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第3話

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 腹ごしらえも済ませ、満腹になったところでエルミアは眠くなってきた。
 急に別世界に来て右も左もわからないような状況なのに、こんな時でも眠くなってしまうのかと、エルミア自身、自分を疑った。
「コーヒー飲みたい」
 大きくあくびをしながらエルミアが言うと、ラヌートがキッチンのほうを指差した。
「飲めばいい。材料は揃ってる」
「伝わった!」
 コーヒーという言葉はあるのだ。どこまでが通じて、どこから通じないのだろう。ポトフはないが、コーヒーはある。胡椒はないが、塩と砂糖はある。共通する言葉はいったいいくつあるのだろう。
 そもそも、ここはいったいどこなのだろう。
「俺の分は作らなくていいぞ」
「私の分もいりません」
 ラヌートとシャトランに同時に言われ、エルミアは苦笑した。
「すっかり信用なくなっちゃったな」
 キッチンに立ち、コーヒー豆を探す。すぐに見つかった。豆から作るコーヒーは作ったことがない。インスタントか外食でコーヒーショップに行くかのどちらかだ。それに。
「ラヌートさん、ポトフを作った時の火を消してしまったんですけど」
「面倒だな。一刻も早く魔法を覚えろ。そしたら火をつけなくても湯を沸かせられるようになる」
「魔法ってすごいんですね」
「うむ」
 ラヌートは大きくうなずいた。
「先に魔法を教えてやろうか。そのほうが俺も楽だ」
「そうですね。お願いします」
 エルミアが返事をした瞬間だった。
 バンッと勢いよく玄関のドアが開いた。
「ラヌート! いるか!」
 大柄の鎧を着た男が現れた。
 線の細いラヌートとはまったく違うタイプのイケメンだ。少々いかついが、顔立ちはとてもいい。
 茶色の短髪で、肌の色も浅黒い。顔や腕に細かい傷があるのは、これまで戦ってきた証だろうか。
 腰には鞘に入った大きな剣があった。
「おう。いるぞ、ハイラス」
 ラヌートが立ち上がる。
 ハイラスが口を開いた。
「仕事の依頼だ」
「おう。なんだ」
 ハイラスが背負っていた荷物袋から、分厚い一冊の本を取り出した。
「これを写本してくれ」
「……分厚いな」
「分厚いが仕事だ」
「俺は写本師ではないぞ」
「写本師よりもおまえに頼んだほうが仕事が早い」
「写本師たちの仕事がなくなるだろ?」
「いいからやってくれ」
 ラヌートはしぶしぶ引き受けた。指揮者のように手を動かすと、分厚い本が空中に浮き上がる。と同時に羽ペンも浮き上がった。勝手にインクにペン先が浸かり、何も書かれていない羊皮紙も空中に浮き上がる。インクのついた羽ペンが羊皮紙の上をさらさら動き、何かを書き記し始めた。
「すごい」
 エルミアは素直に感心した。
 羊皮紙が次々と空中に浮かぶと、羽ペンが勝手にさらさらと書き、完成されたページがどんどん積み上がっていく。みるみる分厚い束になり、すべて出来上がると製本までやった。一冊の本が完成だ。
「ほれ」
 ラヌートがハイラスに向かって本を投げた。ハイラスが嬉しそうにキャッチする。
「本当に仕事が早いな。ありがとうよ」
「報酬はいつものところに」
「おう。じゃあまたな」
 ハイラスが去って行った。お茶も出していなかったことにエルミアは気づいたが、もう完全に遅かった。
「今のは……」
 エルミアが問いかけると、ラヌートが口を開いた。
「うちのお得意さんだ。ハイラスという。王宮の戦士をしている。使いでよく旅に出るので、ここにもよく来る」
「そうなんですか」
「まるでなんでも屋さんのような扱いだ。ちょっとでも面倒なものはすぐうちに持ってくる」
 ラヌートは少し不満そうな顔をした。
「頼られてるんですね」
「まあ、金になるからな」
「は、はぁ」
「では、中断してしまった魔法の授業を再開するぞ」
「あ、はい」
 魔法というものは、習えば誰でも使えるようになるものなのだろうか。内心でそんな疑問を持ちつつ、ラヌートの話に耳をかたむけた。
「魔法とは、簡単に言えば念じるということ。使う時には呪文を放つ。呪文はきっかけだ。唱えた呪文に応じて、さまざまなことが起こる。よく理解していない者が安易に使うと、失敗も多い。どの呪文がどういう作用をするのか熟知していないと、間違ったことが起こる。魔法の規模にもよるが、大規模な魔法を使い失敗すると死に至ることもある」
「えっ、こわっ」
「取り扱い要注意なもの、それが魔法だ」
「いきなり脅さないでください」
 エルミアが怯えると、ラヌートは楽しそうに笑った。ドSなのだろうか。
「実はシャトランも魔法は使える」
「えっ、そうなんですか」
 シャトランのほうを見ると、誇らしげに胸をそらしていた。
「あとは本をやるから読め」
 ポイッと分厚い本を渡された。パラパラとめくると、模様のような文字がびっしりと埋まっている。
「……読めません」
「文字が読めないのか」
「というか、使っている言語が違います」
「普通に会話はできるのに?」
 ラヌートは怪訝そうにしたが、すぐにエルミアに向き直った。
「面倒なやつめ」
 何か呪文を唱えると、また指揮者のように手を動かし、まばゆい光がエルミアを包み込んでいく。わけがわからないまま光に包まれていると、急に目の前の本が読めるようになった。
「えっ、読める!」
「どうだ。魔法はすごいだろう」
「す、すごいですっ」
 できないことなど何もないのではないか。魔法、万能すぎる。
「でも、本が分厚すぎて、全部読める気がしないです」
「読んで理解すればすぐにでも魔法が使えるようになる。初めのうちは不安定だろうが、実践を重ねていけばそのうち安定する。とにかくやってみることだ。失敗しても影響の少ない小さな魔法から使ってみろ」
「わ、わかりました……っ」
 その日から、エルミアの読書漬け生活が始まった。
 いきなり火を扱うのは怖かったので、まずは小さな物を持ち上げることから始める。本に記されている通りの言葉を唱えるが、目の前の手のひらサイズのカゴはぴくりとも動かなかった。
「ダメだあ」
 がっくりとうなだれる。
「そんなすぐにはできませんよ。頑張ってください」
 様子を見ていたシャトランが声をかけてくる。
「シャトランはどのぐらいで魔法を使えるようになったの?」
「私は10分ぐらいでしたかね」
「はやっ」
「私はほら、天才ですから」
 シャトランが誇らしげに胸を張った。
 エルミアはため息をついた。
「……がんばろ」
 その間、ラヌートは何をしているのかというと、仕事に集中していた。
「パシルの実を潰して、ロゼーヌの花の蜜と混ぜて……」
 どうやら何かを調合している。
 エルミアはシャトランに問いかけた。
「ラヌートは何をしているの?」
「錬金術です」
「錬金術?」
「物と物を調合することによって、新しい物を生み出す技術ですよ」
「へえ」
 よくわからないが、とてもすごそうだ。
「元はといえば、金や銀を作り出す技術の研究なのですが、今では様々なものが作り出せるようになりました。ただ、技術の高い者がやらないと、失敗してガラクタを生み出してしまうんですけどね」
「じゃあ、わたしはやらないほうがいいね」
「ですね」
 シャトランが深くうなずいた。
「ラヌート様は錬金術師ではないのですが、依頼されることが多いのです」
「写本の時みたいに?」
「ラヌート様に依頼すれば間違いないと思っている方々が多いのです」
「なるほどー。とても優秀な魔法使いなのね」
 まるでなんでも屋さんのような扱いだ、とぼやいていたのを思い出した。
「魔法自体の依頼は少なく、写本や錬金術のような依頼がとても多いのです。仕事が少ない時期にあれもこれもと引き受けていたら、このようになってしまいました」
「嬉しい悲鳴というやつね」
「これでも今は仕事が落ち着いている状態なのです。忙しい時期は地獄のようでした」
「だから猫の手も借りたかったのね」
 シャトランはエルミアをじっと見つめた。
「なので、早く魔法を使えるようになってもらいたいのです。ラヌート様の負担が少しでも軽くなるように。予定していた見習いは、どうやら来る気配がないので、エルミア様を頼りにしています」
「仕事できる女だから、任せて」
 エルミアは自信満々に告げたが、物事はそんな簡単には進まないのである。
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