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ピスケスの女 奉仕の章
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桃香は僕のあとには相談者がいないことを確認し、休憩中の看板を出し店を閉めた。
鑑定ルームの更に奥のプライベートルームに僕を招き入れ、柔らかいピンク色の布地のソファーに座らせた。
「僕の事をご存じなのですか?」
桃香はくふっと笑って「この界隈にいてあなたを存じないなんて」と言う。
「あ、はあ」
十年前なら名も知られていただろうが、この目の前に座る若い桃香が僕を知っているとは意外だ。
「あたしはずっとお会いしたかったんですよ。緋月さんと」
「光栄です」
目を細め唇を半開きにし迫ってくる桃香にたじろぎながら「お若いのに熟練してますね。タロット」と話題を変えた。
座りなおした桃香が嬉しそうに顔を綻ばせながら言う。
「あたし本来はインスピレーションのみで人のことが観えてしまうんです。おかげで子供のころからすごく苦労して」
霊感少女によくある苦労話だ。桃香のように予知能力、テレパシー、念力などの力を持つ子供たちは純真さゆえにそのまま能力を発揮してしまう。古代であれば畏怖の対象になり、祭り上げられたりもするが、現代では気味が悪い子として疎外される対象になることも多いだろう。
「でも今の師匠があたしを拾ってくれて……。おかげさまでこうやって普通にやっていけてるんです」
「師匠?」
「はい。園女小百合先生です」
「ああ。君は園女先生のお弟子さんなのか」
園女小百合は日本のタロット占いの第一人者だ。僕の師匠である紅月蘭子のよき友人でもありライバルでもある人物で一度だけお目にかかったことがある。
ストイックな印象の蘭子と派手で男好きのする小百合はまるでタロットカードの女教皇と女帝のようだった。
桃香はインスピレーションをタロットカードを使うことにより行き過ぎてしまう能力を抑え、ほどよい塩梅で占い師として社会に落ちつけた様だ。本来、媒体にするものを主体にしてしまった小百合に感心する。
「すごいね。普通はタロットをインスピレーションの助けにするのに」
「はいっ。小百合先生はすごいんです」
師を褒められて桃香はさらに嬉しそうな顔を見せた。
「園女先生はまだお元気ですか?」
紅潮した顔に陰りが見える。
「去年……。あたしが最後の弟子なんです」
「そうか」
しんみりした空気が流れる。涙ぐみそうになるのを堪えて桃香は顔をあげた。
「亡くなる前に小百合先生が是非、緋月さんに会いなさいって。それで準備してやっとここに来れたんです」
小百合の意図が今一つ読めないが、僕の師、蘭子との水魚の交わりを想うとお互いの最後の弟子を会わせたいという素朴な気持ちなのかもしれない。
桃香は一人で馴染みのないこの町にやってきて自分の力を試そうとしているらしい。
「今日は夜、講座があるから無理だけど、明日、町でも案内するよ。都合はどう?」
「ほんとですか!嬉しい。まだ全然この町の事知らないんです。ちょうど定休日なのでいつでもいいです」
駅前の広場で待ち合わせをする。車から降りてあたりを見回すと歩道橋の上を急いで走る桃香が見えた。
手を振るとぱっと顔を輝かせ、両手を大きく振りまた走り出した。――可愛らしいな。
息を切らしてやってきた桃香はふんわり長い髪をかき上げ「こんにちは」と礼儀正しく頭を下げた。
薄いピンク色のワンピースは身体のラインに添ってはいるが、ゆるいAラインで桃香にとてもよく似合っている。
「急がなくて良かったのに」
アイボリーのパンプスを見ながら言うと「顔見たらついつい走っちゃって。あ、このパンプス走れるパンプスなんですよ」とヒールを見せて笑った。
車高の高さがつらいだろうと小柄な桃香の手を引くと「緋月さんて優しいですね」と頬を染めた。少し市内を流して買い物に便利が良さそうなところや公共施設、文化施設を案内した。
「あれえ。まだお雛様売ってる」
「ん?ああ。こっちは旧暦で祝うんだ」
「へええ。あたし桃の節句に生まれたからここだと長いことお祝いされるみたいでいいですねえ」
「ああ、それで名前が桃香なんだね」
笑顔を見せる桃香の頬は丸い水蜜のようだ。――うお座か。
うお座のマークにもなっている二匹の魚は怪物から逃げようとしたアフロディテとエロスが離れ離れにならないようひもで結んだ姿だと言われる。登場人物からも想像されるようにこの星座の色気は群を抜く。しかも甘えん坊で奉仕精神もあるためいやらしく映らない。つまり可愛いのだ。
あどけない妹を案内するようでなんだか楽しい時間だった。
「また会ってもらえます?」
「うん。連絡をくれたら迎えに来るよ。行きたいところが合ったら遠慮なく言って」
駅で別れた後、助手席を見ると一枚の花弁が落ちていた。車内が甘い香りで満ちている。思わず胸いっぱいに吸い込む自分に自嘲して笑った。
桃香とは週に二度ほど会い自宅で手料理を振舞うほどの付き合いになった。しかし恋愛関係ではない。可愛い女性ではあるが恋愛対象にはならないようだ。彼女も僕のことを歳の離れたれた兄のように慕ってくれている。いわば兄妹弟子のような関係だろうか。
「桃香。お茶を入れてくれる?」
「はーい」
桃香は料理をほとんどしたことがなく米のとぎ方すら知らなかったが、お茶を入れることだけは誰よりもうまかった。それも茶葉であれば日本茶だろうが紅茶だろうがどんな種類のものでも美味しく淹れられる。
「君ほど美味しくお茶を入れる人はいないだろうね」
さほど新しくない緑茶が高級な新茶のようだ。
「小百合先生もお茶だけは一級品だって」
今ではお茶だけではないだろう。桃香のタロット占いは一過性のものではなく安定して人気が出ているようだ。亡き小百合に見せてやりたいぐらいだ。
「占いのほうも順調そうだね」
「おかげさまで」
「実力だよ」
「最近は男のお客さんも増えてきました」
明るく言う桃香だが、少し老婆心が出てしまう。
「男にはあんまり親身にしないようにね。勘違いされるといけないから」
「えっ。そんなもんですか?」
「うん。桃香は若いしね。気を付けとかないと」
くどくど父親のように言ってしまうと彼女はくふっと笑って「わかりました」と素直に返事をした。
桃香と一緒にスーパーで買い物をしていると柏木麻耶にばったり会った。
「あら、ほしき!お久しぶり」
「やあ」
「ん?そちらの可愛い人は?」
「あ、ああ。同じ占い師の魚女桃香さんだよ」
「は、はじめまして」
「ああ。もしかしてタロットの?今評判よねー。でも残念。占ってもらうことがないなあ」
幸せそうに目を細める麻耶は相変わらず色気があるが健康的だ。
「付き合ってるの?」
ニヤッと野次馬のように聞いてくる。
「そんなんじゃないよ。親子みたいなもんさ」
「えっ。親子だなんて」
「ふーん」
桃香は慌ててかごを持って「お会計してきます」とレジに向かって行った。
後姿を見ていると麻耶が先ほどと違いクールな表情で静かに告げてくる。
「あの娘。なんか気を付けたほうがいいよ」
「え?どこが?いいこだよ」
「んんー。なんか匂う」
「なんだよ。信頼置ける人のお弟子さんだから大丈夫だよ」
「そお?なら、いいか」
「麻耶こそ加減しろよ?」
買い物かごに大量に入ったニンニクとにらを見て僕は笑った。
「あらっ。あはは。ほらっ主人たら肉体労働だから、じゃあねえ」
そそくさと立ち去る麻耶は足取りが軽そうだ。しかし麻耶の言葉が引っかかる。――あいつの勘はするどいからなあ。
少し気になりながら、買い物を袋に詰めている桃香のもとへ向かった。
鑑定ルームの更に奥のプライベートルームに僕を招き入れ、柔らかいピンク色の布地のソファーに座らせた。
「僕の事をご存じなのですか?」
桃香はくふっと笑って「この界隈にいてあなたを存じないなんて」と言う。
「あ、はあ」
十年前なら名も知られていただろうが、この目の前に座る若い桃香が僕を知っているとは意外だ。
「あたしはずっとお会いしたかったんですよ。緋月さんと」
「光栄です」
目を細め唇を半開きにし迫ってくる桃香にたじろぎながら「お若いのに熟練してますね。タロット」と話題を変えた。
座りなおした桃香が嬉しそうに顔を綻ばせながら言う。
「あたし本来はインスピレーションのみで人のことが観えてしまうんです。おかげで子供のころからすごく苦労して」
霊感少女によくある苦労話だ。桃香のように予知能力、テレパシー、念力などの力を持つ子供たちは純真さゆえにそのまま能力を発揮してしまう。古代であれば畏怖の対象になり、祭り上げられたりもするが、現代では気味が悪い子として疎外される対象になることも多いだろう。
「でも今の師匠があたしを拾ってくれて……。おかげさまでこうやって普通にやっていけてるんです」
「師匠?」
「はい。園女小百合先生です」
「ああ。君は園女先生のお弟子さんなのか」
園女小百合は日本のタロット占いの第一人者だ。僕の師匠である紅月蘭子のよき友人でもありライバルでもある人物で一度だけお目にかかったことがある。
ストイックな印象の蘭子と派手で男好きのする小百合はまるでタロットカードの女教皇と女帝のようだった。
桃香はインスピレーションをタロットカードを使うことにより行き過ぎてしまう能力を抑え、ほどよい塩梅で占い師として社会に落ちつけた様だ。本来、媒体にするものを主体にしてしまった小百合に感心する。
「すごいね。普通はタロットをインスピレーションの助けにするのに」
「はいっ。小百合先生はすごいんです」
師を褒められて桃香はさらに嬉しそうな顔を見せた。
「園女先生はまだお元気ですか?」
紅潮した顔に陰りが見える。
「去年……。あたしが最後の弟子なんです」
「そうか」
しんみりした空気が流れる。涙ぐみそうになるのを堪えて桃香は顔をあげた。
「亡くなる前に小百合先生が是非、緋月さんに会いなさいって。それで準備してやっとここに来れたんです」
小百合の意図が今一つ読めないが、僕の師、蘭子との水魚の交わりを想うとお互いの最後の弟子を会わせたいという素朴な気持ちなのかもしれない。
桃香は一人で馴染みのないこの町にやってきて自分の力を試そうとしているらしい。
「今日は夜、講座があるから無理だけど、明日、町でも案内するよ。都合はどう?」
「ほんとですか!嬉しい。まだ全然この町の事知らないんです。ちょうど定休日なのでいつでもいいです」
駅前の広場で待ち合わせをする。車から降りてあたりを見回すと歩道橋の上を急いで走る桃香が見えた。
手を振るとぱっと顔を輝かせ、両手を大きく振りまた走り出した。――可愛らしいな。
息を切らしてやってきた桃香はふんわり長い髪をかき上げ「こんにちは」と礼儀正しく頭を下げた。
薄いピンク色のワンピースは身体のラインに添ってはいるが、ゆるいAラインで桃香にとてもよく似合っている。
「急がなくて良かったのに」
アイボリーのパンプスを見ながら言うと「顔見たらついつい走っちゃって。あ、このパンプス走れるパンプスなんですよ」とヒールを見せて笑った。
車高の高さがつらいだろうと小柄な桃香の手を引くと「緋月さんて優しいですね」と頬を染めた。少し市内を流して買い物に便利が良さそうなところや公共施設、文化施設を案内した。
「あれえ。まだお雛様売ってる」
「ん?ああ。こっちは旧暦で祝うんだ」
「へええ。あたし桃の節句に生まれたからここだと長いことお祝いされるみたいでいいですねえ」
「ああ、それで名前が桃香なんだね」
笑顔を見せる桃香の頬は丸い水蜜のようだ。――うお座か。
うお座のマークにもなっている二匹の魚は怪物から逃げようとしたアフロディテとエロスが離れ離れにならないようひもで結んだ姿だと言われる。登場人物からも想像されるようにこの星座の色気は群を抜く。しかも甘えん坊で奉仕精神もあるためいやらしく映らない。つまり可愛いのだ。
あどけない妹を案内するようでなんだか楽しい時間だった。
「また会ってもらえます?」
「うん。連絡をくれたら迎えに来るよ。行きたいところが合ったら遠慮なく言って」
駅で別れた後、助手席を見ると一枚の花弁が落ちていた。車内が甘い香りで満ちている。思わず胸いっぱいに吸い込む自分に自嘲して笑った。
桃香とは週に二度ほど会い自宅で手料理を振舞うほどの付き合いになった。しかし恋愛関係ではない。可愛い女性ではあるが恋愛対象にはならないようだ。彼女も僕のことを歳の離れたれた兄のように慕ってくれている。いわば兄妹弟子のような関係だろうか。
「桃香。お茶を入れてくれる?」
「はーい」
桃香は料理をほとんどしたことがなく米のとぎ方すら知らなかったが、お茶を入れることだけは誰よりもうまかった。それも茶葉であれば日本茶だろうが紅茶だろうがどんな種類のものでも美味しく淹れられる。
「君ほど美味しくお茶を入れる人はいないだろうね」
さほど新しくない緑茶が高級な新茶のようだ。
「小百合先生もお茶だけは一級品だって」
今ではお茶だけではないだろう。桃香のタロット占いは一過性のものではなく安定して人気が出ているようだ。亡き小百合に見せてやりたいぐらいだ。
「占いのほうも順調そうだね」
「おかげさまで」
「実力だよ」
「最近は男のお客さんも増えてきました」
明るく言う桃香だが、少し老婆心が出てしまう。
「男にはあんまり親身にしないようにね。勘違いされるといけないから」
「えっ。そんなもんですか?」
「うん。桃香は若いしね。気を付けとかないと」
くどくど父親のように言ってしまうと彼女はくふっと笑って「わかりました」と素直に返事をした。
桃香と一緒にスーパーで買い物をしていると柏木麻耶にばったり会った。
「あら、ほしき!お久しぶり」
「やあ」
「ん?そちらの可愛い人は?」
「あ、ああ。同じ占い師の魚女桃香さんだよ」
「は、はじめまして」
「ああ。もしかしてタロットの?今評判よねー。でも残念。占ってもらうことがないなあ」
幸せそうに目を細める麻耶は相変わらず色気があるが健康的だ。
「付き合ってるの?」
ニヤッと野次馬のように聞いてくる。
「そんなんじゃないよ。親子みたいなもんさ」
「えっ。親子だなんて」
「ふーん」
桃香は慌ててかごを持って「お会計してきます」とレジに向かって行った。
後姿を見ていると麻耶が先ほどと違いクールな表情で静かに告げてくる。
「あの娘。なんか気を付けたほうがいいよ」
「え?どこが?いいこだよ」
「んんー。なんか匂う」
「なんだよ。信頼置ける人のお弟子さんだから大丈夫だよ」
「そお?なら、いいか」
「麻耶こそ加減しろよ?」
買い物かごに大量に入ったニンニクとにらを見て僕は笑った。
「あらっ。あはは。ほらっ主人たら肉体労働だから、じゃあねえ」
そそくさと立ち去る麻耶は足取りが軽そうだ。しかし麻耶の言葉が引っかかる。――あいつの勘はするどいからなあ。
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