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カプリコーンの女 伝統の章
1 山羊座 八木 寛美(やぎ ひろみ) 整体師 伝道師
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休日を山で過ごすには感傷的になりすぎる。久しぶりに街をぶらつき書店を覗いた。最新の天文歴を購入する。パソコンがあるのでそれでことが足りることは足りるのだがやはりこういうものは紙媒体に限ると思い満足して書店を出た。寂れかけた商店街だが市から支援された新店舗もちらほらとあった。主におしゃれなカフェと雑貨店だ。明るい色合いやショーウィンドウに並べられたペアのマグカップを眺めることは今の僕にとって辛い。視線をずらしふと道のわきに目をやるとイーゼルにのせられた見慣れない文字が書かれた茶色い看板が視界に入った。――梵字?
不思議な気分で引き寄せられるように細い道を入り込み、店の前に着くと甘いお香の香りが鼻腔をくすぐった。店構えは簡素で、空いた店舗を何もいじらずにそのまま使っているようなアルミサッシの安っぽい引き戸は何の店なのかまったく想像させない。電気はついているようだが営業しているのかさえ分からない。しかし香りに導かれるように引き戸に手を伸ばし僕は店の中に足を一歩入れていた。
「ごめんください」
中に入ると外の様子からは一変して目に極彩色が飛び込んでくる。派手な赤や黄色、金のラメが混じった青い布が壁樹を彩り、姿見ぐらいある大きな額には歓喜天の抱き合った絵姿が飾られている。――ここは、まさか。
異国情緒あふれる色彩と香りで頭がぼーっとしてくる。
「いらっしゃい」
奥の豪華な金糸が刺繍されたカーテンからすっと音もたてずにスレンダーな白いインド衣装を着た若い女性が出てきた。二十代前半だろうか。
「初めまして」
「どなたかのご紹介ですか?」
「え、っと。紹介と言うかなんとなく来てしまったというか――あの、佐曽利麻耶さんて女性が来たことないですか?」
「んーサソリマヤさんねえ。えーっと柏木麻耶さんなら」
「あっ、そっか。結婚したから姓が変わったんだ」
「なるほど。麻耶さんのご友人ってあなたね。ヒヅキさん?」
「は、はい。こういう者です」
「ふんふん。占術家の緋月星樹さんね。お聞きしてましたよ。きっと来るだろうって。私は八木寛美と申します」
「ああ。日本の方なんですかあ。いやあ。すみません。今日は本当に偶然こちらを見つけてついつい入ってしまったんです」
「ふふっ。偶然なんてありませんよ。しかもこの店は昨日で終わりにしたんです。これから片付けようかなと思っていたところ」
「えっ、そうなんですか。すぐに出て行きます」
「ああ。待って。つまりここでの最後のクライアントがあなたってこと。神様のお導きだわ」
「は、はあ。あの。僕、特に健康上には気になるところがないですが……」
「そう?心も?」
「……」
「お時間がないのでしたらしょうがないですが、色々ダメージを受けてらっしゃるようだけど」
「まあそうですね……。八木さんが良ければ診てください」
「じゃ、こちらにおかけになって」
さっき寛美が出てきたカーテンの奥に通されセミダブルくらいの簡素なパイプベッドに腰かける。
「まずは脈を診せてくださいね」
八木寛美は浅黒い肌に黒い髪と瞳を持ち、意志の強そうな濃い眉頭を持ち上げ脈の音を聞いているようだ。僕の手首を持つ手は骨ばっていて大きい。衣装から覗く肩や首筋も細く筋張っており女性らしさとはかけ離れている。しかし甘い香りと身体を触る手つきがどんな女性よりも女性らしさを感じさせる。不思議な倒錯を感じていると寛美は説明を始めた。
「なかなかバランスがとれてますね」
「そうですか。よかった」
「今はちょっと水のエネルギーに偏ってるけどすぐに戻ると思うわ」
「と、言うと?」
「ちょっとセンチメンタルになりすぎて活動的なエネルギーが停滞しているかしらね」
「脈だけでそんなことがわかるんですね」
「もうちょっと深く診たいわ。横になっていただける?」
ベッドにうつ伏せになると寛美は腰を触り、片方の手は背骨を撫で、もう片方の手は臀部から尾てい骨をさすっている。
「緋月さんって良いセックスをしてきてるみたいね。エネルギーの流れがスムーズだわ」
若菜のことを思い出した。『良いセックス』とは彼女との行為の事だろうか。
「やはり愛情が伴った行為と言うものが『良いセックス』ですか」
「ふふ。男性なのに可愛らしいことをおしゃるのね」
「歳をとったせいですかね」
「私の考えとしては愛情はもちろんあった方がいいんでしょうけど、『良い』と判断する材料の決め手は『快感』かな。例えば愛がなかったとしても思いやりがあればお互い快感が得られると思うのよね。つまりは恋愛感情よりも人間性かしらね」
「ふうむ。まあ愛し合ってることが前提だと快感が得られやすいとは思います。相性もあるだろうし」
「愛ね……。身体の相性がいいのか愛し合っているのか。気持ち良かったから好きになったのか。好きだから気持ちいいのか。苦痛を感じたら嫌になるのか。『苦痛』を乗り越えるべき愛の障害とまで思い込んで愛しているつもりにもなりたがる人もいるけれど」
「そこまで考えるべきものですか?愛は自然に湧き上がるものだと僕は思っています」
「ふふ。私と別の方法で人にアプローチしてきてるんでしょうね。私は『人』に触れて『人』を知ってきましたの」
「なるほど。確かに僕とは全く違うやり方のようです」
「カーマスートラはご存知かしら」
「ええ。一般的な情報程度ですが」
「麻耶さんに頼まれていたの。もしあなたが来たらカーマスートラを施してほしいと」
「えっ。なぜ?」
「緋月さんはもっともっと女性と性を知るべきだっておっしゃってたわ。あなたが知らないと言ってるのじゃないのよ。麻耶さんはもっとあなたに大きく深く活躍してもらいたいみたい」
「麻耶がそんなことを」
「彼女こそカーマスートラを勉強してもらいたかったんだけど」
「確かに向いてそうだな」
「ほんと。素質はまれに見るものがあるんだけど彼女はご主人のためだけにエネルギーを発揮したいんですって。まあ潔くていいわね」
「麻耶らしいな」
「と、言うわけで、あなたに少し伝授させてもらうことにしたわ」
寛美はベッドの上に腰かけ優しく僕の髪を撫でながら耳元で囁く。
「このベッドから降りてもっと奥にいらして。今からカーマスートラの時間よ」
不思議な気分で引き寄せられるように細い道を入り込み、店の前に着くと甘いお香の香りが鼻腔をくすぐった。店構えは簡素で、空いた店舗を何もいじらずにそのまま使っているようなアルミサッシの安っぽい引き戸は何の店なのかまったく想像させない。電気はついているようだが営業しているのかさえ分からない。しかし香りに導かれるように引き戸に手を伸ばし僕は店の中に足を一歩入れていた。
「ごめんください」
中に入ると外の様子からは一変して目に極彩色が飛び込んでくる。派手な赤や黄色、金のラメが混じった青い布が壁樹を彩り、姿見ぐらいある大きな額には歓喜天の抱き合った絵姿が飾られている。――ここは、まさか。
異国情緒あふれる色彩と香りで頭がぼーっとしてくる。
「いらっしゃい」
奥の豪華な金糸が刺繍されたカーテンからすっと音もたてずにスレンダーな白いインド衣装を着た若い女性が出てきた。二十代前半だろうか。
「初めまして」
「どなたかのご紹介ですか?」
「え、っと。紹介と言うかなんとなく来てしまったというか――あの、佐曽利麻耶さんて女性が来たことないですか?」
「んーサソリマヤさんねえ。えーっと柏木麻耶さんなら」
「あっ、そっか。結婚したから姓が変わったんだ」
「なるほど。麻耶さんのご友人ってあなたね。ヒヅキさん?」
「は、はい。こういう者です」
「ふんふん。占術家の緋月星樹さんね。お聞きしてましたよ。きっと来るだろうって。私は八木寛美と申します」
「ああ。日本の方なんですかあ。いやあ。すみません。今日は本当に偶然こちらを見つけてついつい入ってしまったんです」
「ふふっ。偶然なんてありませんよ。しかもこの店は昨日で終わりにしたんです。これから片付けようかなと思っていたところ」
「えっ、そうなんですか。すぐに出て行きます」
「ああ。待って。つまりここでの最後のクライアントがあなたってこと。神様のお導きだわ」
「は、はあ。あの。僕、特に健康上には気になるところがないですが……」
「そう?心も?」
「……」
「お時間がないのでしたらしょうがないですが、色々ダメージを受けてらっしゃるようだけど」
「まあそうですね……。八木さんが良ければ診てください」
「じゃ、こちらにおかけになって」
さっき寛美が出てきたカーテンの奥に通されセミダブルくらいの簡素なパイプベッドに腰かける。
「まずは脈を診せてくださいね」
八木寛美は浅黒い肌に黒い髪と瞳を持ち、意志の強そうな濃い眉頭を持ち上げ脈の音を聞いているようだ。僕の手首を持つ手は骨ばっていて大きい。衣装から覗く肩や首筋も細く筋張っており女性らしさとはかけ離れている。しかし甘い香りと身体を触る手つきがどんな女性よりも女性らしさを感じさせる。不思議な倒錯を感じていると寛美は説明を始めた。
「なかなかバランスがとれてますね」
「そうですか。よかった」
「今はちょっと水のエネルギーに偏ってるけどすぐに戻ると思うわ」
「と、言うと?」
「ちょっとセンチメンタルになりすぎて活動的なエネルギーが停滞しているかしらね」
「脈だけでそんなことがわかるんですね」
「もうちょっと深く診たいわ。横になっていただける?」
ベッドにうつ伏せになると寛美は腰を触り、片方の手は背骨を撫で、もう片方の手は臀部から尾てい骨をさすっている。
「緋月さんって良いセックスをしてきてるみたいね。エネルギーの流れがスムーズだわ」
若菜のことを思い出した。『良いセックス』とは彼女との行為の事だろうか。
「やはり愛情が伴った行為と言うものが『良いセックス』ですか」
「ふふ。男性なのに可愛らしいことをおしゃるのね」
「歳をとったせいですかね」
「私の考えとしては愛情はもちろんあった方がいいんでしょうけど、『良い』と判断する材料の決め手は『快感』かな。例えば愛がなかったとしても思いやりがあればお互い快感が得られると思うのよね。つまりは恋愛感情よりも人間性かしらね」
「ふうむ。まあ愛し合ってることが前提だと快感が得られやすいとは思います。相性もあるだろうし」
「愛ね……。身体の相性がいいのか愛し合っているのか。気持ち良かったから好きになったのか。好きだから気持ちいいのか。苦痛を感じたら嫌になるのか。『苦痛』を乗り越えるべき愛の障害とまで思い込んで愛しているつもりにもなりたがる人もいるけれど」
「そこまで考えるべきものですか?愛は自然に湧き上がるものだと僕は思っています」
「ふふ。私と別の方法で人にアプローチしてきてるんでしょうね。私は『人』に触れて『人』を知ってきましたの」
「なるほど。確かに僕とは全く違うやり方のようです」
「カーマスートラはご存知かしら」
「ええ。一般的な情報程度ですが」
「麻耶さんに頼まれていたの。もしあなたが来たらカーマスートラを施してほしいと」
「えっ。なぜ?」
「緋月さんはもっともっと女性と性を知るべきだっておっしゃってたわ。あなたが知らないと言ってるのじゃないのよ。麻耶さんはもっとあなたに大きく深く活躍してもらいたいみたい」
「麻耶がそんなことを」
「彼女こそカーマスートラを勉強してもらいたかったんだけど」
「確かに向いてそうだな」
「ほんと。素質はまれに見るものがあるんだけど彼女はご主人のためだけにエネルギーを発揮したいんですって。まあ潔くていいわね」
「麻耶らしいな」
「と、言うわけで、あなたに少し伝授させてもらうことにしたわ」
寛美はベッドの上に腰かけ優しく僕の髪を撫でながら耳元で囁く。
「このベッドから降りてもっと奥にいらして。今からカーマスートラの時間よ」
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