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24 新薬の開発
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薬師の陸慶明は、最近手に入れた異国の薬草の効果を自分で試してみていた。身体に害はないだろう。爽やかでスーッと抜ける清涼感を持つ香りがあたり一面に込められている。椀の中の薬湯の水面を眺め、ふうっと息を吐きだしてから一気に飲んだ。後味もすっきりとして悪くなかった。
「晶鈴……」
薬問屋の男から、薬草とともに胡晶鈴の名前が出てくるとは思わなかった。手紙一つよこさず、心配で彼女の故郷に人をやって探させたが帰っていなかった。薬問屋の話では彼女は故郷に向かっているということだが、気まぐれを起こさないとも限らない。また彼女に出会うことがあれば、手紙を書くように伝えてほしいと頼み、さらにどこにいたか、教えてほしいと二重に頼む。しかしこの広い国土で、一度見失えば砂の中の砂金のように見つけることが難しいだろう。
順調に出世し、経済的にも地位も安定してきた慶明は誰から見ても幸福に見える。物静かな才女である妻に、利発そうな跡取り息子。彼ほど恵まれた人物もそうそういないと一目置かれる存在だった。また慶明は、野心家ではあるものの、貪欲さはなく、気さくな人柄は人に不快感を抱かせることはなかった。努力と精進を怠らぬゆえの出世だと、周囲からも認められアンチは皆無だった。しかし彼の心が常に明るいわけではなかった。虚ろな母といなくなってしまった晶鈴のことが彼を重く沈ませている。
薬湯を飲んで横たわっていると、少しずつ気分が晴れやかになってくることを感じた。現実を生きていない母のことを考えると、いつもよりも苦痛も感じず、何とかなる気がし、晶鈴を想うとまたいつか巡り合えると楽観視できるようになった。
がばっと身体を起こし「やっと完成したのか」と転がっている椀を眺めた。
「いや、このまま2,3日様子を見よう」
調合を確認し、残りの材料を確かめる。十分な量ができるので大丈夫だと安心した。
晶鈴の下女であった春衣が夕餉の支度ができたと慶明を呼びに来た。
「だんな様、今日はなんだか楽しそうですね」
「ん? そうか?」
「ええ、いつもより明るいです」
頬を染め嬉しそうに春衣が慶明を見つめる。慶明はすっと視線をそらし「早くいかねば、夫人と明樹が待ちくたびれてしまうな」と微笑み返した。
すでに食卓で待っている夫人の絹枝は息子の明樹をあやしていた。
「待たせてすまない」
「いえ」
静かに返答する夫人から、明樹を抱き上げ「よーしよーし」とあやす。明樹はキャッキャと明るい声上げ喜んだ。歩き始めた明樹は抱いてやらないとすぐにどこかへ行ってしまう。
「ほらほら、ちゃんと座りなさい。母上が困ってしまうよ」
優しく諭し、明樹を食卓に着かせる。並び始めた青菜に明樹は手を伸ばした。
「お前は、青菜が好きだな」
「あなたの香りに似ているのですよ」
いつもふわりと薬草のにおいが漂う慶明に夫人は静かにほほ笑んだ。
「そうかそうか。父上が好きか」
いつもより機嫌がやはり良いと春衣は慶明の様子を観察していた。慶明と絹枝と明樹の3人をみると、春衣は気持ちが暗くなってくる。彼女は主人である慶明に恋をしていた。彼の妻が晶鈴だったら、このような気持ちにはならないのにと唇をかむ。春衣にしてみると絹枝は新参者なのにさっとやってきて慶明の夫人の座に就いた感覚なのだ。
「わたしのほうが、先に出会っているのに……」
はっと思わずついた言葉に、慌てて周囲を見渡した。
「わたしは何を考えているのかしら……」
身の程をわきまえ、多くを望むつもりはないはずなのに、春衣は胸の奥のほうで何かどす黒いものがうごめている気がした。
絹枝は春衣の気持ちを知ってか知らぬか、彼女を最初から快く思えなかった。慶明が知り合いの使用人を、ここでつかうと春衣を連れてきたときに、直感的に自分の味方にはならないと思った。
従順で気の利く春衣は、使用人の中で頭角を現し、気が付くと直接慶明の世話役になっている。絹枝にも従順な態度をとるが、なんだか角がある。一度、春衣を近くに置きすぎているのではないかと遠回しに言ったことがあるが、慶明は他のものではあまり気が利かないと絹枝の気持ちを察してはもらえなかった。
ふと見ると、春衣は絹枝が指示する前に茶を運ばせている。自分が教壇に立っている間に……。思わず余計な妄想をしてしまう自分が嫌だった。
明樹を抱いてあやす慶明を見ながら、いつまでも家族仲良く過ごせるようにと心から願うばかりだった。
食後も慶明は安定した感情の感覚を実感し、薬の効果を帳面につける。精神に影響する薬を開発するのはこれで10回目だった。今度こそ、うまくいくと実感があった。心を病んでしまった母に効果的だろう。そして、この薬を必要とするもう一人の人物にも。
おそらくこの薬によって慶明の医局長就任は約束されたものになるだろう。
「そうなったらもう少し広い屋敷に移るか……」
ほどほどの広さを保つ屋敷だが、装飾品の類は乏しく、簡素だ。贅沢な趣味はないが、地位が高くなるとそれなりの外見も整えなければならない。夫人の絹枝も飾り立てることをしないので、いつもまとめ上げた髪に、教師である身分を示す翡翠のついたかんざしをさしているだけだった。今度、王族の屋敷に行ったら調度品と装飾を参考にせねばと考えた。
「色々窮屈になるな」
目的を達成していくことによってより、自由が減っている気がする。しかたなく慶明は履物を脱ぎ、足先に自由を感じさせることにした。
「晶鈴……」
薬問屋の男から、薬草とともに胡晶鈴の名前が出てくるとは思わなかった。手紙一つよこさず、心配で彼女の故郷に人をやって探させたが帰っていなかった。薬問屋の話では彼女は故郷に向かっているということだが、気まぐれを起こさないとも限らない。また彼女に出会うことがあれば、手紙を書くように伝えてほしいと頼み、さらにどこにいたか、教えてほしいと二重に頼む。しかしこの広い国土で、一度見失えば砂の中の砂金のように見つけることが難しいだろう。
順調に出世し、経済的にも地位も安定してきた慶明は誰から見ても幸福に見える。物静かな才女である妻に、利発そうな跡取り息子。彼ほど恵まれた人物もそうそういないと一目置かれる存在だった。また慶明は、野心家ではあるものの、貪欲さはなく、気さくな人柄は人に不快感を抱かせることはなかった。努力と精進を怠らぬゆえの出世だと、周囲からも認められアンチは皆無だった。しかし彼の心が常に明るいわけではなかった。虚ろな母といなくなってしまった晶鈴のことが彼を重く沈ませている。
薬湯を飲んで横たわっていると、少しずつ気分が晴れやかになってくることを感じた。現実を生きていない母のことを考えると、いつもよりも苦痛も感じず、何とかなる気がし、晶鈴を想うとまたいつか巡り合えると楽観視できるようになった。
がばっと身体を起こし「やっと完成したのか」と転がっている椀を眺めた。
「いや、このまま2,3日様子を見よう」
調合を確認し、残りの材料を確かめる。十分な量ができるので大丈夫だと安心した。
晶鈴の下女であった春衣が夕餉の支度ができたと慶明を呼びに来た。
「だんな様、今日はなんだか楽しそうですね」
「ん? そうか?」
「ええ、いつもより明るいです」
頬を染め嬉しそうに春衣が慶明を見つめる。慶明はすっと視線をそらし「早くいかねば、夫人と明樹が待ちくたびれてしまうな」と微笑み返した。
すでに食卓で待っている夫人の絹枝は息子の明樹をあやしていた。
「待たせてすまない」
「いえ」
静かに返答する夫人から、明樹を抱き上げ「よーしよーし」とあやす。明樹はキャッキャと明るい声上げ喜んだ。歩き始めた明樹は抱いてやらないとすぐにどこかへ行ってしまう。
「ほらほら、ちゃんと座りなさい。母上が困ってしまうよ」
優しく諭し、明樹を食卓に着かせる。並び始めた青菜に明樹は手を伸ばした。
「お前は、青菜が好きだな」
「あなたの香りに似ているのですよ」
いつもふわりと薬草のにおいが漂う慶明に夫人は静かにほほ笑んだ。
「そうかそうか。父上が好きか」
いつもより機嫌がやはり良いと春衣は慶明の様子を観察していた。慶明と絹枝と明樹の3人をみると、春衣は気持ちが暗くなってくる。彼女は主人である慶明に恋をしていた。彼の妻が晶鈴だったら、このような気持ちにはならないのにと唇をかむ。春衣にしてみると絹枝は新参者なのにさっとやってきて慶明の夫人の座に就いた感覚なのだ。
「わたしのほうが、先に出会っているのに……」
はっと思わずついた言葉に、慌てて周囲を見渡した。
「わたしは何を考えているのかしら……」
身の程をわきまえ、多くを望むつもりはないはずなのに、春衣は胸の奥のほうで何かどす黒いものがうごめている気がした。
絹枝は春衣の気持ちを知ってか知らぬか、彼女を最初から快く思えなかった。慶明が知り合いの使用人を、ここでつかうと春衣を連れてきたときに、直感的に自分の味方にはならないと思った。
従順で気の利く春衣は、使用人の中で頭角を現し、気が付くと直接慶明の世話役になっている。絹枝にも従順な態度をとるが、なんだか角がある。一度、春衣を近くに置きすぎているのではないかと遠回しに言ったことがあるが、慶明は他のものではあまり気が利かないと絹枝の気持ちを察してはもらえなかった。
ふと見ると、春衣は絹枝が指示する前に茶を運ばせている。自分が教壇に立っている間に……。思わず余計な妄想をしてしまう自分が嫌だった。
明樹を抱いてあやす慶明を見ながら、いつまでも家族仲良く過ごせるようにと心から願うばかりだった。
食後も慶明は安定した感情の感覚を実感し、薬の効果を帳面につける。精神に影響する薬を開発するのはこれで10回目だった。今度こそ、うまくいくと実感があった。心を病んでしまった母に効果的だろう。そして、この薬を必要とするもう一人の人物にも。
おそらくこの薬によって慶明の医局長就任は約束されたものになるだろう。
「そうなったらもう少し広い屋敷に移るか……」
ほどほどの広さを保つ屋敷だが、装飾品の類は乏しく、簡素だ。贅沢な趣味はないが、地位が高くなるとそれなりの外見も整えなければならない。夫人の絹枝も飾り立てることをしないので、いつもまとめ上げた髪に、教師である身分を示す翡翠のついたかんざしをさしているだけだった。今度、王族の屋敷に行ったら調度品と装飾を参考にせねばと考えた。
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