浪漫的女英雄三国志

はぎわら歓

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後漢末

4 怒りて容を変えず、喜びて節を失わず

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 気ままで自由であった曹操も二十歳になり推挙と研修を終え、洛陽北部尉という地位に着く。兵士たちは彼女を曹騰の孫娘と言うことだけで大した働きをしないだろうと冷ややかに見ていたが、実際はいままで仕えたどの洛陽北部尉よりも有能で厳しかった。
しかも甲冑に付け髭までつけているという徹底とした男振りと、身分の高いものでも容赦しない姿に兵士たちは感嘆し、いつの間にか彼女を信奉するようになる。町の治安は良くなり、彼女は畏怖と尊敬の対象になっていった。
 町が落ち着くと彼女は部下に見張りを任せ、張バク孟卓のところにいる典韋の元へ馬を走らせた。鼓動が高まるのはいつもより早く走らせる馬のせいだけではない。
「もう随分と会っていない」

張バクの屋敷の前に着くと門は解放され、門番が恭しく曹操に頭を垂れる。
「孟卓殿はおられるか?」
「はい。ただいま袁公様と庭で会談をなさっております」
「ほお、本初もいるのか」
「どうぞ、庭へ」
「うむ」
庭へ回ると袁紹の賑やかな笑い声が聞こえてくる。
「孟徳の北部尉は恐ろしいと有名みたいだな」
「はははっ。子供が孟徳の名前を聞くと泣くらしいぞ」
ちょうど自分の噂話をされているところであり、曹操は笑いながら姿を現した。
「ふふふっ。噂の北部尉が参ったぞ」
「ややっ! いつの間に」
「全く孟徳の噂をするとすぐに現れるな」
三人は高らかに笑った。
「久しぶりだな。まあ、ここへ」
「ありがとう」
池のほとりの東屋で三人は久しぶりの再会を喜んだ。
「私の噂より本初の噂もなかなか評判が良いみたいだな」
「うーん。真面目にやっているだけなのになあ」
袁紹は屈託のない笑顔を見せ、張バクも頷いている。
「きっと宦官たちのおかげで普通にしているだけで庶民たちに好まれるのだろう」
しばらく朝廷について話し合った後、曹操は張バクに尋ねる。
「孟卓よ。典はどうであるか」
「うむ。なかなかよい漢だ。気もいいし丈夫で力もある。重宝しておるよ。今は馬を手入れしているはずだ」
「そうか」
「会いに来たのであろう?」
「ん、まあ」
「三日ほど暇をやるから好きにして良いぞ」
「いや三日もいらぬ。私も忙しいのでな」
「孟徳よ、そろそろお前も嫁ぎ先を考えたらどうだ?」
袁紹が真面目な顔をして割り込んでくる。彼は最近妻を娶ったのだ。
「私が妻となれば夫に仕えねばならぬだろう?」
「それはそうだ」
「私が仕えられるほどの夫と言うのはどこにいるのか」
「う、うーむ」
「わはははっ」
張バクは大笑いして言う。
「孟徳の身分であれば、皇室に嫁ぐことも可能だろう。しかしどうだ。この甲冑姿の付け髭までした女人をどんな男が妻にできるのであろうか」
「まあ、本初殿がそういう男を連れてきてくれるなら考えても良いがな」
「はあ。わたしは兄として心配しただけなのだ」
「わかってる。私のわがままだ」
「まあまあ、良いではないか。では孟徳よ、典は適当に戻してくれ」
「ん。では、私はこれで」
「ああ。またな」

その場を去り、典韋がいるであろう厩舎にむかう。遠目からでもわかる立派な体躯、存在感に曹操は焦がれる気持ちが沸いてくる。
高鳴る胸を押さえ、少しずつ典韋に近づく。もう少しと言うところで彼が曹操に気づいた。
「ああ。姫君、なんと立派なお姿に」
「ふふっ。孟卓にはしばし暇をもらっている、さあ、私と遠出をしよう」
「ええ。しばしお待ちを」
典韋は馬の身体を撫でてやり、小屋へ戻す。茶色い艶やかな馬は典韋と離れるのが嫌なのかひひんっと寂し気にいななく。
「ふふふっ。馬が怒っておるな」
「ははっ、まさか。さて参りましょう」
屋敷前につないでいた曹操の馬に典韋と二人で乗り走らせる。手綱は典韋が持っていて後ろに曹操が乗っている。しばらく馬を走らせ典韋は清らかな小川のほとりで馬の足を止める。曹操を抱きおろし、馬をその辺の木につないだ。
「穏やかなところだな」
「ええ。ここは心が安らぎます」
少しの間、光る川面を見つめた後、そのまま二人は結ばれた。

 逞しい典韋の胸の上で曹操は安らぎを覚える。同時に活力も湧いてくる。
「韋よ。私は生涯、夫と言うものは持たぬつもりだ」
「そうですか。良かった」
「良かった?」
「ええ。わしはあなたの夫には絶対になれませぬから。持たぬと仰るなら少し救われます」
「ふふっ」
「あなたの夫になるとすれば、あなたより全て上回る人か、全く反対の人でしょうな」
「うーん。全てを上回るものがあればそれは夫ではなく、師となり、いつか私が超えてやろうと思うだろうし、反対の者は私の強敵でありねじ伏せようと思うだろうな」
「わしはあなたがいつも見えるところに居られたらそれで良いです」
「ああ、韋よ。そなたより私の側に居るものなどいるであろうか」
「我が君……」
典韋は力強く曹操を抱きしめる。彼女の大きな志を邪魔するつもりはない。自分の生涯は彼女のために存在するのだと思っている。
初めて会った時から並の女人でないことは分かっていたが、会えば会うほど彼女は拡大していく。こうして自分の腕の中に抱きしめていても己は彼女の中の一部なのだと実感していた。


 職務に従事しているときの事である。曹操は珍しく体調に異変を感じた。仕事のし過ぎであるかと、少し町の中を徘徊するこのにした。曹操だとわかると町の人々はいつもより良く働いている姿を見せつけてくるので、久しぶりに女人の装いを施して出かけることにする。
治安はすっかり良く、商売も公平な取引が行われているようで、物価も安定している。
まずまずであると満足し曹操は道行く人々を眺める。
「うっぐぅ……」
気分がまた悪くなり町の外壁に寄りかかって嘔吐した。
「うぅ、これは流石に医師を呼ぶか」
そこへ一人の琵琶を背負った歌妓が通りかかり声を掛けてきた。
「もし、そこのお方。今はあまり出歩かれずに横になっていた方がよろしいですわよ」
「う、うう。少し気分が悪いだけだ」

女人姿の曹操の男のような言葉遣いに歌妓はハッとして慌てて首を垂れる。
「北部尉様でいらっしゃいましたか」
「良く分かったな」
「噂はかねがね……」
「ここの者ではないな、どこから来た」
「あちこちふらふらとしております」
「これからどこへ行く」
「まだ決まっておりません」
口を拭って曹操は女人を一瞥する。自分よりも若い女であるのに老いたような表情をしている。まずまずの美貌であるのに自信が見当たらない。
「なぜ、今は、と言った?」
「間違ってましたらすみません。お子を宿しているのかと」
「なに? 子? だと」
「ええ」

さすがの曹操も動揺した。平坦な腹に手を当て様子をうかがうが何も分からなかった。
「そなたには子がいるかどうかわかるのか」
「ええ。羨ましいですわ」
「なぜだ」
「あたくしにはお子が授からないのですよ。それで一箇所に留まることが出来ずふらふらしております」
「その美貌であれば、子などいなくても愛妾となれるであろうが」
女人は悲し気なあきらめたような表情で顔を左右に振る。
「美貌など一時のものです。普通なら女の時期が終わっても母として生きていけるのでしょうが……」
「まるで女であることが辛いみたいだな。男に生まれたかったとでも思うか?」
「ふふふっ。男にも女にも差はないでしょう。でも、まだ女で良かったですわ。戦に行くことがありませんからね」
「ふむ。そなたはまだ若い。諦めるのは早かろう。腹に子がいるなら養育するものが必要だな」
「ええ、どうぞ、お大事なさってください」
「ちょうどよかった。私は産みはするが養育する暇はない。そなた、私に仕えないか?」
「え?……」
「母になりたいのであろう? もし腹の子が男児であればそなたが良いと思う漢に育て上げればよいのだ」
「あ、あたくしがですか?」
「ふふっ。気に入った。名は何と申す」
「卞幼淑と申します」
「そうか。幼淑。今日から淑姫として私に仕えるがよい」
「はい。終生お仕えいたします」
行くあてのない卞淑姫はいきなり救い主が現れたことを天に感謝する。この先どのようなことがあろうと、今この瞬間の、心を込めて曹操へ仕える気持ちを忘れてはいけない、と肝に銘じる。彼女も曹操同様、数少ない意志を貫けるものであった。


曹操は卞淑姫が噂だけで自分を何者か見破り、また若い身空である程度の人生経験をしているようだ。何より気に入ったのは華美でないことである。今、身の回りを世話させている女官たちは、何かにつけ女同士で身を着飾ることを張り合っている。男装をしている曹操に対しても勿論、粉っぽい香りを振りまき気に入られようとする。そういった自分とは種類が違う女たちが可愛らしいとは思うが如何せん心から寄り添うことは出来ない。
卞淑姫は自分とも、他の女たちともまた違う尊敬できる部分があるようだった。

この後、曹操のこの見解は大いに当たる。卞淑姫は将来、曹操が産んでいく子息、子女を立派に育て上げ、やがて正室と言う曹操に仕える女官にとって最高の地位に就くのだ。
それでも彼女は驕ることなく、穏やかに日々を過ごした。 
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