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96 明樹の死

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 馬を走らせ、陸家の屋敷についた星羅は、門に白い大きな布が垂れ下がっているのを目にして息をのんだ。

「だ、誰が? 一体」

 門番に尋ねようかと思ったがやめて、馬を預け急ぎ屋敷内に入る。以前も同じ光景をここで目にしている。春衣の葬儀の時だった。

「あ、あなた、どこ」

 激しく胸を打ち始めた鼓動を抑え、屋敷の中心である広間に向かう。使用人が何人かいるはずだが、見当たらず静かだった。静けさの中に自分の心臓の音だけが響く気がする。白い布が多く垂れ下がった広間に恐る恐る顔を出す。そこには陸慶明とその妻、絹枝、次男である貴晶がいる。貴晶の隣には大人しく座っている徳樹が見えた。4人とも白い着物を着て俯き、押し黙っている。
 嫌な予感がする星羅は声を掛けずに、そっと中の様子をうかがう。大きな塗りの位牌の文字が目に入る。

『故男 陸明樹』

「あ、ああ、あっ、あ、あな、た……」

 力が抜け、よろよろと入ってきた星羅に徳樹が気づき声をあげる。

「かあー」

 その声で、皆顔を上げ、そしてまた俯いた。放心していた絹枝がまたすすり泣きを始める。陸慶明は絹枝の背中を撫でいたわったのち「星羅……」と膝まづく星羅の身体を起こした。

「どう、して? 夫に一体何が? もう、もう体は回復したと」

 明樹の死が全く理解できない星羅にとって、悲しみよりも疑問しかない。星羅は立ち上がって棺を覗く。そこには青白くなった明樹が白い花の中で眠っていた。

「あなた、起きて? ねえ、どうして? やっとやっと帰ってきて、これから一緒にいられると思ったのに」

 冷たい頬を撫で、話しかけても明樹は沈黙を守る。もう微笑むこともない。

「どうして、どうして、どうして」

 震えながら涙声で何度も明樹に呼び掛ける星羅に、慶明は何も言えなかった。絹枝もますます嗚咽がひどくなり咳き込む。
「かあさま、しっかり」

 貴晶は絹枝を支えるように手を握っている。徳樹は泣いている星羅を不思議そうに見ていたが、やがて悲しくなったらしく声をあげて泣き始めた。

「徳樹、徳樹」

 泣く我が子を抱き上げ、星羅は呆然と明樹を見続ける。徳樹が泣き疲れ、星羅の腕の中で眠りについたことに気付き慶明は
「さあ、徳樹をこちらへ」と抱き上げ乳母に寝台へを運ばせた。

 ひとしきり涙を流した後「どうしてこんなことに?」と星羅は慶明に顔を向ける。明樹の父である慶明も、深い悲しみを感じさせる目の色だった。絹枝と貴晶に目をやって戻し「こちらで話そう」と星羅を広間から外に出す。
 広間から少し離れた東屋に座り、星羅は説明を待つ。

「明樹は心臓が破裂したのだ……」
「え、心臓、が?」

 こくっと頷き慶明は続きを話す。星羅は黙って口を挟むことなく最後まで聞いた。


――明樹は西国での快楽を忘れられず、下女と催淫剤を使って快楽に耽っていた。しかも催淫剤だけでは飽き足らず精力剤や精神を高揚させる薬品にまで手を伸ばす。複数の薬品を、明樹は酒とともに服用していた。薬品のおかげか、健康そのものに見えた明樹を、慶明は回復したものとしてそれ以上追求することがなかった。
 昼間に慶明と絹枝がいない間、存分に快楽に耽った明樹は機嫌よく、夕げ時に顔を合わせると健やかそのものだった。
 複数の薬品によるエクスタシーのしわ寄せがある日やってくる。健康に見えたのは表面だけで、中身はもうボロボロになっていた。あちこちの臓器はフル稼働していたらしく、とうとう心臓が異常な速さで鼓動を打ち張り裂けた。

 慶明は泣きながら聞いている星羅に「すまなかった。気づいてやれなかったのだ」と力なくつぶやいた。明樹の相手になっていた下女の小桜も、同様の症状で死に絶えた。星羅の気持ちを考えると、腹上死で二人とも逝ったとは言えなかった。更に手を硬くつなぎあっていた二人を無理やり引き離したことも一生告げるつもりはない。

 ぼんやりと空中を眺める星羅にそれ以上何も話さず、慶明もじっと座っていた。いつの間にか日が落ち夕暮になり、星が輝き始めたが、星羅は気づくことがなかった。
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