申します」
玉を転がすような声はまるで甘露のようであった。
「これはよい! このような娘がおれば確かに他になにもいるまいな!」
董卓は機嫌よく言い、貂蝉にそばに来るように手招きした。貂蝉はチラッと王允を見、頷くのを確認してから董卓のそばに座る。
呂布も「父上。わたしにもその花を愛でさせてはいただけないのですか?」と珍しく董卓に意見する。
「お? おお。しょうがない息子だのう。貂蝉や、すまないが奉先にも酌をしてやってくれるかの?」
貂蝉はまた王允に確認をもらい「あい」と董卓の言う通りにした。
彼女の登場により董卓も呂布は機嫌良くし、酒が進んだ。
「このような美しい娘がおるのに、どうして今まで、宮仕えさせなかったのだ」
「あ、あの。この娘は実は少し年の割に知恵が足りないのです。粗相でもしたら……」
「心配するでない。美しい娘には、みな寛容であるぞ。なあ奉先」
「ええ。貂蝉殿であればそこにおられるだけで何もしなくてよいでしょう」
「は、はあ……」
貂蝉は王允の姉の子であった。姉は後宮に入り、霊帝の手付きとなり身籠るが、何皇后が、寵愛を受け子を産んだ王夫人を毒殺したのを知り宮廷から離れた。王允の姉は聡明であったので権力争いのすえ、一族がどうなるのかよくわかっていた。産後のさわりで彼女は死んでしまい、その娘を王允は養女として養育している。
貂蝉は姉に似て清らかな美しさを持っているが、霊帝の暗愚さを受け継いでしまったようで、もう年頃の娘であるというのに十歳くらいの子供並みの知恵しかなかった。しかしその白痴美が欲望の権現である董卓の目を引いてしまっているようだ。
王允は亡き姉の面影をもち、穢れない玉のような貂蝉を宮廷にあげるつもりは皆無だった。彼女の美しさは暴漢に目をつけられ、彼女の暗愚さは宮廷の官女たちの格好の餌食となるのは目に見えていた。
美しい可憐な花を董卓と呂布で競うように摘み合おうとする様を見て、王允は亡き姉に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
やっと舞が始まり、董卓と呂布が妓楼に目が向けられ、ホッとしたのもつかの間「明日は貂蝉を天子に仕えさせるために迎えをよこそう」との言葉に王允は目の前が真っ暗になった。
「そ、そんな。娘に、そのような大役など……」
「天子もちょうど年頃。話し相手が欲しいであろうなあ」
「貂蝉に帝を喜ばせる話など、とてもとても」
「心配するな。花は黙っていても美しいものであろう」
「は、はあ。しかし突然で何も支度が出来ません」
「支度など良い良い。身、一つで構わぬ」
逆らえないでいると呂布が口を挟んできた。
「父上。帝にはすでに女官が数多おります。そこへ貂蝉殿を交えるのはいかがなものかと」
「ん? なにをいう奉先よ。帝には女官が多ければ多いほど良い。何が言いたいのだ」
「いえ。別に」
「とにかく明日迎えを寄こす。可愛い娘と永遠の別れではないのだ。天子にお仕えするのだぞ? 宮廷で毎日顔を合わせることもできよう」
「御意にござります……」
不満そうな呂布を見て、王允にも彼が貂蝉を欲しているのが分かった。しかし相国であり義理の父でもある董卓に逆らえるはずもなかった。
生きた心地のしない宴が終わり、王允が台に伏していると貂蝉が茶を持ってきた。
「おとうさま。お茶でございます」
何の憂いも帯びないつるりとした美しい貂蝉の顔を見て王允は嘆く。
「ああ、お前を董卓の元へ行かせねばならぬのか! 姉上! 申し訳ございません!」
「おとうさま。ごめんなさい。あたくしが悪いのですね」
「……。いいや。お前は何も悪くないのだ。あのような狼や虎の中へ雛を放りこまねばならぬとは」
「相国も将軍もお優しい方でしたわ」
「ん? なんと申す」
貂蝉はどこに視点があるのかわからないような眼差しで言う。
「相国と呂将軍を不愉快に思わなかったのか」
「不愉快? よくわかりません」
「では、どちらが好ましいと思ったのだ?」
「さあ。どちらの方も同じような感じでしたわ」
養父の王允以外、貂蝉にとって男に差を感じることはなかった。また屋敷で宝のように守り大事にしてきたので、男の欲望というものを理解してもいなかった。
王允は貂蝉を見る董卓と呂布の目つきを思い出す。董卓は天子に仕えさせるというのは口実で己のものにしようとしているのは、王允にも、勿論呂布にもわかっていた。
ハッと王允の頭にひらめきがやってくる。貂蝉を董卓と呂布が奪い合い、対立したらどうなるであろうか。
「くっ! 何という恥知らずなことを考えてしまったのだ!」
ゴツッゴツッと王允は台に額を打ち付ける。
「ああっ、おとうさま、何を! やめて、やめて!」
「すまない。貂蝉よ。わたしは恥知らずな父だ。そなたを利用しようと考えてしまった……」
「あたくしを、利用、ですか……」
「ああ。すまない。こうなったらせめて董卓に優しく可愛がってもらえるように尽力するしかない」
「あたくしを利用……」
王允の言葉を噛みしめながら貂蝉は顔を輝かせ始める。
「おとうさま! あたくし、あたくし、利用されますわ!」
「な、何を言うのだ?」
「知恵の足らないあたくしを利用することが出来るのでしょう?」
「あ、いや、言葉のあやである」
「あたくしでも、おとうさまのお役に立てるということなのですね?」
「……。とても、とても卑劣なことなのだ」
「孝行したくおもいます。あたくしにも」
「孝行か……。そなたはおるだけで孝行娘なのだよ」
ぼんやりとしていた貂蝉が発言をやめることなく精彩を帯びていく。
「やっと、あたくしにも出来ることがあるのですね」
「ああ。貂蝉よ……。救っておくれ……。この漢王室を……」
生きがいを見出したかのような貂蝉の明るい表情に、王允はすがりつくような心持になっていった。
呂布は赤兎馬から降り董卓の手を引く。立派な体格と鋭い目つき、流れるような髪を束ねた呂布と岩のような体躯の董卓を前にして、王允は汗をかきながら、なんとか声を出す。
「よ、ようこそ、お越しを。相国。呂将軍」
「出迎えごくろう。どれどれ。うーん。司徒であるというのに子師殿の屋敷は少し質素すぎやしまいか? のう奉先」
「ええ。父上。少し暗ろうございますな」
「え、あ、そうでしょうか」
「わしが建て替えてやろう。わっはっは」
「い、いえ、お気持ちだけで。ど、どうぞ庭に宴の用意をしております」
「どれどれ楽しみだわい」
董卓はずかずかと我が物顔で屋敷を歩く。曹操が董卓暗殺に失敗してから朝廷に更に緊張が走っている。今日、董卓が呂布を伴って王允の屋敷を訪れたのは、曹操をかくまっていないか様子を見に来たのである。
池のほとりに宴席を設けているが、花もなく楽もなく質素な様子に董卓は大げさに嘆く。
「なんと! これが三公の宴であるのか。普段から楽士もおらぬのか」
「申し訳ございません。急なおいでで、もうすぐ舞女がやって来ます故」
「父上。子師殿にもう少し俸禄を差し上げてはどうです?」
「うむ。家臣どもの俸禄を見直さねばならぬなあ」
「相国。お気遣いありがとうございます。特に不自由はしておりませんので。どうぞ、酒を」
王允はとりあえず董卓と呂布に酒をふるまう。王允は俸禄を十分に与えられていたが、それを己が贅沢のために使うことはなく、貧しい民への施しに消えていた。
先帝・霊帝の時代に張譲をはじめとする十常侍に搾取され、漢王朝の財は芥子粒ほどであった。霊帝は、裕福な庶民に金で官位を与え己の享楽に勤しんだ。国庫は常に火の車であり、その苦しみは民に重い税として課せられた。董卓も同様である。民の暮らしぶりや苦しみには全く関心がないのだ。
妓楼はまだ来ぬのかと気をもんでいるところへ、養女である貂蝉がやってきた。
「おとうさま。こちらでしたの?」
「ちょ、貂蝉っ。どうしてここへ。部屋で書を読んでおれと言っておいたであろう」
「だ、だって……」
豊かな艶のある髪を結い上げ、ほっそりとした腰つきに雪のような白い肌。双眸は汚れなく澄んでおり、仄かに色づく紅色の小さな唇は可憐であった。董卓と呂布は突然現れた可憐な乙女に息をのみ見入る。
「し、子師殿。この娘は、そなたの娘かね」
「あ、は、はい。娘の貂蝉でございます。これ! 相国と将軍に挨拶するのだ」
「あい。貂蝉と申します」
玉を転がすような声はまるで甘露のようであった。
「これはよい! このような娘がおれば確かに他になにもいるまいな!」
董卓は機嫌よく言い、貂蝉にそばに来るように手招きした。貂蝉はチラッと王允を見、頷くのを確認してから董卓のそばに座る。
呂布も「父上。わたしにもその花を愛でさせてはいただけないのですか?」と珍しく董卓に意見する。
「お? おお。しょうがない息子だのう。貂蝉や、すまないが奉先にも酌をしてやってくれるかの?」
貂蝉はまた王允に確認をもらい「あい」と董卓の言う通りにした。
彼女の登場により董卓も呂布は機嫌良くし、酒が進んだ。
「このような美しい娘がおるのに、どうして今まで、宮仕えさせなかったのだ」
「あ、あの。この娘は実は少し年の割に知恵が足りないのです。粗相でもしたら……」
「心配するでない。美しい娘には、みな寛容であるぞ。なあ奉先」
「ええ。貂蝉殿であればそこにおられるだけで何もしなくてよいでしょう」
「は、はあ……」
貂蝉は王允の姉の子であった。姉は後宮に入り、霊帝の手付きとなり身籠るが、何皇后が、寵愛を受け子を産んだ王夫人を毒殺したのを知り宮廷から離れた。王允の姉は聡明であったので権力争いのすえ、一族がどうなるのかよくわかっていた。産後のさわりで彼女は死んでしまい、その娘を王允は養女として養育している。
貂蝉は姉に似て清らかな美しさを持っているが、霊帝の暗愚さを受け継いでしまったようで、もう年頃の娘であるというのに十歳くらいの子供並みの知恵しかなかった。しかしその白痴美が欲望の権現である董卓の目を引いてしまっているようだ。
王允は亡き姉の面影をもち、穢れない玉のような貂蝉を宮廷にあげるつもりは皆無だった。彼女の美しさは暴漢に目をつけられ、彼女の暗愚さは宮廷の官女たちの格好の餌食となるのは目に見えていた。
美しい可憐な花を董卓と呂布で競うように摘み合おうとする様を見て、王允は亡き姉に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
やっと舞が始まり、董卓と呂布が妓楼に目が向けられ、ホッとしたのもつかの間「明日は貂蝉を天子に仕えさせるために迎えをよこそう」との言葉に王允は目の前が真っ暗になった。
「そ、そんな。娘に、そのような大役など……」
「天子もちょうど年頃。話し相手が欲しいであろうなあ」
「貂蝉に帝を喜ばせる話など、とてもとても」
「心配するな。花は黙っていても美しいものであろう」
「は、はあ。しかし突然で何も支度が出来ません」
「支度など良い良い。身、一つで構わぬ」
逆らえないでいると呂布が口を挟んできた。
「父上。帝にはすでに女官が数多おります。そこへ貂蝉殿を交えるのはいかがなものかと」
「ん? なにをいう奉先よ。帝には女官が多ければ多いほど良い。何が言いたいのだ」
「いえ。別に」
「とにかく明日迎えを寄こす。可愛い娘と永遠の別れではないのだ。天子にお仕えするのだぞ? 宮廷で毎日顔を合わせることもできよう」
「御意にござります……」
不満そうな呂布を見て、王允にも彼が貂蝉を欲しているのが分かった。しかし相国であり義理の父でもある董卓に逆らえるはずもなかった。
生きた心地のしない宴が終わり、王允が台に伏していると貂蝉が茶を持ってきた。
「おとうさま。お茶でございます」
何の憂いも帯びないつるりとした美しい貂蝉の顔を見て王允は嘆く。
「ああ、お前を董卓の元へ行かせねばならぬのか! 姉上! 申し訳ございません!」
「おとうさま。ごめんなさい。あたくしが悪いのですね」
「……。いいや。お前は何も悪くないのだ。あのような狼や虎の中へ雛を放りこまねばならぬとは」
「相国も将軍もお優しい方でしたわ」
「ん? なんと申す」
貂蝉はどこに視点があるのかわからないような眼差しで言う。
「相国と呂将軍を不愉快に思わなかったのか」
「不愉快? よくわかりません」
「では、どちらが好ましいと思ったのだ?」
「さあ。どちらの方も同じような感じでしたわ」
養父の王允以外、貂蝉にとって男に差を感じることはなかった。また屋敷で宝のように守り大事にしてきたので、男の欲望というものを理解してもいなかった。
王允は貂蝉を見る董卓と呂布の目つきを思い出す。董卓は天子に仕えさせるというのは口実で己のものにしようとしているのは、王允にも、勿論呂布にもわかっていた。
ハッと王允の頭にひらめきがやってくる。貂蝉を董卓と呂布が奪い合い、対立したらどうなるであろうか。
「くっ! 何という恥知らずなことを考えてしまったのだ!」
ゴツッゴツッと王允は台に額を打ち付ける。
「ああっ、おとうさま、何を! やめて、やめて!」
「すまない。貂蝉よ。わたしは恥知らずな父だ。そなたを利用しようと考えてしまった……」
「あたくしを、利用、ですか……」
「ああ。すまない。こうなったらせめて董卓に優しく可愛がってもらえるように尽力するしかない」
「あたくしを利用……」
王允の言葉を噛みしめながら貂蝉は顔を輝かせ始める。
「おとうさま! あたくし、あたくし、利用されますわ!」
「な、何を言うのだ?」
「知恵の足らないあたくしを利用することが出来るのでしょう?」
「あ、いや、言葉のあやである」
「あたくしでも、おとうさまのお役に立てるということなのですね?」
「……。とても、とても卑劣なことなのだ」
「孝行したくおもいます。あたくしにも」
「孝行か……。そなたはおるだけで孝行娘なのだよ」
ぼんやりとしていた貂蝉が発言をやめることなく精彩を帯びていく。
「やっと、あたくしにも出来ることがあるのですね」
「ああ。貂蝉よ……。救っておくれ……。この漢王室を……」
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