華夏の煌き~麗しき男装の乙女軍師~

はぎわら歓

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117 慶明の死

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 息子の陸貴晶が無事、試験に合格し薬師見習いとなる。ふっと安心した陸慶明は目の前が真っ暗になり、気づいたときには寝台で横たわっていた。

「おや? 医局にいたはずが……」

 身体を起こそうとすると「あなた。まだ横になっていて」と妻の絹枝がそっと身体を支え、横たわらせる。

「あなたは倒れたのですよ」
「あ、そういえば、急に意識が遠のいて」
「まったく薬師の不養生ですわ」
「そうかもしれぬな」

 笑って胡麻化したが、慶明自身もう先は長くないと分かっている。そもそも激務だった医局での仕事に加え、母のための新薬作り、孫の徳樹を太子につかせるための暗躍、そして長男、明樹の死が慶明の命を縮めていた。

 一度倒れると、もう慶明は起き上がることが無理になった。食欲も失せ、何かをなしたいという気力も無くなった。見舞いに来た星羅が、彼女の母、胡晶鈴に見えてしまい、ついついその名を呼んでしまうところだった。

「仕事も生活もうまくいっているようだね。無理はしていないかい?」
「お義父上さまこそ。ご無理ばかりなさっていたのですね」

 自分の状態をさておき、星羅の身体を心配する慶明に思わず苦笑する。

「やることをすべてやったからね。そろそろ私は退場する身だ」
「そんな! まだお若いですのに」

 年齢的にはまだまだ働き盛りの慶明だが、もう誰の目から見ても回復を望めないことはわかる。背が高くがっしりした彼は、やせ細り、目はくぼみ、色つやも無くなり枯れた老木のようになっている。もう幾何の時間もないことが明らかだった。
 涙を見せないように、笑顔で去った星羅の後ろ姿を見送って慶明はまたほっとする。

「星羅が幸せそうで良かった」

 息子の明樹の死によって、星羅のダメージは計り知れないが、なんとか立ち直りしっかり生きている様子に慶明は安堵する。

 外が賑やかだなと顔を上げると、絹枝が珍しく慌てて「陛下がお越しです」と部屋に駆け込んできた。

「陛下が?」

 絹枝に支えてもらい身体を起こすと「よい。そのままで」と厳かな声がかかる。お忍びで陸家に見舞いに来た、王の曹隆明だった。見目麗しい隆明は、威厳を伴い堂々と立派な佇まいで静かに寝台のそばに腰かける。

「二人にしてもらえるか?」
「あ、はい。外で控えております」

 絹枝と共の者数名は部屋から出てそっと扉を閉じた。

「わざわざ、お越しくださるなんて。もったいない」
「よいのだ。そなたは朕に、いや、国家にも尽力してくれたな」
「とんでもない。やるべきことをやったまでです」
「いや、手を汚させてしまったな……」
「……。お気づきでしたか」

 慶明の暗躍を、隆明は知っていたようだ。

「おかげで傾国させることなく国難に立ち向かえたのだ。今更だが何か望みはあるか?」
「いいえ。星羅も軍師として立派になりましたし、徳樹も王太子となりこれ以上なにがありましょう」
「そうか。では、安心するがよい」

 二人は胡晶鈴の思い出話をすることはもうなかった。それでも同じ女を愛し、国を支えてきた彼らは身分を超えた同志だった。


 誰かしらが見舞いに来るので、陸家はいつもより賑やかで絹枝も忙しくしている。彼女にとって忙しいほうが、慶明が死んでいくことに集中しなくてすんでいた。

「やっと客が引きましたわ。こんなに人が見舞いにきたのでは余計に具合が悪くなってしまいますわね」
「いや、私のほうはもう疲れなど感じないのだ」
「そうなんですか?」
「ああ、君はもう休みなさい。疲れたでしょう」
「ええ、でも」
「もうじき私は逝くだろう。葬儀に体力を使うからちゃんと休んだほうがいい」
「まあ! あなたったら……」
「すまない。ああ、言っておかねば。今までありがとう。君と夫婦となって本当に良かったと思う」

 泣いてしまっている絹枝は、慶明の言葉にうまく返答することが出来なかった。教師だった絹枝は、ほかの女人にくらべ理性的で、感情の起伏が平坦だった。恋愛感情があるのかないのか分からないまま、慶明と結婚したが、長い夫婦生活の中で情は深まっている。

「では、隣で休んでいますから」
「うん。良く休むがいい」

 慶明が倒れてから、絹枝は寝台を運ばせて一緒の部屋で休んでいる。客の相手で疲れ切っているのか、絹枝は寝台に入るとすぐに寝息を立て始めた。


 蝋燭だけがぼんやりと灯る薄暗い部屋で、慶明は静かに天井を眺める。自身で脈をとると、もう弱々しくとぎれとぎれで、いつ止まってもおかしくない。息も深く吸うことが面倒になってきたが、不思議と苦しくはなかった。
 慶明が目を閉じようとした瞬間、ふっと空気が動くのを感じ目を開いた。

「慶明」
「晶鈴!」

 寝台の隣に胡晶鈴が立っている。

「会いに来たわ」
「嬉しいよ。それにしてもあの頃と全く変わらないのだな。私はすっかり老いてしまったよ」

 都から出るころと、寸分たがわぬ若々しさで胡晶鈴は愛くるしい目を向ける。

「ふふっ。慶明がそう思っているだけよ。ほら、庭を散歩しましょうよ」
「え、それは、さすがに無理だ」
「ううん、平気平気」

 晶鈴が、慶明の手をとり引っ張り上げる。

「あっ」

 もう起き上がることも立ち上がることも無理だと思っていた慶明は、ふわっと身体の軽さを感じ寝台から起き上がる。

「外へ行きましょう」

 手を繋いで、庭に出る。空は満天の星空で美しく輝いている。庭を散歩する慶明は、足が窮屈だということを感じた。

「俺、履物苦手なんだよなあ」
「脱いじゃいなさいよ」
「そうだな」

 いつの間にか、青年のころに戻った若々しい慶明は裸足になって庭を走り回った。足の裏に感じる草や砂利、土が心地よい。

「やあ、気持ちよかった。晶鈴、ありがとう」
「ううん。こちらこそ。星羅のことありがとう。ごめんなさいね、面倒かけっぱなしで」
「いいんだ。色々楽しかったし」
「もうこれ以上望むことはないの?」
「そうだなあ。隆明さまにも聞かれたけど、特にないかなあ。最後に晶鈴に会えたしさ」
「そう、じゃあまたわたしは旅に出るわ」
「気をつけてな。さよなら」

 二人は遊んだ後、自分の家に帰るように別れた。


 早朝、隙間風の冷たさに目が覚めた絹枝は、慶明が息絶えていることに気付く。

「あなた!」

 もうどんなに呼んでも反応はなかった。慶明は穏やかにほほ笑んでいて、いい夢を見ながら眠っているようだった。

「穏やかに、逝かれたのね……」

 安らいだ表情のおかげで、心痛することは少なかった。それよりも慶明がいつの間にか裸足になっていて、土で汚れていることが不思議だった。
  
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