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32 火災

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 珠子は藤井家に戻ると再び鉛の様な色彩のない毎日を送った。

慣らすためか一日一度は高子が吉弘を連れてき珠子に抱かせる。

その時間だけが珠子にとって生きてる実感のわく時間であった。



 もう吉弘が産まれて一年近くになる。

キヨは相変わらず妾宅に住んでいて育児に精を出している。

珠子とキヨが顔を合わせることはないが、お互いに意識しあっているのは薄々感じる。



「珠子さん。申し訳ないわね。もう少しだけキヨさんに居てもらうけど、いずれきちんと吉弘さんは珠子さんのお子としますから」

 高子にしては気まずそうな物言いをする。

「あの、お義母さま。私はキヨさんがいらしても……構わないと思っています」

 ふぅーっとため息をつきながら高子が眉間にしわを寄せる。

「珠子さんのお気遣いはうれしいのだけれど」



 身分の高い家には色々事情があるのだろうか。

珠子にはそれを探る術も知りたい好奇心もなかった。

ただ高子と正弘の夫婦関係と、葉子と浩一の夫婦関係の終焉を見たときに自分自身は高子のような立場であり、葉子の様な思いをすることはないのだと思うと、キヨや文弘が少しでもシアワセでいてほしいと願うのだった。





「火事だ!」

使用人の怒声が響き渡った。

珠子ががばっと起き出すと、隣で静かに寝ていた文弘も「なんだ!?」と身体を起こした。

「あなた!火事ですって!」

「火事だと?どこだ!出所は!」

 ベッドから起き出して文弘ガウンを羽織った。



 扉を開けると若いメイドが息を切らしながら駆けて来、「だんな様、大奥様のお部屋の隣から出火ですっ!」と叫ぶように言う。

「なんだと!お母さまっ!」



 あっと言う間に文弘は駆けだして行ってしまった。

珠子を素早くガウンを羽織りメイドに「消火は誰がしているの?規模は?」と質問攻めにしたが慌てふためいているメイドは目を白黒させ動揺している。



「とにかく外に避難しましょう!」

「は、はいっ」

 知らせることで精一杯だったメイドの手を引き珠子を連れて外に出た。



 火の手が思ったより大きく上がっている。

「こっ、こんなっ。消防には電話したのっ?」

「は、はい。もう、ポンプ車が来ると思います」

 使用人たちはほぼ全員庭に出ているようだが、肝心の文弘と高子、そしてキヨの姿が見えない。

「文弘さんとお義母さまとキヨさんは!?」

「だんな様は大奥様のところへ、キ、キヨさんは、まだ出てきてません!」



 おろおろとするメイドの話しを最後まで聞かずに珠子は急いで妾宅へ駆けた。

庭を囲むようにコの字で建てられた洋館の隣にキヨの住まう妾宅があり、方角は同じだ。

火の手の勢いはそちらから上がっている。
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