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白鷺の出雲
第七話 最終話
しおりを挟む寅蔵は八坂に追われ、逃げて行くうちに八坂家の蔵の前に出た。
「畜生!」
彼は舌打ちをして、蔵を背に振り向く。すぐ後ろには八坂が迫っていた。
「出雲! テメェがこんな形で裏切るたァ、考えてもいなかったぜ!」
「最初に裏切ったのはお前の方だろうが!」
出雲を夜道で襲ったのは、寅蔵だ。
そう八坂は言ったつもりだったのだが……目の前の男は笑っていた。
「まさか、アレに気付いたとはな……」
「白々しい! どう考えたって、お前しか考えられねぇ!」
「今更気付いたところで、先代は生き返りやしねえぞ、オイ!」
八坂の中で、冷水を浴びせられたかのように何かが冷たくなっていく。
「……何?」
「先代は必ず寝酒を一杯引っ掛けんのは、テメェも知ってるだろ。簡単だったぜ、酒の中に、微量の毒を垂らすだけだ。酒は百薬の長って言いながら、テメェで毒を呷ってんだから笑えるぜえ!」
下卑た、とても耳障りな声で寅蔵が笑った。
「最後は風邪をこじらせたみてぇに……!」
人の不幸が余程、面白いと見える。
ひいひいと息も絶え絶えに笑いながら叫んだ。
追い詰められ、自暴自棄になったのだろうか。過去の罪まで飛び出すとは。
「……良かった」
「あ?」
八坂の呟きに、寅蔵は首を傾げた。
その瞬間、盗賊は言い知れぬ恐怖に身を強張らせる。
殺気だ。
「良かった、彼の耳に入らなくて……。今の話は、余りにも酷い」
「テ、テメェ、何言って……」
電光石火の動きで、八坂は花守乃舞波割二尺三寸を抜き出し、盗賊に詰め寄っていた。
「うっ!」
刀のように冷たく鋭い視線は寅蔵を射抜き、盗人は蛇に睨まれた蛙のごとく身動きが出来ず、たらりたらりと汗を流す。
「火付盗賊改方同心、八坂蒼士である! 神妙に縛につきたまえ!」
恐怖に顔が引きつっていた寅蔵が、今度はぽかんと口を開けた。
「本物の白鷺は、既に牢の中だ」
「や、野郎、ふざけやがって!」
慌てて動いた寅蔵は、八坂から離れようと大きく後ろに飛び去った。
八坂の波割もまた、賊を斬ろうと振り下ろされる。
びゅっと空の切れる音が耳に大きく響く。
大きく飛び退いたので、すぐ後ろにある蔵の木戸へ背を打った。
「は、ははは……」
寅蔵は笑った。命からがら、八坂の鋭い一閃を避けたのだ。
「ひっ、ひゃあぁぁあっ!」
ところが、笑い声から一転して、悲鳴へと変わった。
まるで、水を掛けられた猫のように情けない声。
寅蔵の着ていた物が、ばらりばらりと切れて落ちていくではないか。
一太刀かと思いきや、実は二度、三度と斬りつけていたようだ。
「あ、あぁ……」
神業と呼べる刀さばきに、賊は腰を抜かしたと見える。
その場でへたりと座り込み、一足先に真冬を迎えたかのように震えだしてしまった。
こうして、あっけなくも八坂家へ押し入った盗賊は全て捕らえられた。
一人も相手にすることが出来ず、八坂父は暫くの間、拗ねていたというのは別の話。
「他の白鷺一味はどうしたの?」
すっかり秋の色へと移り変わった空を、柳屋の二階から玉置は仰ぎ見た。
その傍らには八坂が控えている。
二人は着流しの浪人姿。
市中見廻りを終えたので、柳屋の軍鶏鍋を食べに寄ったのだ。
「申し訳ございません。逃してしまいました」
八坂は深く詫びるように頭を下げた。
玉置は視線を空から八坂へと移し、微笑ましげにやんわりと目を細める。
「良いよ、謝らなくても」
そう言って、手をぽんと叩いた。
襖が開き、外で待機していたのであろう伊織がそこにいた。
「二人を呼んでくれないか」
「かしこまりました」
すぐに伊織は二人の男を引き連れて、部屋へと戻って来た。
「ア、アンタ!」
部屋に入ってきた老人が、八坂を見るなり驚き叫んだ。
それよりも驚いたのは、もう一人の男だろう。
いや、八坂も驚いて声が出ないらしい。
もう一人の自分を見て、固まってしまっている。
「あっはっはっはっは……」
玉置の高らかな笑い声が部屋中に響いた。
伊織はというと、彼は笑いを押し堪えて肩が大きく震えていた。
「こ、こいつぁ……いってぇ、どういう冗談だい。狐にでも化かされてるんじゃ……」
作治老人は目を何度もこすり、八坂と出雲の間を何度も視線をさまよわせる。
「化かされてなどいないさ。この二人は似ている、ただそれだけだよ」
笑い過ぎて目元に溜まった涙を指で拭いながら、玉置はそう言う。
「作治さん、白鷺一味はどうなった?」
伊織はいつにない笑顔で訊いた。
まだ、笑いが腹の中で収まらないらしい。
「それがね、菩薩の親分。親分のところから戻ってきた三代目が、寅蔵とケリ着けたら、白鷺一味を解散するってぇ、俺に言いやして」
「ふむ」
「それで、他の連中の心内も知りてぇってことで、急ぎばたらきの話を切り出してみるんだと。それで、頭の言葉を裏切ってでも真のおつとめをしようってヤツは、抜けるがままにしとけと」
これは、本来ならば出雲の役目。
一人でも裏切り者が出てしまった以上、出雲は一味解散を決意していた。
自分の代わりにそれを実行した男を、出雲は見た。
「私は目的の為に一味を解散、職を失って失意にある仲間達を一網打尽にしようとしたのですが……まんまと逃げられてしまいました」
ふいと八坂は目を逸らす。
「ありがとう」
出雲はぽつりと言葉を落とした。
「寅蔵は俺の手下だ。その手下を一人でも束ねられねぇ俺ぁ……頭は無理だ。だから、解散させようとは思っていた。こういう形でアンタに解散させられちまったが、中途半端な俺にはお似合いの幕引きだな」
「ま、まさか、あのときの三代目は、そこにいる野郎なんですかい! 一味が解散しちまったのも、出雲の意志じゃなくて、そいつの……!」
作治がまたもや大声で驚いた。そして、肩を大きく落として、
「一味は解散となりゃ、これから俺ぁどうやって生きていきゃ……」
「作ジィは引退しろって、いつも言ってるだろ」
ふ、と出雲の表情が和らいだ。
「盗みに入れるってぇから、細々と堅気の仕事も頑張れたってぇのに……」
うな垂れる作治へ、玉置は笑顔で、
「それなら、お二人さん、俺の手伝いをする?」
「アンタ、さっきからいなすったが……何者だい? どこかの親分様で?」
どうやら、伊織の客人なので同じ盗人だと思っていたらしい。
「火付盗賊改方長官、玉置和泉」
「げぇっ!」
玉置が名乗ったときの、作治老人の顔の蒼さといったら……。
閻魔大王の前にでも引きずり出されたかのように、がたがたと歯の根が合わない。
「はははっ……」
出雲から笑いが漏れた。
こんなにも親しみ易い人間が、お上の中にもいたなんて、ついこの間までは知らなかったのだから。
作治を安心させる為なのか、八坂がやんわりと微笑んだ。
「引退しても、楽しめそうな仕事が見付かって、良かったですね」
外に見える山は、すっかり赤い衣を身にまとっていた。
了
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