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30 運命

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 日が落ちたのに晶鈴ジンリンが帰らないので、彰浩ジャンハオが町まで馬を走らせた。途中でロバの明々ミンミンがうろうろとその場を行ったり来たりしているのを見つける。

「明々! 晶鈴は!?」

 答えはずもない明々に問う。荷台にはもち米の入った麻袋と晶鈴の通行証が転がっていた。

「これは……?」

 何かトラブルでもあったのだろうかと、とりあえず明々を引き連れたまま、町まで行き顔見知りの門番に尋ねる。年若い門番はいつも通り晶鈴は帰ったという。

「それが帰ってこないのだ……」

 心配した門番も、町の警備兵に晶鈴が行方不明になったことを伝え探してもらうことにした。町の周りから家まで周辺を数名の警備兵と犬が捜索する。彰浩は一度家に帰り、状況を京湖ジンフゥに伝える。

「ま、まさか……」

 青ざめる京湖に、彰浩は希望を持つような言葉を投げ掛けることはできなかった。もう一度探しに行こうとすると、警備兵の男がやってきた。

「これがロバがいたあたりの茂みに落ちていたんだが晶鈴さんのものかい?」

 大きな茶色い布は、四角に折りたたまれ手のひらほどの大きさになっている。京湖はその布切れがもちろん晶鈴の持ち物ではないことが分かった。むしろ自分が良く知っている布切れだった。縦糸が太く、横糸は細い、独特の織物で京湖の出身地特有の織物だった。京湖と彰浩の着物も同じ生地の織物だ。

「いいえ……」

 首を振る京湖に、警備兵の男は「ちょっと苦そうなにおいがするんだよなあ」と布切れをひらひらさせる。ますます京湖は顔を暗くさせる。彰浩が警備兵の男に町には何か変化がわずかでもなかったかと尋ねた。うーんと小首をかしげながら「ああ、そうだ」と男は掌をこぶしでたたく。

「あんたたちと同じ民族の人がここ数日増えていた気がするなあ。そのひらひらした衣装の男をよく見たよ」

 その言葉を聞くと、京湖はへなへなと土間に座りこんんだ。

「京湖……」
「大丈夫かい? 奥さん。一応もう少し探すが、野犬や獣が出るといけないから適当に切り上げるよ。見つけたら報告に来るから」
「よろしく頼む」

 警備兵が帰っていったあと、京湖は涙をはらはら流しながら「着物を貸さなければよかった……」とつぶやいた。彰浩は何も言わず、彼女の身体を起こし椅子に腰かけさせる。
 晶鈴は、京湖と間違えられてさらわれたのだと二人は確信している。さらった相手に晶鈴が人違いだと言ってくれたら、なんとか戻ってこれるかもしれないが。

「きっと晶鈴は黙って私の身代わりをしてしまうわっ!」

 彼女の性格だとそうだろうと、京湖は申し訳なさで胸がつぶれそうだった。そこへ「ふああぁあんっ」と京樹ジンシュウの泣き声が響く。

「ああっ! 乳をやらねば!」

 動揺と不安から子供の命を確保することに尽力する。京樹と星羅シンルォに食事を与え、育て上げねばという強い気持ちが彼女を支配する。彰浩も晶鈴を救い出すことと、京湖と子供たちを守るための手段を考え始めた。
 

 
 着心地の良い着物は晶鈴をより身軽にさせる。カード使いの占い師にもよく似合っていると言われた、それと同時に最近その服装の人間を何人か見かけるとも聞いた。あらゆる民族が交流する、国境なので晶鈴は特に気に留めず、ロバの明々を伴って占いの仕事をしていた。
 何人か鑑定をした後、食堂に寄り、土産も持った。赤ん坊だった星羅と京樹はすくすくと育ち、乳から粥へと食事が変わり始めている。町から家までロバの足で、半時ほどだった。顔見知りの門番に別れを告げ、しばらく歩き見えなくなる頃、荷台にごろんと横たわった。

「遠慮しないで明々をもらっておいて良かった。ふああ。ちょっと眠い、かな。着いたら教えてね……」

 晶鈴は揺れる荷台に眠気を誘われ、そのまま眠ってしまった。少しだけのうたた寝のつもりがかなり眠ってしまったと思ったときに、これはうたた寝ではなかったことを思い出す。

 眠りについて目を閉じたころ、顔を大きな布切れで覆われた。苦そうな薬草の匂いだったと思う。そして手足を縛られていることにも気づいた。体中が痺れているようだった。

「ここ、どこ、なの……」

 真っ暗で光も差さない。木のきしむ音で、自分は木箱に入れられ運ばれているのだとわかる。暴れて大声を出そうにも、身体の自由が利かなかった。

「星羅……」

 一瞬の木の隙間から見えた光で、子供の顔を思い浮かべる。しかし意識はまた途切れ、晶鈴は暗闇の中に落ちていった。


 やっと薬が抜けたようで再び目を覚ますと、ひそひそと話声が聞こえる。手には力が入り、声も出せそうだがここはおとなしく外の様子をうかがうことにした。

「褒美はどれぐらいもらえるだろうか」
「あまり期待するな。大臣はがめついから」
「しばらくは遊んで暮らせるさ」

 どうやら誰かの依頼で自分はさらわれた様だ。しかし、まだ理由はわからなかった。

「そろそろ箱から出して女に飯でも食わせないと」
「ああ、そうだな。丁重に扱えと言われているからな」

 乱暴なことはされないようで少し安心した。がたがたを蓋がとられ外が見えた。ベージュ色のテントらしい天井が見える。

「さて、お嬢さん。起きてくんな」

 野太い男の声のほうに目をむけると、京湖と彰浩と同じ民族であろうガタイの良い男が見えた。手足を縛られているのでにじっていると「ああ、それを外してやらんと」とすんなり手と足を自由にされた。

「ここは、どこなの?」
「さっきコーサラを通過したんでさ。今日はここで野営ですな」
「こうさら……」

 晶鈴は頭の中に地図を描く。確かその場所は、最後の町から更に南西に向かった他国のはずだ。地図には『交沙良』と書かれていたはずだ。

「ガンダーラでだんながお待ちかねですよ」

 にやにやした男が付け加える。どうやらここから北西に進路を変えるつもりのようだ。

「どこに逃げてもだんなからは逃げられやしないですからね。お嬢さんもあきらめたほうがいいですよ」

 男たちは『だんな』と呼ぶ人物から自分をさらうように命令されているのだろう。なぜだろうと考えると、一つだけ思いつくことがあった。自分を朱京湖と間違えているのだ。『願陀亜羅』は晶鈴にとって縁もゆかりもない国である。

 男たちは京湖の顔をどうやら知らないようだ。ここで、人違いだと言えば解放されるかもしれない。しかし、男たちは報酬を目当てに京湖をさらおうと町に向かうだろう。そうなれば、京湖と彰浩、そして京樹はどうなるのか。『だんな』はおそらく京湖のみを欲しいているだろうから、彰浩と京樹がどうなるかわからない。最悪のことを考えると晶鈴は言い出せずにいた。

「私が京湖の振りをしていれば時間が稼げる……」

 晶鈴自身よりも、京湖たちのほうがこうなった事情をよく理解しているだろう。すでに町を出てどこかへ逃げているかもしれない。

「星羅……」

 子供を粗末に扱うことはおそらくないだろう。

「また会えるかしら……」

 幻だったような家族を思う。今、自分のそばに親しい人は誰もいない。晶鈴は目を閉じて一人きりになったことを感じる。

「占うときのよう……」

 占いをするときには、だれも自分のそばにおらず、ポツンと空中に浮いたような心地になる。それが晶鈴にとって自然なことだった。寧ろ、誰かと愛着していた時のほうが夢の中の出来事のように感じている。
肌を合わせた曹隆明ツォ ロンミンも、親しかった陸慶明ルウ チンミンもいつの間にか人生から消えた。胎内からずっと密着していた星羅もまるで仮想現実のような感覚に陥る。

「そう。私は占い師なのだ」

 俗世に交じることのない孤高の占い師、胡晶鈴フウ ジンリンは、穏やかに自分の運命を受け入れるのだった。
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